1月4日。私の大学サッカーは終わりました。
筑波の色に染まった、4年間でした。


1.2年生の頃は、自分が思い描いていた大学サッカーとはかけ離れているように感じ、大好きなサッカーが楽しくなかった。何度も怪我をし、サッカーをする時間は短く、何のためにここにいるのかわからなかった。

「筑波を強くする」「インカレで優勝する」

と推薦入試の面接で意気込み、入学してから、このチームで何ができているのか、チームの力になれているのか、全くわからなかった。むしろ、必要性を感じなかった。

怪我で試合に出れない期間は、リハビリをして早く復帰するしか方法がないのに、なかなか上手くいかない。どんどん自分に余裕が無くなっていくのがわかった。

試合に負けてるのに何でヘラヘラしてんの?って。

チームのために必死になって戦っている仲間がいるから、復帰して戻れる場所があるのに、それを全くわかっていなかった。自分で自分を追い込んで苦しめていた。

復帰してからも、コンディションが戻らず、何のためにサッカーをしているかを見失い、ふてくされて練習する日々を送った。練習を1ミリも楽しめないし、自ら人と距離を置いて、黙々とこなしていた。
自分でもわかってる。チームに迷惑をかけているし、このままではだめだって。でも、何かが引っかかって自分を変えることはできなかった。

3年生になって、自分の中で大切にしているものは何かということが明確になった。

『このチームで勝ちたい』

それは、当時の4年生が気づかせてくれた。理由とか根拠とかはわからないが、大好きだった。
自分の力でこのチームを勝たせたい。
一緒に目標を達成したいという想いが強かった。

これまで未熟だった自分が情けなかった。
子供だった自分にとって、大きく成長できた期間だったと思う。
試合に出て結果を残すことだけがチームの力になっているのではなくて、それぞれがそれぞれの立場で、最大限の力を発揮することがチームの力になるとわかった。

4年生になってからも、膝を怪我し、思うようにサッカーができなかった。
でも、みんなに自信を持って楽しくプレーをしてもらうために、「どんな時も笑顔で引っ張っていかないと。」って必死だった。だから、チームのことより自分の感情が前に来ることはなかった。

2021シーズンはなかなか勝てず、思うような結果を残すことができない、チームとしても苦しいシーズンだった。
主将として、オンザピッチを引っ張らないといけない立場の自分が、練習や試合でプレーでみせることができない。
本当に申し訳ない。
めっちゃ悔しくて、しんどくて、でも元気なふりをしてないといけないんだって、空元気の日もあった。試合に負けて悔しがっている選手、落ち込んでいる選手の話を聞いて、支えることしかできなかった。その度に、「何もできなくてごめん」って、直接伝えることはできず、心の中で謝ってばっかりだった。
離脱中ずっとプレーでチームを引っ張ってくれた玲海菜には助けられたことが多かった。
たくさん色んなものを背負わせて、任せっきりでごめん。
2人で交わした目標に向かって、一緒に頑張ってくれてありがとう。西が丘で流した涙は、次のステージで。


『チームのために』

って突っ走ってきたこの一年。
こんなにチームのこと考えられるのは何でだろう。

多様性とか筑波の良いところっていろいろ挙げられるけど、言葉では表せない良さがあると4年間過ごして感じた。

こんなにチームのことを考えたのは初めてなくらい、チームが1番で、みんなのこと考え過ぎてた。たぶん、みんなに恋してました。オフの時も考えてしまうくらい好きなんです。きっと。

最後に、このチームで主将としてやり遂げることができたのは、間違いなく同期が居てくれたから。
後ろには信頼できるみんながいるってわかってたから、どんな時も自信を持って行動できた。
本当にありがとう。

平嶋さんをはじめ、スタッフさん、日頃からご支援・ご声援くださっているOG・OBさんが居なければ、インカレベスト4という結果を残すことはできませんでした。
本当にありがとうございました。

来シーズンも頼もしい後輩たちがさらなる飛躍を目指して頑張りますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いします!

