2023年01月19日

サッカーが好き

日頃より筑波大学女子サッカー部を応援していただきありがとうございます。

2023シーズン主将を務めます、野嶋彩未(#8 ゆめ)です。


気づけば、私の人生の中の大学サッカーも残り1年になりました。あっという間に3年間が過ぎ、私たちがチームを引っ張る番になりました。
ここ最近は、3年間で学んだことを振り返り、この1年で何ができるのか考え続ける日々を送っています。

さて、今回は三役として執筆依頼を受けたので、私がこのシーズンにかける思いを書きたいと思います。
拙い文章だと思いますが、是非最後まで読んでいただけると幸いです。


「サッカーが好き」

私がこれまでサッカーを続けてきたのはこの思いがあったからです。
試合で活躍できる、得点できる嬉しさだけでなく、試合に出られない、思うような結果を出せないという葛藤もありました。
それでもまだサッカーをやっている。最初に出会ったスポーツがサッカー以外でもこのような結果だったかもしれないけど、サッカーに出会えたことが私の運命であり、今を作っている。私はそう思っています。


そしてこの2023シーズン。
「サッカーが好き」という大前提がある中で、より強い思いがあります。
なぜなら、私のサッカー人生がこの1年で最後になるかもしれないからです。もしかしたら続けている可能性もあります。
でも、ここで終わっても、サッカー人生をやりきったと思えるような1年にしていきたいです。


そのために何ができるのか。
主将としてどう引っ張っていくのか。


常にこの2つが頭を駆け巡っています。
私は、小・中・高で、学校では学級委員やHR委員、サッカーではキャプテンや副キャプテンをやってきました。
だから引っ張ることやみんなの前に立つことには抵抗はありません。
しかし、大学は今までと違い、選手が主体となってチーム運営を行います。
ただ自分がみんなの前に立つだけではなく、全員で創り上げていく中で、自分が学んできたことを出すこと、そしてそれらを後輩に伝えられるようにしたいです。

ついていくことに精一杯の1年生、個人の仕事を持つようになる2年生、4年生を支えることの難しさを感じる3年生。
いろんな立場の人がいる女サカでチームを創り上げるためには4年生の力は重要です。
私自身が他の人より頑張ること、4年生としての姿を見せることで、この4年生とチームを創り上げ、サッカーができてよかったと思ってもらえるようにしたいです。


今シーズンのスローガンは

「翔仁」

です。
仁をもって翔け上がる。仲間とともに、高みを目指す。
全員が同じ方向を向いて翔け上がり、進化すること。
仲間・チームを想って、成長すること。

筑波大学女子サッカー部は個々で他大学に勝つのは、難しいです。勝つにはチーム力が必要であり、組織としての強さを出す必要があります。
全員の力で勝ちを掴みにいきたいです。


そして

インカレ優勝

2023シーズンのOn the pitchの目標です。
昨シーズンインカレに出場してもいないチームが何を言っているんだ、と思う人もいると思います。
それでも、私はこの仲間、このチームでなら達成できると思っています。そして何よりも、この仲間と達成したいと思っています。

国立大学が大学女子サッカーの頂点に立つ、快挙を成し遂げたいと思います。


「サッカーが好き」
この思いは私を動かす原動力です。
どんな状況であれ、この思いは変わらないし、どんなことにも挑戦していきたい、そう思います。
そして、私は今の自分で終わる気はありません。
成長し続け、変わり続ける。
何かに困ったら心躍る方を選択し、常に心躍る状態である。それが何よりも成長であると思っています。


最後に、
今、私たちが活動できているのは、多くの方々の支えがあるからです。感謝の気持ちを忘れず、日々精進していきたいと思います。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。

長い文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

#8 野嶋彩未

  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 14:32Comments(0)2023三役ブログ2023
いつも筑波大学女子サッカー部を応援していただき、ありがとうございます。

2023シーズン副将を務めることになりました、体育専門学群新4年の月東優季乃です。

文章を書くことは非常に非常に苦手ですが、今回は、三役の一人としてブログの執筆依頼を受けたので、書かせていただきます。
拙い文章で申し訳ありませんが、少しの時間お付き合いいただけると幸いです。

まずは名前の読み方ですが、がっとうゆきのです。ハーフでも外国人でもありません。純日本人です。

埼玉県越谷市出身。小さい頃から活発すぎた私は、友人の影響でサッカーを始めました。
大袋FC(小学)、浦和レッズレディースジュニアユース(中学)、十文字高校(高校)を経て現在筑波大学女子サッカー部でサッカーをしています。

筑波大学女子サッカー部の部員は1〜4年生までを合わせて毎年おおよそ35名ほど。そのほとんどが「体育専門学群(体専)」という体育・スポーツを勉強する学部に所属していると思われがちですが、実際はそうではありません。

全体の3分の2くらいが体専の学生で、残りの3分の1が体専以外の学生。その中には、社会、理工、生物、教育、看護、医学など様々な所属の学生が在籍しています。出身地も北は北海道から南は山口県まで様々で、このあたりからすでに女サカの部員の多様性が垣間見えてきますよね。

そうなんです。
女サカには、いろんな人がいるんです。


サッカーが上手い人、

頭がめちゃくちゃいい人、

語彙力に優れた人、

努力をし続けられる人、

情報処理に長けてる人、

チームや試合の運営に尽力してくれる人、

イベントを企画して盛り上げてくれる人、

スポンサーを獲得してくれる人、

女子サッカーを普及してくれる人、

高いクオリティで広報用の映像や画像を作る人、

技能面だけでなくリーダーシップを発揮出来る人、

頭の回転が本当に速く意思決定がスムーズな人、

自分の思いを素直に伝えられる人、

心から仲間のことを応援できる人、

これらいくつかを掛け合わして持つ人、

留学する人。


きりがないですね。すみません。
女サカの部員は本当にすごいです。
私は今、こうして女サカの一員でいれることがとても嬉しく思います。
一方で、私は女サカにいる存在意義はあるのかと考えさせられることが多くあります。
そう考えさせられて、もう3年が経ち、
大学ラストシーズンとなる今、
不安な気持ちの方がとても大きいです。

しかし、
私には思いがあります。

筑波大学女子サッカー部の試合を多くの人に足を運んでもらい見てもらいたい。
また、試合だけでなくそれ以外の活動を多くの人に知ってもらいたい。

そんなこと思うなら、まずは見てもらったり知ってもらったりする努力をしているのか?と疑問に思う人もいると思います。
たしかに、その努力は足りていないのかもしれません。
重複してしまい、すみません。でも、これだけは知ってもらいたいです。

筑波大学女子サッカー部には…
ただサッカーをする人はいません。

医者を目指しながら、サッカーをする人。

看護師を目指しながら、サッカーをする人。 

実習をやりながら、サッカーをする人。

自分の学類の専門し、実験や研究を繰り返しながら、サッカーをする人。

私にとって未知な領域であることを学びながら、サッカーをする人。

さらには…
これらをしながら、サッカーをする選手としてではなく、サポートしてくれる部員もいます。
「大学生とアスリートの両立」のクオリティが本当に高いです。
私自身、人生の中でこれほど魅力を感じたチームはありませんでした。

私がこう感じたように、

今、このブログを読んでいただいてるあなたに…
より多くの人々に…

次は私が伝えていき、感じてもらてえるようにする番だと
思いました。


サッカーの技術だけでなく、真剣に向き合う姿勢そのものを見ていただきたいです。



話は変わりますが、

副将である以上、自分自身の行動や発言が、チームの行動や発言になります。
「自分を捨ててでも、チームのためにできることを優先にしろ。」と、高校の頃の恩師にいただいた言葉です。
副将になり、「自分のことより、チームのための仕事を全うしよう。」と覚悟を決めました。たとえ、自分自身がうまくいかなくても、本気でチームのためにできることを考え、本気で部員一人一人に向き合っていきたいです。

そして、
これ以上ない仲間と、掲げた目標に向かって翔け上がっていきたいと思います。



最後に
サッカーができる環境があること。
一緒にサッカーができる仲間がいること。
毎日、私たちのためにいろいろなことを考えてくださるスタッフさんがいること。
筑波大学女子サッカー部のOGさんたちの努力があって、伝統を繋いで、今があること。
どんなときも支えてくれている家族がいること。

今大好きなサッカーができていることに「感謝」の気持ちを忘れることなく、活動していきたいと思います。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


#17 月東優季乃
  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:36Comments(0)2023三役ブログ2023

