2025年01月20日
未来の過程に #5 朝倉陽菜
こんにちは。
朝倉陽菜(#5 キキ)です。
大学サッカー4年間を終えた私の素直な気持ちをこのブログに綴らせていただきます。
先に投稿された同期のブログはきっと素敵な言葉で、素敵な思いを綴っていると思いますが、私にはその文才がないことを先にお伝えしておきます。
-------------------------------------------------------------------------------------------
2024年12月24日、私の大学サッカーは呆気なく終わりました。
負けたら泣くのかと思っていたけど、その瞬間は一滴の涙も出なくて、その瞬間も「主将だからいろんな人にみられている」という感覚が一番にありました。主将としてみんなの前に立つ自分の意地です。主将としての私ではなく、朝倉陽菜としてなら泣き叫びたいくらいなのに、そんな時でも主将なんだからと冷静に思うことができる自分と、自分の感情を出さず心にしまうことに慣れてしまった自分がいました。
今も大学最後の試合を観れていないし、言葉にできない感情に振り回されています。現実を受け入れられなくて、このブログも中々書くことができませんでした。「終わったんだ」と受け入れるには、ものすごく時間がかかりそうです。この試合は一生忘れることはないと思います。
さて、4年間を振り返った時、どんなことが思い起こされるのか。
「頑張る」よりも「踏ん張る」がこの4年間で一番、私の中で湧いた感情です。人生で一番、負けを経験した4年間。サッカーが嫌いになりそうな日、自分が大嫌いになった日、もう何もかも全部を投げ出したい日もありました。私の4年間は、ほぼうまくいった記憶がありません。
特に最後の年は、強い覚悟をもってラストシーズンを迎えたはずなのに、自分の力不足を痛感する毎日で、自分の存在意義を見失いそうでした。主将として、みんなの前で見せてはいけない自分を隠すのに必死で、毎日が自分との戦いでした。それでも私が主将として立ち続けることができたのは、同期やこのチームに関わるみんながいてくれたからです。ある時、「はるだけのチームじゃないから」と言ってくれた同期の言葉に救われました。ありがとう。
私が主将になるにあたって、これだけは見失わずに体現し続けたい主将像がありました。
それは、どんな時も「明るい」主将でいること。
私の性格は一言でいうと「明るい」だと思います。すぐ笑うし、声も大きいし、響くし、どこにいても声が通るとよく言われました。主将には様々なタイプがあって、常に先頭を走り続けるような威厳のある絶対的な存在の主将になりたかったけど、私はそういう主将には程遠いなと思っていました。でも、自分だから示せるものは何かと考えた時に、私を見た時に「はるがあんなに元気ならどうにかなるか」って思ってもらえるような、みんなの気持ちが少しでも前を向くように、心の支えになれるような主将でいたいと思っていました。思うような結果がでなくて不安だらけな毎日も、自分が不安な顔をしていたらチーム全員が不安になる。だから、どんな時もチームで1番元気で明るい主将でいることだけは心がけていました。あまり4年間で何かをやり遂げたといえることがない私でも、これだけは自信を持ってやりきったと言えます。
ここまでの文章を読んでいただけたら分かるように、ほとんどの内容で自分に焦点を当てて書いています。思い起こすことはその時の自分がどうだったか、ということばかり。もっと周りがどうだったかを見るべきとか、自分中心で物事を見すぎていると言われればその通りかもしれないです。
でも、私は自分自身と向き合うことから逃げなかった。
とにかく自分自身と向き合い続けた4年間でした。
周りの環境がどうとか、いくらでも言い訳はできたかもしれないし、言い訳しそうになる時もたくさんあったけど、最後には必ず、自分自身から目を逸らす選択はしなかった。自分の下手さも、弱さも、全部自分自身だからと受け入れて、逃げ道をつくることはしなかった。
それが、4年間で1番、自分自身が成長できた部分かなと思います。
この4年間の本当の意味を見出すには、もう少し時間がかかりそうですが、私のサッカー人生においてこの4年間は、ある意味ターニングポイントです。結果が全ての世界でもがき続けた4年間は、間違いなく自分自身を大きく変えてくれました。
「再出発」
私には、これからもサッカー選手として生きていけるチャンスがあります。
明日が来ることはないんじゃないかと思うほど、どん底に陥ったこともある私が、サッカーを続けた先にどんな未来が待っているのか。
サッカーは私の「人生」です。
これからも私は、サッカーと一緒に生きていきます。
最後に。
こんなに何もない自分でも、大切に向き合ってくれる人がいます。
このブログの最後にその人たちへの感謝の気持ちを伝えたいです。
家族のみんなへ
お父さん、お母さん、こんなにも愛に溢れた人はこの先どこを探してもいないと思います。2人の娘になれたこと自体、一生分の幸せです。2人に伝えたい想いが多すぎて言葉にできないけど、お父さんとお母さんがつけてくれた、太「陽」のように明るく、「菜」の花のように可愛い「陽菜」でいられるように、これからも頑張るね。
いつもありがとう。一生をかけて恩返しします。
お兄ちゃん、弟、私のサッカーに予定を合わせてくれるから、たくさん我慢をさせてしまうことが多い中で、それでも応援し続けてくれてありがとう。自慢の兄弟です。これからも仲良くしようね。
常に気を張り続けなければいけない時でも、唯一気を抜いていい場所だと思えるのが家族でした。実家に帰ったとき、家族に会えた時の温かさは世界一。みんなのこと、心から愛しています。
唯一無二の親友へ
大学最初の実技の授業で出会い、気付いたらいつも隣にいてくれた大切な人。欲しい時に欲しい言葉をくれる、私の力をとにかく信じて応援してくれる、一生大切にしたい親友です。これからも末永くよろしくね。
蹴球部、サッカー研の同期のみんなへ
同じサッカー選手としてピッチ内外で躍動する姿に魅了される毎日でした。本当にかっこよくて、たくさんの人の心を動かすみんなに、数えきれないほどの感動と、頑張る元気をもらいました。たくさん笑わせてくれてありがとう~
きさ、なほへ
2人が一緒に三役になってくれたことがどれほど心の支えだったか、シーズンを終えた今、すごく実感しています。三役として沢山悩みながらも、一緒に駆け抜けた時間が今は恋しいです。ありがとう。
そして、筑波大学女子サッカー部での4年間で関わってくださったOG・OBの方々、スタッフの皆さん、先輩方、同期、後輩のみんな。一人でも欠けていたら今の私はありません。4年間での出会いには、恵まれすぎているほど恵まれていました。4年間で出会った人たちは一生の宝物です。
改めて、私に関わってくださった全ての方々に、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
来シーズン以降も、頼もしい後輩のみんなが更なる高みを目指して活動を続けていきますので、引き続き筑波大学女子サッカー部への温かいご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。
筑波にきてよかった!!!!!
朝倉陽菜(#5 キキ)



〈執筆者プロフィール〉
朝倉 陽菜(あさくら はるな)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:キキ
前所属チーム:ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU18
朝倉陽菜(#5 キキ)です。
大学サッカー4年間を終えた私の素直な気持ちをこのブログに綴らせていただきます。
先に投稿された同期のブログはきっと素敵な言葉で、素敵な思いを綴っていると思いますが、私にはその文才がないことを先にお伝えしておきます。
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2024年12月24日、私の大学サッカーは呆気なく終わりました。
負けたら泣くのかと思っていたけど、その瞬間は一滴の涙も出なくて、その瞬間も「主将だからいろんな人にみられている」という感覚が一番にありました。主将としてみんなの前に立つ自分の意地です。主将としての私ではなく、朝倉陽菜としてなら泣き叫びたいくらいなのに、そんな時でも主将なんだからと冷静に思うことができる自分と、自分の感情を出さず心にしまうことに慣れてしまった自分がいました。
今も大学最後の試合を観れていないし、言葉にできない感情に振り回されています。現実を受け入れられなくて、このブログも中々書くことができませんでした。「終わったんだ」と受け入れるには、ものすごく時間がかかりそうです。この試合は一生忘れることはないと思います。
さて、4年間を振り返った時、どんなことが思い起こされるのか。
「頑張る」よりも「踏ん張る」がこの4年間で一番、私の中で湧いた感情です。人生で一番、負けを経験した4年間。サッカーが嫌いになりそうな日、自分が大嫌いになった日、もう何もかも全部を投げ出したい日もありました。私の4年間は、ほぼうまくいった記憶がありません。
特に最後の年は、強い覚悟をもってラストシーズンを迎えたはずなのに、自分の力不足を痛感する毎日で、自分の存在意義を見失いそうでした。主将として、みんなの前で見せてはいけない自分を隠すのに必死で、毎日が自分との戦いでした。それでも私が主将として立ち続けることができたのは、同期やこのチームに関わるみんながいてくれたからです。ある時、「はるだけのチームじゃないから」と言ってくれた同期の言葉に救われました。ありがとう。
私が主将になるにあたって、これだけは見失わずに体現し続けたい主将像がありました。
それは、どんな時も「明るい」主将でいること。
私の性格は一言でいうと「明るい」だと思います。すぐ笑うし、声も大きいし、響くし、どこにいても声が通るとよく言われました。主将には様々なタイプがあって、常に先頭を走り続けるような威厳のある絶対的な存在の主将になりたかったけど、私はそういう主将には程遠いなと思っていました。でも、自分だから示せるものは何かと考えた時に、私を見た時に「はるがあんなに元気ならどうにかなるか」って思ってもらえるような、みんなの気持ちが少しでも前を向くように、心の支えになれるような主将でいたいと思っていました。思うような結果がでなくて不安だらけな毎日も、自分が不安な顔をしていたらチーム全員が不安になる。だから、どんな時もチームで1番元気で明るい主将でいることだけは心がけていました。あまり4年間で何かをやり遂げたといえることがない私でも、これだけは自信を持ってやりきったと言えます。
ここまでの文章を読んでいただけたら分かるように、ほとんどの内容で自分に焦点を当てて書いています。思い起こすことはその時の自分がどうだったか、ということばかり。もっと周りがどうだったかを見るべきとか、自分中心で物事を見すぎていると言われればその通りかもしれないです。
でも、私は自分自身と向き合うことから逃げなかった。
とにかく自分自身と向き合い続けた4年間でした。
周りの環境がどうとか、いくらでも言い訳はできたかもしれないし、言い訳しそうになる時もたくさんあったけど、最後には必ず、自分自身から目を逸らす選択はしなかった。自分の下手さも、弱さも、全部自分自身だからと受け入れて、逃げ道をつくることはしなかった。
それが、4年間で1番、自分自身が成長できた部分かなと思います。
この4年間の本当の意味を見出すには、もう少し時間がかかりそうですが、私のサッカー人生においてこの4年間は、ある意味ターニングポイントです。結果が全ての世界でもがき続けた4年間は、間違いなく自分自身を大きく変えてくれました。
「再出発」
私には、これからもサッカー選手として生きていけるチャンスがあります。
明日が来ることはないんじゃないかと思うほど、どん底に陥ったこともある私が、サッカーを続けた先にどんな未来が待っているのか。
サッカーは私の「人生」です。
これからも私は、サッカーと一緒に生きていきます。
最後に。
こんなに何もない自分でも、大切に向き合ってくれる人がいます。
このブログの最後にその人たちへの感謝の気持ちを伝えたいです。
家族のみんなへ
お父さん、お母さん、こんなにも愛に溢れた人はこの先どこを探してもいないと思います。2人の娘になれたこと自体、一生分の幸せです。2人に伝えたい想いが多すぎて言葉にできないけど、お父さんとお母さんがつけてくれた、太「陽」のように明るく、「菜」の花のように可愛い「陽菜」でいられるように、これからも頑張るね。
いつもありがとう。一生をかけて恩返しします。
お兄ちゃん、弟、私のサッカーに予定を合わせてくれるから、たくさん我慢をさせてしまうことが多い中で、それでも応援し続けてくれてありがとう。自慢の兄弟です。これからも仲良くしようね。
常に気を張り続けなければいけない時でも、唯一気を抜いていい場所だと思えるのが家族でした。実家に帰ったとき、家族に会えた時の温かさは世界一。みんなのこと、心から愛しています。
唯一無二の親友へ
大学最初の実技の授業で出会い、気付いたらいつも隣にいてくれた大切な人。欲しい時に欲しい言葉をくれる、私の力をとにかく信じて応援してくれる、一生大切にしたい親友です。これからも末永くよろしくね。
蹴球部、サッカー研の同期のみんなへ
同じサッカー選手としてピッチ内外で躍動する姿に魅了される毎日でした。本当にかっこよくて、たくさんの人の心を動かすみんなに、数えきれないほどの感動と、頑張る元気をもらいました。たくさん笑わせてくれてありがとう~
きさ、なほへ
2人が一緒に三役になってくれたことがどれほど心の支えだったか、シーズンを終えた今、すごく実感しています。三役として沢山悩みながらも、一緒に駆け抜けた時間が今は恋しいです。ありがとう。
そして、筑波大学女子サッカー部での4年間で関わってくださったOG・OBの方々、スタッフの皆さん、先輩方、同期、後輩のみんな。一人でも欠けていたら今の私はありません。4年間での出会いには、恵まれすぎているほど恵まれていました。4年間で出会った人たちは一生の宝物です。
改めて、私に関わってくださった全ての方々に、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
来シーズン以降も、頼もしい後輩のみんなが更なる高みを目指して活動を続けていきますので、引き続き筑波大学女子サッカー部への温かいご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。
筑波にきてよかった!!!!!
朝倉陽菜(#5 キキ)



〈執筆者プロフィール〉
朝倉 陽菜(あさくら はるな)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:キキ
前所属チーム:ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU18
2025年01月19日
私ももっと頑張りたい #27 菅野希咲
こんにちは。
2024シーズンの副将を務めさせていただきました、体育専門学群4年の菅野希咲(#27 ねね)です。
私は他人のブログを読むことが好きで、今でも時々女サカの先輩方のブログを見返して読んでいるのですが、先輩方が引退ブログでよく書いていた「ついに自分がこのブログを書く時が」という言葉をついに自分が書いていることに驚きが隠せません。
ブログ班でありながら、基本的にブログは読む専で書くのは苦手です。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
---------------------------------------------------------------------------------------------
私は小学2年生の時に2人の兄の影響でサッカーを始めました。
富士見SSS→河内SCジュベニールU-15→栃木県立宇都宮中央女子高等学校サッカー部を経て、筑波大学女子サッカー部に入部しました。
「サッカーを続ける理由」
大学までサッカーをしてきた人が一度は考えるのではないかと思います。
純粋に「サッカーが好きだから」と言えたらいいのですが、
私はそう言えるほどサッカーそのものが好きというわけではありませんでした。
ではなぜ、ここまで私がサッカーを続けられたのか、続けたいと思ったのか。
私の中での答えは「仲間の存在」です。
私はこれまで、いわゆる強豪チームに所属したことはありません。
個の技術で見れば到底及ばない相手もたくさんいました。
でも、個で勝てなくても、組織で闘えば勝てる。
だから私はサッカーが好きなんだと、
女サカに入ってからより一層感じるようになりました。
ありがたいことに大学に入ってすぐから試合に出させてもらっていたものの、
8月に右膝外側半月板を損傷。
保存療法で1月までプレーを続け、インカレ後に手術をして、そこから約8ヶ月のリハビリを経験しました。
私自身初めての大きな怪我で、怪我をした当初はプレーできない自分がこのチームにいる意味があるのか?と思う日々でした。
そんな時に支えてくれたのが、リハ組をはじめとする多くの先輩方でした。
自分もつらいはずなのに、そんな姿を一切見せずに後輩を笑顔にしてくれる先輩。
同期には言えない弱音を優しく受け入れてくれる先輩。
目指すべき姿を背中で示してくれる先輩。
どんな立場でもチームのために行動して、チームを陰で支えてくれる先輩方をみて、
「プレーができなくても、このチームの一員として闘いたい。」
そう思えるチームづくりをしてくれた偉大な先輩方でした。
あっという間に月日が経ち、ついに最上級生として迎えた2024シーズン。
私たちの学年はこれまでの先輩方のように、大きな背中を見せて「私たちについてこい!」と言える学年ではありませんでした。
だからこそ、後輩たちにたくさん意見を聞きながら、力を借りながら全員でチームを作ってきました。
私より何倍も何十倍もサッカーが上手くて、学年関係なくチームを引っ張る後輩。
献身的なプレーでチームに活力をつける後輩。
チームの目標達成のために何ができるかを考えて行動に移そうとする後輩。
復帰に向けてストイックすぎるぐらいに毎日リハに取り組む後輩。
ふとした時に笑わせてくれる後輩。
「私も頑張らなきゃ」
ではなく
「私ももっと頑張りたい」
そう思わせてくれる存在でした。
さらに個人的には、今年は特にみんなからサッカーを教えてもらった1年でした。
たくさん迷惑をかけてしまったけど、みんなとたくさん話して、やりたいプレーが増えて、少しずつできるプレーが増えて、この1年本当にサッカーが楽しかった。
下手な私にも諦めずに伝えてくれてありがとう。
そして何より、4年間一緒にやってきた同期の存在は、言うまでもなく欠かせないものでした。
常に明るくみんなを引っ張ってくれる人。
チームのことを誰よりも考えて行動してくれる人。
チームにとっての最善を考えて発信できる人。
「やるべきことをやる」を体現してくれる人。
チームを陰で支えてくれる人。
少しの変化に気がついて寄り添ってくれる人。
すぐにふざけちゃうけど、私にはない強さをもっている人。
そんな人が集まった個性豊かな学年です。
特に最後の1年は、
サッカーの話も、チームの話も、他愛もない話も飽きるくらいたくさんして、
苦しい時も、しんどい時もあったけど、
それ以上に嬉しいことも、楽しいこともたくさんあって、
こんなシンプルな言葉ではまとめきれないけど、
とても充実していて楽しかったです。
本当にみんなが同期で良かった。ありがとう。
筑波大学女子サッカー部は、
「個で勝てないなら組織で闘う」を体現しているチームで、
先輩、後輩、同期一人ひとりが心から尊敬できる人たちで、
このチームでサッカーをした時間も、
朝から眠い中ウエイトをした時間も、
練習後にグラウンドで話した時間も全部含めて、
このチームにいる時間が大好きでした。
こんな素敵なチームに出会えて、とても幸せな4年間でした。
「下手なら下手なりに頑張る」
私のサッカー人生のモットーです。
これまでは、下手なら自分が頑張るしかないという風に捉えていましたが、
やっぱり一人では頑張れないこともたくさんあります。
自分はそんなに強い人間ではありませんでした。
でも、一人では頑張れないことも、
仲間がいれば頑張れる。
私はこれまでそうやって頑張ることができていたのだと、
この4年間で再確認しました。
もしかしたら、この仲間と一緒にできるならサッカーじゃなくても良かったかもしれない。
けれど、
私の兄がサッカーをしていなかったら、
富士見SSSでサッカーをしていなかったら、
河内SCジュベニールU-15でサッカーをしていなかったら、
栃木県立宇都宮中央女子高等学校サッカー部でサッカーをしていなかったら、
筑波大学女子サッカー部でサッカーをしていなかったら、
きっとみんなと出会えなかった。
まさに運命です。
こんなにたくさんの素敵な仲間と出会えるサッカーが大好きです。
これまでサッカーを教えていただいた指導者の方々、
怪我をしてもまたサッカーができるようにしてくれた病院関係者の方々、
その他、サッカーを通して出会った全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして、お父さん、お母さん。
ここまでサッカーを続けさせてくれてありがとうございました。
これまでのサッカー人生を通して、本当にたくさんの素敵な仲間に出会うことができました。これは私の一生の財産です。
お母さんの支えがなければ、練習に行くことも試合に行くこともできなかったし、お父さんとボールを蹴りに行っていなければ、きっとサッカーの楽しさを知る前にやめていたと思います。
たくさん心配と迷惑をかけましたが、どんな時も応援してくれて、支えてくれてありがとうございました。
大学サッカーまでできっぱりサッカーはやめると決めていましたが、すぐに離れられそうにもないので、これからはまた新しいサッカーへの関わり方、楽しみ方を見つけていきたいと思います。
最後になりましたが、
2024シーズンも筑波大学女子サッカー部へのご支援、ご声援をありがとうございました。
OG・OBの方々をはじめとする多くの方々の支えがあり、私たちが活動できていることを実感しました。
改めましてたくさんのご支援、ご声援をありがとうございました。
これから、さらに魅力溢れるチームを後輩たちが創っていってくれると思います。
今後とも筑波大学女子サッカー部へのご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。
「サッカーをしていればまたどこかで会えるから」
ある先輩の引退ブログに書いてあった、好きな言葉を載せておきます。
4年間、ありがとうございました。
菅野希咲(#27 ねね)