お父さん、お母さん、今まで大好きなサッカーを不自由なくさせてくれて本当にありがとう。
尊敬できて、自慢できる、大好きな家族です。
優勝した姿を見せることができなくてごめん。
少しずつ恩返しができるように頑張ります。


私は、筑波大学女子サッカー部で4年間過ごせてよかったです。


#7 蓮輪真琴





  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 19:42Comments(0)引退ブログ2021
こんばんは。
本来ならば、昨日までに出さなければいけないこのブログを引き延ばし、とりあえず書き始めた2022/2/2 AM9:20

「冒頭に謝罪を入れて。」と次期広報部長から言われてしまったので言います。
期限を守らず遅くなりすみません。また、拙い文ですみません。

ラストブログということで、何を書くかずっと考えていましたが何も思いつかないので、引退ブログで『自己紹介~千葉玲海菜とは~』について書きたいと思います。

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出身は福島県いわき市。
血液型はA型。
好きなことは、お笑い・バラエティー番組鑑賞、料理。
苦手なことは、トランプのシャッフル。
スキー育ちスノボーかぶれ。
中学校の美術の成績で〖2〗をとりました。
兄妹構成は2つ上の兄と2つ下の妹がいて間に挟まれています。
兄の影響でサッカーを始めました。
妹は私よりも足が速いらしい(もう陸上現役引退しています)。
千葉家はすごく仲のいい家族です。
父はまじめで多趣味。何かと勉強することが好きなのではないかという印象。
母は活発で少し抜けていてお茶目な一面を持っている。

よく、両親について聞かれます。
「何かスポーツはやっていたか。」と。
答え)父は吹奏楽部。母は中学校の部活動で卓球部。両親ともにバリバリスポーツをやっていませんでした。多分、サッカーもあまり興味ないし、今もルールさえ知らないのではないかのレベルです。
でも、正直そのくらいがちょうどいいです。
試合会場に足を運ぶことも滅多にないし、来てもすぐ帰っています。(さすがにインカレ西が丘での試合後、一言も話さず、すぐに帰宅してたことは衝撃でした。)

両親が共働きのため、私たちはある意味、放置されて育ってきました。
お父さんが単身赴任、お母さんが宿直の時は、兄妹3人で協力して家事を分担するなど、今思えばよくやってたなと思います。(笑)
ただそのおかげで、成長できた部分は多く、今に活かされていると思います。

私は、寂しがり屋の小心者でした。
基本的に一人では何もできないし、不安になって泣き出します。
ただ、体を動かすことは好きで活発ではありました。
サッカーを始めたきっかけも、兄が学童を早退しサッカーに行ってしまうことが寂しくて、一緒についていかないと不安になってしまうからでした。実際に、学童から出ていく兄を
泣きながら引き止めていたくらいです。しかも、練習場は小学校のグラウンドなのに。
兄には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。(笑)

この寂しがり屋のおかげで、兄たちの学年で練習をしていたことが今の自分をつくっているかもしれません。小学生の2個上はそれなりの差がありましたが、『負けず嫌いの精神』が発動し、毎日ボールと遊んで、兄には負けないという気持ちでくらいついていました。

そんな感じでスタートしたサッカー生活。

サッカーと私、ずっと一緒にいます。​
飽き性な私がこうしてずっと続けていられているサッカー。
なぜ、こんなにも飽きずに続けられているかはまだ解明できていません。
サッカーが好きだからだけではないと思います。
サッカーを通じて、多くの人に出会い、学び、成長できるこの感じが自分を楽しませてくれます。


「苦労は買ってでもしなさい。」
父に言われた言葉です。

正直、筑波大学女子サッカー部に入部し、今までの環境とのギャップに驚きました。
弱い私は逃げ出したくなり、大学を辞めようと本気で思っていました。
全然楽しくないし、大好きなサッカーが嫌いになりそうでした。
でも、環境のせいにしてサッカーを嫌いになりたくないし、筑波大学女子サッカー部の仲間はすごくいい人だし、いろいろな複雑な気持ちに何度も悩まされました。
苦労はしたくたってできないし、貴重な経験ができるとポジティブに捉えることが出来たとき、気持ちが楽になりました。


蓮輪さんとはよく話しました。
「インカレ優勝」
何も根拠はないけど入学してすぐ約束しました。
私たちが4年生になったとき、絶対笑って終わろう。
私が筑波大学女子サッカー部で頑張れたのは、1年生の時にしたこの約束があったからです。
今の自分の行動がこの約束に繋がっていると思えれば、1秒たりとも無駄にはできません。仲間がうまくなることも、チームに合った戦術の理解も、仲間とのたわいもない会話も、すべて約束に繋がると思えていました。
サッカーは一人ではできないスポーツだからこそ苦しかったり楽しかったりします。
失点しなければ負けないし、どんな形であれ得点をすれば勝てます。
これだからサッカーはやめられないんです。