2023年01月17日

仲間

平素より筑波大学女子サッカー部へご支援、ご声援ありがとうございます。
2023シーズンの主務を務めさせていただきます、体育専門学群新4年の河部真依と申します。

これまで先輩方が書いてきたブログを見てきた私としては自分の文章は大丈夫なのかと思う気持ちもありますが、今の素直な思いを書かせていただいたので、最後までお付き合いいただければ 幸いです。

私たちにとってついにラスト、4シーズン目。
これはつまりコロナ禍4年目であることも意味します。
女サカでの活動を楽しみにしていた矢先の自粛、制限。やっとの思いで入学できたのにこれからどうなるのか、ただ不安でしかありませんでした。
しかし見方を変えると、この状況になったからこそ、グラウンドに来れること、試合ができること、いろいろな人と関われることが当たり前でないことに気づくことができました。そして、何かができるようになった。そのたびに喜びを感じ、みんなで分かち合うことができました。

ここまでの3年は思い描いてたものと異なるかもしれない。
けれど女サカだったからこそ、多くの嬉しさや悔しさを経験できたとともに、あるべき姿を学び、自分にはない考え方を得られたことで、日々の成長を実感しています。

今シーズン私たちが掲げる目標は『インカレ優勝』

「昨シーズンインカレにすら行っていないのに。」
その意見は少なくないはずです。

自分たちなら必ずできる。
どうしてもこのチームで目指したい。
もちろん簡単な事ではありません。
そのために『翔仁』というスローガンを掲げ、1年間戦っていきたいと思っています。

“仲間を想い、高みを目指す”という意味を込めたこのスローガン。
“仲間を想う“というと、仲間同士思いやることや支えあうことはもちろん、チーム・仲間の成長を追求しあうことでもあると私は考えます。4年生として、三役の1人として、物事を正し、周りに求めることもあると思います。慰め合う集団ではなく、どんな場面においてもお互いを認め、尊重し合い、求め合える集団。それが個人・チームとしての飛躍につながっていくと思います。

目標達成に近づくために、組織としての魅力を示すために、部の活動を円滑に進めるために。主務としての自分自身の立場や責任も意識し、私がやるべきこと、私だからできることを模索し、体現していきたいと思います。
そして全員が「このチームの一員でよかった」と心から思えるよう、日々活動していきます。

目標に向かって活動できる背景には、スタッフさんや、常に応援してくださっている方、これまで女サカを創り上げてくださったOGさんなど多くの方の支えがあると思います。
そして、私には同期をはじめ、常に切磋琢磨し合い、多くの時を共有し合う仲間がいます。
このチームで最高の景色を見るために。
2023シーズン、感謝を忘れず、仲間を想い、高みを目指して翔け上がります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今シーズンも、筑波大学女子サッカー部へのご声援をよろしくお願いいたします。

#23 河部真依
  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 22:08Comments(0)2023三役ブログ2023

2023年01月15日

幸せな4年間

とうとうこの引退ブログを書く側になってしまい、驚きと寂しい気持ちでいっぱいです。
ただ、振り返ると筑波での4年間は4年以上あったのではないかと思うくらい濃く、たくさんの経験ができました。


私は憧れの気持ちを捨てきれず、プラス1年かけて筑波に来ました。


本当は大学でサッカーするかどうかも悩みました。
ただ、あの時筑波をもう一度受験することを選んだ自分を褒めたいと同時に、両親には感謝しかありません。


そんな想いで入部し、サッカーに没頭しました。
勉強と両立できるほどの器用さはなく、大好きな女サカのためにたくさん時間を使い、女サカ中心の生活を送りました。
忙しかったし、辛いこともしんどいこともたくさんありました。
でもその忙しさも幸せに感じていました。


自分が1年生、2年生、3年生の時、毎年インカレに出場し、女サカは色々な大会で成績を残していきました。
自分が結果に貢献できたと胸を張って言える存在ではありませんでした。

でも筑波の女サカとして結果を出せることは誇らしく、筑波ってやっぱりいいなと思えた3年間でした。




そして、最上級生になって、チームを引っ張る立場になって、歴代の4年生の偉大さを実感しました。

自分がこのチームを引っ張る、このチームを勝たせる。


そう思ってました。
強い覚悟を持って挑んだシーズン。


ただ、周りを気にしすぎてしまっていた時もありました。

今までのチームと比較してしまったり、
個人的に自分はどう思われているのか、考えすぎていました。


チームとしてなかなか結果を出せず、自分の弱さを痛感しました。
うまくいかないことばかりで、初めて女サカから一度離れたいと思いました。


ただ、毎週大事な試合が続きます。
今できること、このチームに何が足りないのかを考えて、行動していくしかなく、がむしゃらでした。


目の前のことに一生懸命になっていくうちに、だんだん周りのことなんて気にならなくなりました。


同期で始動前にたくさんの時間をかけて話し合って、決めた目標がありました。
それを達成したい。

その一心でした。



このチームでもっと喜びたい。
この仲間と一緒に、勝利の瞬間をたくさん味わいたい。
その想いがシーズンが進むにつれて、どんどん増していきました。


個人としては、試合に出れない時もいっぱいありました。


試合に出れないことはこの3年間でもたくさんありました。
その時も悔しい思いはすごくありました。


ただ、この1年間は格別に悔しかったです。
それはこのチームで勝ちたいという想いは自分が1番強いと思っていたから。

でも、自分のプレーはうまくいかなかったりして、悔しさは増していきました。



自分が出られない時は正直苦しかったです。

こんな自分が主将であることの意味は何なんだろうと、たくさん悩みました。

ただ、私にはしんどい時に、支えてくれる人、刺激をくれる人、頑張ろうという思いにさせてくれる人が周りにたくさんいました。

自分が出れていない時、うまくいってない時でも、チームを引っ張ってくれる同期もいました。


多くの人に支えられました。
本当に周りに恵まれていました。

下を向かずに、自分がどんな立場でも、どうやったらチームが勝てるか、些細なことでも意識して行動しようとしました。

今のチームに足りないものはなにか。
何をみんなに伝えたらいいのか。
どういう伝え方がいいのか。


試合に出られない時だからこそ伝えられるものもあれば、試合に出られない立場だからこそ伝わりきらないものもあります。


今の自分に何が伝えられるか。
どうすれば週末の試合にチーム全員で戦って、勝てるか。
出られない自分が見せられる姿勢、態度はどういうものか。


不器用なので、すべてうまく伝えられていたとは思っていませんが、

自分なりにたくさんたくさん考えて、行動してきました。




しかし、インカレには届きませんでした。
最大の目標だったインカレベスト4に、チャレンジもできずに終わってしまいました。



応援してくれていた人に申し訳ない気持ちと、
もうあのインカレのピッチには立てないという絶望感と、
勝てる強いチームを作れなかった責任と悔しさと、

色々な感情がありました。
何もかも辞めたかったです。



でもシーズンはこれで終わりではなく、皇后杯が残っていました。
まだみんなとサッカーするチャンスがありました。


どん底から切り替えて、皇后杯のために準備を重ねました。

インカレに出場できない悔しさを、なんとしてでも皇后杯で晴らす。
チーム全員がその想いだったと思います。

皇后杯に1年間の全てをぶつけました。


1回戦、今シーズン1番嬉しかった試合。
本当に全員で戦って、全員で勝った。

本当にチームが一つになって勝つという最高の瞬間を味わえました。

まだこのチームでサッカーができる。
少しでも長くみんなとサッカーがしたい。

この想いがさらに強くなりました。




しかし2回戦での敗退。
悔しい。

今思い返しても、とても悔しいです。
もう筑波でサッカーすることは、二度とないと思うと、寂しく、
そしてピッチには立てなくても共に戦っていた仲間、応援していただいていた方々に、こんな形で終わってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。



