2017年01月23日
インカレ
こんにちは。
#22 4年の山守杏奈(テト)です。
まず、コートネームでは一度も呼ばれたことはなかったです。
テト気に入ってました。けど、呼ばれると恥ずかしいのでやめてください。
今日は女サカでの最後のブログということですが、私は根から真面目なので真面目に書かせていただきます。
本当に偉大な先輩、頼れる後輩、大好きな同期に恵まれて4年間幸せでした。
メイクしてサッカーやっている人から(嘘です)、よくしゃべるマネージャー、コミニケーション障害かと思うほど喋らない人まで同じ学年としてまとまるかどうか不安でした。そんな私たちを一つにまとめてくれたのが、一年生として初めての出し物のフレッシュマン卒業式。私たちは、体を張って、ヲタダンスをしたのですが、先輩たちは失笑していました。
それだけが、心残りです。相当気持ち悪かったのだと思います。
「かわいいー」と言って欲しかったので、後輩には、全力で「かわいい、いいよー」というようにしています。
そんな感じでスタートした2013年度はインカレの決勝の舞台を経験させてもらい本当に恵まれた年でした。
学年が上がるほどチームのことを考える時間が本当に増えてくると思います。
当時、ただ先輩について行って、ピッチでのびのびとプレーして、準決勝あいさんが2点決めてヒーローになったのに、私自身何にもできずに足をつって交代したことくらいしか悔しくはなかったなと、(あいさんに対する嫉妬です笑)そんなこと言っている時点でとても未熟だったなと思います笑
とにかく楽しかった思い出でした。
私からみたらそう見えたインカレでしたが、先輩方からみたインカレはまた違った風景だったのかな、と振り返るとそう思います。
二年生、これが私たちの学年にとっても最後のインカレになるとは思ってもいませんでした。
とにかく勝つことに必死だったのを覚えています。
自分自身にも余裕がなく、自分勝手にプレーしていたと思います。
この時の4年生の先輩たち。
本当にすごかったです。
昨年度の結果がチームとしてのプレッシャーでしたが、一番4年生の先輩方が感じていたと思います。ちゅうさんを中心に本当にピッチに立ったら体現してチームを引っ張ってくれました。
ピッチ外でも四年生として何度も話し合う姿や、必死にチームを引っ張ってくれた姿はかっこよかったです。
2回戦で日体に内容ではボロボロに負けてしまった試合、終わった後、自分の不甲斐なさとこの人たちともうサッカーできなくなるんだと思うと涙がとまりませんでした。
三年生、絶対にインカレで西が丘に戻ってくるとシーズン初めは本気で思った年。何が起きるか本当にわからないものだと痛感しました。
本当に悔しかったです。何が悪かったなんてわからなかったし、誰が悪いわけでもなかったけど、とにかく勝たなければいけないと思えば思うほど勝てなかった関カレ。
振り返った時に、自分自身の本気の甘さを感じました。
ピッチ内、ピッチ外ともにできることはたくさんありました。
もっとチームのためにやらなければならなかったことはたくさんあり、気づいた時には遅かったです。けれど、やはり勝った時は嬉しかったし、楽しかった一年でした。
四年生、私は関カレに3試合しか関わりませんでしたが、チーム全体でレベルアップしどんどん成長しているみんなと一緒にサッカーできて、本当に楽しかったです。
ピッチの選手、ピッチ外の選手みんなが同じ方向に向かって、勝つという想いが強かったからです。
最終的に入れ替え戦になってしまいましたが、一部に上がれたのは間違えなく、全員の想いが一つになったからだと思います。
本当に勝った時は、うれしかったです。
長くなってしまいましたが、大学生にとってインカレの舞台は本当に憧れる場所です。
後輩たちにはインカレに出場して、西が丘に絶対に戻ってきてほしいし、その力は十分にあると思うので期待しています。
また、女サカに入部したことで、サッカーを何不自由やってこられたのは、本当に周りの人のサポートがあるからだと強く感じました。
スタッフの皆さん、OGの皆さん、女サカに関わってくださった多くの皆さんに感謝します。本当にありがとうございます。
これからも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いします。
あんな#22
2017年01月23日
引退挨拶
こんにちは。
4年の羽成春香(#2みち)です。
最後のブログを投稿させていただきます。
私はサッカー経験は中学3年間のみでしたが、どうしてもサッカーがやりたくてサッカー部のある国立大学を探し、筑波大学を志望しました。
高校時代は、予備校のパソコンでこっそりこのブログを読んでいました。
そんな私が今、女サカでの4年間を終え、いつも見ていたこのブログに最後の投稿をしているというのは、なんだか不思議な気持ちです。
何を書けばいいか頭の中が全くまとまっていませんが、とりあえず書きます。
女サカを引退したといっても、正直まだまだ実感がありません。
私たちの学年は、この4年間で本当に色々な経験をさせていただきました。
私は公式戦のピッチに立って自分のプレーでチームに貢献することはほとんどできませんでした。
むしろ先輩、同期、後輩、チームの皆さんに支えてもらいながら日々の練習や試合についていくのに必死でした。