約束の「インカレ優勝」を果たすことができませんでしたが、インカレ優勝を見据えて大学生活を送った4年間は宝物です。

つらかったことも、悔しかったことも、逃げ出したくなったことも、サッカーが嫌いになりそうになったことも、平嶋さんと気まずくなったことも、いろいろありましたが、
そんなことよりも
格上の相手に勝ったこと、苦しい時に得点できたこと、みんなと一緒に楽しくふざけたこと、ネタ出しの練習をしたこと、温泉で恋愛について話したことなど、楽しかったことしか蘇りません。


私は、まだ大好きなサッカーと一緒に暮らします。
これからの人生においても、この4年間は素晴らしい時間だったと言えると思います。
同期のみんな、たくさんありがとう。
私は、みんなが同期で良かったです。
居心地が良くて、楽しくて、ノリが良くて、優しくて、頭がよくて。
好きなタイプです。
寂しがり屋なのでみんながどこに行ってもかまちょします。(笑)
これからも千葉玲海菜をよろしくお願いします。


好きなことを好きなようにさせてくれた両親。
いつか恩返しできるように頑張ります。
本当にありがとう。


1/31に卒論発表会があり、筑波大学卒業へ近づいてきました。


最後まで、読んでいただきありがとうございます。
今後も筑波大学女子サッカー部の応援・ご支援のほど、よろしくお願いします。

#10 千葉玲海菜

  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 21:22Comments(0)引退ブログ2021
こんにちは。
4年の梶井風薫です。ついに引退ブログを書く側に来てしまいました。
女サカでの4年間は、様々な角度からサッカーに関わり、ものすごく充実した4年間でした。
学生主体で運営をしたり、小学生に指導をしたり、新しい発見ばかりで毎日が刺激的でした。
また、「やりたい!」と思ったことを実行できる環境とそれを優しく見守ってくれる先輩、一緒に手伝ってくれる後輩、そしてなによりも一緒に考えてワクワクすることを作り出せる同期。写真を撮り始め、画像をつくったり、イベントをしてみたり、グッズをつくってみたり。
また、4年生になってからはチームを運営することの難しさ、葛藤、主務としての雑務などなど。
この4年間は様々な経験をさせてもらい、ブログは何について書こうかとても悩みましたが、プレーヤーとしての私について想いをつらつらと書きました。たきみたいに文才ないし、くみみたいにまとめられてないし、少し恥ずかしいので読まなくても...とは思うのですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

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お姉ちゃんのキッカーズに連れられて始めたサッカー。
楽しくて仕方がなかったサッカーが、いつの間にか悔しくて涙が止まらないサッカーに変わっていき、私の18年間の選手生活では唇を噛み締めている時間の方が多かったのではないかと思います。どの環境でも私の周りには上手な仲間が多く、「私なんか…」というネガティブな気持ちが下手くそな私をさらに悪循環へと誘い、中高生の時の大事な試合はいつだってベンチで、来るはずもない出番を待っていました。いや、きっと待ってもいませんでした。「まあ出れないだろうなー」って。

『一生懸命努力してるのに報われないんじゃない。努力の量が足りないんじゃなくて、仕方が間違ってるんじゃない。』Byリトルミイ

中学、高校までの私は正しい努力の仕方をしていなかったんだと思います。悔しいを悔しいままにして、ただガムシャラにボールを追っていました。それはきっと勉強面でも同じで、ただただガムシャラにやっていたので現役では大学生にはなれませんでした。

そんなこんなで1年かかって運を味方に入学した筑波大学。
スポーツに関わる仕事がしたいからという想いで入り、正直、たまに聞く「女サカでサッカーがしたかった!」という気持ちはありませんでした。こんなこと書いたら怒られてしまうかもしれないけど、中高ですり減り、サッカーと本気で向き合うことから逃げていた私は、4年間は試合に出るとか出ないとかに拘らず、「楽し〜くサッカーしよう。」なんて甘っちょろい考えを持って入学しました。1年生の時のあんな事件はこの甘っちょろい考えが故ですね。
しかし、女サカでいろんな方面から本気でサッカーと向き合っている先輩、同期と一緒にサッカーをして「うわ、私、終わってるな。」と感じました。そして、“ただ”サッカーをしているのを「楽しい」って感じていたのではないと気づきました。本気で向き合ってこその楽しさ。悔しさや困難を乗り越えてこその嬉しさ。いろんな楽しみ方があると思うけど、私はこれを楽しいと思うからサッカーが好きなんだ。と気づいた1年でした。筑波に来れてこれに気づけて本当によかったです。

人生初めてのリハビリで苦しみながらも自分の居場所を見つけた2年生。
仕事でミスも多く感情に左右されまくり、自分の弱さを認識した3年生。
(どちらも本当はこんな簡単な1文でまとめたくないくらい充実した1年でした。)
そしてついに来てしまったプレーヤーとしてのラストのシーズン。