正直、信じられなかったです。
初めてこんな時期にシーズンが終わって、悲しく、悔しかったです。

もっともっとみんなとサッカーしたかった。
このチームでまだまだやりたかった。







でも、もう今はやりきったと胸を張れます。


チームの体制も変わり、チームの雰囲気も変わり、0からのスタートだったシーズン当初から考えてみると、みんなで一歩ずつ昇ってこれたと思います。

1年かけてスローガンを体現できました。



いつも応援してくださっている方々

今まで女サカを創ってくださったOGの方々

忙しい中女サカに時間を費やし、どんな時も共に戦っていただいたスタッフさん

苦しい時、楽しい時、すべてを共にしてきた大好きなチームメイト

周りの皆様のおかげで、
2022シーズンを走り切ることができました。



本当にありがとうございました。


そして、
浪人してまでも筑波に行かせてくれた両親、
遠くてもYouTubeやSNSで応援してくれたきょうだい
本当にありがとう。


このチームで主将ができたこと、幸せでした。

この仲間とこのチームで戦えたこと、幸せでした。




この4年間、最高に幸せでした。






最後になりますが、
2022シーズンの筑波大学女子サッカー部へのご支援、ご声援、誠にありがとうございました。

今シーズンは有観客試合も多く、集中応援もコロナ以降初めて大学で実施することができ、改めて応援の力の大きさを感じることができました。



来シーズン、後輩たちが必ずインカレの舞台に戻ってきてくれると信じています。

今後とも筑波大学女子サッカー部への温かいご声援の程、よろしくお願いいたします。



#16 押鴨叡

  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:46Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月14日

学び

こんにちは。玉村如捺です。

この度は、私の引退ブログを訪ねてくださりありがとうございます。
なかなか書くことが思い浮かばず,これは気合を入れないと書けないなと思い、卒論ばりにパソコンに向き合って、Wordファイルを開いて文章を書いています。

さて、何を話しましょう。

とりあえず、この4年間を振り返っていこうかなと思います。


1年生。
入学当初、筑波大学という新しい環境で初めての経験をたくさんしました。
半分わけのわからないまま進んでいく学業面では、置いて行かれないようついていくので必死でした。
1年生の時は朝練も多く、ビックリするくらい早い時間に練習が始まって、普通にゲームまでやって、練習が終わったら更衣室でシャワーを浴びて着替えて授業に向かう。
そんな生活が当たり前になりました。
元々女サカに入部すると決めて筑波大学を選びましたが、サッカー面での不安はほとんどありませんでした。それは、1つ上の先輩であるまこさん(2021年度卒 蓮輪真琴)がいたからだと思います。
まこさんは高校時代もキャプテンで、寮では同部屋で過ごしたこともあり、実は頼れる先輩です。
でも、それだから不安がなかったというわけではない気がします。なぜかわからないけど、私の中ではまこさんが同じチームにいるということ、ただそれだけが安心材料だった気がします。それに加えて、あの冬の選手権決勝の時、ベンチからただ見つめることしかできなかったピッチで、すべてを圧倒していた世界の「千葉玲海菜」選手と一緒にサッカーができるということ、これにはワクワクしかありませんでした。
実際始まってみれば、個性的で、優しくて,面白いチームメイトがたくさんいて,組織的な戦術やピリオダイゼーションなど新しい学びもたくさんあり、とても楽しく、新鮮な毎日でした。
シーズン途中から公式戦にも出させてもらえるようになり,初めてSBというポジションを経験しました。正直,最初は難しさしか感じることができませんでした。めちゃくちゃ怒られました。それでも、試行錯誤する中で生まれた帝平戦でのゴールは,大学サッカーで1番のゴールだったなと思います。
インカレ出場を決めたとき、私はピッチにもベンチにもいませんでした。膝のケガをしました。たかが1か月、されど1か月。インカレ出場が決まった喜びと仲間への感謝とともに、大きな悔しさが込み上げてきました。
もっと強くなりたい。
その一心でリハビリも復帰後もトレーニングに打ち込みました。
でも、マイナスなことばかりではなく、このタイミングでのこの経験は私のサッカー人生にとってとても重要なものだったと思います。これをきっかけに、ケガしない身体づくりにしっかり取り組むようになり、大学サッカーで戦うことができる身体づくり、そのためのトレーニングの組み立て方、いろいろなことを考えるようになりました。
どんな経験もそれを価値づけるのは自分自身だと私は思います。この1年目の経験があったからこその4年間だったと感じています。

2年目。
開幕戦を数週間後に控えたその日、新型コロナウイルスによっていきなりの活動停止を告げられました。
大好きなサッカーができない。
当たり前が当たり前じゃないことを痛感しました。
ほぼ半年の自粛期間を経て、関カレは無事開幕し、結果としては2位という歴代最高成績。
皇后杯本戦出場も果たし、なでしこリーグ所属チームの強さを肌で感じることもできました。
自粛中、ほぼ毎日行われたzoomトレーニングを考え、レクリエーションをしてくださった4年生とスタッフさんにはとても感謝しています。インカレで目標としていた結果に届きはしませんでしたが、この時期の積み上げがあったからこその結果だったのだなと感じます。
この時は4年生の大変さ苦しさなんて全然わかっていませんでした。チームビルディングの大切さと難しさも今だからわかります。例年に比べて難しい状況の中、チームをそこまで引っ張り上げた4年生は本当にすごかったなと思います。だから、この代の4年生が多くOGコーチとして残ってくださったことは,本当に心強かったです。練習や試合に顔を出してくださる方も多く、いい人たちばかりだったなあと改めて感じました。
この年に学ばせてもらったこと、当たり前だと思っていることへの感謝の気持ち、与えられた環境でできることを探してやり続けること、コミュニケーションの大切さ…全部これからもずっと大事にしていきたいです。

3年目。
大学サッカーも折り返し地点に入り、上級生となりました。
この年は,印象に残っている試合がたくさんあります。西が丘でのインカレ準決勝はもちろんです。あの景色を見せてくれた4年生には頭が上がりません。たくさん背中を見て学ばせていただきました。本当にありがとうございました。
他にも、私の中で記憶に残る試合の一つに、関カレ前期日大戦があります。
この試合もいつもと変わらずたくさん怒られました。でも、いつもとは少し違うことも求められていたと感じます。
私は今まで,自分自身の成長にフォーカスしてばかりでした。もちろんそれは,サッカー選手として絶対なくしてはいけないし,大事にしなくてはならないものです。
しかし、上級生になっても何も変わっていない自分。チームのために行動できていたことがどれくらいあっただろうか。
試合後の監督の言葉によって,そのことについて深く考えさせられました。
それからの自分は、オンでもオフでも少し変われた気がします。” チームのために自分ができることは何か。” 以前よりそこに比重を置いて物事を考えることができるようになったんじゃないかなと思います。(少しは力になれてましたか?笑)
そして、3年間で何度も私が変わるチャンスを与えてくださった平嶋さん。
女サカにおられた期間はもちろん、つくばを離れられた4年目もお世話になりっぱなしです。本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

4年目。
ここまで,言葉にすると長くなってしまいましたが,実際時の流れはあっという間でした。
「インカレベスト4」
みんなで立てたこの目標に向かって1年間突っ走ってきました。インカレに毎年出れていただけに,私たちの中でインカレに出ることはどこか当たり前になっていました。そうじゃないと思いつつ、崖っぷちに立たされるまで自分たちを追い込みきれなかった。その結果が私たちのシーズンだったのかなと少し思います。
引退試合となったのは皇后杯2回戦。相手は母校である作陽高校でした。思えばこれも何かの縁だったのかなと感じます。
女サカでの最後の試合になってしまったことは本当に悔しく悲しかったです。全員が勝って三木に行くことしか見ていなかったので、チームを勝たせられなかったことが情けなく、これも今までの積み重ねの結果なのかと絶望しました。でもその日その瞬間、私には前向きな言葉をかけてくださる方がすぐそばにいたこと、本当に恵まれ者だったなと思います。
正直、1年を通して、結果は思い通りに出ることの方が少なく、苦しい時期も多かったです。それでも乗り越えることができたのは、同期をはじめスタッフさんや後輩など女サカのメンバーはもちろん、日頃から女サカを応援してくださっているサポーターの方々や、サッカーを通じて出会ってきた人たちの支えがあってこそだと思います。
本当にありがとうございました。ありがとう。
そして,どこにいてもどんな状況でも、自分の1番のサポーターでいてくれた家族には感謝してもしきれません。これからも、たくさんわがままを言うと思います。たくさんお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


この4年間いろんな立場でいろんな経験をしました。筑波で培った知識や知恵は一生の財産にしていきたいです。今後の人生では、まず自分にベクトルを向け、何事にも真摯に謙虚に挑戦し続けていきたいと思います。

長くなってしまいましたが、拙い文章をここまで読んでくださりありがとうございました。

計画的に、戦略的に。みんなも頑張ってね。応援しています。



#20 玉村如捺

  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 17:59Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月13日