それでも、チームの一員として筑波大学女子サッカー部で過ごした4年間は本当に素敵な時間でした。
サッカーはもちろん、チームの運営やフェスの運営まで、女サカでは様々な活動に携わることができました。
4年間素晴らしい環境で、本気でサッカーに挑戦できたことを本当に幸せに思います。
フェスやチームの運営にあたっては、同期と共になんだかんだと言いながら、長時間に及ぶミーティングをしたこともありました。
しんどいこともたくさんあった気はしますが、今振り返るとなんだか全てがとても楽しかったように思います。
こんな時間を過ごすことができたのは、全て私たちを支えてくださった方々のおかげです。
このような素敵なチームを作り上げ、支え続けてくださっているOG・OBの方々に、この場を借りて感謝申し上げます。
ほとんど初心者の私を受け入れ、育ててくださった歴代のスタッフの皆さん、4年生の皆さん、本当にありがとうございました。
なっさけない私を時に支えてくれた後輩のみんなにもたくさんありがとうを伝えたいです。
4年間を一緒に過ごした同期にももちろん、たくさんたくさんありがとうです。
とにかく一番言いたいことは、私は女サカが大好きだということです。
そんな女サカに所属できたことを本当に誇りに思います。
本当に本当にありがとうございました。
最後になりますが、明日から新しいシーズンが始まります。
今の後輩たちは個々の技術も高く、2016シーズンは本当に頼もしい姿を何度も見せてくれました。
新しいシーズンもきっと、もっともっと素敵なチームを作っていってくれると思います。
これからも筑波大学女子サッカー部への変わらぬご指導、ご声援をよろしくお願いします。
羽成春香(みち) #2
4年の羽成春香(#2みち)です。
最後のブログを投稿させていただきます。
私はサッカー経験は中学3年間のみでしたが、どうしてもサッカーがやりたくてサッカー部のある国立大学を探し、筑波大学を志望しました。
高校時代は、予備校のパソコンでこっそりこのブログを読んでいました。
そんな私が今、女サカでの4年間を終え、いつも見ていたこのブログに最後の投稿をしているというのは、なんだか不思議な気持ちです。
何を書けばいいか頭の中が全くまとまっていませんが、とりあえず書きます。
女サカを引退したといっても、正直まだまだ実感がありません。
私たちの学年は、この4年間で本当に色々な経験をさせていただきました。
私は公式戦のピッチに立って自分のプレーでチームに貢献することはほとんどできませんでした。
むしろ先輩、同期、後輩、チームの皆さんに支えてもらいながら日々の練習や試合についていくのに必死でした。
それでも、チームの一員として筑波大学女子サッカー部で過ごした4年間は本当に素敵な時間でした。
サッカーはもちろん、チームの運営やフェスの運営まで、女サカでは様々な活動に携わることができました。
4年間素晴らしい環境で、本気でサッカーに挑戦できたことを本当に幸せに思います。
フェスやチームの運営にあたっては、同期と共になんだかんだと言いながら、長時間に及ぶミーティングをしたこともありました。
しんどいこともたくさんあった気はしますが、今振り返るとなんだか全てがとても楽しかったように思います。
こんな時間を過ごすことができたのは、全て私たちを支えてくださった方々のおかげです。
このような素敵なチームを作り上げ、支え続けてくださっているOG・OBの方々に、この場を借りて感謝申し上げます。
ほとんど初心者の私を受け入れ、育ててくださった歴代のスタッフの皆さん、4年生の皆さん、本当にありがとうございました。
なっさけない私を時に支えてくれた後輩のみんなにもたくさんありがとうを伝えたいです。
4年間を一緒に過ごした同期にももちろん、たくさんたくさんありがとうです。
とにかく一番言いたいことは、私は女サカが大好きだということです。
そんな女サカに所属できたことを本当に誇りに思います。
本当に本当にありがとうございました。
最後になりますが、明日から新しいシーズンが始まります。
今の後輩たちは個々の技術も高く、2016シーズンは本当に頼もしい姿を何度も見せてくれました。
新しいシーズンもきっと、もっともっと素敵なチームを作っていってくれると思います。
これからも筑波大学女子サッカー部への変わらぬご指導、ご声援をよろしくお願いします。
羽成春香(みち) #2
2017年01月23日
引退挨拶
引退の挨拶をさせていただきます、
4年の拝田涼香(ベル#20)です。
12/17に女サカを引退しましたが、
1/23今現在に至るまで、
「うわー引退した!!!」って実感してません。
サッカー12年もずっとやってきたけど、
やめたらやめたなりの、違和感のない日常があって、
こんなもんか、っていう感じです。
だから、私にとってサッカーは
「必須」ではなかったんだろうなあ、とおもいます。
じゃあどうして、ずっとサッカーを続けてきたんだろう。
それは最近よく考えることで、
勝つ喜びとか、色々考えは浮かぶんですが、
一番しっくりきたのは、
「個人じゃなくてチームで勝ち取る」
っていう過程がおもしろかったからじゃないかなと思います。
例えば筑波だったら、
色んな地域から、色んな背景を持って、
色んな学類の、色んな考え方をした、
色んなレベルの人が、集まってきます。
一見、ばらっばらの人たちですが、