〈執筆者プロフィール〉
菅野 希咲(かんの きさ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ねね
前所属チーム:宇都宮中央女子高等学校
2024シーズンの副将を務めさせていただきました、体育専門学群4年の菅野希咲(#27 ねね)です。
私は他人のブログを読むことが好きで、今でも時々女サカの先輩方のブログを見返して読んでいるのですが、先輩方が引退ブログでよく書いていた「ついに自分がこのブログを書く時が」という言葉をついに自分が書いていることに驚きが隠せません。
ブログ班でありながら、基本的にブログは読む専で書くのは苦手です。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
---------------------------------------------------------------------------------------------
私は小学2年生の時に2人の兄の影響でサッカーを始めました。
富士見SSS→河内SCジュベニールU-15→栃木県立宇都宮中央女子高等学校サッカー部を経て、筑波大学女子サッカー部に入部しました。
「サッカーを続ける理由」
大学までサッカーをしてきた人が一度は考えるのではないかと思います。
純粋に「サッカーが好きだから」と言えたらいいのですが、
私はそう言えるほどサッカーそのものが好きというわけではありませんでした。
ではなぜ、ここまで私がサッカーを続けられたのか、続けたいと思ったのか。
私の中での答えは「仲間の存在」です。
私はこれまで、いわゆる強豪チームに所属したことはありません。
個の技術で見れば到底及ばない相手もたくさんいました。
でも、個で勝てなくても、組織で闘えば勝てる。
だから私はサッカーが好きなんだと、
女サカに入ってからより一層感じるようになりました。
ありがたいことに大学に入ってすぐから試合に出させてもらっていたものの、
8月に右膝外側半月板を損傷。
保存療法で1月までプレーを続け、インカレ後に手術をして、そこから約8ヶ月のリハビリを経験しました。
私自身初めての大きな怪我で、怪我をした当初はプレーできない自分がこのチームにいる意味があるのか?と思う日々でした。
そんな時に支えてくれたのが、リハ組をはじめとする多くの先輩方でした。
自分もつらいはずなのに、そんな姿を一切見せずに後輩を笑顔にしてくれる先輩。
同期には言えない弱音を優しく受け入れてくれる先輩。
目指すべき姿を背中で示してくれる先輩。
どんな立場でもチームのために行動して、チームを陰で支えてくれる先輩方をみて、
「プレーができなくても、このチームの一員として闘いたい。」
そう思えるチームづくりをしてくれた偉大な先輩方でした。
あっという間に月日が経ち、ついに最上級生として迎えた2024シーズン。
私たちの学年はこれまでの先輩方のように、大きな背中を見せて「私たちについてこい!」と言える学年ではありませんでした。
だからこそ、後輩たちにたくさん意見を聞きながら、力を借りながら全員でチームを作ってきました。
私より何倍も何十倍もサッカーが上手くて、学年関係なくチームを引っ張る後輩。
献身的なプレーでチームに活力をつける後輩。
チームの目標達成のために何ができるかを考えて行動に移そうとする後輩。
復帰に向けてストイックすぎるぐらいに毎日リハに取り組む後輩。
ふとした時に笑わせてくれる後輩。
「私も頑張らなきゃ」
ではなく
「私ももっと頑張りたい」
そう思わせてくれる存在でした。
さらに個人的には、今年は特にみんなからサッカーを教えてもらった1年でした。
たくさん迷惑をかけてしまったけど、みんなとたくさん話して、やりたいプレーが増えて、少しずつできるプレーが増えて、この1年本当にサッカーが楽しかった。
下手な私にも諦めずに伝えてくれてありがとう。
そして何より、4年間一緒にやってきた同期の存在は、言うまでもなく欠かせないものでした。
常に明るくみんなを引っ張ってくれる人。
チームのことを誰よりも考えて行動してくれる人。
チームにとっての最善を考えて発信できる人。
「やるべきことをやる」を体現してくれる人。
チームを陰で支えてくれる人。
少しの変化に気がついて寄り添ってくれる人。
すぐにふざけちゃうけど、私にはない強さをもっている人。
そんな人が集まった個性豊かな学年です。
特に最後の1年は、
サッカーの話も、チームの話も、他愛もない話も飽きるくらいたくさんして、
苦しい時も、しんどい時もあったけど、
それ以上に嬉しいことも、楽しいこともたくさんあって、
こんなシンプルな言葉ではまとめきれないけど、
とても充実していて楽しかったです。
本当にみんなが同期で良かった。ありがとう。
筑波大学女子サッカー部は、
「個で勝てないなら組織で闘う」を体現しているチームで、
先輩、後輩、同期一人ひとりが心から尊敬できる人たちで、
このチームでサッカーをした時間も、
朝から眠い中ウエイトをした時間も、
練習後にグラウンドで話した時間も全部含めて、
このチームにいる時間が大好きでした。
こんな素敵なチームに出会えて、とても幸せな4年間でした。
「下手なら下手なりに頑張る」
私のサッカー人生のモットーです。
これまでは、下手なら自分が頑張るしかないという風に捉えていましたが、
やっぱり一人では頑張れないこともたくさんあります。
自分はそんなに強い人間ではありませんでした。
でも、一人では頑張れないことも、
仲間がいれば頑張れる。
私はこれまでそうやって頑張ることができていたのだと、
この4年間で再確認しました。
もしかしたら、この仲間と一緒にできるならサッカーじゃなくても良かったかもしれない。
けれど、
私の兄がサッカーをしていなかったら、
富士見SSSでサッカーをしていなかったら、
河内SCジュベニールU-15でサッカーをしていなかったら、
栃木県立宇都宮中央女子高等学校サッカー部でサッカーをしていなかったら、
筑波大学女子サッカー部でサッカーをしていなかったら、
きっとみんなと出会えなかった。
まさに運命です。
こんなにたくさんの素敵な仲間と出会えるサッカーが大好きです。
これまでサッカーを教えていただいた指導者の方々、
怪我をしてもまたサッカーができるようにしてくれた病院関係者の方々、
その他、サッカーを通して出会った全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして、お父さん、お母さん。
ここまでサッカーを続けさせてくれてありがとうございました。
これまでのサッカー人生を通して、本当にたくさんの素敵な仲間に出会うことができました。これは私の一生の財産です。
お母さんの支えがなければ、練習に行くことも試合に行くこともできなかったし、お父さんとボールを蹴りに行っていなければ、きっとサッカーの楽しさを知る前にやめていたと思います。
たくさん心配と迷惑をかけましたが、どんな時も応援してくれて、支えてくれてありがとうございました。
大学サッカーまでできっぱりサッカーはやめると決めていましたが、すぐに離れられそうにもないので、これからはまた新しいサッカーへの関わり方、楽しみ方を見つけていきたいと思います。
最後になりましたが、
2024シーズンも筑波大学女子サッカー部へのご支援、ご声援をありがとうございました。
OG・OBの方々をはじめとする多くの方々の支えがあり、私たちが活動できていることを実感しました。
改めましてたくさんのご支援、ご声援をありがとうございました。
これから、さらに魅力溢れるチームを後輩たちが創っていってくれると思います。
今後とも筑波大学女子サッカー部へのご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。
「サッカーをしていればまたどこかで会えるから」
ある先輩の引退ブログに書いてあった、好きな言葉を載せておきます。
4年間、ありがとうございました。
菅野希咲(#27 ねね)



〈執筆者プロフィール〉
菅野 希咲(かんの きさ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ねね
前所属チーム:宇都宮中央女子高等学校
2025年01月18日
意味のあるものでした。 #19 樋口那帆
こんにちは。
先日、筑波大学女子サッカー部を引退しました樋口那帆(#19 ララ)です。
シーズン中は目の前のことに精一杯で落ち着いて振り返る余裕がなかったので、
この機会にサッカー人生を振り返り、これまでの感謝の気持ちを伝えられればと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
筑波大学女子サッカー部引退。
そして、16年にわたるサッカー中心の人生も一区切りとなりました。
家族の影響で小学1年生の頃に始めたサッカーですが、
振り返ってみれば、中学校に上がるとき、高校・大学を選ぶとき、
進路を決める基準には当たり前のようにサッカーがありました。
常に上を目指してプレーしていたものの、
小学生の頃から捻挫を繰り返し、骨折や肉離れ、靭帯断裂など
多くの怪我に悩まされました。
大学生活の大半をリハビリに費やし、サッカーに関しては苦い思い出が少なくありません。
怪我の話なしには語れないサッカー人生。
決して上手くいくことばかりではなかったけれど、
サッカーを通して得た学び、出会い、感情、様々な経験のすべてが私の一生の宝物です。
大事な大学生活の4年間を同期たちと一緒に駆け抜けることができた今、とても幸せです。
復帰して練習に入ることができていた数か月間は、サッカーをできていることが当たり前ではないことを強く実感しました。上手くいかないことすらも楽しいと思える、充実した時間でした。
復帰できる未来が想像できなかった地点から考えると、少しの時間でもプレーできたことは神様からの贈り物だったようにも感じます。
このように怪我とリハビリを繰り返した原因を考えてみたところ、
身体を動かすのが大好きで、負けず嫌いで成長志向が強いからこそ、知らず知らずのうちに無茶をしてしまうこと、その上自分の体や心に鈍感だったことが大きな要因だと思います。
股関節を痛めるまでボールを蹴ったり、肉離れするまで走ったり、ケアが不十分であったり。頑張り方と休み方が下手でした。
また、大学生になり普通にサッカーをすることがこんなにも難しいことだったのかと、嫌になるほど痛感しました。
怪我をしない身体作りに励もうと意気込んで入部した一方で、常に自分にベクトルを向け続けられなかったことが自分の弱さだと思います。
これらの反省や後悔はしっかり受け止めて、今後の人生に生かしていきます。
それでも、このような状況の中、自分なりにたくさん考え向き合い、多くの人に支えられた結果、ここまで辿り着くことができました。
特に今シーズン。
嬉しさ、悔しさ、様々な感情を共有しながら復帰までの道をともに歩んでくださったひかりさん、様々な視点からアプローチしてくださった吉田さんをはじめ、たくさんの方のお陰で、もう一度ピッチに立つことができました。
復帰を信じて一緒に頑張ってくれた同期や後輩、
寄り添って話を聞いてくれた先輩方、
温かい言葉をかけてくださり復帰を待ってくださっていたスタッフさん、
病院の先生・PTの方々、SPECや治療院の方々、
そして遠くから常に支えてくれていた家族、友人、大切な人。
本当にありがとうございました。
みなさんがいたから頑張れました。
さて、
こんなにも私を悩ませるサッカーを、なぜここまで続けてきたのか。
今シーズン感じたことを踏まえ、改めて考えてみます。
一つ目。
教育実習明けの久々のトレーニング、
いつも違和感のある膝に痛みを感じることなく、ラダーをすることができました。
たったそれだけのことなのに、私は、まだ動けるんだ、チャンスが残されているんだと感動してしまいました。
その後もストレスなくドリブルできたことが楽しくて仕方ありませんでした。
このとき感じた何にも代え難い喜びを、自ら手放す選択をしなくて本当に良かったと、心の底から思いました。
二つ目。
教員採用試験の対策でマット運動やバスケの練習をしていた中で、
できないことが少しずつできるようになる喜びを久々に味わい、自分の成長意欲の強さに改めて気づきました。
この成長を楽しむ気持ちこそが、サッカーから離れられない理由のひとつだったかもしれません。
これだけではないにせよ、やっぱり私は何かに憧れていたくて、成長を楽しみたかったのだろうと思います。
そして、大学生活を通してサッカー以外の世界も見えたからこそ、
サッカーを選択しているのがほかでもない自分自身であること、
自分で選んできた道の先に今の私がいることを認識できました。
続けることがすべてではなく、
「自分で決めること」、そして「その道を正解にしていく過程」に意味を見出すことができました。
うまく言葉にできているかわかりませんが、そのおかげで、
過去の様々な経験や選択のすべてが今の私に繋がっているのだと肯定的に捉えることができ、自分のことを認めてあげるのが少しだけ上手になったように感じます。
もちろん悩むことも多くありましたが、傍にいてくれた仲間の存在は私にとって、とても大きなものでした。一緒に悩んでくれてありがとう。
そして、引退という節目である今、選んできた道が正解だったと胸を張って言えます。
こんなにも素敵な人たちと出会い、かけがえのない経験ができたからです。
やめない選択を後押ししてくれた人にも、やめてもいいんだと逃げ道を用意してくれた人にも、お礼を伝えたいです。
ありがとうございました。
また、女サカではピッチ内外を問わず多くの経験をさせていただきました。
特に、最高学年になってからの1年間は非常に濃く、充実した時間だったと思います。
シーズン中、壁にぶつかる度に、勝つためにはどうすれば良いのか、
より良いチームを作るために何ができるかを4年生やチーム全体で話し合ってきました。
その中で、一人ひとりがもつ熱い想いや考えに改めて気づかされ、このチームがさらに好きになりました。
チームで掲げた目標に向けて、
互いを尊重しながらも一人ひとりができる形での最大限を尽くす。
簡単なことではありませんが、
これができる素晴らしい仲間たちと出会えたこと、そして目標に向かって過ごしてきた日々を誇りに思います。
それから、自分より周囲を優先しがちな私に、自分のことも大切にしてほしいと念押ししたうえで、私を信じて主務を任せてくれた同期には大変感謝しています。
先輩方が私たちにしてくれたように私も後輩やチームの力になりたいと思い過ごした今シーズン。実際には、逆に後輩たちや周囲の人に支えられた場面がたくさんありました。
私自身、何をどれだけ残せたかはわかりませんが、
このチームの主務として過ごせた日々も私にとって大切な宝物です。
入学当初に思い描いていた、
家族やコーチに成長した姿をプレーで見せて恩返しするという目標、
めちゃめちゃ上手くなってサッカーを心から楽しめるようになりたいという理想を叶えることはできませんでしたが、こんなにも実りある経験ができるなんて思ってもいませんでした。
私が怪我をしたとき、私より先に涙を流すような心優しい後輩がいて、傍にいてくれる同期がいて、そんな温かい環境に恵まれていたことを幸せに思います。
貴重な経験をありがとうございました。
最後になりますが、
サッカーを通して出会ったたくさんの仲間、指導者の方々、かけがえのない日々と数えきれないほどの学びをありがとうございました。
これまで私に関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
同期へ
様々な葛藤を抱きながらも前を向き、思いやりに溢れているみんなを心から尊敬しています。4年間ありがとう。これからもよろしく!
そして何よりも、
いつも遠くから支えてくれて、実家に戻る度に温かく迎えてくれた大好きな家族。
「いつでも帰る場所がある」という安心感があったからこそ、自分のやりたいこと、今しかできないことを全力で頑張りたいと思えました。
好きなことを好きなだけやらせてくれて、ありがとう。
サッカー中心だった私の人生第一章は終わりますが、
今までの経験のすべてを糧に、今後も一人の人間として成長し続けます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
引き続き、筑波大学女子サッカー部の応援の程よろしくお願いいたします。
#19 樋口那帆