進むということ

こんにちは。
2022シーズン主務を務めさせていただきました体育専門学群4年の中戸川紗理と申します。
引退ブログを書くにあたり、改めて4年間を振り返り本当に多くの経験をしたことに気付きました。そのため、まとめることができるか自信はありませんが、最後までお読みいただければ幸いです。

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「今年は厳しいシーズンになる。」

シーズン始動前、何度も聞いた言葉だ。
2022シーズンは、主力選手が抜け、監督も変わり私たちから見ても難しいシーズンだった。
それでも、自分たちならできると意気込んでスタートを切った。

結果は、インカレベスト4どころかインカレの舞台に立つことも叶わなかった。
それでも、後悔はない。それは、濃すぎる4年間を過ごすことができたから。それに、成し遂げたことも沢山ある。



自分のことばかりを考えていた私に、大きな転機があった。フィールドプレーヤーとゴールキーパーを掛け持ちすることになったのだ。
当時は、色々な状況が重なり、とっくのとうにメンタルは麻痺していた。しんどい、苦しいと思ったら終わりだと思っていた。どうやって進めばいいかわからなくなっていた。

でも、それは誰だって同じだ。みんな進み方はわからない、それでも試行錯誤しながら一歩ずつ踏み出している仲間の姿を見て、できることを探した。

そんな時、もがきながらも進み続ける仲間に、初心者キーパーが必死に練習に取り組む姿勢、何点失点しても諦めない姿勢を見せることでチームに影響を与えることができると気付かされた。

プレーで見せることができなくても、姿勢で見せることができる。
自分なんかではなく、自分だからこそできることがあると。
それに気付いた時、一気に視界が開けた感じがした。今何をすべきか、それが分かった。

それは、今まで女サカを作り上げてきてくれた先輩方、どんな形であれ何事にも一生懸命な仲間、自分の時間を削って尽力してくれたスタッフさんがいたからだ。
自分もこのチームでできることがある、やらなければと思わせてくれた。


そして、集大成の4年生。
悩みに悩んだ結論は、ゴールキーパーに専念することだった。
大学サッカーは、キーパーで終わりにすると決めた。
フィールドへの未練や、立場など考えさせられることも多かったが、それよりも優先させたいことがあった。

自然と、自分本位ではなく、常に組織・チームのために最善の選択を考えるようになっていた。
決断をしなければいけない時は、「チームにとって何が良いのか」という基準で道を選ぶようになった。
それは、この4年間苦しくても辛くてもチームの目標のために動き続けてくれた仲間の姿を沢山見てきたから。

そして、主務という大きな役割を任せてもらい、どれだけ今まで先輩方が組織のために動いてくれていたのかということを目の当たりにし、自分も必死に組織のために何ができるかを考えた。
自分の仕事を全うすることはもちろん、周りに目を配り円滑な運営を目指す。
そして、4年生であり3役である以上オフザピッチだけではなく、オンザピッチでも引っ張っていかなくてはならない。

言葉にすると簡単だが、実際は本当に難しかった。
日々情勢が変わるコロナへの対応、代表学生としての責任と仕事、全部署の流れの把握、組織として進むための数多くの話し合いなど、多くのことを並行して行わなくてはならない。
どうやって人に頼ればいいのか、どうやって部員に同じ方向を向いてもらうのか、仕事に対して考え方を変えることから始まった。
何度も何度も他のシーズンと比べ落ち込んだりもしたが、歴代の主務の先輩をはじめ、多くの人に支えられたからこそ、たどたどしい足取りではあったが、なんとか進むことが出来た。

筑波は個ではなく、団結する必要がある。それは誰もが分かっていること。
そのためには、どれだけ組織に献身的になれるのか、組織のために、人のためにどれだけ動けるか、それが本当に大切だ。仲間を生かし、仲間に生かされて作っていく。誰かがやるのではなく、自分がやる。矛盾や痛みを抱えながらも、自分が折れてはいけない、少しでも筑波のためになるならという気持ちで進んできた。
そう思わせてくれたのは、このチームに関わる全ての人だった。

私にとって筑波は成長し続けることができる素晴らしい場所だった。
苦しくても現状をより良くするために考え続けることを辞めずに進み続けることに意味があり、その先にしか見えない景色があることを学んだ。



もう一つ真剣に取り組んできた学連の活動について触れたい。
学連では、幹事長として筑波大学だけではなく、様々な大学のメンバーとリーグや大会を作り上げた。
他大学との交流の中で本当に多くのことを学んだ。どこにいてもサッカーに真剣で、プレーで輝く選手のために基盤を作る活動を一生懸命に行なっている人たちがいた。
一つの試合、一つの大会を開催するために本当に多くの人が関わっていることを知った。
大学女子サッカーの頂点を決める大会、この大会をただ成功させるのではなく、女子サッカーの発展に繫げるということまで考えて、テーマ決めから運営まで行う。
誰も目先のことだけを考えていなかった。そして、関わる全ての人へのリスペクトを忘れていなかった。
そんな環境で活動ができること自体が恵まれていたし、そこで目標を達成するために、視野を広く持ち、何ができるかを常に考えることを学んだ。
全ての物事には背景があり、どのような場所でも必死に取り組んでいる人がいるからこそ成り立つものがある。
学連の活動を通して、見えなくなっていた当たり前を再認識し、その一員として努力した。そして、全員でリーグや大会を成功に導き、やり切ることが出来た。



筑波大学女子サッカー部や学連での様々な経験を通して、苦しくて大変なことからしか学べないことがあること、組織のために動くことで成し遂げることができるものがあることを学んだ。
今いる組織をより良くしたい、そしてその先の目標やビジョンを達成したい、その一心で頑張る仲間と共に歩んだ4年間。

シーズン開幕時のブログで書いた「最適化」を目指し続けることが出来たのではないか。日々、怒涛の毎日を過ごす中で、今いる組織にとっての最善を考え続けること、これが私が目指す「最適化」の答えだった。

どこまでも真っ直ぐな仲間と、真っ直ぐに駆け抜けたかけがえのない瞬間全てが財産だ。
その経験を糧に、一見どれだけ困難なことでも、基盤を見つめ直し、背景を見据え、目指す場所に向かって努力していきたい。そして、それは常に人のためでありたい。


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この4年間全てを書き切ることはできませんが、最高の仲間と、人のため組織のために努力する意味と意義を見つけ、みんなで形にすることが出来たと改めて感じることが出来ました。
最後になりますが、この4年間関わっていただいた全ての方に感謝を申し上げます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

今後とも筑波大学女子サッカー部へのご支援ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

#3 中戸川紗理



  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 21:44Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月12日

原動力

もう自分が引退ブログを書く時がきてしまったのかと時の流れの早さを感じる今日この頃。ブログを書くにあたって日記を見ながら4年間を振り返っていました。
女サカで過ごした4年間は、くだらないことで爆笑したり、悔しくて泣いたり、頭が痛くなるまでみんなで話し合ったり。伝えるのが苦手な私ですが、最後くらい頑張って書いてみようと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。


初めての一人暮らし、知らない土地での生活。私が女サカに出会ったのは大学生活に慣れるのに精一杯だった頃。小中学生の頃に少しサッカーに触れていた私は、女子サッカー部に興味を持ちました。新歓で出会った先輩達や同期達も優しく、入部したいと思うと同時にサッカー経験の浅い私がここでやっていけるのか。とても悩んだ覚えがあります。
それでも真剣にサッカーをしたい、この人たちと一緒にサッカーがしたいと思い、辛い思いもする覚悟で入部を決めました。


入部したてのころは、練習についていくのに必死で、毎日筋肉痛でした。練習に慣れても頑張っているつもりなのに上手くいかない、一生懸命戦うみんなの横でビデオを撮る試合の日。特にラストシーズン。チームが勝てないとき、たくさん考えて話して頑張って。それでもうまくいかないとき、何もできない自分が不甲斐なかったです。
サッカー面以外でも、私はこの場所にいていいのか、サッカーを続ける意味に悩んだ日々。自分の未熟さや弱さを痛感させられる日々。正直辞めたいと思うこともありました。

それでも続けることができたのは、やはりサッカーが楽しかったから。そしてなによりも周りの人たちのおかげです。

点を決めた時、自分のプレーが得点に繋がった時、自分の守備からチャンスに繋がったとき、どんなに苦しくてもやっぱりその瞬間が嬉しくて。その瞬間のために頑張ることが楽しくて。分からないことを聞いたら優しく教えてくれる人たちがいる環境でできたからこそ、サッカーがどんどん楽しくなりました。