『誇高』

この1年何度も振り返ったスローガンです。
どうやったら自分を誇れるか。
自分を認めてあげるのが1番難しい気がします。自分が自分を1番見ているから。1番知っているから。
何度も心が折れかけました。
下手くそな自分が嫌になり、何度も頑張るのをやめてやろうと思いました。
けど、負けたくなかった。誇れる自分でいたかったから、仲間の顔を見て踏ん張りました。チームのみんなが闘っている姿を見て負けられないと思いました。そして、悔しい想いを持っている同期・後輩に自分が背中で闘っている姿で魅せたいと思った。同期には感謝しかないです。もがいているとき何度も励まされ、パワーをもらいました。
みんなが同期じゃなかったら、こんなにも充実した4年間を過ごせなかったと思います。
クロスは明後日の方向に飛んでいくし、最後まで本当に下手くそで理想のサイドバックではなかったけど、自分の強みを最大限に発揮し、やらなければいけない努力をやり切れたと思います。
インカレ準決勝のベンチは、中高生の時のベンチとは全く違い、自分の出番を今か今かと待っていました。「みんなと闘う」という気持ちを、プレーとして表現できる瞬間を得るために、努力している自信と誇りがあったからだと思います。もちろん悔しくて涙が止まらない瞬間もありましたが、こんなにもパッションをもって取り組めることが楽しくて仕方なかったです。

この18年間、サッカーを通じてたくさんの仲間に出会いました。そして、様々なことを教えてくださった指導者の方々、復帰を全力でサポートしてくれたトレーナーさん。こんなにも長い間、サッカーを楽しめた私はとても幸せです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
そして父ちゃん、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、どんなに遠くても試合を観に来てくれてありがとう。やりたいことを全力でできて、それを応援してもらえることはすごく恵まれてるなと感じるし、こんなにも色々な経験をさせてくれてありがとうございました。

拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
プレーヤーとしては一区切りですが、これから先も大好きなサッカーと一緒に生きていければなと思っています。小学生の時に言われた「サッカーをしてればまたどこかで会えるから」という言葉が私はとても好きです。
またどこかで会える日を楽しみに、素敵な努力をし続けたいと思います。

今後とも筑波大学女子サッカー部の応援・ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

#24 梶井風薫



  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 19:47Comments(0)引退ブログ2021
こんにちは。
4年の稲冨真菜です。
普段は広報部長として女サカや部員一人一人を発信する側でした。自分について発信するのは恥ずかしいし苦手ですが、最後くらい頑張ってみようと思います。
拙い文章ではありますが、読んでいただけると嬉しいです。


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筑波大学女子サッカー部での4年間を振り返ってみる。

ついていくのに必死だった1年生。
サッカーのレベルが一気に上がり、自分のことでいっぱいいっぱいだった。思うように試合に出られず、今振り返ると、その理由にもしっかり向き合わずにいた気がする。
チームで闘う、チームの勝利に貢献するということを理解しているようでしていなかった。

積み上げてきたことが実を結び始めた2年生。
関東1部という舞台でどこまで闘えるのか、とてもワクワクしてシーズンを迎えた。個人としても出場機会が増え、チームに貢献できている実感、自分でもやれるんだという自信をもっていた。ピッチ外でも意欲的に取り組み、今までやったことのないことに挑戦できた一年だった。
その一年間の集大成であるインカレ。自分はベンチスタート。神戸ラウンド3連戦を闘うみんなの疲労感が羨ましかった。

上級生として臨んだ3年生。
コロナで思うように活動できない日々。
やっと活動が再開したと思えば自分は実習。学外グラウンドの試合ではみんながアップをする中、自分はライン引き。インカレ前には怪我。
悔しさを抱えながらも上級生として振る舞う難しさに苦しんだシーズンだった。

そしてラストシーズン、4年生。
自分もチームの核になると意気込んで臨んだ。
しかし開幕前に怪我。
オンザピッチではプレーや言動でチームを引っ張ることの難しさ、オフザピッチではあらゆる物事を決定し実行する難しさ、学業との両立。ここでは書ききれないほどの壁にぶつかった。