〈執筆者プロフィール〉
樋口 那帆(ひぐち なほ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ララ
前所属チーム:鳳凰高等学校
先日、筑波大学女子サッカー部を引退しました樋口那帆(#19 ララ)です。
シーズン中は目の前のことに精一杯で落ち着いて振り返る余裕がなかったので、
この機会にサッカー人生を振り返り、これまでの感謝の気持ちを伝えられればと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
筑波大学女子サッカー部引退。
そして、16年にわたるサッカー中心の人生も一区切りとなりました。
家族の影響で小学1年生の頃に始めたサッカーですが、
振り返ってみれば、中学校に上がるとき、高校・大学を選ぶとき、
進路を決める基準には当たり前のようにサッカーがありました。
常に上を目指してプレーしていたものの、
小学生の頃から捻挫を繰り返し、骨折や肉離れ、靭帯断裂など
多くの怪我に悩まされました。
大学生活の大半をリハビリに費やし、サッカーに関しては苦い思い出が少なくありません。
怪我の話なしには語れないサッカー人生。
決して上手くいくことばかりではなかったけれど、
サッカーを通して得た学び、出会い、感情、様々な経験のすべてが私の一生の宝物です。
大事な大学生活の4年間を同期たちと一緒に駆け抜けることができた今、とても幸せです。
復帰して練習に入ることができていた数か月間は、サッカーをできていることが当たり前ではないことを強く実感しました。上手くいかないことすらも楽しいと思える、充実した時間でした。
復帰できる未来が想像できなかった地点から考えると、少しの時間でもプレーできたことは神様からの贈り物だったようにも感じます。
このように怪我とリハビリを繰り返した原因を考えてみたところ、
身体を動かすのが大好きで、負けず嫌いで成長志向が強いからこそ、知らず知らずのうちに無茶をしてしまうこと、その上自分の体や心に鈍感だったことが大きな要因だと思います。
股関節を痛めるまでボールを蹴ったり、肉離れするまで走ったり、ケアが不十分であったり。頑張り方と休み方が下手でした。
また、大学生になり普通にサッカーをすることがこんなにも難しいことだったのかと、嫌になるほど痛感しました。
怪我をしない身体作りに励もうと意気込んで入部した一方で、常に自分にベクトルを向け続けられなかったことが自分の弱さだと思います。
これらの反省や後悔はしっかり受け止めて、今後の人生に生かしていきます。
それでも、このような状況の中、自分なりにたくさん考え向き合い、多くの人に支えられた結果、ここまで辿り着くことができました。
特に今シーズン。
嬉しさ、悔しさ、様々な感情を共有しながら復帰までの道をともに歩んでくださったひかりさん、様々な視点からアプローチしてくださった吉田さんをはじめ、たくさんの方のお陰で、もう一度ピッチに立つことができました。
復帰を信じて一緒に頑張ってくれた同期や後輩、
寄り添って話を聞いてくれた先輩方、
温かい言葉をかけてくださり復帰を待ってくださっていたスタッフさん、
病院の先生・PTの方々、SPECや治療院の方々、
そして遠くから常に支えてくれていた家族、友人、大切な人。
本当にありがとうございました。
みなさんがいたから頑張れました。
さて、
こんなにも私を悩ませるサッカーを、なぜここまで続けてきたのか。
今シーズン感じたことを踏まえ、改めて考えてみます。
一つ目。
教育実習明けの久々のトレーニング、
いつも違和感のある膝に痛みを感じることなく、ラダーをすることができました。
たったそれだけのことなのに、私は、まだ動けるんだ、チャンスが残されているんだと感動してしまいました。
その後もストレスなくドリブルできたことが楽しくて仕方ありませんでした。
このとき感じた何にも代え難い喜びを、自ら手放す選択をしなくて本当に良かったと、心の底から思いました。
二つ目。
教員採用試験の対策でマット運動やバスケの練習をしていた中で、
できないことが少しずつできるようになる喜びを久々に味わい、自分の成長意欲の強さに改めて気づきました。
この成長を楽しむ気持ちこそが、サッカーから離れられない理由のひとつだったかもしれません。
これだけではないにせよ、やっぱり私は何かに憧れていたくて、成長を楽しみたかったのだろうと思います。
そして、大学生活を通してサッカー以外の世界も見えたからこそ、
サッカーを選択しているのがほかでもない自分自身であること、
自分で選んできた道の先に今の私がいることを認識できました。
続けることがすべてではなく、
「自分で決めること」、そして「その道を正解にしていく過程」に意味を見出すことができました。
うまく言葉にできているかわかりませんが、そのおかげで、
過去の様々な経験や選択のすべてが今の私に繋がっているのだと肯定的に捉えることができ、自分のことを認めてあげるのが少しだけ上手になったように感じます。
もちろん悩むことも多くありましたが、傍にいてくれた仲間の存在は私にとって、とても大きなものでした。一緒に悩んでくれてありがとう。
そして、引退という節目である今、選んできた道が正解だったと胸を張って言えます。
こんなにも素敵な人たちと出会い、かけがえのない経験ができたからです。
やめない選択を後押ししてくれた人にも、やめてもいいんだと逃げ道を用意してくれた人にも、お礼を伝えたいです。
ありがとうございました。
また、女サカではピッチ内外を問わず多くの経験をさせていただきました。
特に、最高学年になってからの1年間は非常に濃く、充実した時間だったと思います。
シーズン中、壁にぶつかる度に、勝つためにはどうすれば良いのか、
より良いチームを作るために何ができるかを4年生やチーム全体で話し合ってきました。
その中で、一人ひとりがもつ熱い想いや考えに改めて気づかされ、このチームがさらに好きになりました。
チームで掲げた目標に向けて、
互いを尊重しながらも一人ひとりができる形での最大限を尽くす。
簡単なことではありませんが、
これができる素晴らしい仲間たちと出会えたこと、そして目標に向かって過ごしてきた日々を誇りに思います。
それから、自分より周囲を優先しがちな私に、自分のことも大切にしてほしいと念押ししたうえで、私を信じて主務を任せてくれた同期には大変感謝しています。
先輩方が私たちにしてくれたように私も後輩やチームの力になりたいと思い過ごした今シーズン。実際には、逆に後輩たちや周囲の人に支えられた場面がたくさんありました。
私自身、何をどれだけ残せたかはわかりませんが、
このチームの主務として過ごせた日々も私にとって大切な宝物です。
入学当初に思い描いていた、
家族やコーチに成長した姿をプレーで見せて恩返しするという目標、
めちゃめちゃ上手くなってサッカーを心から楽しめるようになりたいという理想を叶えることはできませんでしたが、こんなにも実りある経験ができるなんて思ってもいませんでした。
私が怪我をしたとき、私より先に涙を流すような心優しい後輩がいて、傍にいてくれる同期がいて、そんな温かい環境に恵まれていたことを幸せに思います。
貴重な経験をありがとうございました。
最後になりますが、
サッカーを通して出会ったたくさんの仲間、指導者の方々、かけがえのない日々と数えきれないほどの学びをありがとうございました。
これまで私に関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
同期へ
様々な葛藤を抱きながらも前を向き、思いやりに溢れているみんなを心から尊敬しています。4年間ありがとう。これからもよろしく!
そして何よりも、
いつも遠くから支えてくれて、実家に戻る度に温かく迎えてくれた大好きな家族。
「いつでも帰る場所がある」という安心感があったからこそ、自分のやりたいこと、今しかできないことを全力で頑張りたいと思えました。
好きなことを好きなだけやらせてくれて、ありがとう。
サッカー中心だった私の人生第一章は終わりますが、
今までの経験のすべてを糧に、今後も一人の人間として成長し続けます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
引き続き、筑波大学女子サッカー部の応援の程よろしくお願いいたします。
#19 樋口那帆



〈執筆者プロフィール〉
樋口 那帆(ひぐち なほ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ララ
前所属チーム:鳳凰高等学校
2025年01月17日
最後に残すことば #9 安部美楽乃
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部の安部美楽乃(#9 カカ)です。
ブログ執筆2回目、拙い文章ですが私なりに頑張って書かせていただきます。
よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引退ブログ。
基本的に自分のことを書くのが一般的ですが、私は自分のことより、
今までの大学生活の4年間で感謝してもしきれない人たちに向けて、
このブログを通して、ことばを残したいと思います。
まずは、応援してくださった方々へ
ファンの方々、スポンサー企業の方々、教職員の方々、OG・OBの方々、保護者の方々、
今シーズンも筑波大学女子サッカー部を応援してくださりありがとうございました。
決して、強く結果を残し続けられたと言えるシーズンではなく、最後もあっけなく終わってしまい、自分自身もなんともやりきれず不甲斐ない気持ちでいっぱいです。
「インカレ初戦は観に行けないけど次観に行くから!」
と言ってくださっていた方々に本当に申し訳なく、心苦しいばかりです。
しかし、振り返れば女サカを応援し続けてくださった多くの方々の力がなければ、ここまですら行くことができていなかったと思います。関カレ最終節、多くの方々の声援の中で勝利し、インカレ出場の喜びを分かち合ったあの光景は本当に本当にかけがえのないものです。今シーズンを通して少しでも、熱く、粘り強く戦い、懸命に走る姿から何かを与えることができていたら幸いです。
最後に、どんな試合も駆けつけてくださるファンの方々、いつも温かい挨拶と共にご支援くださる地域の方々、熱い応援をくれた蹴球部のみんな、応援してくださった方々へ、
今シーズンを超えるさらに強くたくましい女サカを今後、後輩たちが創っていくと思います。だから、これからも引き続き女サカの応援をよろしくお願いいたします。

次に、筑波大学女子サッカー部のみんなへ
まず、スタッフさんへ
4年間、多くの指導者の方々からご指導をいただきました。
寝る間も惜しまずに熱く女サカのことを常に考えてくださったこと、
(本業の仕事よりも)女サカに心血注いで共に戦ってくださったこと、
朝から晩までみんなの練習に付き合いボールを蹴ってくださったこと、
身体のケアだけでなくみんなの心のケアまでしてくださったこと、
腐っている自分を見捨てず声をかけてくださったこと、
本当に感謝しています。
4年間、選手と同じ、それ以上に女サカのために時間を使い、選手とともに試行錯誤して携わってくださるスタッフさんに感謝の言葉しかありません。
本当にありがとうございました。
最後にもう少し、あともう少し長く、女サカで一緒にやりたかった。
心残りはそれぐらいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あと、今でも残っている学びが1つあります。(沢山ある中での特に印象的な)
「休むこともトレーニング」
この言葉は今でも覚えています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、成長した姿でお会いできるように精進してまいります。
本当にお世話になりました。
女サカのみんなへ
本当に本当にみんなとサッカーできて楽しかったです。
早朝、真っ暗の中で足が痛すぎて感覚がなくなる中でもボールを蹴ったこと、夜練後に5本に1本ぐらいしか上手くいかないシュートを練習しまくること、朝早いウエイトでも音楽かけて仲間を熱い声で鼓舞すること、
そんな日常が送れていたことがどれだけ貴重なことか。
本当にみんなに感謝しています。
卒業していった先輩方も含め、私は多くの方々に沢山の迷惑をかけた分、沢山の学びを得て4年生になりました。そして、いざ4年生になり組織に向き合い、考え、創っていく上で「女サカって大変だ。」と痛感しました。個性豊かで、賢く面白いメンバーがいて、ピッチだけでなく、ピッチ外でもスポンサー活動やグッズ販売、広報等々、様々なことを自主的に行うことができる環境がある。別にPRしたいわけではないですが、本当に色々な意味で成長できる場所です。
加えて、女サカに入ってくる人は何故かみんな真面目、真面目集団です。みんな何かに悩み、それでも一生懸命にやることを全うしようとする、そんな人たちが多く、苦しくなる時、上手くいかない時も多々。(多々じゃない、それが日常でしたね、、、)
そんな日常で、私自身が実感したこと重要なこと、みんなに言い残したいことは、
プレーが合わなかったら話してください。
苦しそうな人がいたら声をかけてください。
時間がなく大変そうな人がいたらちょっとした差し入れでもしてみてください。
体調が悪く寝込んでいる人がいたらお見舞いに行ってあげてください。
(みんな近所なので、、、)
ということです。
そうやっていく中で、コミュニケーションが生まれて自分自身も仲間も成長していくと思います。私はこんな単純で当たり前のことの重要性に気づくのが遅かったし、足りなかったと今を思い返せば思います。
私自身、女サカで沢山の経験をして、今があります。
悔しかったことも多いですが、今は何かを悔やむのではなく、
それを乗り越えてさらに強くありたいと思います。
今シーズン、この仲間とこんなにも長く日々を過ごせたことに改めて感謝します。
みんな本当にありがとう。これからも応援しています。

同期へ
みんなと過ごした日々が私の大学生活そのものでした。
本当にありがとう。
サッカーして、遊んで、ご飯食べて、一緒にジョグして、ミーティングして、またサッカーして、
その中でみんなを知って、自分自身で気づかない自分も知って。
最高の同期に出会えたことに感謝しています。
みんなのこれからの人生を応援しています。
みんなに負けないように自分も成長し続けます。
(短い文章なのはご愛敬ということでお許しください。)

家族へ
4年間、何不自由なく、サッカーを続けることができました。
ケガをしたり、苦しくてしんどい時もあったり、色々ありましたが、元気にここまでこれました。
良い試合結果や何か喜ばしい報告をすることなんてなく、そもそも連絡すること自体少なくて、相当心配をかけることが多かったかと自負しています、ごめんなさい。
そんな心配とは裏腹に、たまに話す家族から何かと沢山のパワーをもらい、ここまでこれました。
まだまだ、サッカー人生終われない、せわしない私の人生ですが、
これからもよろしくお願いします。
最後に、
最後の最後まで自分のことを誰かに伝える、発信するのが苦手だった。
自分の中で自分と向き合うために、色々な言葉をノートに書いて、自分を鼓舞し続けてきた。止まるのが嫌で、成長し続けたいともがいた。
自分自身へ
昔を振り返るのが嫌いだった。
それでも、今回ブログを執筆するために過去のノートを見返すという
今までやってこなかったことをした。
今シーズン最後に掲げていた言葉は、
「今を生きる」
今、目の前のこと、相手に、物事に全力で、自分の最大限を出して取り組む。
この言葉を掲げた中で、
最大限を出した、と自分で思っているだけじゃないのか?
もっと最大限を出すために準備が出来たのではないか?
どんなときも自分をほめることができなくて、満足できなかった。
最後の最後まで。
それでも、
筑波大学女子サッカー部で過ごした4年間。
4年前の自分と比べ、心も身体も大きく変化した。
変化じゃなくて、成長したと思う。
色々な感情や記憶は今後薄れていくかもしれないけど、
この4年間があって間違いなく今がある、とこれからどんな時でも思うだろう。
この女サカで学んだ、感じたこと、その全てが今の自分自身だと、
少しでも自信をもって、胸を張って言えるように、これからもひたむきに生きていきたい。
本当に4年間ありがとうございました。
また、成長した姿でどこかでお会いできるように精進してまいります。

〈執筆者プロフィール〉
安部美楽乃(あべみらの)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:カカ
前所属チーム:十文字高等学校
筑波大学女子サッカー部の安部美楽乃(#9 カカ)です。
ブログ執筆2回目、拙い文章ですが私なりに頑張って書かせていただきます。
よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引退ブログ。
基本的に自分のことを書くのが一般的ですが、私は自分のことより、
今までの大学生活の4年間で感謝してもしきれない人たちに向けて、
このブログを通して、ことばを残したいと思います。
まずは、応援してくださった方々へ
ファンの方々、スポンサー企業の方々、教職員の方々、OG・OBの方々、保護者の方々、
今シーズンも筑波大学女子サッカー部を応援してくださりありがとうございました。
決して、強く結果を残し続けられたと言えるシーズンではなく、最後もあっけなく終わってしまい、自分自身もなんともやりきれず不甲斐ない気持ちでいっぱいです。
「インカレ初戦は観に行けないけど次観に行くから!」
と言ってくださっていた方々に本当に申し訳なく、心苦しいばかりです。
しかし、振り返れば女サカを応援し続けてくださった多くの方々の力がなければ、ここまですら行くことができていなかったと思います。関カレ最終節、多くの方々の声援の中で勝利し、インカレ出場の喜びを分かち合ったあの光景は本当に本当にかけがえのないものです。今シーズンを通して少しでも、熱く、粘り強く戦い、懸命に走る姿から何かを与えることができていたら幸いです。
最後に、どんな試合も駆けつけてくださるファンの方々、いつも温かい挨拶と共にご支援くださる地域の方々、熱い応援をくれた蹴球部のみんな、応援してくださった方々へ、
今シーズンを超えるさらに強くたくましい女サカを今後、後輩たちが創っていくと思います。だから、これからも引き続き女サカの応援をよろしくお願いいたします。

次に、筑波大学女子サッカー部のみんなへ
まず、スタッフさんへ
4年間、多くの指導者の方々からご指導をいただきました。
寝る間も惜しまずに熱く女サカのことを常に考えてくださったこと、
(本業の仕事よりも)女サカに心血注いで共に戦ってくださったこと、
朝から晩までみんなの練習に付き合いボールを蹴ってくださったこと、
身体のケアだけでなくみんなの心のケアまでしてくださったこと、
腐っている自分を見捨てず声をかけてくださったこと、
本当に感謝しています。
4年間、選手と同じ、それ以上に女サカのために時間を使い、選手とともに試行錯誤して携わってくださるスタッフさんに感謝の言葉しかありません。
本当にありがとうございました。
最後にもう少し、あともう少し長く、女サカで一緒にやりたかった。
心残りはそれぐらいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あと、今でも残っている学びが1つあります。(沢山ある中での特に印象的な)
「休むこともトレーニング」
この言葉は今でも覚えています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、成長した姿でお会いできるように精進してまいります。
本当にお世話になりました。
女サカのみんなへ
本当に本当にみんなとサッカーできて楽しかったです。
早朝、真っ暗の中で足が痛すぎて感覚がなくなる中でもボールを蹴ったこと、夜練後に5本に1本ぐらいしか上手くいかないシュートを練習しまくること、朝早いウエイトでも音楽かけて仲間を熱い声で鼓舞すること、
そんな日常が送れていたことがどれだけ貴重なことか。
本当にみんなに感謝しています。
卒業していった先輩方も含め、私は多くの方々に沢山の迷惑をかけた分、沢山の学びを得て4年生になりました。そして、いざ4年生になり組織に向き合い、考え、創っていく上で「女サカって大変だ。」と痛感しました。個性豊かで、賢く面白いメンバーがいて、ピッチだけでなく、ピッチ外でもスポンサー活動やグッズ販売、広報等々、様々なことを自主的に行うことができる環境がある。別にPRしたいわけではないですが、本当に色々な意味で成長できる場所です。
加えて、女サカに入ってくる人は何故かみんな真面目、真面目集団です。みんな何かに悩み、それでも一生懸命にやることを全うしようとする、そんな人たちが多く、苦しくなる時、上手くいかない時も多々。(多々じゃない、それが日常でしたね、、、)
そんな日常で、私自身が実感したこと重要なこと、みんなに言い残したいことは、
プレーが合わなかったら話してください。
苦しそうな人がいたら声をかけてください。
時間がなく大変そうな人がいたらちょっとした差し入れでもしてみてください。
体調が悪く寝込んでいる人がいたらお見舞いに行ってあげてください。
(みんな近所なので、、、)
ということです。
そうやっていく中で、コミュニケーションが生まれて自分自身も仲間も成長していくと思います。私はこんな単純で当たり前のことの重要性に気づくのが遅かったし、足りなかったと今を思い返せば思います。
私自身、女サカで沢山の経験をして、今があります。
悔しかったことも多いですが、今は何かを悔やむのではなく、
それを乗り越えてさらに強くありたいと思います。
今シーズン、この仲間とこんなにも長く日々を過ごせたことに改めて感謝します。
みんな本当にありがとう。これからも応援しています。

同期へ
みんなと過ごした日々が私の大学生活そのものでした。
本当にありがとう。
サッカーして、遊んで、ご飯食べて、一緒にジョグして、ミーティングして、またサッカーして、
その中でみんなを知って、自分自身で気づかない自分も知って。
最高の同期に出会えたことに感謝しています。
みんなのこれからの人生を応援しています。
みんなに負けないように自分も成長し続けます。
(短い文章なのはご愛敬ということでお許しください。)