それでも、楽しいだけでは続けることができませんでした。そんな時私を支えてくれた言葉があります。それは、

「自分で選んだ道を自分で正解にする」

女サカを選んだときからこの言葉に何度も奮い立たせられました。
4年間続けることが、必ずしも正しいとは思っていません。それでも私は自分自身でサッカーを続けることを選んできました。
今、筑波大学女子サッカー部で4年間続けてよかった。心からそう言えます。
ただ4年間過ごしただけでは、そうは思えなかったかもしれません。自分なりに考え行動し、たくさん泣いて、みんなとたくさん笑って。みんなとだから頑張りたい、心からそう思えるようになれた。だからこそ自分自身が変わることができた。
そんな4年間だったからこそ、私はこの道を選んで良かったと思えるのだと思います。


また、女サカには、いろんなバックグラウンドをもつ、様々な立場の人がいます。高校時代から全国の舞台で活躍してきた人もいれば、私のようにサッカー経験が浅い人もいます。サッカーと厳しい試験を両立する人、サッカーの他にも興味があることに取り組む人、SNSやスポンサー活動など女サカの良さをどんどん広めてくれる人、などなど。
あげたらきりがありませんが、みんながそれぞれの良さを活かして頑張っている姿が、私の何よりの刺激で原動力となっていました。ラスト1年、みんなの目標設定シートに「〇〇のおかげで私も頑張れてます」とたくさん書いた気がします。(笑)

特に同期。入部当初は、こんなに個性が強い人たちの中で私はやっていけるのか不安に思っていました。(笑)
それぞれの想いや立場も違う。上手くまとまることができない時もありましたが、それでも常に一生懸命なみんなにいつも助けられてきました。
同期7人はみんな、相談に乗ってくれる、一緒に頑張りたいと言ってくれる、時には厳しいことも言ってくれる、戦う姿勢を見せ続けてくれる、そんな人達ばかりで、書き出したらキリがありませんが、自分の心が折れそうになる多くの場面で支えられてきました。同期がみんなでよかったです。本当にありがとう。

また、背中で魅せ、寄り添って話を聞いてくださった先輩達、一緒に頑張りましょうと言ってくれる頼もしい後輩達、女サカにたくさんの時間をかけアドバイスをしてくれるスタッフさん、いつでもたくさん話を聞いてくれる友達。
そして、誰より私の選択を応援してくれたお父さん、お母さん、弟。心配かけることもたくさんあったと思いますが、ずっと私の選択を応援してくれてありがとう。
この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。


ここまで書いてきて、私の4年間は辛かったように思えますが、それ以上に充実していて何より楽しかったです!ここでの経験は何よりもの宝物です。
そして最後に、競技生活を終えた今、1番に溢れてくるのは、やはり感謝の思いです。
サッカーで出会ったたくさんの仲間、サッカーをする環境を整えてくださった大会関係者の方々、関わってくださった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

サッカーはここで引退しますが、ここでのたくさんの経験を活かし、やっぱり女サカに入って良かったとこれからも思えるよう、自分自身、さらに成長していきます。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今後とも、筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。

#13 長谷川瑞穂



  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 21:49Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月11日

ありがとう

こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年の大橋夏希(#11)です。
あっという間の4年間、気がつけば引退ブログを書いていた今日この頃です。
こういうのは苦手ですが(広報の方、お待たせしてすみません)、女サカでの4年間をちょっとだけ振り返ってみようと思います。


「女サカに入部する」
振り返ると、そう決断できた自分に驚きます。
きっと、家族とか周りの人たちも、びっくりしたと思います。
筑波大学に合格が決まった時は、中学高校とやってきたバスケ部に入るんだろうと思っていたので(笑)
4年生になった今でも、「なんで、大学でサッカーを選んだの」と聞かれることは多々ありますが、正直、語れるような立派な理由なんてありません。
大学入試実技試験の練習を通してサッカーの楽しさを再認識してしまった私に芽生えた、ちょっと違うことをやってみようかなという想い。そんな矢先に体験に行った女サカの練習で感じた、温かくもレベルの高そうな雰囲気、目の当たりにした優しくてかっこいい先輩たちと、恵まれた環境。まだ入部を決めていないのに、「いいじゃん11番にしなよ!似合うよ!」みたいなことを言ってくれた穏やかそうなヘッドコーチ。
私が高校3年生の時の女サカの主将が、ひそかに尊敬していた同じ高校の先輩だったこともあり、受験期から女サカのことは知っていました。多様なバックグラウンドを持った人たちが集うチームであることも。
あまり深く考えることなく、「このチームでサッカーをしてみたい」と思って入部を決めたのが、私の女サカライフの始まりです。

入部後は、とにかく必死の毎日。
サッカーって、こんなにもチームで守るのか。キーパーってこんなにしゃべるの!?
最初の印象はこんな感じだったと思います。
新しいことを学び、挑戦し、喜びや楽しさを感じることもありましたが、そんな余裕はほとんどありませんでした。
自分のプレーで迷惑をかける申し訳なさを勝手に感じ、レベルの差に愕然とすることも多々ありました。
試合終盤に出場機会をもらえた時も、ただただ必死。
苦しい中でも仲間に背中を押されて頑張る日々でした。
仲間がいなければ自分から何かをしようと動けなかった気がします。
3年生の時には、人生初、全国大会でピッチに立つことができました。
短い出場時間でしたが、西が丘の雰囲気は鮮明に覚えています。改めて、すごいチームでサッカーをしているんだと思いました。
女サカに入らなければ見ることのできなかった景色、自分は幸せだと思いました。

4年生。変化が多いチーム状況で、同期のみんなと悩み続け、話し合いを重ね、不器用ながらも一歩一歩進んだシーズンでした。
結果は思うようにでないし、自分の不甲斐なさを感じることばかりでした。
チームって難しい、組織って難しいと感じながらも、同期と協力し、チームのみんなと力を合わせて積み重ねたシーズン。
目標としていたインカレに行けなかったことは本当に悔しくて、もっと自分にできたこと、4年生としてできたことはたくさんあったし、そのことに気づくのが遅かったと後悔することも多くあります。それでも、同期のみんなと悩みに悩み、考え、スタッフさんに支えられ、共に試行錯誤しながら進み、後輩たちがついてきてくれたからこそ見れた景色があり、ここまで来れたと思っています。
後悔がないと言ったら嘘になるし、苦しかったけど、自分にとっては1番大切な1年間です。


この4年間、辛い思いをすることの方が多かったかもしれません。
何のために頑張っているのか、どうしてサッカーを続けているのか。
サッカー以外でも、どうして自分はこんなにできないのかと、自分の弱さ、甘さ、情けなさにうんざりすることもありました。
やめたいという思いが、ちらつくこともありました。
自分で決めた道に後悔したくない、自分の選択は正しかったと思いたいという意地に背中を押されたことも数えきれないくらいあります。
それでも、4年間続けられたこと、サッカーは楽しかったと思えること、女サカで良かったと思えること。全ては、たくさんの人の支えがあったからでした。
苦しくても気丈に振る舞い、チームのために闘う仲間の姿、話を聞いてくれる人達、純粋にサッカーを楽しむ仲間に何度も背中を押され、自分も頑張ろうと思わされました。
一生懸命で、優しくて、個性豊かな先輩、後輩、同期に、たくさんサッカーの楽しさを教えてもらいました。
たくさんの時間を費やして共に闘ってくださったスタッフさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

ここまでたくさん支え合って、ぶつかり合って、どんな時もそばにいてくれた同期のみんな。弱い自分に、もっと頑張らなきゃダメだと言ってくれて、一緒に悩んでくれて、たくさん話を聞いてくれて、たくさん笑わせてくれて、本当にありがとう。
みんなが同期で良かったです。
みんなとだから、4年間頑張れたよ。

そして、どんな時でも応援していてくれて、サッカーやると決めた時も、ただ頑張れと背中を押してくれた家族。
離れていても心はそばにいてくれた家族のおかげで、4年間頑張れました。
支えてくれてありがとう。

たくさんの人に支えられて、4年間やりきることができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

あの時、女サカに入ることを決めて良かった。
かけがえのない大学生活になりました。
あとは、後輩のみんなに託します。
応援しているね。

最後になりますが、平素より筑波大学女子サッカー部を応援してくださっている皆様、女サカを支え、守り続けてくださっているOGの皆様、様々な場面で4年間のサッカー生活を支えてくださった皆様。皆様のお力添えがあって、これ以上ない環境でサッカーをすることができました。
本当にありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