振り返ってみると、自分の未熟さや弱さを痛感する日々でした。
なかなか殻を破れない自分が情けなく、何度もそんな自分が嫌になりました。


苦しいことが多かった4年間。
そんな4年間を乗り越えられたのは、多くの方にかけていただいた言葉とかけがえのない仲間のおかげです。


「しんどい時こそ人は成長する」

これはもがき苦しんでいた時、とある人に言われた言葉です。
自信をなくして落ち込む気持ちを切り替えられなかった自分が、スッと軽くなっていきました。
「そうだ、これを乗り越えればきっと成長できる。」「今こそ成長できるチャンスなんだ」と前を向かせてくれました。
ありきたりな言葉かもしれませんが、今後も私を支えてくれる言葉です。
もしこれを読んでくれている後輩がいれば、しんどくなった時、この言葉を思い出してほしいです。みんななら大丈夫。


そして何より。
先輩、後輩、スタッフ、そして同期。
かけがえのない大好きな仲間の姿に何度も何度も励まされ勇気をもらいました。
「みんながいるから頑張れる。みんなのために頑張りたい。」仲間は私の原動力でした。
自分の未熟さを痛感すると同時に、チームが持つ力の大きさも痛感しました。
自分一人では何もできないけど、この仲間となら絶対にできる。自信のない私をみんなの存在が勇気づけてくれました。


苦しいことが多かった4年間でしたが、それと同じかそれ以上に楽しいこと、嬉しいことで溢れていました。この仲間との勝利は格別でした。こんなにも充実した4年間は2度と送れないんじゃないかなと思います。筑波での経験すべてが私の宝物です。


そして最後に、競技生活を終えた今、1番に溢れてくるのは感謝の思いです。
サッカーで出会ったたくさんの仲間、多くのことを教えてくださった指導者の方々、サッカーをする環境を整えてくださった大会関係者の方々、関わってくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りてお礼申し上げます。
そして何より両親。こんな経験をさせてくれて本当にありがとう。


拙い文章ではありますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。

#14 稲冨真菜


  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:17Comments(0)引退ブログ2021
2022年1月4日14:10 西が丘 
緊張しいの私が珍しく緊張していない。
自分のやるべきことを確実にやるだけ、楽しもう!

そして、その90分後
私のサッカー人生が終わった。悔しさと、清々しさと、この景色は一生忘れない。

この4年間は、私を最も成長させてくれた時間でした。
特に以下の2つのことを学べたのは大きかったです。
1つ目は「自分と向き合うこと」
2つ目は「チームに貢献するということ」

私は、高校まで勉強もサッカーも努力をすれば、その集団の中では、リーダー的存在になれました。
大学でも1、2年はコンスタントに試合に出ていました。
しかし、3年での公式戦出場は6回。

試合に出たい一心で、自主練習の時間を増やしたり、練習以外のところでもトレーニングするなど、がむしゃらに体を動かしていました。
努力しているつもりでした。でも、一向に試合に出れる気配はない。
サッカーが苦しく、劣等感を強烈に感じるようになっていきました。

そんなある日、平嶋さんに「めいには期待しているのに成長しない。もっと頑張ってほしい。」と伝えられました。

『成長していない』衝撃でした。 今までの練習は意味がなかった?他に何を頑張ればいい?・・・混乱しました。

悶々とした日々が続く中、やり方が間違っているかもしれないと考えるようになりました。
そして上手い選手の練習を観察するようになり、自分にできていない2つのことに気付きました。

1つ目、自分の分析ができていない。
人と比較することでしか、自分を評価できていませんでした。
試合に出るかどうかは他の人の状況なども関わることです。しかし、成長というのは過去の自分と現在の自分を比べて行うものであると考えられるようになりました。

2つ目、チームのために動けていない
実際これに気づいたとき、ありえないと思いました。
自分のことで精一杯でチームに何か還元できたのか。何もできていない。
チームのためにできることは何か。
それは、気づいた時から引退するまでずっと模索し続けたことでした。

2年までは試合に出ているだけで満足し、自分の課題を本気で克服しようとする気持ちが足りなかったのです。

「満足するということは、成長をやめるということ。」「現状維持は衰退」と痛感しました。

逆境は心地よいものではなかったです。しかし、技術的にも人としても成長させてくれるものだと思います。
4年の初め、キーパーにコンバートした時も、心穏やかではなかったですが、チームのために自分を活かせること、そんな状況が自分を成長させてくれることを分かっていたからできたのだと思います。

自分を分析していく上でもう1つ気づいたことがあります。私のモチベーションは仲間だということです。

試合に勝ちたい。インカレで優勝したい。という枕詞には、いつも「この仲間と」という言葉がついていました。
今、このチームでサッカーできたことの幸せを噛み締めています。
特に同期には感謝しかないです。いつもはうるさくて騒がしい。でも、やるときは頼りになる。私には考えつかないようなことを実行したり、先のことまで見据えて行動していたり、こんなに尊敬する人たちに出会えたことが最高の幸せです。