家族へ
4年間、何不自由なく、サッカーを続けることができました。
ケガをしたり、苦しくてしんどい時もあったり、色々ありましたが、元気にここまでこれました。
良い試合結果や何か喜ばしい報告をすることなんてなく、そもそも連絡すること自体少なくて、相当心配をかけることが多かったかと自負しています、ごめんなさい。
そんな心配とは裏腹に、たまに話す家族から何かと沢山のパワーをもらい、ここまでこれました。
まだまだ、サッカー人生終われない、せわしない私の人生ですが、
これからもよろしくお願いします。
最後に、
最後の最後まで自分のことを誰かに伝える、発信するのが苦手だった。
自分の中で自分と向き合うために、色々な言葉をノートに書いて、自分を鼓舞し続けてきた。止まるのが嫌で、成長し続けたいともがいた。
自分自身へ
昔を振り返るのが嫌いだった。
それでも、今回ブログを執筆するために過去のノートを見返すという
今までやってこなかったことをした。
今シーズン最後に掲げていた言葉は、
「今を生きる」
今、目の前のこと、相手に、物事に全力で、自分の最大限を出して取り組む。
この言葉を掲げた中で、
最大限を出した、と自分で思っているだけじゃないのか?
もっと最大限を出すために準備が出来たのではないか?
どんなときも自分をほめることができなくて、満足できなかった。
最後の最後まで。
それでも、
筑波大学女子サッカー部で過ごした4年間。
4年前の自分と比べ、心も身体も大きく変化した。
変化じゃなくて、成長したと思う。
色々な感情や記憶は今後薄れていくかもしれないけど、
この4年間があって間違いなく今がある、とこれからどんな時でも思うだろう。
この女サカで学んだ、感じたこと、その全てが今の自分自身だと、
少しでも自信をもって、胸を張って言えるように、これからもひたむきに生きていきたい。
本当に4年間ありがとうございました。
また、成長した姿でどこかでお会いできるように精進してまいります。

〈執筆者プロフィール〉
安部美楽乃(あべみらの)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:カカ
前所属チーム:十文字高等学校
2025年01月16日
石の上にも三年 #36 荒井由芽
こんにちは。
4年の荒井由芽(#36 ちゃちゃ)です。
ブログ班として校閲などはたくさんやってきたのに、いざ自分が書くのは初めてで緊張しております。何かかっこいいテーマを設けて書こうかとも思いましたが思い付かず、引退ブログとは4年間を振り返って書くものだと開き直った結果、とりあえずそのテーマのもと4年間で特に激動だったサッカー面について主に書いてみようと思います。長くなりますので気楽にお付き合いいただけますと幸いです。
といいつつ本題の前に、私の経歴について少しお話ししておきましょう。
バックグラウンドが多様と言われる女サカにあって、私の経歴は特に異彩を放っているのではないかと思います(勝手に思っています)。
小2から地元の男子チームでサッカーを始め、中学進学の際に女子チームに入るもチームに合わず1年で退団。その後中学校の陸上部に入ると陸上の魅力にのめり込み、高校では7種競技を専門として記録と向き合う日々が続きました。
そして大学受験をなんとか乗り越えつくばにやってきて直面したのが、「陸上とサッカーどっちをやるか問題」。コロナ禍により集大成のインターハイは開催すらされることなく涙を飲んだことから、7種でどこまでいけるか試してみたい気持ちもありました。一方でサッカーからは逃げ出したという感覚があり、もう一度本気で取り組んでみたい気持ちもありました。
それで何故女サカに入ったかと問われれば、「なんか、流れ」としか言えません。新生活が落ち着くまでの時間で陸上競技部の入部締切はとうに過ぎ、まあ一旦女サカの雰囲気覗いてみるかと思ったのが入学式2週間後。しかし連絡する勇気はなく、1週間分の勇気を溜め込んでいざ連絡、4月下旬に体験へ。まあここでいっか、というなんとも私らしいテキトーな判断でGW明けにやっと入部しました。
こうして始まった、女サカが中心の生活。
振り返ると私の女サカ生活は、1-3年生と4年生で大きく異なるものとなりました。
1年生。関カレにはメンバー入りさえすることがほとんどなく、試合の日は早朝からメンバー外トレーニングで追い込むのが日常でした。
2年生。日常はそう簡単には変わりません。
3年生。関カレにメンバー入りはするものの出場機会は多くなく、ベンチでアップしながら試合を見守るのが当たり前でした。試合に出たいという思いはありつつも、自分が出てもチームに迷惑をかけるイメージしかできず、闘う心持ちはありません。ベンチにいるということは試合に出る可能性もあるはずなのに、線を1本挟んだ向こう側は別世界で、どこか他人事のように感じていました。
ここまでの3年間は、チーム内の争いになんとか喰らいつこうと必死で、そして負け続けていました。試合に出れない悔しさはありつつ、試合に出なければチームに迷惑をかけることもないとどこか安心してしまう自分の不甲斐なさを、ブランクがあるししょうがないか、という諦めの気持ちとブレンドしてなんとか消化していました。
そんな私の主戦場となっていたのは関東リーグでした。関東リーグは関カレに出れないメンバーで戦うリーグという位置付けであった上に相手のレベルは当然高く、ほとんどの試合が大量失点でのボロ負けでした。そしてこの3年間の関カレと関東リーグを通して、私がスタメンで出た試合で勝利したことはなんとたったの一度もありません。勝利に飢えていたはずが、いつしか勝利をイメージすることはできなくなっていました。
迎えた4年生。シーズンが始まる前に立てた個人目標は、「関カレで戦える選手になる」。終わってみれば関カレ全22試合中、コロナ罹患時以外の21試合に出場、うち20試合はスタメンという結果となり、「戦える選手」になれたかはわかりませんが、「戦った」という事実は作ることができました。
中1でサッカーが止まっている私には、戦術理解なんてものはありません。足元の技術もおぼつかない。それでも3年かけて自分の武器を磨き、苦手はギリギリ隠せるくらいのレベルまで持っていき、関東1部で戦う術を身につけた結果、年間を通してこの舞台で戦うことができました。
忘れられない試合が3つあります。
1つ目は、関カレ前期の帝京平成大学戦。前述の通り、私は勝ったことがありませんでした。2024シーズンに入り出場機会は増えたものの、チームは全く勝てませんでした。自分が出てるから勝てないんじゃないか、なんでこんな自分を出してくれるんだろう、と考えたことも一度や二度ではありません。そうして5月末に迎えた帝京平成大学戦。私の記憶では筑波が帝京平成大学に勝ったことは一度もなく、正直かなり厳しい試合になるだろうと思っており実際その通りでした。それでもロングスローの流れから1点をもぎ取り、相手の怒涛の攻撃を耐えに耐え、試合終了のホイッスルが鳴った時の感情は忘れられません。この瞬間のために私は必死に練習を積んできたのだ、そしてこれを味わうためならこれからも頑張れる、と心から思いました。それほどまでに、私にとって勝利の味は初対面でした。
2つ目は、皇后杯関東予選の浦和レッズユース戦。8月末に大きな試験があり練習をなかなか積めていない中で迎えた大事な試合。しかしマッチアップの相手に手も足も出ず、自分のところから崩されて失点。諦めの気持ちを抱えながらピッチに立ってしまう自分の弱さと、チームを代表して試合に出ることの意味を痛感する試合となりました。選ばれてピッチに立つ以上は自分の事情は全く関係なく、11人の中で自分の役割を果たす責任があるのだと身をもって実感した上、それを負けることでしか感じることのできない自分がチームを代表してピッチに立つことに対する申し訳なさに苛まれ、今後は絶対に何も言い訳にしないと決意しました。
3つ目はなんといっても、関カレ最終節の日本大学戦。勝てばインカレ出場が決定し、引き分け以下だと他の結果次第では2部との入れ替え戦に回るという大一番。あまり緊張しない私が珍しく1週間前からソワソワしていました。そんなとき、家族や女サカの先輩、学類の同期、他大学や高校時代の友達など、多くの人から応援の言葉をもらいました。その言葉を背に、空回りしかねない圧倒的な気合を胸に押し込んでなんとか冷静を装い、試合に臨みました。試合内容は決して良いものではありませんでしたが、それでも終盤にセットプレーから先制したときのベンチやスタンドを含めた会場の雰囲気と、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間の景色は一生忘れません。「応援が力になった」というよく聞くありきたりな言葉を初めて実感するとともに、日頃から無条件に応援してくれる人たちへ改めて感謝する機会となりました。
こうして掴んだ、私の競技人生最後の大会となるインカレの舞台。私が1年生の頃に立てた4年間の目標は、「インカレのピッチに立つ」でした。1年生のインカレではチームは西が丘まで進みましたが、私は一度もベンチ入りすることはありませんでした。2.3年生はチームとしてインカレに出場することさえできず。4年生となり遂に叶えた、私にとって最初で最後のインカレのピッチは、とてつもなく悔しいものとなりました。この敗戦は正直まだ引きずっています。それでも、この仲間とインカレに来れて、90分ピッチの上で戦えて、遠くからわざわざ応援しに来てくれた人がいて、久しぶりに見に来てくれたOGさんにゆめ上手くなったねって言ってもらえて、この舞台に立てて幸せでした。
今回のブログはサッカー面だけに絞りましたが、学連としての関カレおよびインカレの運営や、チームを作るための度重なるミーティング、そして学業との両立。オンザピッチだけではなくオフザピッチの面でもたくさんの経験をし、様々な人と出会い価値観を知り、成長することができました。
この4年間、つらい、きつい、と思ったことは数えきれないほどありました。それでも、辞めたいと思ったことは一度もありません。自分で選んだ道だからこそ、絶対にやりきると決めていたからです。やりきることが正義だとは言いません、考えに考えた結果その道からはずれる決断をした人も、また立派です。でも私は絶対に4年間やりきると入部するときに決意した、そのときの自分を裏切りたくはなかったのです。
そしてもうひとつ、4年間大切にしていたことがあります。それは、自分のひとつひとつの成長を噛み締めること。自分より上手い人しかいないこのチームにいると、どうしても劣等感に襲われます。丁寧に蹴ったつもりのパスがズレて怒られたり、自分のところを突破されて失点したことなど数知れず。そんなことは日常茶飯事で心が折れそうな時も、みんなより下手くそな分伸びしろもいっぱいあるんだと無理やり自分に言い聞かせ、重い足を引きずって毎日練習へ向かいました。ひとつのパスを通せた、トラップが浮かなかった、ロングボールが相手DFの頭を越えた、1対1で抜かれなかった、そういった些細な自分の成長を噛み締め、ひとつひとつゆっくり着実に積み重ねてきた結果が、4年目に結びついたのだと思います。
中1のあの時、サッカーを辞めていなければどんな人生だったんだろう、と考えることはあります。もっとサッカー上手くなれていたかなとか、もっと試合に出れていたかなとか思ったりします。でも、あの時つらいものとなっていたサッカーから逃げ出して陸上部に行ったことに対する後悔は、微塵もありません。陸上競技を通じて知った世界があり、生まれた感情があり、身につけた知識と技術がある。それもまごうことない自分の一部であり、自分の武器。そしてその武器があったからこそ、闘い抜くことができた。そう思っています。
最後に。
この4年間、本当に多くの人に支えてもらいました。このチームで苦楽を共にした先輩後輩、スタッフさん、そして同期。遠くまで試合を見に来てくれたり、アメリカからでもライブ配信を見て応援してくれる家族。学業面で切磋琢磨しつつ試合も見に来てくれる学類の同期。インカレ運営で出会った他大学の友達。何かと連絡をくれる高校の同級生。他にも多くの人に支えてもらい応援の言葉をもらい、なんとかやりきることができました。
出会った仲間をこれからも大切にしながら、もらった恩を少しずつ返せるように頑張っていきたいと思います。
4年間本当にありがとうございました。
そしてこのブログが、今試合に出れずに悩んでいる後輩たちや、女サカに入りたいけどついていけるかわからないと不安に思う高校生へ、少しでも勇気を与えられたら幸いです。
これからも筑波大学女子サッカー部への応援をよろしくお願いいたします。
荒井由芽(#36 ちゃちゃ)



<執筆者プロフィール>
荒井 由芽(あらい ゆめ)
学年:4年
学群・学類:医学群医学類
コートネーム:ちゃちゃ
前所属チーム:OSA レイア FC
4年の荒井由芽(#36 ちゃちゃ)です。
ブログ班として校閲などはたくさんやってきたのに、いざ自分が書くのは初めてで緊張しております。何かかっこいいテーマを設けて書こうかとも思いましたが思い付かず、引退ブログとは4年間を振り返って書くものだと開き直った結果、とりあえずそのテーマのもと4年間で特に激動だったサッカー面について主に書いてみようと思います。長くなりますので気楽にお付き合いいただけますと幸いです。
といいつつ本題の前に、私の経歴について少しお話ししておきましょう。
バックグラウンドが多様と言われる女サカにあって、私の経歴は特に異彩を放っているのではないかと思います(勝手に思っています)。
小2から地元の男子チームでサッカーを始め、中学進学の際に女子チームに入るもチームに合わず1年で退団。その後中学校の陸上部に入ると陸上の魅力にのめり込み、高校では7種競技を専門として記録と向き合う日々が続きました。
そして大学受験をなんとか乗り越えつくばにやってきて直面したのが、「陸上とサッカーどっちをやるか問題」。コロナ禍により集大成のインターハイは開催すらされることなく涙を飲んだことから、7種でどこまでいけるか試してみたい気持ちもありました。一方でサッカーからは逃げ出したという感覚があり、もう一度本気で取り組んでみたい気持ちもありました。
それで何故女サカに入ったかと問われれば、「なんか、流れ」としか言えません。新生活が落ち着くまでの時間で陸上競技部の入部締切はとうに過ぎ、まあ一旦女サカの雰囲気覗いてみるかと思ったのが入学式2週間後。しかし連絡する勇気はなく、1週間分の勇気を溜め込んでいざ連絡、4月下旬に体験へ。まあここでいっか、というなんとも私らしいテキトーな判断でGW明けにやっと入部しました。
こうして始まった、女サカが中心の生活。
振り返ると私の女サカ生活は、1-3年生と4年生で大きく異なるものとなりました。
1年生。関カレにはメンバー入りさえすることがほとんどなく、試合の日は早朝からメンバー外トレーニングで追い込むのが日常でした。
2年生。日常はそう簡単には変わりません。
3年生。関カレにメンバー入りはするものの出場機会は多くなく、ベンチでアップしながら試合を見守るのが当たり前でした。試合に出たいという思いはありつつも、自分が出てもチームに迷惑をかけるイメージしかできず、闘う心持ちはありません。ベンチにいるということは試合に出る可能性もあるはずなのに、線を1本挟んだ向こう側は別世界で、どこか他人事のように感じていました。
ここまでの3年間は、チーム内の争いになんとか喰らいつこうと必死で、そして負け続けていました。試合に出れない悔しさはありつつ、試合に出なければチームに迷惑をかけることもないとどこか安心してしまう自分の不甲斐なさを、ブランクがあるししょうがないか、という諦めの気持ちとブレンドしてなんとか消化していました。
そんな私の主戦場となっていたのは関東リーグでした。関東リーグは関カレに出れないメンバーで戦うリーグという位置付けであった上に相手のレベルは当然高く、ほとんどの試合が大量失点でのボロ負けでした。そしてこの3年間の関カレと関東リーグを通して、私がスタメンで出た試合で勝利したことはなんとたったの一度もありません。勝利に飢えていたはずが、いつしか勝利をイメージすることはできなくなっていました。
迎えた4年生。シーズンが始まる前に立てた個人目標は、「関カレで戦える選手になる」。終わってみれば関カレ全22試合中、コロナ罹患時以外の21試合に出場、うち20試合はスタメンという結果となり、「戦える選手」になれたかはわかりませんが、「戦った」という事実は作ることができました。
中1でサッカーが止まっている私には、戦術理解なんてものはありません。足元の技術もおぼつかない。それでも3年かけて自分の武器を磨き、苦手はギリギリ隠せるくらいのレベルまで持っていき、関東1部で戦う術を身につけた結果、年間を通してこの舞台で戦うことができました。
忘れられない試合が3つあります。
1つ目は、関カレ前期の帝京平成大学戦。前述の通り、私は勝ったことがありませんでした。2024シーズンに入り出場機会は増えたものの、チームは全く勝てませんでした。自分が出てるから勝てないんじゃないか、なんでこんな自分を出してくれるんだろう、と考えたことも一度や二度ではありません。そうして5月末に迎えた帝京平成大学戦。私の記憶では筑波が帝京平成大学に勝ったことは一度もなく、正直かなり厳しい試合になるだろうと思っており実際その通りでした。それでもロングスローの流れから1点をもぎ取り、相手の怒涛の攻撃を耐えに耐え、試合終了のホイッスルが鳴った時の感情は忘れられません。この瞬間のために私は必死に練習を積んできたのだ、そしてこれを味わうためならこれからも頑張れる、と心から思いました。それほどまでに、私にとって勝利の味は初対面でした。
2つ目は、皇后杯関東予選の浦和レッズユース戦。8月末に大きな試験があり練習をなかなか積めていない中で迎えた大事な試合。しかしマッチアップの相手に手も足も出ず、自分のところから崩されて失点。諦めの気持ちを抱えながらピッチに立ってしまう自分の弱さと、チームを代表して試合に出ることの意味を痛感する試合となりました。選ばれてピッチに立つ以上は自分の事情は全く関係なく、11人の中で自分の役割を果たす責任があるのだと身をもって実感した上、それを負けることでしか感じることのできない自分がチームを代表してピッチに立つことに対する申し訳なさに苛まれ、今後は絶対に何も言い訳にしないと決意しました。
3つ目はなんといっても、関カレ最終節の日本大学戦。勝てばインカレ出場が決定し、引き分け以下だと他の結果次第では2部との入れ替え戦に回るという大一番。あまり緊張しない私が珍しく1週間前からソワソワしていました。そんなとき、家族や女サカの先輩、学類の同期、他大学や高校時代の友達など、多くの人から応援の言葉をもらいました。その言葉を背に、空回りしかねない圧倒的な気合を胸に押し込んでなんとか冷静を装い、試合に臨みました。試合内容は決して良いものではありませんでしたが、それでも終盤にセットプレーから先制したときのベンチやスタンドを含めた会場の雰囲気と、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間の景色は一生忘れません。「応援が力になった」というよく聞くありきたりな言葉を初めて実感するとともに、日頃から無条件に応援してくれる人たちへ改めて感謝する機会となりました。
こうして掴んだ、私の競技人生最後の大会となるインカレの舞台。私が1年生の頃に立てた4年間の目標は、「インカレのピッチに立つ」でした。1年生のインカレではチームは西が丘まで進みましたが、私は一度もベンチ入りすることはありませんでした。2.3年生はチームとしてインカレに出場することさえできず。4年生となり遂に叶えた、私にとって最初で最後のインカレのピッチは、とてつもなく悔しいものとなりました。この敗戦は正直まだ引きずっています。それでも、この仲間とインカレに来れて、90分ピッチの上で戦えて、遠くからわざわざ応援しに来てくれた人がいて、久しぶりに見に来てくれたOGさんにゆめ上手くなったねって言ってもらえて、この舞台に立てて幸せでした。
今回のブログはサッカー面だけに絞りましたが、学連としての関カレおよびインカレの運営や、チームを作るための度重なるミーティング、そして学業との両立。オンザピッチだけではなくオフザピッチの面でもたくさんの経験をし、様々な人と出会い価値観を知り、成長することができました。
この4年間、つらい、きつい、と思ったことは数えきれないほどありました。それでも、辞めたいと思ったことは一度もありません。自分で選んだ道だからこそ、絶対にやりきると決めていたからです。やりきることが正義だとは言いません、考えに考えた結果その道からはずれる決断をした人も、また立派です。でも私は絶対に4年間やりきると入部するときに決意した、そのときの自分を裏切りたくはなかったのです。
そしてもうひとつ、4年間大切にしていたことがあります。それは、自分のひとつひとつの成長を噛み締めること。自分より上手い人しかいないこのチームにいると、どうしても劣等感に襲われます。丁寧に蹴ったつもりのパスがズレて怒られたり、自分のところを突破されて失点したことなど数知れず。そんなことは日常茶飯事で心が折れそうな時も、みんなより下手くそな分伸びしろもいっぱいあるんだと無理やり自分に言い聞かせ、重い足を引きずって毎日練習へ向かいました。ひとつのパスを通せた、トラップが浮かなかった、ロングボールが相手DFの頭を越えた、1対1で抜かれなかった、そういった些細な自分の成長を噛み締め、ひとつひとつゆっくり着実に積み重ねてきた結果が、4年目に結びついたのだと思います。
中1のあの時、サッカーを辞めていなければどんな人生だったんだろう、と考えることはあります。もっとサッカー上手くなれていたかなとか、もっと試合に出れていたかなとか思ったりします。でも、あの時つらいものとなっていたサッカーから逃げ出して陸上部に行ったことに対する後悔は、微塵もありません。陸上競技を通じて知った世界があり、生まれた感情があり、身につけた知識と技術がある。それもまごうことない自分の一部であり、自分の武器。そしてその武器があったからこそ、闘い抜くことができた。そう思っています。
最後に。
この4年間、本当に多くの人に支えてもらいました。このチームで苦楽を共にした先輩後輩、スタッフさん、そして同期。遠くまで試合を見に来てくれたり、アメリカからでもライブ配信を見て応援してくれる家族。学業面で切磋琢磨しつつ試合も見に来てくれる学類の同期。インカレ運営で出会った他大学の友達。何かと連絡をくれる高校の同級生。他にも多くの人に支えてもらい応援の言葉をもらい、なんとかやりきることができました。
出会った仲間をこれからも大切にしながら、もらった恩を少しずつ返せるように頑張っていきたいと思います。
4年間本当にありがとうございました。
そしてこのブログが、今試合に出れずに悩んでいる後輩たちや、女サカに入りたいけどついていけるかわからないと不安に思う高校生へ、少しでも勇気を与えられたら幸いです。
これからも筑波大学女子サッカー部への応援をよろしくお願いいたします。
荒井由芽(#36 ちゃちゃ)