#11 大橋夏希


  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:15Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月10日

真面目です

こんばんは。4年の橋本恵里です。
いつも笑ってばかりなので、ふざけてる人って思われがちですが、私は真面目です。このブログで私の真面目さを証明して、新年最高のスタートを切りたいと思います。何について書こうか悩んでいたら全く進まないので、この4年間を振り返りながら、思ったことをどんどん書いていきます。
私は文章を書くのが得意ではないので、ちょっと何を言っているか分からない文章になっているかもしれませんが、どうかご了承ください。
あと、お恥ずかしいので最後まで読んでもらわなくても大丈夫です。
よろしくお願いします。

大学4年間、毎日が女サカでいっぱいでした。
「また女サカか~」ってうんざりすることもあったけど、いま思えばそんな毎日だったからこそ、こんなに充実した4年間を送ることが出来たんだなって思ったりします。2年寄り道して、ようやく入学できた筑波大学。久しぶりに本気で大好きなサッカーをして、サッカーができる毎日が最高に楽しくて幸せで、サッカーの楽しさを一日一日噛みしめていました(多分)。その反面、思うように身体が動かず、自分のプレーができなくて悔しい思いもたくさんしました。もっともっと試合に出たかったけど、試合で活躍できる強い自信がその時の自分にはなくて。それでもやっぱり悔しくて、どうして自分が試合に出られないんだって毎週お母さんに電話していたことが懐かしいです。
大学1年目は、楽しいことも悔しいこともいろんな感情がぐちゃぐちゃにいっぱいあって、でもこうやってサッカーのことで悩めるこの状況でさえ幸せだって感じられる、そんなシーズンでした。

徐々に身体の動きもプレーの調子も良くなってきた大学2年目。開幕戦でゴールを決めて、たくさん試合に出場させてもらえて、自分も戦える、やれるって自信を持ってプレーしていました。その中で、だんだんと自分のプレーや技術の基準が上がっていって、もっとサッカーがうまくなりたい、活躍したい、チームに貢献したい気持ちでいっぱいになって、練習も試合も毎日が全力でした。でも結局、最後の大会であるインカレでは自分は何もできなくて、何も残せなくて、最後の最後に悔しさと4年生のありがとうの言葉だけが心に残りました。一生忘れないです。昨シーズンの悔しさを胸に、上級生としてチームを引っ張ろうと意気込んだ大学3年目。自分のプレーに納得がいかない試合が続いて、なんかうまくいかないなって変に空回りして、徐々に自分のミスが目立ってきて、もっと頑張らなきゃいけないって行き詰まっていたシーズン半ばに怪我をしました。サッカー人生で初めての長期離脱でした。今シーズンがこんなに一瞬で終わっちゃうんだって、まだ何もできてないのにって。悔しさしかありませんでした。

「逆境は成長のチャンス」

私が高校生の頃から大事にしている言葉です。今はしんどくても、この逆境を乗り越えられれば成長できるんだぞって自分に言い聞かせてました。毎日当たり前のようにスパイクを履いて、ボールを蹴って、試合に勝って喜んで、そんなみんなの姿を見るのがしんどい時もあったし、サッカーでうまくいかずに悩んでいる人でさえ羨ましいと思った時もありました。けど、周りには私と同じように怪我で長期のリハビリをしている選手がいました。私は、頑張らないわけにはいかない、頑張ろうって思わせられる存在でありたい、一緒に頑張りたい、一緒に乗り越えたい、復帰して一緒にプレーしたい、といろんなプラスの感情が溢れてきました。一緒にたくさん泣いた日もあったし、たくさん愚痴を吐いたり語り合ったりした日もありました。そんな日があったからこそ、しんどいリハビリも毎日できたし、最後の最後まで頑張り続けることができたと思っています。私の原動力でした。一緒に頑張ってくれて本当にありがとう。
ラストシーズン。
4年として、チームのために、チームが勝つために、自分ができることは何か、たくさん考えて考えて考えました。試合に勝ってみんなで喜んだ日もありました。チームがうまくいかなくて、自分が何もできなくて、しんどい時もありました。それでもチームのためにやり続けるしかなくて、またうまくいったりいかなかったり。その繰り返しでした。個人として、復帰してサッカーできることが本当に楽しくて幸せで、でも復帰してもすぐにはうまくいかなくて。そんなすべてがうまくいくわけないって自分に言い聞かせて頑張ってきたけど、怪我する前と同じようにプレーすることができない自分が情けなくてしんどくて。でもリハビリの選手を見たら、こんなの全然しんどくないって。しんどいけどしんどくなくて、復帰してサッカーできるだけで幸せだって。そんな気持ちを繰り返していた4年目だった気がします。ラストシーズンが始まる前は、全力で楽しもうと思っていたけど、実際そんな余裕はなくて、想像以上に苦しかったです。

この4年間で、楽しいとき、悔しいとき、嬉しいとき、しんどいとき、爆笑してるとき、どの瞬間もそばには多分同期がいました。入学したときから、個性が強い学年って色んな人に言われてきてたけど、みんなとだったから四年間やり切ることができて、結局はみんなと同期で本当によかったって私は思ってます。
ちょっと抜けてる人、食に対してこだわりが強い人、骨折れてもサッカーする人、Twiceの話しかしてこない人、朝目開いてない人、真顔への字な人、常に食物繊維気にしてる人。
そんなみんなとたくさんぶつかり合って、言いたいこと言い合って、
そんなみんなにたくさん助けられて、たくさん笑わされて。
4年間、本当にありがとう。

文章だけ見ると、この4年間で悔しいとかしんどい気持ちが多いように思えますが、トータルしたら楽しさが一番です!冒頭でも書きましたが、毎日たくさん笑ってばかりでした。女サカのみんなと過ごす当たり前の日々が本当に楽しかったです。最後に、この4年間で関わったすべての方々に感謝です。私の周りには本当に素敵な人しかいなくて、幸せ者です。そのおかげで、大学生活かけがえのない時間を過ごすことができました。そして筑波大学女子サッカー部という素晴らしい環境の中で、素敵な皆さんと大学4年間を過ごすことができて本当に幸せでした。
本当にありがとうございました。
長くてまとまりのない文章でしたが、最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援をよろしくお願いします。

#6 橋本恵里


  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 18:22Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月09日

感謝、そして一昇

こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年、谷井沙樹です。
もう、引退ブログを書く時期がきてしまったのかと思うと、色んなことがあったこの4年間が思い出され、とても感慨深いです。
この4年間の大学サッカー生活を無事終えることができ、自分に関わってくれた一人一人に感謝すると共に、素直に今の気持ちを綴ってみようと思います。

拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




「あなたはなぜ大学でサッカーをしていますか」




これは1年生の時に読んだ、ある先輩の引退ブログの中で出会ったものです。
私はこの4年間、何度もふとした時自分に問いかけてきました。
陳腐に聞こえるでしょうが、大学サッカーを選んだ人、とくに他学群の人は一度はぶつかってきた問いであろうと思います。

女サカはただ漠然と、サッカーが楽しいから、だけで続けられるような部活ではありませんでした。
楽しいこと、嬉しいこともたくさんあった分、苦しいこと、悔しいことは数え切れないほど経験しました。

そんな問いに対して、4年を経てたどり着いた自分なりの答えについて綴ろうと思います。


この問いには、
「なぜ、高校卒業後直ぐに中学高校の頃と同様にクラブチームには進まず、大学サッカーを選んだのか」という意味もあると思いますが、大学で運動をするつもりがなかった私にとっては、

①なぜ他のスポーツではなく、サッカーを選んだのか
②大学4年間もなぜサッカーを続けようと思ったのか

という意味を持ち、特に②については、学業とのとの両立や、他の活動に興味をもったときに、何度も自分に問いかけました。

4年を経てたどり着いた自分なりの思いを綴っていきたいと思います。



先ず、①なぜサッカーなのか。
テンプレな回答のようですが、何を並べても結局「楽しいから。」に辿り着きました。

もちろん、楽しいだけではなく、苦しいこと、悔しいことも数多く経験しましたが、大学サッカー生活を思い返せば嬉しいこと楽しいことばかり浮かんできます。

私が筑波大学を進学先に選んだのは、希望する学部の推薦入試の合格発表が全国の国立大学の中で1番最初であり、早く受験を終わらせたい思いが強かったためで、女子サッカーの強豪校として筑波大学を選んだ訳ではありませんでした。