最後になりますが、今までサッカーを通じて出会えたたくさんの仲間たち、サッカーの素晴らしさを教えてくださった指導者の方々、サッカーに取り組めるよう最大限サポートしてくれた両親。

皆さんとサッカーが私を成長させてくれました。大変有難うございました。

今後とも筑波大学女子サッカー部の応援をよろしくお願いします。

#15 太田芽依





  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 22:23Comments(0)引退ブログ2021
 ついこの間まで、このブログを読む側だったのに、もう書く側になっていることへの驚きと、時の流れの早さを感じます。

 この4年間を振り返ると、一言ではまとめ切れないくらい様々なことがありました。死ぬほど笑った日、死ぬほど泣いた日、頭がパンクするくらいまで考えた日。どんな日もそばにいてくれたのは、大好きな同期で、この同期だったからこそ、やり切ることができたと本当に感謝しています。なので、私の引退ブログは、同期への愛を伝えようと思います。

 初めてチームに合流したのは、リーガ合宿初日。『初合流が合宿は地獄かよ』と思いながら集合場所に向かいました。れみな(#10)とまこ(#7)から漂う先輩オーラにびびって、めい(#15)としっかり「おはようございます!」と見本のような挨拶をしました。するとすぐに2人から、「同期だよ!」と言われたのが、同期との初めての出会いです。初日から、まだ高校生感の抜けない同期に、浪人組のふうか(#24)と「やっぱり若いね」と話したのを今でも思い出します。正直、『ほんとうにこのメンバーとやっていけるかな』と不安でいっぱいだったことは、今だから言えます(笑)

 普段は本当に大学生か疑うくらいのわちゃわちゃ感ですが、練習はもちろん、やる時にはやる。それがまず同期の尊敬できるところです。練習中やMTG中は、視座が高く、話し方まで考えて言うべきことをしっかりと伝えてくれます。考えていることの深さや、広さには、毎日刺激を受け、自分ももっと頑張らなきゃと思わせてくれる存在でした。しかし、いざ終わると、至る所でボケの渋滞が起こるのが、この学年です。その切り替えをしっかりとできるところが、本当にこの同期の素晴らしいところであり、好きなところでもあります。
(学年MTGでタワー作るのはやめようねtoれみな,まな)

 そして、人や仲間をよく見て、他人の心にしっかり寄りそうことができる仲間思いな人たちばかりであるところも、本当に素晴らしいところです。同期間はもちろん、後輩一人ひとりに対しても、丁寧に寄り添い、自分のことかのように向きあえることは、決して当たり前のことではないと思います。そんな同期だったからこそ支えてもらい、ここまでくることができ、また自分もそうなろうと思うことができました。

 この4年間、正直苦しいつらいと思う時間のほうが圧倒的に多かったです。しかし、本当に人として尊敬できるところばかりで、素敵な人ばかりの同期がいたからこそ、やり切ることができました。一人一人に尊敬できるところがあり、この4年間を共に過ごせたことが大きな財産で、一生の宝物です。

 そして、同期はもちろん、可愛い後輩と今まで出会った頼れる先輩方、スタッフさんのおかげでもあります。本当にありがとうございました。
また、両親をはじめ、支えてくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

 後輩の中には、きっと苦しいなつらいなと思いながらやっていたり、そう思うこともたくさんあると思います。努力が報われないこともたくさんあります。だけど、その努力が無駄になることは絶対にありません。必ずどこかで別のかたちで返ってきます。これからまたしんどいシーズンが始まるかもしれませんが、このことを信じて、そして自分のことを信じて頑張っていってほしいです。

 拙い文章でまとまりのないものとなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。引き続き、筑波大学女子サッカー部への応援を、何卒よろしくお願いいたします。

#25 佐伯香穂


  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 19:46Comments(0)引退ブログ2021
 最近、コンフィデンスマンjpにはまってます、4年生の圓道多起と申します。
 このブログは大どんでん返しなんて全くなく、伏線をちりばめるなんて器用なことはできないので、一方通行で読んでいただければと思います。最後までお付き合いいただけると幸いです。()の中は特に意味はなく、次このタイトルかなっていう勝手な予想です。当たってたらほめてください。

 4年前、「とんでもないところに来てしまった」と思った記憶があります。受験生の冬、高校女子サッカーを追っていました。「絵も下手だし字も汚いし」って言ってた順心の10番でキャプテンの人、「おかめだお」って言ってた作陽のキャプテンの人、テレビ越しで見たことある人がいたので、すごく驚き、胸が躍りました。こんな人たちとできるのか、と。
ただ同時にめちゃくちゃ悩みました。大学生活も想像つかない。中高とサッカーを離れた経験の浅い人間が、こんなすごいところで本当にサッカーをやっていいのか。
けど、ここが最後に思いっきりサッカーができる場所だと考えたら、つらい思いをする覚悟で入部を決めました。
 