<執筆者プロフィール>
荒井 由芽(あらい ゆめ)
学年:4年
学群・学類:医学群医学類
コートネーム:ちゃちゃ
前所属チーム:OSA レイア FC
2025年01月15日
私の大学4年間と感謝 #35 大牧芽依
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年の大牧芽依(#35 のの)です。
今回、同期がきっとかっこいいことを書いてくれるはずなので、私自身はあまりかっこよくないかもしれない4年間について、等身大の言葉で振り返ります。
正直、自分の考えをそのまま書き出すことには少し抵抗がありましたが、引退ブログとして素直な気持ちを語らずに終えるわけにはいかないと思い、この場をお借りします。
少し長いですが、それではお付き合いください。
------------------------------------------------------------------------------------------------
はじめにサッカー、そして筑波大学との出会いについて、お話します。
私は中学1年生からサッカーを始めました。
中高一貫の女子校で、「テニスをしてる人って人生充実してそう!」という安直な理由でテニス部に入部届を出しました。しかしその後、友人に半強制的に連れていかれたサッカー部。先輩方がキラキラしていて、監督が面白そうで、そしてなによりチームが温かそうで、その場で入部することを決意しました。
ひょんなことから始めたサッカーですが、ボールを追うことの面白さにがっつりのめり込み、中高6年間はサッカー中心の生活を送りました。(私のことをご存知の方は容易に想像できるかもしれませんが、真っ黒で、サーターアンダギーというあだ名で呼ばれていたこともあります。)
ただ、私の通っていた中高は部活<<<勉強だったため、部活環境が整っているとは言えず、基本的には楽しくサッカーできたらいいよね!という組織でした。(勉強に力をいれている学校だったために、高1でusuallyを「ウサウサリー」、高2でコロナ禍を「ころなうず」と読んでしまう学力だったにも関わらず、なんとか筑波大に合格させていただきました。その点、大変感謝しております!!)
話が少し逸れましたが、そのため、人生で1度は本気で"勝利"を目指す組織に所属してみたいと思うようになりました。
そのような中で、国立大学で唯一関東1部に所属している女子サッカー部がある、経営工学を学ぶことができる学部がある、総合大学であるため様々な考え方や価値観に出会えそう、という点で筑波大学を志望するようになりました。
忘れもしない、2021年4月6日
とにかく女サカに憧れていて、緊張しながらも胸を躍らせながら初めてグラウンドに行った日。ですが練習が終わる頃には号泣してしまいました。今でも鮮明に覚えています。笑(初日からすみませんでした。)
受験で運動をしていなかったいう理由もありますが、そんなことより、あまりにレベルが違いすぎて、こんなすごいところでサッカーするのは厳しいんじゃない...?と正直思いました。
プレースピード、体の強さ、パスの質、戦術...。全く異なるスポーツをしているという感覚でした。
しかしここですごいのが女サカです。
体験後、迷っている私に何度も連絡をくれ、「見学だけでも!外でボール蹴るだけでも!グラウンドにおいで~!」と声をかけていただきました。
そこで何度かグラウンドに行かせていただき、4月の3週目くらいに一緒にボールを蹴ったのが同期のゆめ(#36 荒井由芽)です。体育専門学群ではなく、医学部!しかも高校は陸上をやっていたそうで、ゆめもこれから入部するって言ってるし大丈夫かな、、?と思ったことにも背中を押され、女サカに入ることを決めました。(そんなゆめですが、4年生のシーズン、ほぼ全試合関カレスタメンです。ゆめっちかっこい~!!本当に他学の星です。)
ここから怒涛の女サカ生活が始まりました。
平日4日の練習、土日の試合、様々なミーティング。女サカは、全員が必要だと思うことにまっすぐに動く組織。オンもオフも、自分の時間や労力をかけることを惜しまない組織。本当に"人"が魅力的な組織です。
1年生の頃は毎日、練習についていくことに必死でした。今までとは目指すものも環境も全く異なり、面白いこともしんどいことも盛りだくさん、心身共にフルフル回転でした。気持ちに体が追い付かず、小さな怪我もたくさんしました。ですが、とにかくどうやったら上手くなれるのだろう、と常に考え、最大限吸収できるようにとにかく練習に励んでいました。
2021シーズンは、チームの目標であったインカレ優勝には届かなかったものの、インカレ3位という結果を残しました。全国で結果を出すチームは、チームとしてここまで一体感があるのか、ここまでこだわるのか、、、身をもって体感させていただき、本当に幸せでした。
そして待ちに待ったオフ。
授業もなく、入学後初めてまとまった時間がつくれました。
大学生になったらまずやりたいと思っていた1人旅に、必死に節約して貯めた10万円を握りしめ、リュックサックを背負って出発しました。
まず、実家のある埼玉県から山口県に夜行バスで12時間かけていき、なほ(#19 樋口那帆)のご実家にお邪魔させていただきました。(山口の魅力を最大限感じられる素敵な時間でした!その節は大変お世話になりました。)そこから広島の宮島や尾道、瀬戸内海の小さな島を自転車で1周して、京都や大阪にも行きました。
この旅はとても新鮮で、新しい価値観や経験に出会うことができ、限りある自由な大学生活でどのようなことやってみたいか、改めて考えるきっかけとなりました。
私の考えとして、サッカー頑張りたい。でもそれと同じように、旅に出てみたい、海外に行ってみたい、留学してみたい、ボランティアをしてみたい...。
様々なやってみたいことがあったのです。
そうして、
「2年生のシーズン、悔いなくやりきったと言えるように本気でサッカーしよう。
そして、2年生のシーズン終了と共に女サカを辞めよう。」
と考えるようになりました。
しかし、ここですごいのが女サカです。(2回目)
私の悩みや葛藤を真剣に、怖いほど自分事として考え、意見してくれるのです。(もう正直怖かったです。笑)
インカレ優勝を目指しているチームであるにも関わらず、サッカーだけを本気でやりたいわけではない、という理解に苦しむだろう想いに真剣に耳を傾けてくれました。
多くの方とお話させていただき、自分自身でも時間をかけて様々なことを考えに考えに考えました。時間を作りたい、でも女サカでできることはやりたい。そうして、ほぼ1年かけて悩んだ末、3年生から"スタッフ"として、女サカに関わらせていただくことになりました。
新しい立場で始まった3年生のシーズン、私にとって最も難しいシーズンでした。
選手→学群生のスタッフという立場移行は女サカで初めてだったため、前例がありませんでした。チームに何ができるのか、何からすればいいのか、とにかく手探りでした。
また、時間を他のことにも使ってみたい、だからスタッフをやりたい。これは本気で女サカを勝たせたい、という想いでスタッフをしてくださっていた方に失礼だったと思います。そして、到底理解できないことだと思います。仮に理解していただけたとしても納得できないのも頷けます。
さらに、自分の感情が迷子になることもありました。最初の数か月は、グラウンドでビデオ撮影をしながら目が潤んでしまうこともありました。(ちなみにチャームポイントは、奥二重なので目が腫れないところです。決して一重ではありません。)
あれ、なんでビデオ撮影してるんだっけ?なんで女サカに残ったんだっけ?サッカーしたいかも、、と。サッカー以外のやりたいことに挑戦できていて、自分で悩みに悩んだ末に決断したにも関わらず、色々考えてしまうことも少なくありませんでした。自分の感情を理解してあげることも、そしてコントロールすることも難しかったです。
ですが、グラウンドを見れば頑張っているみんながいて、なんとか気を持ち直すことができていました。いつもありがとう!と言っていただく機会がありますが、それはこっちのセリフだ!!と思っていました。また、「選んだ道を正解にする」という意地もあったと思います。
4年生、最後のシーズン。
話しても話してもなぜか話題が尽きない学年ミーティングから始まり(今では少し学年ミーティングが恋しいです。怖いです。)、シーズンが始まってからはさらに目まぐるしい日々。チーム状況が良くない時期もあり、難しいことも少なくありませんでしたが、間違いなく充実したシーズンでした。
昨年1年の経験から自分にできることが見えてきて、やるべきこと・やった方がいいことが少しずつ自分のものになっていく感覚も掴めました。そして2024シーズンからスタッフに同期のひより(#2 吉岡日和)が加わってくれて、お互いに手探りながらもなんとか協力しながら頑張ったと思います。大変支えられました、本当にありがとう!
また、特に力を入れていたスポンサー活動では、紆余曲折はあったものの、今までで一番大きな契約を結ぶことができました。この0→1の経験はとても面白く、本当に自分の中で大きなものになりました。
そして2024シーズン、なんといっても自慢の同期が一番輝いていました。4年生として何ができるか、常に考え、悩みもがきながらも、行動に移すみんなは本当に私の憧れで誇りです。みんながグラウンドで躍動する姿を見ると心底嬉しかったです。インカレが決まった瞬間の感動はいつまでも忘れないと思います。いろいろな景色を見せてくれて本当にありがとう。
------------------------------------------------------------------------------------------------
引退ブログを書いていて改めて気が付いたのですが、本当に様々な方に、色々な面からお世話になりました。たくさん迷惑もかけました。
特に同期には本当に感謝しています。それぞれがそれぞれの強みを持っていて、とても面白い学年だったのではないでしょうか。中でも、安部美楽乃(#9)を知るには時間がかかりました。(まだわかってない点もたくさんあると思いますが。軽自動車に軽油を間違えて入れちゃうおちゃめな一面があることだけ、ここでお伝えさせていただきます。)
そして、女サカのこともそれ以外も応援してくれる大事な人、単位を何度も救ってくれた学類の同期、とりあえずどんなことも笑いに変えてくれる友人。本当に感謝してもしきれないです。ありがとう!!(泣)
両親にも大変感謝しているのですが、普段は絶対直接言えないのでこの場をお借りします。
好奇心は父から、とりあえずやってみよう精神は母から受け継がれたものだと思います。いつもどんな時も、多少の笑える小言と共に背中を押し続けてくれて本当にありがとう。振り返ってみると、ヨーロッパに1か月、英語留学に3週間、海外インターン、先輩が立ち上げたお店のお手伝い、就活支援やボランティア。様々なことに挑戦する機会をいただけました。これを糧にまた頑張ります。
私は、大学のトップレベルの部活動に所属している人間として、かなり珍しいと思います。というより、このような考えや行動を受け入れてくれるトップレベルの組織が珍しいと思います。
女サカに入れて、女サカでサッカーできて、女サカで学生スタッフができて、本当に幸せでした。女サカで出会えた先輩・同期・後輩・スタッフさん、その他お世話になった方々、本当にありがとうございました。
最後になりますが、これからも筑波大学女子サッカー部の活躍を大変楽しみにしております。
OG通信係だったので、これからOG通信を楽しみに生きていきます。(隅から隅まで、染みついてしまった確認グセを発揮させながら読みますね。)
大牧芽依 (#35 のの)



<執筆者プロフィール>
大牧 芽依(おおまき めい)
学年:4年
学群・学類:理工学群社会工学類
コートネーム:のの
前所属チーム:淑徳与野高校
筑波大学女子サッカー部4年の大牧芽依(#35 のの)です。
今回、同期がきっとかっこいいことを書いてくれるはずなので、私自身はあまりかっこよくないかもしれない4年間について、等身大の言葉で振り返ります。
正直、自分の考えをそのまま書き出すことには少し抵抗がありましたが、引退ブログとして素直な気持ちを語らずに終えるわけにはいかないと思い、この場をお借りします。
少し長いですが、それではお付き合いください。
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はじめにサッカー、そして筑波大学との出会いについて、お話します。
私は中学1年生からサッカーを始めました。
中高一貫の女子校で、「テニスをしてる人って人生充実してそう!」という安直な理由でテニス部に入部届を出しました。しかしその後、友人に半強制的に連れていかれたサッカー部。先輩方がキラキラしていて、監督が面白そうで、そしてなによりチームが温かそうで、その場で入部することを決意しました。
ひょんなことから始めたサッカーですが、ボールを追うことの面白さにがっつりのめり込み、中高6年間はサッカー中心の生活を送りました。(私のことをご存知の方は容易に想像できるかもしれませんが、真っ黒で、サーターアンダギーというあだ名で呼ばれていたこともあります。)
ただ、私の通っていた中高は部活<<<勉強だったため、部活環境が整っているとは言えず、基本的には楽しくサッカーできたらいいよね!という組織でした。(勉強に力をいれている学校だったために、高1でusuallyを「ウサウサリー」、高2でコロナ禍を「ころなうず」と読んでしまう学力だったにも関わらず、なんとか筑波大に合格させていただきました。その点、大変感謝しております!!)
話が少し逸れましたが、そのため、人生で1度は本気で"勝利"を目指す組織に所属してみたいと思うようになりました。
そのような中で、国立大学で唯一関東1部に所属している女子サッカー部がある、経営工学を学ぶことができる学部がある、総合大学であるため様々な考え方や価値観に出会えそう、という点で筑波大学を志望するようになりました。
忘れもしない、2021年4月6日
とにかく女サカに憧れていて、緊張しながらも胸を躍らせながら初めてグラウンドに行った日。ですが練習が終わる頃には号泣してしまいました。今でも鮮明に覚えています。笑(初日からすみませんでした。)
受験で運動をしていなかったいう理由もありますが、そんなことより、あまりにレベルが違いすぎて、こんなすごいところでサッカーするのは厳しいんじゃない...?と正直思いました。
プレースピード、体の強さ、パスの質、戦術...。全く異なるスポーツをしているという感覚でした。
しかしここですごいのが女サカです。
体験後、迷っている私に何度も連絡をくれ、「見学だけでも!外でボール蹴るだけでも!グラウンドにおいで~!」と声をかけていただきました。
そこで何度かグラウンドに行かせていただき、4月の3週目くらいに一緒にボールを蹴ったのが同期のゆめ(#36 荒井由芽)です。体育専門学群ではなく、医学部!しかも高校は陸上をやっていたそうで、ゆめもこれから入部するって言ってるし大丈夫かな、、?と思ったことにも背中を押され、女サカに入ることを決めました。(そんなゆめですが、4年生のシーズン、ほぼ全試合関カレスタメンです。ゆめっちかっこい~!!本当に他学の星です。)
ここから怒涛の女サカ生活が始まりました。
平日4日の練習、土日の試合、様々なミーティング。女サカは、全員が必要だと思うことにまっすぐに動く組織。オンもオフも、自分の時間や労力をかけることを惜しまない組織。本当に"人"が魅力的な組織です。
1年生の頃は毎日、練習についていくことに必死でした。今までとは目指すものも環境も全く異なり、面白いこともしんどいことも盛りだくさん、心身共にフルフル回転でした。気持ちに体が追い付かず、小さな怪我もたくさんしました。ですが、とにかくどうやったら上手くなれるのだろう、と常に考え、最大限吸収できるようにとにかく練習に励んでいました。
2021シーズンは、チームの目標であったインカレ優勝には届かなかったものの、インカレ3位という結果を残しました。全国で結果を出すチームは、チームとしてここまで一体感があるのか、ここまでこだわるのか、、、身をもって体感させていただき、本当に幸せでした。
そして待ちに待ったオフ。
授業もなく、入学後初めてまとまった時間がつくれました。
大学生になったらまずやりたいと思っていた1人旅に、必死に節約して貯めた10万円を握りしめ、リュックサックを背負って出発しました。
まず、実家のある埼玉県から山口県に夜行バスで12時間かけていき、なほ(#19 樋口那帆)のご実家にお邪魔させていただきました。(山口の魅力を最大限感じられる素敵な時間でした!その節は大変お世話になりました。)そこから広島の宮島や尾道、瀬戸内海の小さな島を自転車で1周して、京都や大阪にも行きました。
この旅はとても新鮮で、新しい価値観や経験に出会うことができ、限りある自由な大学生活でどのようなことやってみたいか、改めて考えるきっかけとなりました。
私の考えとして、サッカー頑張りたい。でもそれと同じように、旅に出てみたい、海外に行ってみたい、留学してみたい、ボランティアをしてみたい...。
様々なやってみたいことがあったのです。
そうして、
「2年生のシーズン、悔いなくやりきったと言えるように本気でサッカーしよう。
そして、2年生のシーズン終了と共に女サカを辞めよう。」
と考えるようになりました。
しかし、ここですごいのが女サカです。(2回目)
私の悩みや葛藤を真剣に、怖いほど自分事として考え、意見してくれるのです。(もう正直怖かったです。笑)
インカレ優勝を目指しているチームであるにも関わらず、サッカーだけを本気でやりたいわけではない、という理解に苦しむだろう想いに真剣に耳を傾けてくれました。
多くの方とお話させていただき、自分自身でも時間をかけて様々なことを考えに考えに考えました。時間を作りたい、でも女サカでできることはやりたい。そうして、ほぼ1年かけて悩んだ末、3年生から"スタッフ"として、女サカに関わらせていただくことになりました。
新しい立場で始まった3年生のシーズン、私にとって最も難しいシーズンでした。
選手→学群生のスタッフという立場移行は女サカで初めてだったため、前例がありませんでした。チームに何ができるのか、何からすればいいのか、とにかく手探りでした。
また、時間を他のことにも使ってみたい、だからスタッフをやりたい。これは本気で女サカを勝たせたい、という想いでスタッフをしてくださっていた方に失礼だったと思います。そして、到底理解できないことだと思います。仮に理解していただけたとしても納得できないのも頷けます。
さらに、自分の感情が迷子になることもありました。最初の数か月は、グラウンドでビデオ撮影をしながら目が潤んでしまうこともありました。(ちなみにチャームポイントは、奥二重なので目が腫れないところです。決して一重ではありません。)
あれ、なんでビデオ撮影してるんだっけ?なんで女サカに残ったんだっけ?サッカーしたいかも、、と。サッカー以外のやりたいことに挑戦できていて、自分で悩みに悩んだ末に決断したにも関わらず、色々考えてしまうことも少なくありませんでした。自分の感情を理解してあげることも、そしてコントロールすることも難しかったです。
ですが、グラウンドを見れば頑張っているみんながいて、なんとか気を持ち直すことができていました。いつもありがとう!と言っていただく機会がありますが、それはこっちのセリフだ!!と思っていました。また、「選んだ道を正解にする」という意地もあったと思います。
4年生、最後のシーズン。
話しても話してもなぜか話題が尽きない学年ミーティングから始まり(今では少し学年ミーティングが恋しいです。怖いです。)、シーズンが始まってからはさらに目まぐるしい日々。チーム状況が良くない時期もあり、難しいことも少なくありませんでしたが、間違いなく充実したシーズンでした。
昨年1年の経験から自分にできることが見えてきて、やるべきこと・やった方がいいことが少しずつ自分のものになっていく感覚も掴めました。そして2024シーズンからスタッフに同期のひより(#2 吉岡日和)が加わってくれて、お互いに手探りながらもなんとか協力しながら頑張ったと思います。大変支えられました、本当にありがとう!
また、特に力を入れていたスポンサー活動では、紆余曲折はあったものの、今までで一番大きな契約を結ぶことができました。この0→1の経験はとても面白く、本当に自分の中で大きなものになりました。
そして2024シーズン、なんといっても自慢の同期が一番輝いていました。4年生として何ができるか、常に考え、悩みもがきながらも、行動に移すみんなは本当に私の憧れで誇りです。みんながグラウンドで躍動する姿を見ると心底嬉しかったです。インカレが決まった瞬間の感動はいつまでも忘れないと思います。いろいろな景色を見せてくれて本当にありがとう。
------------------------------------------------------------------------------------------------
引退ブログを書いていて改めて気が付いたのですが、本当に様々な方に、色々な面からお世話になりました。たくさん迷惑もかけました。
特に同期には本当に感謝しています。それぞれがそれぞれの強みを持っていて、とても面白い学年だったのではないでしょうか。中でも、安部美楽乃(#9)を知るには時間がかかりました。(まだわかってない点もたくさんあると思いますが。軽自動車に軽油を間違えて入れちゃうおちゃめな一面があることだけ、ここでお伝えさせていただきます。)
そして、女サカのこともそれ以外も応援してくれる大事な人、単位を何度も救ってくれた学類の同期、とりあえずどんなことも笑いに変えてくれる友人。本当に感謝してもしきれないです。ありがとう!!(泣)
両親にも大変感謝しているのですが、普段は絶対直接言えないのでこの場をお借りします。
好奇心は父から、とりあえずやってみよう精神は母から受け継がれたものだと思います。いつもどんな時も、多少の笑える小言と共に背中を押し続けてくれて本当にありがとう。振り返ってみると、ヨーロッパに1か月、英語留学に3週間、海外インターン、先輩が立ち上げたお店のお手伝い、就活支援やボランティア。様々なことに挑戦する機会をいただけました。これを糧にまた頑張ります。
私は、大学のトップレベルの部活動に所属している人間として、かなり珍しいと思います。というより、このような考えや行動を受け入れてくれるトップレベルの組織が珍しいと思います。
女サカに入れて、女サカでサッカーできて、女サカで学生スタッフができて、本当に幸せでした。女サカで出会えた先輩・同期・後輩・スタッフさん、その他お世話になった方々、本当にありがとうございました。
最後になりますが、これからも筑波大学女子サッカー部の活躍を大変楽しみにしております。
OG通信係だったので、これからOG通信を楽しみに生きていきます。(隅から隅まで、染みついてしまった確認グセを発揮させながら読みますね。)
大牧芽依 (#35 のの)