大学に来てそもそもどの体育会部活にも所属すること自体全く考えていなかった私が、なぜ女サカに入部したのか。

それは、学生最後に、みんなで日本の頂点を見据えて上を目指して活動している女サカで私がどこまでできるか挑戦したい、その一員となってチームで上を目指したい、という気持ちをどうしても抑えることができなかったからです。
そして、初めてゾーンディフェンスという概念に触れた私は、まだ知らないサッカーの新たな面を見つけた気がして、ただただ面白そう、と思ったからです。

いま振り返ると、大学4年間で全く上には追いつけず、何度も自分の実力不足を痛感するばかりでした。
あんな大層な目標を決めたのに見合う努力をして来なかったかもしれません。
あの時ああしとけば、と後悔はいくらでも出てきます。

でも女サカにきて

サッカーがただの球蹴りではなくなりました。
サッカーってこんなに楽しいんだって。
サッカーの楽しさはどんなに辛くても、一度グランドに来てしまえば、こんな下手なのになぜこれほどまで楽しいのだろうか、と毎回の練習で思うくらい。

サッカーをしたからこそ出会えた仲間がいました。
小学生の頃のトレセンで一緒だった人がいまや日の丸を背負って戦っていたり、そんな人たちともう一度同じピッチに立ち戦えたり。

女サカにきて初めてサッカーの練習ではなく「勉強」という概念を知りました。


一個克服したらまた次、といつになっても上達できるこの楽しさは女サカでサッカーをしたからこそ知ることができたものでした。

サッカーを通じて入学当初は想像もできなかった学生生活を送ることができ、感謝の気持ちで一杯です。

女サカでのサッカーでなければならなかった理由はここに書き切ることはできません。




続いて次に、②なぜ4年間続けたか。
これはもちろん、周りのサポートが無ければ絶対になし得なかったことです。
明確にこれ、という答えを出すのは難しかったのですが、4年間頑張ったからこそ見れた景色があったのは確かでした。


学生生活最後の4年間は人生で一度きり。決して短くはありません。

また私は、一度決めたことを最後までやり抜くことが全てだとは思っていません。
途中で部活を辞めて他のことを頑張る選択肢もありました。

特に悩んだのが、学業との両立で、本当に苦労させられました。
テストもそうですが、実習にとられる時間も多く、どちらかを諦めた方がいいのではないのかと悩む日もありました。
実際、1年のインカレではテストのために1人途中で神戸からつくばへ往復したり、2年のインカレは神戸に行けずつくばから応援したり。

また、3年生の前半には、コロナで部活動に制限がかかる中、学業、部活以外にも興味のあることが出てきて、「リベラルアーツ教育を高校生に提供する」活動に取り組む事に決めました。
多くの人に協力してもらい女サカで選手を続けながら活動することができましたが、このときも時間の捻出が大変で、どれかを諦めなければならないのか、おおいに悩みました。

しかし、私は大学サッカーを4年間、周りのサポートがありやり切ることができました。
4年間サッカーをすることを選び続けたことに全く後悔がないどころか、本当にたくさんの人に支えられてその選択肢を常に選び続けることができたことに心の底から感謝しかありません。

サッカー以外の他の選択肢が頭の隅に常にあったからこそ、自らサッカーをすることを選んでいる、という意識で女サカで活動することができました。
辛い時も、自分が選んだ道だから、と目を背けずきちんと向き合えたのかもしれません。

そして、私の座右の銘が「やらない後悔より、やって後悔」のように、ここで逃げずに挑戦したからこそ自分ができることできないことついて知ることができました。

大学生活最後の4年目。
変化も多く、戸惑いながらも手取り足取り同期と、そしてチーム全体で協力して地道に積み上げていったシーズン。

「一昇」=チームで昇る、一歩一歩昇る、一人一人が昇る、をスローガンに掲げ、シーズンが開幕しましたが、最初は本当にうまくいかないことばかりでした。
どうして自分はこんなこともできないのだろうか、と悩む事ばかりでした。
何度も何度も同期と話し合いを重ねました。
関カレで全然勝てない状況で、上手な同期や後輩が試合で頑張っている中で試合に絡めていない私には何ができるだろうか。

今シーズンを振り返ってみたら、一から、チームで一つになって昇っていったシーズン、といった方が正しかったかもしれません。

ここから逃げたい理由はいくらでもありました。

でも4年間頑張ったからこそ見えた景色がありました。


サッカーがこんなに楽しいものなんだ、と気づかせてもらえたこと。

今までただ繋いでたパスが、戦術の一部となりゴールへの道筋への一部となったとき。
必死に繋いだボールが味方に渡りカウンターに打って出れたとき。
周りのポジションの人と協力して組んだゾーンディフェンスで、相手のボールを意図通りに奪えた時。
味方のパスの二手三手先の意図を理解できたとき。
きちんといいパスを出せた時のあの軸を捉えた音と達成感。でもまた油断したらすぐ元に戻ってしまうとき。

これらの楽しさ以上に、頭ではわかっていても思い通りにいかないもどかしさや、一度教えてもらったのにそれを実践できない自分への苛立ち、何度も同じミスを繰り返してしまうことに対する腹立たしさを何度経験したかは分かりません。
しかしこれらは、少なくともこの4年間の積み重ねがあったからこそ得ることができたサッカー観でした。


そしてみんなで本当に死闘を尽くして掴んだ勝利はこんなにも嬉しいということ。

今でも覚えているのが1年生の関カレ開幕戦、vs帝京平成大学。
思い返せば関カレのリーグの重み自体がよくわからないまま迎えた試合当日。
周りのみんなの助けがあり初めてスタメンで試合に出ることができましたが、5バックの左右にいたまほさんとめぐさんにはたくさん迷惑をかけながら私自身はとにかく必死でなんとか失点を防いで。
チーム全員での守備で失点を0に抑えて迎えた後半ラストにゆきなのゴール。
1-0でなんとか勝ったあの瞬間の鳥肌は今でも鮮明に覚えています。

そしてその勝利の喜びや、それと同時に負ける悔しさは、学年が上がり試合に絡める回数が減ってくる中で、試合をピッチから、ベンチから、スタンドから、どこから見ていてもどんどん大きくなっていくものでした。

4年間続けたからこそ見ることができた世界は、今の私を形作る経験、宝物です。
1年生の頃のスローガン「感謝」には、「未来の自分からも感謝される」という意味が込められていたそうです。
素敵ですよね、こんな考えもあるんだとはっとさせられました。
私は、女サカでのオンオフの活動を通じて未来の自分に感謝されるような貴重な経験をこの4年間で積むことができたと思います。




私はここでサッカーを引退しますが、本当にサッカーが楽しかったです。

そして同期をはじめとして先輩、後輩、スタッフさん、留年を何度も救ってくれた学類の友達、今までのサッカー人生を作ってくれた人たち、そしていつでも一番のサポーターであり続けてくれた家族には感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。


稚拙な文章で恐縮ですが、貴重なお時間を割いて最後まで読んでいただきありがとうございました。
後輩をはじめ、これを読んだ人が今後壁に当たった際に少しでも有意義な時間を過ごせる一助になれば幸いです。


#4 谷井沙樹

  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 09:54Comments(0)引退ブログ20222022

2023年01月08日

懸ける想いがあるから

こんにちは。清村珠幸(#1)です。
最初で最後の引退ブログ、国語が苦手な上に、右手がギプスのため左手だけで執筆したら、とんでもなく時間がかかってしまいました。
なんだかまとまりのない、とても長い文章になってしまいましたが、数日間かけて頑張って書きましたので、お時間があるときにご一読いただけたら嬉しいです。


私はトップチームor大学サッカーの究極の2択から、大学進学を選び、筑波大学に決めたとき、当時関カレ2部,関東リーグ2部の立ち位置という中で「筑波大学でインカレ優勝する」と公言してきました。

周囲の反応は、遠回しの否定ムード。
それは、あの日と同じ感覚。
浦和レッズレディースJr.ユースからユースに昇格できず、途中加入という形でジェフユナイテッド市原・千葉レディースU-18に入団した私は、新加入選手挨拶にて、まだ出会って間もないチームメイトと保護者、スタッフの前で決意表明として「全国優勝します」と言いました。
ざわざわした後に拍手と笑いが入り混じり、独特の雰囲気でした。
高2でジェフレディースファミリー初の全国優勝を決めたときは、人生一最高の瞬間でした。