本気でサッカーするっていう根底は共通してて、だからこそ、個々の「違い」をすりあわせながら、
「勝ち」に向かって進んでいける。
その過程はどんなチームにもあって、
そこには個人の葛藤とかチームの葛藤とか、
色々混ざっているけど、
その過程を経ながらひとつの目標に向かうこと、
そんな中でひとつの「勝ち」を手にすることが、おもしろかったんだとおもいます。
その居場所をいつも求めていたからこそ、
転校してもサッカーを続けてきたし、
最後のサッカーをする場所として、
他のチームとはまったく違う、個性しかない、
「筑波」を選んだのだと思います。
こんな冷静に言ってますが、
女サカの4年間は笑えないほどきつかったし、
辞めたいこともあったし、
「組織」なんていってられないほど自分のことで精一杯でした。
それでも、女サカで4年間サッカーに向き合えて、本当に本当によかった。
色んな人がいて、色んなことを教えてもらって、
学びと気づきしかない4年間でした。
他の同期も言ってますが、
自分を含めて問題児しかいない学年で、
先輩方には多々ご迷惑とご心配をおかけしました。
それでも見捨てずに応援してくださった皆さんのおかげで、
引退まで走りきることができました。
本当に本当にありがとうございました。
今後も、後輩たち、
筑波大学女子サッカー部への応援を、
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
20番 拝田涼香
4年の拝田涼香(ベル#20)です。
12/17に女サカを引退しましたが、
1/23今現在に至るまで、
「うわー引退した!!!」って実感してません。
サッカー12年もずっとやってきたけど、
やめたらやめたなりの、違和感のない日常があって、
こんなもんか、っていう感じです。
だから、私にとってサッカーは
「必須」ではなかったんだろうなあ、とおもいます。
じゃあどうして、ずっとサッカーを続けてきたんだろう。
それは最近よく考えることで、
勝つ喜びとか、色々考えは浮かぶんですが、
一番しっくりきたのは、
「個人じゃなくてチームで勝ち取る」
っていう過程がおもしろかったからじゃないかなと思います。
例えば筑波だったら、
色んな地域から、色んな背景を持って、
色んな学類の、色んな考え方をした、
色んなレベルの人が、集まってきます。
一見、ばらっばらの人たちですが、
本気でサッカーするっていう根底は共通してて、だからこそ、個々の「違い」をすりあわせながら、
「勝ち」に向かって進んでいける。
その過程はどんなチームにもあって、
そこには個人の葛藤とかチームの葛藤とか、
色々混ざっているけど、
その過程を経ながらひとつの目標に向かうこと、
そんな中でひとつの「勝ち」を手にすることが、おもしろかったんだとおもいます。
その居場所をいつも求めていたからこそ、
転校してもサッカーを続けてきたし、
最後のサッカーをする場所として、
他のチームとはまったく違う、個性しかない、
「筑波」を選んだのだと思います。
こんな冷静に言ってますが、
女サカの4年間は笑えないほどきつかったし、
辞めたいこともあったし、
「組織」なんていってられないほど自分のことで精一杯でした。
それでも、女サカで4年間サッカーに向き合えて、本当に本当によかった。
色んな人がいて、色んなことを教えてもらって、
学びと気づきしかない4年間でした。
他の同期も言ってますが、
自分を含めて問題児しかいない学年で、
先輩方には多々ご迷惑とご心配をおかけしました。
それでも見捨てずに応援してくださった皆さんのおかげで、
引退まで走りきることができました。
本当に本当にありがとうございました。
今後も、後輩たち、
筑波大学女子サッカー部への応援を、
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
20番 拝田涼香
2017年01月23日
引退
昨シーズン主将を務めさせていただきました、伊藤栞(#19 うみ)です。
最後のブログということで、、
どの先輩も仰るのですが、この4年間は正直言うと9割くらい辛くてしんどいことばかりでした。
何度やってもうまくいかない
ピッチ外での問題がたくさん
大事な場面で怪我をしてしまう
結果がなかなかついてこない
…
心の底から満足できたことなんて本当に数える程しかありません。
大学に来てまで、なんでこんな苦しいことをしてるのかなと何百回も思いました。
それでも最後までやってこれたのは、やっぱり女サカが大好きだったし、サッカーが大好きだったからじゃないかなと思います。
入学直後、初めて行った練習が朝練のフィジカルで、葵と宿舎へ帰りながら「もうやめたい〜」なんて言っていたのも、ものすごく前のことのように感じます。
先輩たちに追いつこうと必死にもがいた1年生は、あっという間に終わってしまいました。
ほぼ毎日怒られたし、毎日がポジション争い。
一つパスをするのにも足が震えるくらいの緊張感の中での練習。
駆け抜けるように過ぎた、刺激的すぎる日々は私にとって女サカでの、人生での土台になりました。
その後の3年間は、あの時の4年生を、あの時の結果を越えようと同期で言い続けてきました。
ですが、思い描いていた残りの3年間とは、全く違いました。