<執筆者プロフィール>
大牧 芽依(おおまき めい)
学年:4年
学群・学類:理工学群社会工学類
コートネーム:のの
前所属チーム:淑徳与野高校
2025年01月14日
結局最後は気持ち #30 山口かの子
こんにちは。
4年の山口かの子です。
素直に自分の心の中を書くのは恥ずかしくて、いつも悩んだ末に結局無難な文章に直してしまうのですが、自分のことを書く最後の引退ブログなので書いてみようと思います。ブログあるあるの、拙い文章ですが〜、のくだりを私もします。
本当に拙い文章なので最後まで読まなくても大丈夫です。
私が筑波大学女子サッカー部で4年間過ごして得た知見は、「結局最後は気持ち」です。
筑波大学に4年間通って、しかも「いっちゃん大事なんは技術やろ。」と思っていた1年生の私からは考えられない結論ですが、結局気持ちでした。(昔の私を知っている人は驚くと思います。)
私の中で最も重要だったのは「試合にスタメンで出る」ことでした。これは4年間変わらず、自分を動かす大きな大きな原動力でした。だから、とても感情の波が大きかったなと思います。とにかく試合に出たくて、怪我をしてもトレーナーさんに「監督には言わないでください」と無理を言って離脱しなかったり、木曜日の練習でのゲームで、メンバーが貼ってあるボードを見る度に一喜一憂したり…。自分で自分を苦しめていたなと今では思います。
4年生になって特に、自分のプレーをすること以上に試合に出ることを意識していました。たくさん走って、高い強度で守備をして、ボールを失わずにプレーする。小さい頃からドリブルが得意で、大好きで、ずっと自分でボールを持っていたかったのに、いつしか後ろ向きなプレーが増えていました。正直、ボールを持つのが怖くなって、失いたくなくて、試合に出られなくなるのが怖かったです。
初めに書いた、「結局最後は気持ち」というのは、正確に言うと、自分を信じ続ける力です。目先の利益に飛び付かず、自分が大事にしたいことを、すぐに結果が出なくてもやり続ける。私にはその力が足りなかったなと4年間を振り返って思います。自分の武器を信じて、ボールを奪われても、たとえ試合に出られなくてもやり続けることができれば、消極的なプレーで試合に出るよりももっともっと良い景色が見えていたはずです。もっともっと思いっきり大好きなドリブルができていたんだろうなと思います。そして、もっともっとチームに必要な選手になれていたんだろうなと思います。
少し暗い話(?)をしてしまいましたが、結局私はサッカーのことが本当に本当に、ほんっとうに大好きですので安心してください。うまくいった試合も練習も全然ないし、サッカーって99%は上手くいかないし、なかなか上手くなれないし、勝つのも本当に難しい。けど、たまにある上手いプレーのせいで、たまにある嬉しすぎる勝利のせいで、サッカーが本当に大好きです。自信を持ってプレーできなくなったし、いきいきとプレーできなくなったけど、結局好きです。
もうひとつ、筑波大学女子サッカー部に入って良かったことは、アツくて真面目でストイックで優しい人たちと出会えたことです。女サカのことが本当に大好き(実は女サカ愛がとても強いです)だし、こんなにも良い集団は後にも先にもないなと思います。
誰かがもがいている時、絶対に見放さないし、道を踏み外しそうになった時には正面から叱ってくれる。4年間散々考えてきた「女サカらしさ」は、所属している人が変わっていっても、いつの時代でも残り続ける、正面から向き合える真摯さにあるのかなと思います。全員が女サカの1人であるという意識を持ち、より良くしようと動くことができる。そしてお互いを認めて尊重し合えるような集団だからこそ、この組織のために頑張りたい、誰かの力になりたいと思えました。
「かののドリブル見せたって〜(関西弁)」と言ってくれる後輩、試合前に不安な顔をしている私の背中を叩いてくれる後輩、「かのさんがいっちゃんおもろい」とか言ってくれる後輩(笑)優しい優しいみんなのおかげで頑張ろうって思えました。本当に本当にありがとう。
あとは、7人の同期。
寒いダジャレを言うけど、自分の目標に真っ直ぐ進める人
強い意志を持って、自分の信じる道を突き進むことができる人
アツすぎて、私の家の前で待ち伏せして言葉をかけてくれる人
本当に心が綺麗で優しくて、常に頑張り続けられるあんぽんたん
肩がゴッツくて私のことが大好きで、女サカのことを1番に考えて動ける人
難しい立場ながらも自分ができることを見つけて全うしてくれる人
しんどい顔を見せずに、やるべきことをやり続けてしっかりと結果を出す人
心の底から尊敬できるみんなと過ごすことができた4年間は、ありきたりな言葉になるけど、宝物です。大好き、ありがとう。
いつかの集中応援での「〇〇を食べ物で例えるなら?」というお題で書く掲示物に、希咲(#27菅野希咲)が私のことを青りんごと書いてくれました。
「りんごの芯のように太くて固い芯を持っている。生でも煮ても焼いても消えない存在感がある。王道を外したがる感じがりんごじゃなくて青りんご。」
頑固かつ素直に、煮られても焼かれても、消えない芯をもった人でありたい。自分に素直に、弱さを認めて、目を背けずに。この4年間で得られたのは輝かしい功績でもなんでもないけれど、自分が大切にすべきことに気づくことができました。
4年間辞めなくて本当によかったです。ありがとうございました!
山口かの子(#30 もも)



<執筆者プロフィール>
山口 かの子(やまぐち かのこ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:もも
前所属チーム:ヴィスポさやま、泉陽高校サッカー部
4年の山口かの子です。
素直に自分の心の中を書くのは恥ずかしくて、いつも悩んだ末に結局無難な文章に直してしまうのですが、自分のことを書く最後の引退ブログなので書いてみようと思います。ブログあるあるの、拙い文章ですが〜、のくだりを私もします。
本当に拙い文章なので最後まで読まなくても大丈夫です。
私が筑波大学女子サッカー部で4年間過ごして得た知見は、「結局最後は気持ち」です。
筑波大学に4年間通って、しかも「いっちゃん大事なんは技術やろ。」と思っていた1年生の私からは考えられない結論ですが、結局気持ちでした。(昔の私を知っている人は驚くと思います。)
私の中で最も重要だったのは「試合にスタメンで出る」ことでした。これは4年間変わらず、自分を動かす大きな大きな原動力でした。だから、とても感情の波が大きかったなと思います。とにかく試合に出たくて、怪我をしてもトレーナーさんに「監督には言わないでください」と無理を言って離脱しなかったり、木曜日の練習でのゲームで、メンバーが貼ってあるボードを見る度に一喜一憂したり…。自分で自分を苦しめていたなと今では思います。
4年生になって特に、自分のプレーをすること以上に試合に出ることを意識していました。たくさん走って、高い強度で守備をして、ボールを失わずにプレーする。小さい頃からドリブルが得意で、大好きで、ずっと自分でボールを持っていたかったのに、いつしか後ろ向きなプレーが増えていました。正直、ボールを持つのが怖くなって、失いたくなくて、試合に出られなくなるのが怖かったです。
初めに書いた、「結局最後は気持ち」というのは、正確に言うと、自分を信じ続ける力です。目先の利益に飛び付かず、自分が大事にしたいことを、すぐに結果が出なくてもやり続ける。私にはその力が足りなかったなと4年間を振り返って思います。自分の武器を信じて、ボールを奪われても、たとえ試合に出られなくてもやり続けることができれば、消極的なプレーで試合に出るよりももっともっと良い景色が見えていたはずです。もっともっと思いっきり大好きなドリブルができていたんだろうなと思います。そして、もっともっとチームに必要な選手になれていたんだろうなと思います。
少し暗い話(?)をしてしまいましたが、結局私はサッカーのことが本当に本当に、ほんっとうに大好きですので安心してください。うまくいった試合も練習も全然ないし、サッカーって99%は上手くいかないし、なかなか上手くなれないし、勝つのも本当に難しい。けど、たまにある上手いプレーのせいで、たまにある嬉しすぎる勝利のせいで、サッカーが本当に大好きです。自信を持ってプレーできなくなったし、いきいきとプレーできなくなったけど、結局好きです。
もうひとつ、筑波大学女子サッカー部に入って良かったことは、アツくて真面目でストイックで優しい人たちと出会えたことです。女サカのことが本当に大好き(実は女サカ愛がとても強いです)だし、こんなにも良い集団は後にも先にもないなと思います。
誰かがもがいている時、絶対に見放さないし、道を踏み外しそうになった時には正面から叱ってくれる。4年間散々考えてきた「女サカらしさ」は、所属している人が変わっていっても、いつの時代でも残り続ける、正面から向き合える真摯さにあるのかなと思います。全員が女サカの1人であるという意識を持ち、より良くしようと動くことができる。そしてお互いを認めて尊重し合えるような集団だからこそ、この組織のために頑張りたい、誰かの力になりたいと思えました。
「かののドリブル見せたって〜(関西弁)」と言ってくれる後輩、試合前に不安な顔をしている私の背中を叩いてくれる後輩、「かのさんがいっちゃんおもろい」とか言ってくれる後輩(笑)優しい優しいみんなのおかげで頑張ろうって思えました。本当に本当にありがとう。
あとは、7人の同期。
寒いダジャレを言うけど、自分の目標に真っ直ぐ進める人
強い意志を持って、自分の信じる道を突き進むことができる人
アツすぎて、私の家の前で待ち伏せして言葉をかけてくれる人
本当に心が綺麗で優しくて、常に頑張り続けられるあんぽんたん
肩がゴッツくて私のことが大好きで、女サカのことを1番に考えて動ける人
難しい立場ながらも自分ができることを見つけて全うしてくれる人
しんどい顔を見せずに、やるべきことをやり続けてしっかりと結果を出す人
心の底から尊敬できるみんなと過ごすことができた4年間は、ありきたりな言葉になるけど、宝物です。大好き、ありがとう。
いつかの集中応援での「〇〇を食べ物で例えるなら?」というお題で書く掲示物に、希咲(#27菅野希咲)が私のことを青りんごと書いてくれました。
「りんごの芯のように太くて固い芯を持っている。生でも煮ても焼いても消えない存在感がある。王道を外したがる感じがりんごじゃなくて青りんご。」
頑固かつ素直に、煮られても焼かれても、消えない芯をもった人でありたい。自分に素直に、弱さを認めて、目を背けずに。この4年間で得られたのは輝かしい功績でもなんでもないけれど、自分が大切にすべきことに気づくことができました。
4年間辞めなくて本当によかったです。ありがとうございました!
山口かの子(#30 もも)



<執筆者プロフィール>
山口 かの子(やまぐち かのこ)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:もも
前所属チーム:ヴィスポさやま、泉陽高校サッカー部
2025年01月13日
サッカーは、105m×68mのピッチで行われる11人対11人のスポーツか #2 吉岡日和
こんにちは。
4年の吉岡日和(#2 ペペ)と申します。
最近、YouTubeで密着動画が出た「パフォーマンスコーチ」の人です。
何を書こうか、悩みに悩んで。結局、自分だから伝えられることを自分の言葉で伝えようということに落ち着いたので、文章や言い回しがおかしいところも多々あるとは思いますが、そこは愛嬌ということで。最後までお付き合いいただけると幸いです。
------------------------------------------------------------------------------------------------
1年かけて入学した筑波大学。
もともと怪我が多かったので、自分がなぜ怪我しやすいのか。逆にどうしたら怪我しないのか、自分の身体で学びたいと思い、志しました。
女子サッカー部の練習に参加し、いきなり衝撃を受けました。
女子サッカー部では、練習の冒頭にYTRという吉田拓矢TRコーチが担当する動きづくりのトレーニングがあります。それが衝撃でしたね。一番初めに「骨盤歩き」というトレーニングをやったはずなんですけど、まあできない。でもそれもまた楽しい。「この動きができるようになれば怪我しないかも。もっと理想の動きができるかも!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。怪我をしないために学ぶつもりが、怪我に苦しめられる4年間が始まりました。
1年生の7月。
練習試合でボールを持つ相手に後ろからプレスをかけようとして左脚を着地した瞬間。聞き覚えのある嫌な音が鳴りました。高校生の時も一度、右膝前十字靭帯(ACL)を損傷したことがあったのですが、その時と同じ音でした。
「あー、終わったー。」
痛みよりもこれからまた始まるリハビリの日々に絶望して泣きました。もともと冗談交じりで、また膝を切ったらサッカー辞めると周りに言っていたので、「本当にもう辞めようかな。」そう思っていました。
当時、平砂宿舎という6畳あるかないかの部屋に住んでいたのですが、怪我をして心身ともにやられていたので練習も休み、そこで1日中ずーっと過ごしていたんですね。そしたら22時過ぎ、部屋のインターホンが鳴ります。ドアを開けると練習を終えた同期たちが。来る日も来る日も。6畳も絶対にないのに、4、5人くらいで部屋に入ってきました。あーでもないこーでもないって散々話しつくして、またねって帰っていきました。1日の終わり、この数時間に私はどんなに心が救われたか。サッカーを辞めるんだし、部活も辞めよう。でも、部活を辞めたらこの同期たちと関われなくなる。それは嫌だ。よし、もう一度頑張ろう。サッカーがしたいというより、皆と居たいから部活を続けました。
そこから厳しいリハビリの日々が始まりました。もちろん、苦しいことは多くありましたが、自分自身にベクトルを向けてトレーニングをすることが好きでしたし、リハビリを通して身体が変わっていく感覚が分かるのはとても興味深かったです。そして毎日メニューを考えてくれるトレーナー、一緒に復帰を目指し頑張るリハ組の皆が居たから、頑張り続けることができました。
松葉杖が外れて、走れるようになり、練習に部分合流し始めた2年生の5月。
「やっとサッカーできる!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。
神様はそう簡単にはピッチの中には戻らせてくれませんでした。3回目の地獄の音が鳴り、担架に運ばれてピッチの外に出されました。
なんでだろうなぁ。このタッチラインの中には見えない壁があるのか。皆その中に簡単に入っていくのに。
夜中に1Gに散歩しに来ました。ピッチの中から見える景色はどんなだっけ。いつもは超えられないタッチラインをしれっと越えて見てみました。
うーわ、広い。ここでサッカーしていたんだよな。いや、過去形じゃなくて。もう一度実際に復帰してこのピッチに立ちたい。この試練を乗り越えて、ピッチに立つことで同じように怪我で苦しむ人に希望を与えたい。そして今まで支えてくれた人に恩返しするために。よし、もう一度頑張ろう。
また、サッカーがしたいから。頑張ることにしました。
神様は乗り越えられない試練を与えない。それは、嘘だと思う時があります。綺麗ごとです。そんなことわかっています。ただ、その試練に対して自分はどう在りたいか。与えられた題材に対してどのように向き合っていくかだと思っています。
リハビリはもちろんしんどいです。一人黙々とやっていればもっと辛いです。でも、同じことをするのならば、あえて明るく、一緒に頑張る仲間と共にリハビリしていれば案外頑張ることができることに気づきました。たとえ同じことをしていても、どんな意味付けをしていくか。神様は乗り越えられない試練を与えているわけではない、無駄な経験をさせていないと思います。私はこの怪我は無駄ではなかったし、必要な経験だったと今になって思います。例えば、同じように怪我に苦しむ人に寄り添うことができます。すべては分かり切れないにしても、似たような気持ちがわかる分かるからこそ、どんな言葉をかけてもらったら嬉しいか。自分がたくさんの人に支えてもらったように。苦しいとき、ただ話を聞いてもらったように。自分のために、あえて厳しいことを言ってくれた人のように。多くの人に助けられた。だから、今度は自分が皆を支えたいと思い、3度目のリハビリを乗り越えて、タッチラインを越えてピッチに立つことができたけど、今度は自らピッチの外に出ることに決めました。
4年生になり、選手ではなくパフォーマンスコーチとして活動して正直苦しいことは多かったです。何しに来ているのか、わからなくなることもありました。もっと知識があれば、応えられたかもしれないと思うこともありました。それでも作ったメニューに対して弱音を吐かず、真剣に取り組んでくれたリハ組の皆には感謝を伝えたいです。支えたいと思っていたけど、私が皆からたくさん支えてもらいました。本当にありがとう。
長くなってきたので、まとめに入ります。
この怪我を通して、学んだことの一つに失って気付くことのできる幸せがあります。ボールを蹴りたいと願えば蹴れること。何不自由なく日常生活を過ごせること。そのどれもが決して当たり前ではなく、いかに尊いものか。だからこそ、その一瞬一瞬を大切にしながら過ごしていきたいと思います。そしてこれを読んでいる人にもそう過ごしてほしいと願っています。
サッカーの試合ができるのも、当たり前ではありません。
試合に出ている選手がいるから。それももちろんあります。ただ、それに加えてサポートをしてくれる選手や試合を進める審判がいるから。毎日練習のメニューを考え、寝る間も惜しんで試合の分析をしてくれるスタッフがいるから。心身ともに寄り添ってくれるトレーナーがいるから。もっと範囲を広げると今まで育ててくれた家族がいるから、試合が出来ます。
サッカーは11人対11人。そしてピッチのサイズは105m×68mで行われます。でも、本当はもっと多くの人が関わっていて、ピッチの中に入れなくとも皆の想いは一緒に戦っています。素敵なスポーツです、サッカーは。サッカーに関わることができて、良かったと心の底から思います。そしてサッカーを通して出会えた筑波大学女子サッカー部の仲間と思い出は宝物です。特に同期の皆さん。ダジャレを言っても、もはやフル無視。面白いときは素直に笑った方が良いと思いますよ~。冗談はさておき、皆には何度も何度も救われました。感謝してもしきれません。心残りは、練習でさえ全員でサッカーしたことが4年間もあったのに一度も出来なかったことです(もししてたらすみません)。またいつか皆でサッカーしたいね。
そして最後にどんな時でも一番の味方で居てくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいです。
いつも本当にありがとう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。今後とも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。
吉岡日和(#2 ぺぺ)