 そこから4年間、実際につらいことのほうが多かったです。
 サッカーはもちろん、自分の存在意義や、自分がなぜ女サカにいるのか、どうしてサッカーをしているのか、とか。ほかにも、自分の未熟さや、弱さ、甘さを痛感すること、とか。
やめたいと思ったことも、休部したいと思ったことも、どうして女サカに入ったんだろう、こんなつらい思いをしてまでと思ったこともありました。

 じゃあ、なんで4年間続けてこれたんですかね。
ありきたりかもしれませんが、仲間と環境のおかげでした。このありきたりと思われる言葉も本当にありきたりかと言われれば、そうではないと思います。
折れそうになった時、折れかけている時、話を聞いてくれた人、そっと見守り続けてくれた人、弱い自分を叱ってくれた人、自分も頑張ろうと思わせてくれる仲間がいること、そして頑張り続けられる環境が目の前にあることは当たり前ではないです。その分その人たちも苦しんでいたはずです。
それぞれいろいろな思いを抱える中、背負っているものがある中、気丈に頑張り続ける姿を見ては自分も頑張らなくてはと勇気をもらっていました。

 そして、自分が納得して決めた、選んだ道を自分の中で正解にしたかったという意地も自分の中の原動力でした。
 最初、入部を決めたことももちろん、この4年間の中で、大小様々な決断がありましたが、これまで自分がやってきたことは自分がすべて納得して選んできた道です。何も後悔はないです。その時その時で悔しい思いも、自分がみじめで情けなくて仕方なかったときも、足を止めてしまいたいと思ったことも、止めてしまったことも、頑張れない自分に腹が立つこともたくさんありましたが、そういう思いもするとわかった上で全部自分が納得して選んできたことです。
 自分で選んだ道を正解にするうえで、「譲ってはいけないものは譲らない。一人の人として、プレーヤーとして自分の中で大事にしているものは譲らない。けど、常に謙虚であること。」を大事にしてきました。
 正解なんて自分で決めるもので、他人が決めるものではありません。ただ、周りの支えがあってこそでした。自分一人ではできるものではなかった、と痛感しています。
 入部したこと、サッカーを続けたこと、リハビリを続けたことは、全部自分が選んできた道です。4年を終えた今、その選択が自分にとっては大正解だったと思えています。充実した4年間でした。

 ただ本当にこの4年間を頑張れたのは、いろいろな方の支えがあってこそでした。この4年間を彩り、素敵な時間にしてくださった、スタッフの皆様、先輩、後輩、同期、そして家族や友人には本当に感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。今の自分があるのも、本当にみなさんのおかげです。共に過ごしてきた仲間、そしてその仲間と築き上げた時間が、私にとって誇りであり、自信です。

 そして、この場を借りて、言ったら泣いちゃうので、同期の皆さんへ。(読んでんのかなこれ)
出会った時から、ずっとみんなのことを尊敬していました。
みんなに追いつきたくて、1.2年生の頃は必死でした。自分にないものをたくさん持っていて、0を1にする力、1を100にする力、どんな時も前向きに進む力、そして何より優しく、強く、やかましいみんなに与えられたことは数多くあります。いつも与えられている側だったので、この4年間でみんなに少しでも何か返せていればうれしいです。
怪我をしている最中は仕方ないしと割り切れた部分は大きかったですが、復帰して、残りの時間が少なくなったときに、もっとみんなとピッチに立っていたかったと、心から悔しい思いをしました。あの時間がなければ、とか思っちゃったけど、復帰して少しの時間だったけど、最後までみんなとサッカー出来て本当に楽しかったです。
この4年間、みんなのおかげで見れた景色がたくさんありました。いろんな景色を見せてくれてありがとう。くらいついてきて良かったです。そのおかげで足が速くなったのかもしれません。
この場所でなかったら出会うことはなかったと思います。
出会ってくれて、本当にありがとう。みんなと出会えてなかったら今の自分はないです。4年間、何にも代え難いものをたくさんもらいました。
これから別々の場所になりますが、みんなだったらどこでもやっていけます。自信もって言い切れます。みんなの活躍を楽しみにしてます!