インカレどころか、1部降格。最後は目指していたところに行くチャンスすらなくなってしまいました。
それでも私は筑波大学女子サッカー部に入部して良かったと心から思っています。
結果だけ見たらそうではないと思う人もいるかもしれません。
ですが、4年間を女サカで過ごし、
この様々なバックグラウンドを持ち集ってできた集団でしか経験できないこと、この環境でしか学べないことは間違いなくたくさんあったし、ここにいたから出会えた一生の仲間たちがいます。
それは、生涯に渡る私の財産になると思います。
大きな怪我をしてしまってサッカーができなかったことも、なかなか結果が出せなかったことも、決して良かったとは言えませんが、その事実や経験があったからこそ得られたことも沢山あって、長い目で見た時にも必ず意味があるんだと思います。
これも女サカにいなかったら気づかなかったことです。
高校3年の夏、一度は諦めたけど、やっぱり筑波へ行きたいと必死に勉強した自分に、その選択は間違ってなかったよと言ってあげたいです。
これからの人生、辛いことはたくさんあると思いますが、ゆいさんに怒られた時と田部井さんのドリブルランを思い出せばなんでも踏ん張っていける気がします。笑
4年間、私も女サカも多くの方に支えていただきました。幸せで充実した毎日でした。
こんな問題児が集まったどうしようもない学年で、多くの方々へ何度もご迷惑おかけしたかと思います。
それでも見捨てずに声をかけ続けてくださった先輩方、
学年が被っていないのに度々遠くまで応援に来てくださったOGの皆さん、
選手を信じ続けてくれたスタッフの皆さん、
ピッチ内外で支え続けてくれた後輩、
人のことを考えるということを一番近くで教えてくれて、キャプテンとしてチームの先頭に立たせてくれた同期、
こんな素敵な環境を与えてくれた家族。
本当に本当にありがとうございました。
感謝してもしきれません。
今後私たちはOGとして女サカを応援し、支えていきます!
これからも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。
伊藤栞 #19
最後のブログということで、、
どの先輩も仰るのですが、この4年間は正直言うと9割くらい辛くてしんどいことばかりでした。
何度やってもうまくいかない
ピッチ外での問題がたくさん
大事な場面で怪我をしてしまう
結果がなかなかついてこない
…
心の底から満足できたことなんて本当に数える程しかありません。
大学に来てまで、なんでこんな苦しいことをしてるのかなと何百回も思いました。
それでも最後までやってこれたのは、やっぱり女サカが大好きだったし、サッカーが大好きだったからじゃないかなと思います。
入学直後、初めて行った練習が朝練のフィジカルで、葵と宿舎へ帰りながら「もうやめたい〜」なんて言っていたのも、ものすごく前のことのように感じます。
先輩たちに追いつこうと必死にもがいた1年生は、あっという間に終わってしまいました。
ほぼ毎日怒られたし、毎日がポジション争い。
一つパスをするのにも足が震えるくらいの緊張感の中での練習。
駆け抜けるように過ぎた、刺激的すぎる日々は私にとって女サカでの、人生での土台になりました。
その後の3年間は、あの時の4年生を、あの時の結果を越えようと同期で言い続けてきました。
ですが、思い描いていた残りの3年間とは、全く違いました。
インカレどころか、1部降格。最後は目指していたところに行くチャンスすらなくなってしまいました。
それでも私は筑波大学女子サッカー部に入部して良かったと心から思っています。
結果だけ見たらそうではないと思う人もいるかもしれません。
ですが、4年間を女サカで過ごし、
この様々なバックグラウンドを持ち集ってできた集団でしか経験できないこと、この環境でしか学べないことは間違いなくたくさんあったし、ここにいたから出会えた一生の仲間たちがいます。
それは、生涯に渡る私の財産になると思います。
大きな怪我をしてしまってサッカーができなかったことも、なかなか結果が出せなかったことも、決して良かったとは言えませんが、その事実や経験があったからこそ得られたことも沢山あって、長い目で見た時にも必ず意味があるんだと思います。
これも女サカにいなかったら気づかなかったことです。
高校3年の夏、一度は諦めたけど、やっぱり筑波へ行きたいと必死に勉強した自分に、その選択は間違ってなかったよと言ってあげたいです。
これからの人生、辛いことはたくさんあると思いますが、ゆいさんに怒られた時と田部井さんのドリブルランを思い出せばなんでも踏ん張っていける気がします。笑
4年間、私も女サカも多くの方に支えていただきました。幸せで充実した毎日でした。
こんな問題児が集まったどうしようもない学年で、多くの方々へ何度もご迷惑おかけしたかと思います。
それでも見捨てずに声をかけ続けてくださった先輩方、
学年が被っていないのに度々遠くまで応援に来てくださったOGの皆さん、
選手を信じ続けてくれたスタッフの皆さん、
ピッチ内外で支え続けてくれた後輩、
人のことを考えるということを一番近くで教えてくれて、キャプテンとしてチームの先頭に立たせてくれた同期、
こんな素敵な環境を与えてくれた家族。
本当に本当にありがとうございました。
感謝してもしきれません。
今後私たちはOGとして女サカを応援し、支えていきます!