<執筆者プロフィール>
吉岡 日和(よしおか ひより)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ぺぺ
前所属チーム:仙台育英学園高等学校
4年の吉岡日和(#2 ペペ)と申します。
最近、YouTubeで密着動画が出た「パフォーマンスコーチ」の人です。
何を書こうか、悩みに悩んで。結局、自分だから伝えられることを自分の言葉で伝えようということに落ち着いたので、文章や言い回しがおかしいところも多々あるとは思いますが、そこは愛嬌ということで。最後までお付き合いいただけると幸いです。
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1年かけて入学した筑波大学。
もともと怪我が多かったので、自分がなぜ怪我しやすいのか。逆にどうしたら怪我しないのか、自分の身体で学びたいと思い、志しました。
女子サッカー部の練習に参加し、いきなり衝撃を受けました。
女子サッカー部では、練習の冒頭にYTRという吉田拓矢TRコーチが担当する動きづくりのトレーニングがあります。それが衝撃でしたね。一番初めに「骨盤歩き」というトレーニングをやったはずなんですけど、まあできない。でもそれもまた楽しい。「この動きができるようになれば怪我しないかも。もっと理想の動きができるかも!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。怪我をしないために学ぶつもりが、怪我に苦しめられる4年間が始まりました。
1年生の7月。
練習試合でボールを持つ相手に後ろからプレスをかけようとして左脚を着地した瞬間。聞き覚えのある嫌な音が鳴りました。高校生の時も一度、右膝前十字靭帯(ACL)を損傷したことがあったのですが、その時と同じ音でした。
「あー、終わったー。」
痛みよりもこれからまた始まるリハビリの日々に絶望して泣きました。もともと冗談交じりで、また膝を切ったらサッカー辞めると周りに言っていたので、「本当にもう辞めようかな。」そう思っていました。
当時、平砂宿舎という6畳あるかないかの部屋に住んでいたのですが、怪我をして心身ともにやられていたので練習も休み、そこで1日中ずーっと過ごしていたんですね。そしたら22時過ぎ、部屋のインターホンが鳴ります。ドアを開けると練習を終えた同期たちが。来る日も来る日も。6畳も絶対にないのに、4、5人くらいで部屋に入ってきました。あーでもないこーでもないって散々話しつくして、またねって帰っていきました。1日の終わり、この数時間に私はどんなに心が救われたか。サッカーを辞めるんだし、部活も辞めよう。でも、部活を辞めたらこの同期たちと関われなくなる。それは嫌だ。よし、もう一度頑張ろう。サッカーがしたいというより、皆と居たいから部活を続けました。
そこから厳しいリハビリの日々が始まりました。もちろん、苦しいことは多くありましたが、自分自身にベクトルを向けてトレーニングをすることが好きでしたし、リハビリを通して身体が変わっていく感覚が分かるのはとても興味深かったです。そして毎日メニューを考えてくれるトレーナー、一緒に復帰を目指し頑張るリハ組の皆が居たから、頑張り続けることができました。
松葉杖が外れて、走れるようになり、練習に部分合流し始めた2年生の5月。
「やっとサッカーできる!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。
神様はそう簡単にはピッチの中には戻らせてくれませんでした。3回目の地獄の音が鳴り、担架に運ばれてピッチの外に出されました。
なんでだろうなぁ。このタッチラインの中には見えない壁があるのか。皆その中に簡単に入っていくのに。
夜中に1Gに散歩しに来ました。ピッチの中から見える景色はどんなだっけ。いつもは超えられないタッチラインをしれっと越えて見てみました。
うーわ、広い。ここでサッカーしていたんだよな。いや、過去形じゃなくて。もう一度実際に復帰してこのピッチに立ちたい。この試練を乗り越えて、ピッチに立つことで同じように怪我で苦しむ人に希望を与えたい。そして今まで支えてくれた人に恩返しするために。よし、もう一度頑張ろう。
また、サッカーがしたいから。頑張ることにしました。
神様は乗り越えられない試練を与えない。それは、嘘だと思う時があります。綺麗ごとです。そんなことわかっています。ただ、その試練に対して自分はどう在りたいか。与えられた題材に対してどのように向き合っていくかだと思っています。
リハビリはもちろんしんどいです。一人黙々とやっていればもっと辛いです。でも、同じことをするのならば、あえて明るく、一緒に頑張る仲間と共にリハビリしていれば案外頑張ることができることに気づきました。たとえ同じことをしていても、どんな意味付けをしていくか。神様は乗り越えられない試練を与えているわけではない、無駄な経験をさせていないと思います。私はこの怪我は無駄ではなかったし、必要な経験だったと今になって思います。例えば、同じように怪我に苦しむ人に寄り添うことができます。すべては分かり切れないにしても、似たような気持ちがわかる分かるからこそ、どんな言葉をかけてもらったら嬉しいか。自分がたくさんの人に支えてもらったように。苦しいとき、ただ話を聞いてもらったように。自分のために、あえて厳しいことを言ってくれた人のように。多くの人に助けられた。だから、今度は自分が皆を支えたいと思い、3度目のリハビリを乗り越えて、タッチラインを越えてピッチに立つことができたけど、今度は自らピッチの外に出ることに決めました。
4年生になり、選手ではなくパフォーマンスコーチとして活動して正直苦しいことは多かったです。何しに来ているのか、わからなくなることもありました。もっと知識があれば、応えられたかもしれないと思うこともありました。それでも作ったメニューに対して弱音を吐かず、真剣に取り組んでくれたリハ組の皆には感謝を伝えたいです。支えたいと思っていたけど、私が皆からたくさん支えてもらいました。本当にありがとう。
長くなってきたので、まとめに入ります。
この怪我を通して、学んだことの一つに失って気付くことのできる幸せがあります。ボールを蹴りたいと願えば蹴れること。何不自由なく日常生活を過ごせること。そのどれもが決して当たり前ではなく、いかに尊いものか。だからこそ、その一瞬一瞬を大切にしながら過ごしていきたいと思います。そしてこれを読んでいる人にもそう過ごしてほしいと願っています。
サッカーの試合ができるのも、当たり前ではありません。
試合に出ている選手がいるから。それももちろんあります。ただ、それに加えてサポートをしてくれる選手や試合を進める審判がいるから。毎日練習のメニューを考え、寝る間も惜しんで試合の分析をしてくれるスタッフがいるから。心身ともに寄り添ってくれるトレーナーがいるから。もっと範囲を広げると今まで育ててくれた家族がいるから、試合が出来ます。
サッカーは11人対11人。そしてピッチのサイズは105m×68mで行われます。でも、本当はもっと多くの人が関わっていて、ピッチの中に入れなくとも皆の想いは一緒に戦っています。素敵なスポーツです、サッカーは。サッカーに関わることができて、良かったと心の底から思います。そしてサッカーを通して出会えた筑波大学女子サッカー部の仲間と思い出は宝物です。特に同期の皆さん。ダジャレを言っても、もはやフル無視。面白いときは素直に笑った方が良いと思いますよ~。冗談はさておき、皆には何度も何度も救われました。感謝してもしきれません。心残りは、練習でさえ全員でサッカーしたことが4年間もあったのに一度も出来なかったことです(もししてたらすみません)。またいつか皆でサッカーしたいね。
そして最後にどんな時でも一番の味方で居てくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいです。
いつも本当にありがとう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。今後とも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。
吉岡日和(#2 ぺぺ)



<執筆者プロフィール>
吉岡 日和(よしおか ひより)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ぺぺ
前所属チーム:仙台育英学園高等学校
2024年12月23日
懸ける想いがあるから 4年 安部美楽乃(#9 カカ)
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年安部美楽乃(#9 カカ)です。
書きたいことがありすぎて、何を書けばよいのかば分からず時が過ぎ、もう1日前となりました。
頑張って書きましたので、温かい目でお読みいただけたら嬉しいです。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ある人が言った、「これが現実だと。」
12月22日。
私がとてもとても応援していたチームが負けた。
PK戦までもつれ込んだ熱く長い戦いだった。
ピッチで戦う選手をみて、とてつもなく体は寒いのに心は熱かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
2021年インカレ3位
2022年インカレ出場なし
2023年インカレ出場なし
苦しくて歯がゆい思い出が多かった日々。
決して強いと胸を張って言うことができない、筑波大学女子サッカー部。
「これが現実。」
始まった新シーズン、何が何でもインカレに出場して、結果を残したい。それしかなかった。
まずは、インカレに出場する。そのためには、どうすればいいかステップを考えた。
どうすれば強い、勝てるチームをつくることができるのか。
私自身、何ができて、何を高めなければいけないのか。
チームは何が強みで、何が足りないのか。
自分で考えるだけではなく想いを共有して、同期、スタッフさん、いろいろな人と話をした。やれることは何でもやった。(選手同士で言い合えるMTを企画して本音を言い合ったり、BBQといったレクリエーションをいれてリフレッシュをしたり、、、)私と同じくして、4年生の同期も、各々がいろいろなことを考え行動した。スタッフさんもチームが勝つ方法を追い求めた。後輩もそれぞれが自分自身と向き合い、成長していった。そして、その姿を見て、たくさんの方がこのチームを応援してくださり、力をくれた。
そうして、掴んだインカレ出場。
決して、自分たちの力だけではない。運もあったかもしれない。でも、なんでもいい、インカレ出場。
「これが現実。」
やっと、1つ達成した。ここからだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ここで、女サカにはこんな仲間がいる、を伝えたい。

30人の仲間を書いてみた。
(スラスラと思うがままに書いたので気になる方は私まで。
こんなに個性豊かなメンバーがいたら監督も悩みに悩むことでしょう(笑))
足が速くて頼れるドリブラー、風を切って走るサイドアタッカー、何か起こしてくれそうなスピードスター、細いけど頼れるディフェンス職人、等々(まだまだ説明しきれないほどいるので省略しますね、、、)
ピッチ上だけじゃない。
学業で忙しいのにも関わらず、責任を持って女サカの仕事を全うする人、
悩んでいる人、苦しそうな人がいたら手を差し伸べる人、
なんといっても真面目がすぎるほどの真面目な人、そんな仲間で溢れている。
私は思っていた。
仲間なんて綺麗ごとで、互いがライバル、仲間を引きずり下ろせば、自分が出られる。スポーツって、サッカーって、チームって結局はそんなもんだと。
でも、今は少し違う。
このチーム、この仲間、このスタッフさん、この女サカで結果を残したい。
自分のためだけじゃない、仲間のために、チームのために走って、闘って、勝ちたい。こんな素晴らしい仲間、組織、環境は二度とないから。
ピッチに立ちたいけど立てない、いろいろな思いを抱えた女サカの仲間。
日頃からご支援してくださるスポンサー企業、地域の飲食店の方々、大学の職員の方々。
いつも応援に来て下さるファンの方々
今までの女サカを築いてきたOB・OGの方々。
そして、いつも遠くから見守ってくれている家族。
その人たちがいて私たちの今がある。今の女サカがある。みんながここにいる。
だから、感謝の想いを持ってピッチに立つ。何が何でも勝ちたい。
このチームで、この仲間と。心からそう思う。
だから、とても楽しみ。楽しむしかない。
さあ、いこう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
P.S
余談ですが、もし緊張している仲間がいればと思い、ここに綴ります。
女サカInstagramインカレカウントダウン7日前の投稿(私のお気に入り)、こんな真面目に、こんなふざけたことをやれる仲間がいるって最高じゃないですか、私たち。(笑)あと残りわずか、みんなで戦いましょう!
安部美楽乃(#9 カカ)


<執筆者プロフィール>
安部 美楽乃(あべ みらの)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:カカ
前所属チーム:十文字高等学校
筑波大学女子サッカー部4年安部美楽乃(#9 カカ)です。
書きたいことがありすぎて、何を書けばよいのかば分からず時が過ぎ、もう1日前となりました。
頑張って書きましたので、温かい目でお読みいただけたら嬉しいです。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ある人が言った、「これが現実だと。」
12月22日。
私がとてもとても応援していたチームが負けた。
PK戦までもつれ込んだ熱く長い戦いだった。
ピッチで戦う選手をみて、とてつもなく体は寒いのに心は熱かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
2021年インカレ3位
2022年インカレ出場なし
2023年インカレ出場なし
苦しくて歯がゆい思い出が多かった日々。
決して強いと胸を張って言うことができない、筑波大学女子サッカー部。
「これが現実。」
始まった新シーズン、何が何でもインカレに出場して、結果を残したい。それしかなかった。
まずは、インカレに出場する。そのためには、どうすればいいかステップを考えた。
どうすれば強い、勝てるチームをつくることができるのか。
私自身、何ができて、何を高めなければいけないのか。
チームは何が強みで、何が足りないのか。
自分で考えるだけではなく想いを共有して、同期、スタッフさん、いろいろな人と話をした。やれることは何でもやった。(選手同士で言い合えるMTを企画して本音を言い合ったり、BBQといったレクリエーションをいれてリフレッシュをしたり、、、)私と同じくして、4年生の同期も、各々がいろいろなことを考え行動した。スタッフさんもチームが勝つ方法を追い求めた。後輩もそれぞれが自分自身と向き合い、成長していった。そして、その姿を見て、たくさんの方がこのチームを応援してくださり、力をくれた。
そうして、掴んだインカレ出場。
決して、自分たちの力だけではない。運もあったかもしれない。でも、なんでもいい、インカレ出場。
「これが現実。」
やっと、1つ達成した。ここからだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ここで、女サカにはこんな仲間がいる、を伝えたい。

30人の仲間を書いてみた。
(スラスラと思うがままに書いたので気になる方は私まで。
こんなに個性豊かなメンバーがいたら監督も悩みに悩むことでしょう(笑))
足が速くて頼れるドリブラー、風を切って走るサイドアタッカー、何か起こしてくれそうなスピードスター、細いけど頼れるディフェンス職人、等々(まだまだ説明しきれないほどいるので省略しますね、、、)
ピッチ上だけじゃない。
学業で忙しいのにも関わらず、責任を持って女サカの仕事を全うする人、
悩んでいる人、苦しそうな人がいたら手を差し伸べる人、
なんといっても真面目がすぎるほどの真面目な人、そんな仲間で溢れている。
私は思っていた。
仲間なんて綺麗ごとで、互いがライバル、仲間を引きずり下ろせば、自分が出られる。スポーツって、サッカーって、チームって結局はそんなもんだと。
でも、今は少し違う。
このチーム、この仲間、このスタッフさん、この女サカで結果を残したい。
自分のためだけじゃない、仲間のために、チームのために走って、闘って、勝ちたい。こんな素晴らしい仲間、組織、環境は二度とないから。
ピッチに立ちたいけど立てない、いろいろな思いを抱えた女サカの仲間。
日頃からご支援してくださるスポンサー企業、地域の飲食店の方々、大学の職員の方々。
いつも応援に来て下さるファンの方々
今までの女サカを築いてきたOB・OGの方々。
そして、いつも遠くから見守ってくれている家族。
その人たちがいて私たちの今がある。今の女サカがある。みんながここにいる。
だから、感謝の想いを持ってピッチに立つ。何が何でも勝ちたい。
このチームで、この仲間と。心からそう思う。
だから、とても楽しみ。楽しむしかない。
さあ、いこう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
P.S
余談ですが、もし緊張している仲間がいればと思い、ここに綴ります。
女サカInstagramインカレカウントダウン7日前の投稿(私のお気に入り)、こんな真面目に、こんなふざけたことをやれる仲間がいるって最高じゃないですか、私たち。(笑)あと残りわずか、みんなで戦いましょう!
安部美楽乃(#9 カカ)