 最後になりますが、平素より、筑波大学女子サッカー部の応援をしてくださっている皆様、そして今まで筑波大学女子サッカー部を守ってきてくださったOGの皆様、コロナ禍という難しい状況の中、大会運営をしてくださった皆様のおかげで今シーズンも無事に終えることができました。本当にありがとうございました。
これからも、筑波大学女子サッカー部へのご声援のほど、何卒よろしくお願いいたします。

4年間を終えて、最後に西が丘の舞台にみんなで行って、「やっぱりとんでもないところにきていたんだな」と思いました。

次にまたブログを書く時にはロマンス編をかけるよう頑張ります。

#40 圓道多起





  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:22Comments(0)引退ブログ2021
大学からサッカーを始め、チームのために活躍したくて頑張った前半の2年間。サッカー以外のやりたいこととの葛藤から、部活をやめるか悩み、月に数日だけ練習に参加する選択をした後半の2年間。2+2年間についてはじめて振り返ります。
 あまり話さないことなので、言葉にするのがすごく難しいです。長くて読みにくい文章ですが、もしお付き合いいただける方がいたら、読んでくださるとうれしいです。

 3・4年生の2年間、とくに最高学年としての1年間で、女サカとして背負っていたものは、正直みんなと私では比べられない差があると思います。どんな状況でもチームのことを考え、多くの人を巻き込みながら引っ張っていくみんなの姿が、私にはとてもキラキラ輝いてみえたし、遠い存在のようにも思えたりしました。
そんなとき、私はよく自問自答していました。
「4年間、私は本当にこれでよかったのか。本当に自分に満足できているのか。」
同じことを何度も何度も自分に尋ねました。でも、尋ねた数と同じだけ自分はいつも同じ答えを返してくれます。
「うん、大丈夫。私にとって十分すぎるくらい、いい4年間。そして、今も女サカで居られたということ、本当にありがたいことやね。」


 私が大好きな絵本、『星の王子様』を書いたサン・テグジュペリという方が残した、こんな言葉があります。
『船を造りたいのなら、男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令したりする必要はない。代わりに、彼らに広大で無限な海の存在を説けばいい。』
 小さい頃からスポーツが好きで、中学生から運動部に所属していた私は、常に目の前のことに一生懸命打ち込む、そんな日々を過ごしてきました。けれど大学2年生の冬、当たり前と思っていた部活中心の日常と、自分自身の気持ちに、突然、怖いくらいの違和感が生まれたのを感じました。
「もし、全く新しいことに出会ったとしたら、今の自分はどう感じるんだろう…。」
『無限に広がる海』をはじめて見つけたような、衝撃的な気分でした。とにかく今すぐに、その海へと漕ぎ出したい。何があるのか、何がみえるのか、どんな人がいるのか。知りたい、みてみたい、会ってみたい。おさまり切らない興奮と焦る気持ちでいっぱいでした。

悩んだ結果、みんなに相談し、私は休部することを決めました。そして、やってみたいと思ったことに、色々挑戦してみることにしました。ボランティアやビジコンに参加したり、自転車や青春18切符で一人旅したり、初対面の人と100km歩いたり、、、、
 いい思い出もあれば、苦い思い出もたくさんあります。でも、ひとつひとつの出来事や出会いが、どれも刺激的で充実していました。女サカに4年間居られたことも、そのひとつです。

 私は、同期にも先輩にも後輩にもスタッフさんにも、たくさんの心配や迷惑をかけました。そんな2+2年間でしたが、悩みにぶつかったり乗り越えたり、思い切って行動したり、その結果、失敗したり、人と話したり自分なりに考えたり、2+2年のこれらの日々は、私にとってかけがえのない大きな財産です。

『人生が一度しかない。自分はひとりしかいない。』
これは当たり前のことかもしれませんが、実感するのは難しい問題です。振り返ると、2+2年間を通して、「あ、こんなことやってみたい」という、ふとした衝動や興味、「これ、すごい!」という感動、つらい、心が折れそうという感情に向き合えたこと、これは何より幸せなことだったんだなと感じます。たとえ具体的な言葉にできない曖昧なものであっても、一時的に何かから影響や触発を受けただけだとしても、全ては自分が自分に発信した「問いかけ」なんだと思います。その問いかけが聞こえる「世界で唯一の存在」である自分自身が、一度はその問いかけに付き合い、耳を傾けてみることの大切さと尊さに、気づくことができた気がします。

 最後になりますが、4年間私をいつも温かく受け止めてくださった、本当に優しくて素敵な女サカの仲間、心から尊敬する同期、先輩、スタッフさん、それから家族、友達に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、ありがとうございました。

#28 森山玖実


  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 19:24Comments(0)引退ブログ2021