これからも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。
伊藤栞 #19
2017年01月23日
あおい、部活引退するってよ
こんにちは。
12/27をもって女サカを引退しました、女サカの飲み会部長、四年の#9金城葵(カンちゃん)です。
女サカに入ってもうすぐ丸四年。
入学したての一年生の時。クラブチーム上がりで、「部活」の洗礼に毎日ヒィヒィ言ってたあの頃のこと、今でも3週間前くらいに思えます。(昨日じゃないあたりがミソ)
部活とは本当に無縁で、今まで時間や上下関係に緩〜い沖縄に住んでた私は、常に無礼講で、今思い返しても本当に問題児でした。笑 けどそんな私を最後まで見放さずに居てくれた厳しくも優しい先輩、ぶつかりながらも常に寄り添って支えてくれる同期、慕ってくれる可愛げのある後輩、最後まで信頼してくれるスタッフさん、応援し続けてくれたOGならびに関係者の方々、いろんな人の支えがあったからこそ、私は最後まで辞めずに来れました。本当に、本当に、ありがとうございました。
高校生の進路選択の際、「筑波」の大学が目に入り、それから筑波しか考えられなくなってから、私はずっと憧れて憧れて、やっと筑波の女サカに入ることができました。(卒業時の年齢が23歳と言うところで、どれだけ「やっと女サカに入った」かが伝わりますね)
女サカで出会った先輩、最初は「一生仲良くやってけん!」とか思ってた同期とも、長く濃い時間を過ごして行く中で本当に本当に成長したなと感じます。
学年が上がるにつれて責任が出てきて、大事な後輩も出来て、守ってかないといけない伝統があって。
部員同士のぶつかりあいも、答えの見つからない話し合いも、スタッフとの関係も、もうすべてがサッカーだけじゃない人間的成長に繋がりました。
もちろん、サッカーの楽しさ、こだわることの大切さ、難しさ、達成感、充実感…挙げたらキリがないですが、これももちろん学ばせていただきました。
人生においてこんなにもサッカーやチームメイトのことしか考えなかった日々は、もう大学四年間だけだと思います。
個人的に挙げるサッカーの思い出というと、二年生で出場させてもらったインカレの舞台。
いつの間にかあれが私の(代の)最後のインカレになってしまったこと。
四年生にもなってプレーでもがく苦しさ。
集中応援であの素晴らしい応援の中ピッチに立てなかったこと、などなど…悔しい思い出の方が正直多いです。不完全燃焼です。無念。
二年生の頃がサッカー選手としてはピークだったかもしれません。笑
だけども、こんな思い出ばかりでも、いざブログを書くために四年間を振り返ると、やっぱ充実感や得たもの、笑顔の思い出の方が先に思い浮かびます。人間ってよくできてますね。
まとまらないですが、本当になんて伝えたらいいわからないくらい、女サカ色で染まった、幸せな大学生活でした。
この幸せな大学生活が送れたのも、本当にたくさんの方々の支えがあったからだと心から感じます。
こんなに幸せな時間を、本当にありがとうございました!!!!
四年間溜めた想いを、たった1日分のブログにするのは足りませんね、連載させていただきたいほんと。
大学一年は宇宙人のような問題児だった私も、四年になるとやっと人間の中学生になれた気がします。まとまらない文章がその証拠です。
話が長いで有名な私なので、残りはお酒の席で語り明かしたいと思います!(相手未定、対談相手募集中)
騒がしい私がいなくなるので、女サカが少し大人しくなるかもしれませんが、これからも皆様の応援を、どうぞ可愛い後輩によろしくお願いいたします。
ありがとうございました!