1・2年生の頃は、とにかく自分の力で筑波を勝たせることに必死でした。

入部当初は、今までとのギャップが大きくて私はパニック状態でした。本当に大学サッカーを選択してよかったのか不安になりました。でも、まこさん・れみなさんがたくさん話しを聞いてくださって、たくさん助けてくださりました。
同じインカレ優勝の目標を持つ仲間が側にいたことは、本当に心強かったです。

1年生。4月末の試合で相手の膝が私の頭部に入ってから、上半身を激しい痛みに襲われました。のちに頚椎C4C5の骨がズレていることが判明しましたが、当時は原因が分からず1日10錠服薬して、ただ耐える日々が続き、心身共に疲れ切っていた中、8月末の関カレ開幕戦では相手に突っ込まれ右膝の後十字靭帯が切れました。

自由が効かない身体の痛みと絶望と苛立ちで、サッカーが苦痛に感じるほどに、追い込まれていました。

そんなとき、当時監督だった平嶋さんに呼ばれ、
「みさきは試合に出るんだから、弱さを見せたらダメだよ。みんなが心配するから。俺はみさきを使いたいんだから。もっと俺や有紗(トレーナー)だったり、スタッフを頼っていいから。」
と言われました。他にもたくさん話をしました。
こんなに真っ直ぐに話してくれた監督は初めてでした。
完璧ではなくていい、今できることをやればいい。
ひとつひとつの言葉がスッと自分に入ってきました。
この日、平嶋さんについていこう。筑波に全身全霊をかけようと決めました。


2年生。8月末の関カレ開幕戦で格上の東洋大学に勝利し最高のスタートダッシュを切れたと思った矢先、練習で接触して右膝の半月板を損傷。主治医に、手術はインカレ後に延期したいとお願いしましたが、最悪歩けなくなると言われ、最終的には手術3日前まで試合に出場する許可をもらい、開幕から5戦4勝1分の歴史的成績でインカレ出場をほぼ確実に決め、10月中旬に手術を迎えました。珍しい症例で朝から夜までかかり、術前は復帰まで1年以上と言われていましたが、術後はトップレベルでサッカーはできないかもしれないと言われました。
この選択に悔いはありませんでしたが、枯れるほど泣きました。


3年生。奇跡的な回復により、復帰予定が立てられた5月頃。右膝に不安な痛みを感じ、病院で検査すると結果は半月板損傷。しかも手術とは違う箇所。あと3ヶ月は絶対に復帰できないと言われました。
誰とも話さず黙々とリハビリをして、ただひたすらに自分を追い込みながらも、プレーで貢献できない自分の存在価値を見失っていた中だったので、「『努力は裏切らない』なんて嘘だ。」って今までの日々は何だったのか分からなくなりました。
でも、頑張っても復帰できないとなったとき、張り詰めていたものがなくなりました。
それ以降、リハビリ中もできる限りみんなの練習を見て、声をかけるようにしました。同じくリハビリをしている部員とも話すようになりました。

真っ暗闇だったからこそ、大切なことに気がつけました。

「私は一人で戦っているのではない。みんなで戦うんだ。」

結果的には10ヶ月半で復帰することができて、キックの制限付きではありましたが、8年ぶり2回目の西が丘の地にてインカレ第3位で2021シーズンを終え、1週間後に半月板の手術を受けました。入院中、何百回とマカロニえんぴつの"ハッピーエンドへの期待は"を聴きました。


4年生。平嶋さんが静岡大学に移動になり、本当の意味で学生主体のチームになりました。
春の合宿で、スタッフさんが決める今日のテーマ"トライ!"に対して、酷い内容の試合が続きました。ミーティングで聞くとトライした人は数人。『なぜ何度言われてもトライができないのか。サッカーできるだけで幸せなのに。』と思いつつも、ただビデオを撮り試合をしているみんなに外から声をかけるだけで、私の代わりにGKをしてくれているFPの選手への申し訳なさと現状を変えられない自分がとても惨めに見えてきて、試合を終えたみんなが着替えている部屋の硬い床で、試合中に終えられなかったリハビリのTABATAをしていたら、なんだか涙が出てきました。
開幕からも公式戦10連敗と勝てない日々が続きました。負けても笑っている選手に対して、リハビリの私にこれ以上やれることがどうしても分かりませんでした。
5月には教育実習が始まり、都内の高校とつくばの部活動と実家を行き来しました。これが最短で復帰する方法だったので、睡眠時間はほぼありませんでしたが、教育実習を終えた1週間後、予定より1ヶ月以上早い術後5ヶ月間で復帰戦に出ました。復帰の喜びよりも重圧に押し潰されそうな中で、結局早稲田に0-3とボコボコにされましたが、いろいろな人に「やっぱり珠幸は違う」と言ってもらえたときは、本当に救われました。
9月の皇后杯関東予選では、今まで迷いながらも進んでいたチームが、やっと今年の筑波の形を見つけられた気がしました。それから、みんなのベクトルも揃い始め、練習や試合の雰囲気も変わり、チームも勢いに乗りつつありましたが、遅すぎました。結果は1年間の積み重ねであって、始動の時から取り組んでいたチームには勝てないことを痛感しました。
そして、インカレ出場はできず、皇后杯本戦2回戦で高校生に負けて大学サッカーを終えました。
人は不思議なもので、後悔が多すぎると涙を流せないみたいです。
もっとやれることがあったのではないかと思うし、涙を流していいほど、「私は頑張りました。」と言い切れない。
そんな人生一後悔をした1年間でした。


この4年間の主な成績は、
2019年 5年ぶりのインカレ出場
2020年 初の関カレ1部準優勝、4年ぶりの皇后杯本戦出場
2021年 インカレ第3位、初の皇后杯本戦1回戦突破
2022年 初のなでしこリーグ1部チーム撃破

個人としても、関カレ1部ベストイレブンという素晴らしい賞を受賞することでき、リハビリ中で帯同はできなかったものの選抜にも何度か招集していただきました。

筑波では、サッカー選手としても、人としても、
とても濃い4年間を過ごさせていただきました。

まさか大学で3度も大きな手術をするとは思いもしませんでしたが、サッカーができなかった、あの暗闇を過ごした時間は無駄ではなかったと思います。サッカーができなくなる度に、サッカーがない人生は考えられないと再確認しました。
嬉しいことに「もっと自分の将来を大切にして。」と言ってくれる人がたくさんいます。
私も自分が目指している世界は、生半可な覚悟では戦えないことは分かっているつもりです。
しかし、4年生の8月に手首を骨折し、先月手術をしましたが、シーズン中に休む選択肢は全くありませんでした。
リスクを犯してでも、どうしてもインカレ優勝したかったです。私にとって、筑波はそんなチームでした。

筑波大学女子サッカー部は、
サッカーをするすべての女の子に夢を与えられる存在であると思っています。

大学女子サッカー強豪校では、名門高校・クラブから選手を獲得することが一般的ですが、国公立である筑波大学はサッカー推薦の部員が各学年1〜2人。
あの劇的勝利の立役者は、女子サッカー界で無名だった選手。
すべての女の子が、全国大会優勝という夢に挑戦できるような、もう一度夢を追えるような、そんな存在だからこそ、不甲斐ない試合を見せるわけにはいかないし、絶対に関カレ1部から降格してはいけません。
私たちのサッカーで夢を与え、それを見た小中高生が筑波大学を目指し、今度は夢を与える側になる。
それが永遠に回っていくような唯一無二の魅力あるチームとして輝いていってほしいです。


小さい頃からの夢を、何度挫折しそうになりながらも今も追い続けられているのは、
筑波大学女子サッカー部のスタッフ、選手、平嶋さん。
筑波学園病院の御園生先生をはじめ、医師、看護師、理学療法士の皆さん。
サッカーで出会ったたくさんの方々。ファン・サポーターの皆様。そして家族が、背中を押し続けてくれたからです。
本当に本当にありがとうございました。
大好きなサッカーで、今度は私がみんなに力を与えられる人になりたいと思います。

また、どんなに結果が出なくても、筑波を応援してくださった皆様、ありがとうございました。
あれだけ言っておいて、インカレ優勝の目標を達成できず、本当に申し訳なく思っています。
インカレ優勝の目標は、後輩たちに託します。
これからも筑波大学女子サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。


大学サッカーを、筑波大学を選んでよかったです。


#1 清村珠幸



  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 15:57Comments(0)引退ブログ20222022