#9金城葵(カンちゃん)
12/27をもって女サカを引退しました、女サカの飲み会部長、四年の#9金城葵(カンちゃん)です。
女サカに入ってもうすぐ丸四年。
入学したての一年生の時。クラブチーム上がりで、「部活」の洗礼に毎日ヒィヒィ言ってたあの頃のこと、今でも3週間前くらいに思えます。(昨日じゃないあたりがミソ)
部活とは本当に無縁で、今まで時間や上下関係に緩〜い沖縄に住んでた私は、常に無礼講で、今思い返しても本当に問題児でした。笑 けどそんな私を最後まで見放さずに居てくれた厳しくも優しい先輩、ぶつかりながらも常に寄り添って支えてくれる同期、慕ってくれる可愛げのある後輩、最後まで信頼してくれるスタッフさん、応援し続けてくれたOGならびに関係者の方々、いろんな人の支えがあったからこそ、私は最後まで辞めずに来れました。本当に、本当に、ありがとうございました。
高校生の進路選択の際、「筑波」の大学が目に入り、それから筑波しか考えられなくなってから、私はずっと憧れて憧れて、やっと筑波の女サカに入ることができました。(卒業時の年齢が23歳と言うところで、どれだけ「やっと女サカに入った」かが伝わりますね)
女サカで出会った先輩、最初は「一生仲良くやってけん!」とか思ってた同期とも、長く濃い時間を過ごして行く中で本当に本当に成長したなと感じます。
学年が上がるにつれて責任が出てきて、大事な後輩も出来て、守ってかないといけない伝統があって。
部員同士のぶつかりあいも、答えの見つからない話し合いも、スタッフとの関係も、もうすべてがサッカーだけじゃない人間的成長に繋がりました。
もちろん、サッカーの楽しさ、こだわることの大切さ、難しさ、達成感、充実感…挙げたらキリがないですが、これももちろん学ばせていただきました。
人生においてこんなにもサッカーやチームメイトのことしか考えなかった日々は、もう大学四年間だけだと思います。
個人的に挙げるサッカーの思い出というと、二年生で出場させてもらったインカレの舞台。
いつの間にかあれが私の(代の)最後のインカレになってしまったこと。
四年生にもなってプレーでもがく苦しさ。
集中応援であの素晴らしい応援の中ピッチに立てなかったこと、などなど…悔しい思い出の方が正直多いです。不完全燃焼です。無念。
二年生の頃がサッカー選手としてはピークだったかもしれません。笑
だけども、こんな思い出ばかりでも、いざブログを書くために四年間を振り返ると、やっぱ充実感や得たもの、笑顔の思い出の方が先に思い浮かびます。人間ってよくできてますね。
まとまらないですが、本当になんて伝えたらいいわからないくらい、女サカ色で染まった、幸せな大学生活でした。
この幸せな大学生活が送れたのも、本当にたくさんの方々の支えがあったからだと心から感じます。
こんなに幸せな時間を、本当にありがとうございました!!!!
四年間溜めた想いを、たった1日分のブログにするのは足りませんね、連載させていただきたいほんと。
大学一年は宇宙人のような問題児だった私も、四年になるとやっと人間の中学生になれた気がします。まとまらない文章がその証拠です。
話が長いで有名な私なので、残りはお酒の席で語り明かしたいと思います!(相手未定、対談相手募集中)
騒がしい私がいなくなるので、女サカが少し大人しくなるかもしれませんが、これからも皆様の応援を、どうぞ可愛い後輩によろしくお願いいたします。
ありがとうございました!
#9金城葵(カンちゃん)
2017年01月23日
引退挨拶
こんにちは。
今年度主務を勤めさせていただきました佐宗真琴(28番 いっさ)です。
この場をお借りして引退のご挨拶をさせていただきたいと思います。
浪人して、筑波大学に合格して、女サカに入って、
それからはもうあっという間の4年間でした。
女サカは、私のサッカー、部活、という考え方を大きく大きく変えてくれました。
女サカに入るまでは、試合に出てないと、実力がないと自信も持てず、言いたいことも言えず、ただひたすら自分が上手くなるためだけにサッカーをしていました。上手くならないと試合に出られないから。上手くならないと自信が持てないから。
女サカには本当にいろんな人がいて、全員変人だと言いいたいくらい個性の塊のような集団で、でもそれが私にとってはとても居心地の良い場所でした。
なんでかな?って考えた時に、みんな「自分ができることを自信をもって一生懸命にやっている」からなんだと思いました。
言葉で伝えることが苦手でも背中で、プレーで、行動で伝えてくれる。
サッカーの経験が少なくても、誰よりも努力する。みんなをまとめてくれる。
とびっきりのハイテンションでチームを盛り上げてくれる。
みんなの話を聞いて回ってチームのバランスを取ってくれる。
ここぞというところで結果を出してくれる。
サッカーが大好きで大好きでたまらないのを言葉じゃなくても伝えてくれる。
自分のことは二の次にいつもみんなを支えてくれる。
こんな私の拙い文章じゃ書ききれませんが、本当にいろんな人がいるんです。
その一人一人が魅力に溢れる人たちなんです。
そして、一人一人ができることできないことを認め合える素敵な人たちなんです。
そんな人たちに囲まれて、「できることをやればいいんだ」と思うことができました。
ここまでを要約すると、とにかく女サカが好きということです。(笑)
2016シーズン、関カレも一部に昇格することができ、関東リーグも一部に残留することができました。
OG.OBをはじめとする皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
引退前の数週間、本当に多くの方々に女サカが支えられているということを痛感しました。
今年は特に、状況も苦しかったこともあり、心配してくださったOGの方々が毎試合、応援に来てくださっていました。
ご多忙の中、ちっとも学年も被ってない後輩たちのために、です。
感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
女サカに入るまでは、そんなことにまで頭は回らなかったです。
自分がサッカーをするのに、どれだけの人に支えられているのかなんて、頭の隅の方にちょこっとあるだけでした。
今考えると当時の私にぞっとします。(笑)
4年間こんなに長くブログを書いたことがないので、支離滅裂かと思います。(笑)
これ以上書くともっとよくわからなくなるので終わります。
本当にありがとうございました。
28番 佐宗真琴
今年度主務を勤めさせていただきました佐宗真琴(28番 いっさ)です。
この場をお借りして引退のご挨拶をさせていただきたいと思います。
浪人して、筑波大学に合格して、女サカに入って、
それからはもうあっという間の4年間でした。
女サカは、私のサッカー、部活、という考え方を大きく大きく変えてくれました。
女サカに入るまでは、試合に出てないと、実力がないと自信も持てず、言いたいことも言えず、ただひたすら自分が上手くなるためだけにサッカーをしていました。上手くならないと試合に出られないから。上手くならないと自信が持てないから。
女サカには本当にいろんな人がいて、全員変人だと言いいたいくらい個性の塊のような集団で、でもそれが私にとってはとても居心地の良い場所でした。
なんでかな?って考えた時に、みんな「自分ができることを自信をもって一生懸命にやっている」からなんだと思いました。
言葉で伝えることが苦手でも背中で、プレーで、行動で伝えてくれる。
サッカーの経験が少なくても、誰よりも努力する。みんなをまとめてくれる。
とびっきりのハイテンションでチームを盛り上げてくれる。
みんなの話を聞いて回ってチームのバランスを取ってくれる。
ここぞというところで結果を出してくれる。
サッカーが大好きで大好きでたまらないのを言葉じゃなくても伝えてくれる。
自分のことは二の次にいつもみんなを支えてくれる。
こんな私の拙い文章じゃ書ききれませんが、本当にいろんな人がいるんです。
その一人一人が魅力に溢れる人たちなんです。
そして、一人一人ができることできないことを認め合える素敵な人たちなんです。
そんな人たちに囲まれて、「できることをやればいいんだ」と思うことができました。
ここまでを要約すると、とにかく女サカが好きということです。(笑)
2016シーズン、関カレも一部に昇格することができ、関東リーグも一部に残留することができました。
OG.OBをはじめとする皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
引退前の数週間、本当に多くの方々に女サカが支えられているということを痛感しました。
今年は特に、状況も苦しかったこともあり、心配してくださったOGの方々が毎試合、応援に来てくださっていました。
ご多忙の中、ちっとも学年も被ってない後輩たちのために、です。
感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
女サカに入るまでは、そんなことにまで頭は回らなかったです。
自分がサッカーをするのに、どれだけの人に支えられているのかなんて、頭の隅の方にちょこっとあるだけでした。
今考えると当時の私にぞっとします。(笑)
4年間こんなに長くブログを書いたことがないので、支離滅裂かと思います。(笑)
これ以上書くともっとよくわからなくなるので終わります。
本当にありがとうございました。
28番 佐宗真琴
2017年01月20日
今、思うこと
こんにちは、最後のブログになってしまいました、
キャッチコピーは
選手より良く食べるマネージャー
常に食べ物とツーショット
マネージャーの型枠におさまらないe.t.c
そんなマネージャー"だった"なみです。
最後は真面目に言葉を残そうと思います(笑)
昨年、マネージャーというキーワードで大きなニュースがありました。
夏の甲子園、公式練習中のグラウンドにて
マネージャーも共に練習補助をしていたため注意される、といったものです。
これが大きく取り沙汰されて、男女差別だ、などなど
様々な意見により
高野連が今後この制度の検討を改めるという事にまでなりました。
マネージャーは必要な存在か。
高校時代を含め7年、この立場をやってきましたが
私には答えを出せませんでした。
マネージャーという立場は日陰の存在です。
こういった話題性や世間が関心を寄せる事がなければ
表立つ事はまったくありません。
数多のチームの中で、
あの選手は知っている
あの監督は知っている
は、あるにしろ
マネージャーの存在を気にかける事はありません。
そんな日陰の存在を4年努めさせて頂きました。
どちらかといえば目立ちたがり屋
不器用、視野が狭く繊細な事ができない大雑把な私が
なぜマネージャーで入部したのか。
簡単な理由です。
このチームの人が好きだから
たったこれだけです。
そんな好きな人達を近くで見る理由がほしかったからです。
4年間で気づいた事、私はただの自己満でマネージャーをしていた、という事です。
別に目立たなくても全然構わない、感謝されなくてもへっちゃら
ただ、好きで女サカという環境にいて
好きで皆の練習を見て、ボトルの水変えよ〜、あっついから氷水作ろう〜、雨降ってきたから荷物移動させよう、なんて感じで
誰かのためなんて考えずに行動していた事が
みんなからの「ありがとう」と感謝の言葉のご褒美に繋がる事が
たまらなく、にやけるくらい嬉しくて。
選手とマネージャーには果てしない距離がある中で
私はこの筑波大女子サッカー部に
マネージャー、ではなく1人の部員として入部しました。
1人の力では決してマネージャーと選手という壁を乗り越える事はできません。
周りがわたしを一部員として捉えてくれなければ
引退まで、マネージャーです。
マネージャーという役職が報われる事は
とても少ない、と思います。
なぜなら根底にその仕事を務めるのはマネージャーとして当たり前、という認識があるからです。
それでも私には皆、
ありがとうと言ってくれました。
さらには毎年毎年、素敵な先輩後輩、スタッフに囲まれ
最高の景色をいくつも一緒に見させて頂くことができました。
何より、4年間一緒だった同期とは大学生活において
最も長く時間を共有し
素敵な思い出をくれました。
一、マネージャーでしかない自分がこんなに恵まれていてよかったのでしょうか。
これからより様々なスポーツでマネージャーという立場が普及し、行動範囲も広くなっていくはずです。
だからこそマネージャー経験を積む人は
その経験が人生の豊かな糧となってほしい。
無給の奉仕。
そんな悲しい言い方のような4年間ではなかったです。
それは憧れではなく、理由を持って
チームに身を置けたからです。
チームが私をチームの一員とし、必要な存在である、と居場所を作ってくれたからです。
私自身、自分が必要な存在であったとは思えません。
それは誰もができる仕事を
たまたま自分がやっていただけに過ぎないからです。
それでも彼女達は私に「ありがとう」といってくれます。
なんとか、私はチームにとって必要な存在であれたみたいです。
それがとても嬉しいです。
こちらこそ、本当にありがとうございました。
最後にそんな大切な、素敵なチームのメンバーである彼女達を
日頃よりお支えくださった皆様、
本当にありがとうございます。
皆様のご声援、叱咤激励が今シーズン
とても選手達の励みになり、結果を残すことができました。
今後も後輩達への変わらぬご支援、宜しくお願い申し上げ
私の引退、最後のブログとさせていただきます。
マネージャー
松崎奈海
キャッチコピーは
選手より良く食べるマネージャー
常に食べ物とツーショット
マネージャーの型枠におさまらないe.t.c
そんなマネージャー"だった"なみです。
最後は真面目に言葉を残そうと思います(笑)
昨年、マネージャーというキーワードで大きなニュースがありました。
夏の甲子園、公式練習中のグラウンドにて
マネージャーも共に練習補助をしていたため注意される、といったものです。
これが大きく取り沙汰されて、男女差別だ、などなど
様々な意見により
高野連が今後この制度の検討を改めるという事にまでなりました。
マネージャーは必要な存在か。
高校時代を含め7年、この立場をやってきましたが
私には答えを出せませんでした。
マネージャーという立場は日陰の存在です。
こういった話題性や世間が関心を寄せる事がなければ
表立つ事はまったくありません。
数多のチームの中で、
あの選手は知っている
あの監督は知っている
は、あるにしろ
マネージャーの存在を気にかける事はありません。
そんな日陰の存在を4年努めさせて頂きました。
どちらかといえば目立ちたがり屋
不器用、視野が狭く繊細な事ができない大雑把な私が
なぜマネージャーで入部したのか。
簡単な理由です。
このチームの人が好きだから
たったこれだけです。
そんな好きな人達を近くで見る理由がほしかったからです。
4年間で気づいた事、私はただの自己満でマネージャーをしていた、という事です。
別に目立たなくても全然構わない、感謝されなくてもへっちゃら
ただ、好きで女サカという環境にいて
好きで皆の練習を見て、ボトルの水変えよ〜、あっついから氷水作ろう〜、雨降ってきたから荷物移動させよう、なんて感じで
誰かのためなんて考えずに行動していた事が
みんなからの「ありがとう」と感謝の言葉のご褒美に繋がる事が
たまらなく、にやけるくらい嬉しくて。
選手とマネージャーには果てしない距離がある中で
私はこの筑波大女子サッカー部に
マネージャー、ではなく1人の部員として入部しました。
1人の力では決してマネージャーと選手という壁を乗り越える事はできません。
周りがわたしを一部員として捉えてくれなければ
引退まで、マネージャーです。
マネージャーという役職が報われる事は
とても少ない、と思います。
なぜなら根底にその仕事を務めるのはマネージャーとして当たり前、という認識があるからです。
それでも私には皆、
ありがとうと言ってくれました。
さらには毎年毎年、素敵な先輩後輩、スタッフに囲まれ
最高の景色をいくつも一緒に見させて頂くことができました。
何より、4年間一緒だった同期とは大学生活において
最も長く時間を共有し
素敵な思い出をくれました。
一、マネージャーでしかない自分がこんなに恵まれていてよかったのでしょうか。
これからより様々なスポーツでマネージャーという立場が普及し、行動範囲も広くなっていくはずです。
だからこそマネージャー経験を積む人は
その経験が人生の豊かな糧となってほしい。
無給の奉仕。
そんな悲しい言い方のような4年間ではなかったです。
それは憧れではなく、理由を持って
チームに身を置けたからです。
チームが私をチームの一員とし、必要な存在である、と居場所を作ってくれたからです。
私自身、自分が必要な存在であったとは思えません。
それは誰もができる仕事を
たまたま自分がやっていただけに過ぎないからです。
それでも彼女達は私に「ありがとう」といってくれます。
なんとか、私はチームにとって必要な存在であれたみたいです。
それがとても嬉しいです。
こちらこそ、本当にありがとうございました。
最後にそんな大切な、素敵なチームのメンバーである彼女達を
日頃よりお支えくださった皆様、
本当にありがとうございます。
皆様のご声援、叱咤激励が今シーズン
とても選手達の励みになり、結果を残すことができました。
今後も後輩達への変わらぬご支援、宜しくお願い申し上げ
私の引退、最後のブログとさせていただきます。
マネージャー
松崎奈海