<執筆者プロフィール>
安部 美楽乃(あべ みらの)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:カカ
前所属チーム:十文字高等学校
2024年12月22日
懸ける想いがあるから 3年 三村沙良(#45 リタ)
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部3年の三村沙良(#45 リタ)と申します。
今回のブログでは、私がサッカーに取り組む「原動力」とインカレへの意気込みについて執筆させていただきました。
普段、頭の中でぐるぐる考えていることを初めて文字に起こしてみました。
書いてる途中でよく分からなくなり、書くのを止めて、また考えては書き、消してを繰り返して、もういいや!と思って提出しました。
(女サカのブログ班の方、遅くなってしまいすみません。)
------------------
「劣等感」
私の原動力。
それは「劣等感」です。
常に人と比べ、自分を劣位に置くことで自分を奮い立たせる。
そうやって私は努力してきました。
女サカには
サッカーが上手い人、嗅覚が鋭い人、アイディアが面白い人、賢い人、視野が広い人、芯がある人、情熱的な人、人の意見を受け入れられる人、挑戦し続けられる人、努力を楽しめる人、人の成功を喜べる人、面倒くさい仕事を自ら引き受けられる人、人を叱れる人。
挙げ始めるとキリがないほど、尊敬する人がたくさんいます。
こんな感じで他人の良い所を見つける度、その分私は自分の小ささに落胆してしまいます。
人と比べるのにはキリがありません。
そして自分の劣等感ばかり募ります。
苦しく、自己嫌悪に陥ることばかりですが、その負の感情ほど強力な力を持ち、自分を突き動かしてくれるものはないと思っています。
常に人と比べ、劣等感を感じる。
だからこそ現状に満足せず、自分を成長させることができる。
それが私なりの努力の方法であると認識しています。
「劣等感」という感情と向き合い続ける努力はあまり楽しいものではありません。
できることなら違う努力ができるようになりたいというのが本音です。
他者との比較とかあれこれ考えず、ただ純粋にプロサッカー選手を夢見ていた小学生時代の心を取り戻したいとさえ思ってしまいます。
特にここ2年間は劣等感との向き合い方に悩んでいます。
劣等感を感じ続けると、自己否定に陥る。そして、他者からの承認や他者に勝つことでしか自分の価値を感じられなくなる。
自分の心を削りながらサッカーしているような感覚になり、サッカーから離れたいと思ったことは何度もあります。
サッカーを続けていくことへの不安や恐怖を抱えている時、自分に言い聞かせている言葉が2つあります。
1つは
「自分にベクトルを向ける」
皆さんも耳にしたことがあるフレーズだと思います。
他者との比較は自分の成長させる手段である。
しかしふとした時に目的を見失い、自己嫌悪に陥り、他者からの承認なしでは自分の価値を感じられなくなる。
そんな状況に陥る度、他者の評価や承認に依存せず、自分の目標や価値観に従い、成長にフォーカスし続けるよう、自分自身に言い聞かせています。
そしてもう1つは
「今日も、少しだけでも上手くなろう」
ある方がくれた言葉です。
見えない先のことを考えて不安がるよりも、今目の前にあることに集中すること、
どんなにサッカーが嫌になっても、やる気がなくても、「少しだけでも上手くなろう」と意識して取り組むこと、
様々な大切なメッセージを感じ取ることができます。
努力を強要するわけでもなく、そっと背中を押してくれるような温かさがあり、私を励ましてくれる言葉です。
さて、ここまでの文章ではネガティブな感情に焦点が当てられていましたが、そんな私にもサッカーを前向きな気持ちで楽しめる理由があります。
それは、素敵な仲間の存在です。
この人のために戦いたい。
この人と喜びを分かち合いたい。
そう思わせてくれる仲間
常に私の何歩も何十歩も先を行き、いつでも自分に目標を与えてくれる、尊敬できる仲間
私は尊敬する仲間とともに様々な感情を共有し、共に目標を達成できた時に、これ以上ない幸せを感じることができます。
インカレが決まる前の1週間。
「勝ったらインカレ、負けたら入れ替え戦」という状況に立たされ、気がおかしくなる程のプレッシャーを感じていました。
そのヒリヒリ感を共有できたこと、そしてホーム最終節で勝利し3年振りのインカレ出場権獲得という最高の喜びを共有できたことは、私のサッカー人生において最も大きな経験になりました。
このチームで、この仲間で、インカレで少しでも長く一緒に戦いたいです。
今はもうそれだけです。
そのために毎日少しずつ成長していきたいと思います。
そしていつか、他人と比較しなくても自分の価値を自分で認められるような自立した人間になりたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援よろしくお願いいたします。
三村沙良(#45 リタ)

<執筆者プロフィール>
三村 沙良(みむら さら)
学年:3年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:リタ
前所属チーム:十文字高等学校
筑波大学女子サッカー部3年の三村沙良(#45 リタ)と申します。
今回のブログでは、私がサッカーに取り組む「原動力」とインカレへの意気込みについて執筆させていただきました。
普段、頭の中でぐるぐる考えていることを初めて文字に起こしてみました。
書いてる途中でよく分からなくなり、書くのを止めて、また考えては書き、消してを繰り返して、もういいや!と思って提出しました。
(女サカのブログ班の方、遅くなってしまいすみません。)
------------------
「劣等感」
私の原動力。
それは「劣等感」です。
常に人と比べ、自分を劣位に置くことで自分を奮い立たせる。
そうやって私は努力してきました。
女サカには
サッカーが上手い人、嗅覚が鋭い人、アイディアが面白い人、賢い人、視野が広い人、芯がある人、情熱的な人、人の意見を受け入れられる人、挑戦し続けられる人、努力を楽しめる人、人の成功を喜べる人、面倒くさい仕事を自ら引き受けられる人、人を叱れる人。
挙げ始めるとキリがないほど、尊敬する人がたくさんいます。
こんな感じで他人の良い所を見つける度、その分私は自分の小ささに落胆してしまいます。
人と比べるのにはキリがありません。
そして自分の劣等感ばかり募ります。
苦しく、自己嫌悪に陥ることばかりですが、その負の感情ほど強力な力を持ち、自分を突き動かしてくれるものはないと思っています。
常に人と比べ、劣等感を感じる。
だからこそ現状に満足せず、自分を成長させることができる。
それが私なりの努力の方法であると認識しています。
「劣等感」という感情と向き合い続ける努力はあまり楽しいものではありません。
できることなら違う努力ができるようになりたいというのが本音です。
他者との比較とかあれこれ考えず、ただ純粋にプロサッカー選手を夢見ていた小学生時代の心を取り戻したいとさえ思ってしまいます。
特にここ2年間は劣等感との向き合い方に悩んでいます。
劣等感を感じ続けると、自己否定に陥る。そして、他者からの承認や他者に勝つことでしか自分の価値を感じられなくなる。
自分の心を削りながらサッカーしているような感覚になり、サッカーから離れたいと思ったことは何度もあります。
サッカーを続けていくことへの不安や恐怖を抱えている時、自分に言い聞かせている言葉が2つあります。
1つは
「自分にベクトルを向ける」
皆さんも耳にしたことがあるフレーズだと思います。
他者との比較は自分の成長させる手段である。
しかしふとした時に目的を見失い、自己嫌悪に陥り、他者からの承認なしでは自分の価値を感じられなくなる。
そんな状況に陥る度、他者の評価や承認に依存せず、自分の目標や価値観に従い、成長にフォーカスし続けるよう、自分自身に言い聞かせています。
そしてもう1つは
「今日も、少しだけでも上手くなろう」
ある方がくれた言葉です。
見えない先のことを考えて不安がるよりも、今目の前にあることに集中すること、
どんなにサッカーが嫌になっても、やる気がなくても、「少しだけでも上手くなろう」と意識して取り組むこと、
様々な大切なメッセージを感じ取ることができます。
努力を強要するわけでもなく、そっと背中を押してくれるような温かさがあり、私を励ましてくれる言葉です。
さて、ここまでの文章ではネガティブな感情に焦点が当てられていましたが、そんな私にもサッカーを前向きな気持ちで楽しめる理由があります。
それは、素敵な仲間の存在です。
この人のために戦いたい。
この人と喜びを分かち合いたい。
そう思わせてくれる仲間
常に私の何歩も何十歩も先を行き、いつでも自分に目標を与えてくれる、尊敬できる仲間
私は尊敬する仲間とともに様々な感情を共有し、共に目標を達成できた時に、これ以上ない幸せを感じることができます。
インカレが決まる前の1週間。
「勝ったらインカレ、負けたら入れ替え戦」という状況に立たされ、気がおかしくなる程のプレッシャーを感じていました。
そのヒリヒリ感を共有できたこと、そしてホーム最終節で勝利し3年振りのインカレ出場権獲得という最高の喜びを共有できたことは、私のサッカー人生において最も大きな経験になりました。
このチームで、この仲間で、インカレで少しでも長く一緒に戦いたいです。
今はもうそれだけです。
そのために毎日少しずつ成長していきたいと思います。
そしていつか、他人と比較しなくても自分の価値を自分で認められるような自立した人間になりたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援よろしくお願いいたします。
三村沙良(#45 リタ)

<執筆者プロフィール>
三村 沙良(みむら さら)
学年:3年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:リタ
前所属チーム:十文字高等学校
2024年12月20日
懸ける想いがあるから 2年 髙山朱花(#47 マリ)
はじめまして。
人文・文化学群日本語日本文化学類2年の髙山朱花(#47 マリ)です。
先日、小学生の頃から大切にしている本を久しぶりに読み返したら、「頭の中だけに閉じ込めているものに意味はない。」とあったので、覚悟を決めるつもりで書きました。
拙い文章かつ長いですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
『真実は貴女に追いつく』
私が高校時代に所属していた、聖和学園高校女子サッカー部の顧問の先生が、繰り返し口にしていた言葉です。
聖和OGの方々は、「高校卒業後にようやくこの言葉の意味を理解した。」と話していました。
私もまた、そのうちの1人です。
11月3日、チームには「インカレ出場」という形で真実が追いつきました。
試合に向けて練習メニューを作り、毎試合細かい分析を提供してくれる監督・スタッフの方々。
毎日選手のコンディションを考え、リハビリ組にメニューを作ってくれるトレーナーさん。
同じ目標を見据えて直向きに走り続けた選手。
そして、この部を応援して下さる方々。
女子サッカー部に関わる、全ての人たちの積み重ねの結果が、「インカレ出場」に至ったのだと思います。
では、私自身にはどのような真実が追いついたのか。
「関カレ22試合中12試合出場1得点」
インカレに直接関わる関カレだけに絞りましたが、非常に情けない真実が追いつきました。
チームに追いついた真実は、あくまで自分ではないみんなが積み上げてきたものであって、そこにほとんど貢献できていないことが分かります。
弱さが前面に出たシーズンでした。
史上最も弱い自分に出会い、とても苦しみ、やはり自分は弱いんだと痛感させられました。
それでも、弱いことを認めることで、弱いながらにも強くあろうとすることを覚えました。
弱いことを知っているから、それ相応の積み重ねをする。
どうしても苦しいときは、弱いままに他人を頼る。
今年は、「強いふり」なんてせずに、嬉しいときはたくさん笑ったし、つらいときはボロボロな姿で足掻きました。
感情を包み隠さず表現することは、自分を大切にすることだと、そう教えてもらいました。
女サカには、
何度復帰と離脱を繰り返しても、「待ってる。」と言い続けてくれる熱い仲間がいて、
「ボールは友達って言葉が1番似合う。」なんて粋な言葉をくれる先輩たちがいて、
語らずとも一緒に頑張ろうと思い合える同期、何者にもなれる元気が溢れ出た後輩たちがいる。
そんな最高の環境の中で、感情を曝け出しつつも自分のコントロール下に置くことで、弱い自分と闘う決意も固まりました。
私個人としては悔しさが勝るここまでだったけど、チームとしては「インカレ出場」。
これからがあって、次に追いつく真実は初戦の12月24日。
まだあと1ヶ月半(47日)の時間が残されています。(※これを書いたときの日数です。)
チームに追いついた真実と、個人に追いついた真実とで、差異が生じてしまった事実。
この事実を変えていくためには、つまりより良い真実が追いつくようにするためには、残された時間で更なる進化をする必要があります。
今の私が手にしているものは、「足りなかった積み重ね」ではあるけれど、「これからの糧」になることは確かです。
チームも私個人も、まだまだ強くなれます。強くなる必要があります。
さらに、私には目標があります。
『「筑波大学女子サッカー部」が、全国の舞台で、ピッチ内外で躍動して、組織の魅力を多くの人に届ける。』
ここに関与したいです。
これまでの悔しさを発揮する場所は、もちろんピッチ上で在りたいですが、あくまでピッチ内外にこだわりたい。
他大学や大会関係者の方々とのやり取り、決着がついた試合後の立ち振る舞い。
その一つひとつが、筑波大学女子サッカー部の責任を背負うものであり、組織の魅力を発信する場だと考えています。
言葉にするのは簡単ですが、絶対にこれを成し遂げると決めています。
自分に追いついた真実が、あまりに情けなく不甲斐ないものだったからこそ、より一層多方面で闘って魅せることに執着しようと思っています。
次はどのような真実が追いつくのか。
最高峰のものが追いつくように、過程にこだわって、コツコツと積み重ねていきます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
「言っていることとやっていることが違うよ。」と思った際には、直ぐに叱ってください。しっかりと受け止めて、修正します。
これから始まるインカレに向けて、チームはまた再出発しています。自分たちを信じて、着実に闘っていきますので、今後とも応援のほどよろしくお願いします。
髙山朱花(#47 マリ)

<執筆者プロフィール>
髙山 朱花(たかやま しゅか)
学年:2年
学群・学類:人文・文化学群日本語日本文化学類
コートネーム:マリ
前所属チーム:聖和学園高等学校
人文・文化学群日本語日本文化学類2年の髙山朱花(#47 マリ)です。
先日、小学生の頃から大切にしている本を久しぶりに読み返したら、「頭の中だけに閉じ込めているものに意味はない。」とあったので、覚悟を決めるつもりで書きました。
拙い文章かつ長いですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
『真実は貴女に追いつく』
私が高校時代に所属していた、聖和学園高校女子サッカー部の顧問の先生が、繰り返し口にしていた言葉です。
聖和OGの方々は、「高校卒業後にようやくこの言葉の意味を理解した。」と話していました。
私もまた、そのうちの1人です。
11月3日、チームには「インカレ出場」という形で真実が追いつきました。
試合に向けて練習メニューを作り、毎試合細かい分析を提供してくれる監督・スタッフの方々。
毎日選手のコンディションを考え、リハビリ組にメニューを作ってくれるトレーナーさん。
同じ目標を見据えて直向きに走り続けた選手。
そして、この部を応援して下さる方々。
女子サッカー部に関わる、全ての人たちの積み重ねの結果が、「インカレ出場」に至ったのだと思います。
では、私自身にはどのような真実が追いついたのか。
「関カレ22試合中12試合出場1得点」
インカレに直接関わる関カレだけに絞りましたが、非常に情けない真実が追いつきました。
チームに追いついた真実は、あくまで自分ではないみんなが積み上げてきたものであって、そこにほとんど貢献できていないことが分かります。
弱さが前面に出たシーズンでした。
史上最も弱い自分に出会い、とても苦しみ、やはり自分は弱いんだと痛感させられました。
それでも、弱いことを認めることで、弱いながらにも強くあろうとすることを覚えました。
弱いことを知っているから、それ相応の積み重ねをする。
どうしても苦しいときは、弱いままに他人を頼る。
今年は、「強いふり」なんてせずに、嬉しいときはたくさん笑ったし、つらいときはボロボロな姿で足掻きました。
感情を包み隠さず表現することは、自分を大切にすることだと、そう教えてもらいました。
女サカには、
何度復帰と離脱を繰り返しても、「待ってる。」と言い続けてくれる熱い仲間がいて、
「ボールは友達って言葉が1番似合う。」なんて粋な言葉をくれる先輩たちがいて、
語らずとも一緒に頑張ろうと思い合える同期、何者にもなれる元気が溢れ出た後輩たちがいる。
そんな最高の環境の中で、感情を曝け出しつつも自分のコントロール下に置くことで、弱い自分と闘う決意も固まりました。
私個人としては悔しさが勝るここまでだったけど、チームとしては「インカレ出場」。
これからがあって、次に追いつく真実は初戦の12月24日。
まだあと1ヶ月半(47日)の時間が残されています。(※これを書いたときの日数です。)
チームに追いついた真実と、個人に追いついた真実とで、差異が生じてしまった事実。
この事実を変えていくためには、つまりより良い真実が追いつくようにするためには、残された時間で更なる進化をする必要があります。
今の私が手にしているものは、「足りなかった積み重ね」ではあるけれど、「これからの糧」になることは確かです。
チームも私個人も、まだまだ強くなれます。強くなる必要があります。
さらに、私には目標があります。
『「筑波大学女子サッカー部」が、全国の舞台で、ピッチ内外で躍動して、組織の魅力を多くの人に届ける。』
ここに関与したいです。
これまでの悔しさを発揮する場所は、もちろんピッチ上で在りたいですが、あくまでピッチ内外にこだわりたい。
他大学や大会関係者の方々とのやり取り、決着がついた試合後の立ち振る舞い。
その一つひとつが、筑波大学女子サッカー部の責任を背負うものであり、組織の魅力を発信する場だと考えています。
言葉にするのは簡単ですが、絶対にこれを成し遂げると決めています。
自分に追いついた真実が、あまりに情けなく不甲斐ないものだったからこそ、より一層多方面で闘って魅せることに執着しようと思っています。
次はどのような真実が追いつくのか。
最高峰のものが追いつくように、過程にこだわって、コツコツと積み重ねていきます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
「言っていることとやっていることが違うよ。」と思った際には、直ぐに叱ってください。しっかりと受け止めて、修正します。
これから始まるインカレに向けて、チームはまた再出発しています。自分たちを信じて、着実に闘っていきますので、今後とも応援のほどよろしくお願いします。
髙山朱花(#47 マリ)

<執筆者プロフィール>
髙山 朱花(たかやま しゅか)
学年:2年
学群・学類:人文・文化学群日本語日本文化学類
コートネーム:マリ
前所属チーム:聖和学園高等学校
2024年12月18日
懸ける想いがあるから 1年 中出朱音(#8 ベン)
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部ログ2回目の執筆、1年中出朱音(#8 ベン)です。(ちなみに登場は3回目です!!)
11月3日最終節vs日本大学との一戦は、激闘でしたね!
この試合の前の1週間、どれだけ緊張したことか…今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。
そんな一戦が終わり、私の今の感情は、インカレ出場を決めることができた安堵感と、1年の早さに驚く焦燥感に駆られ、グチャグチャです。(笑)
そんな中、今回は、1年間を振り返りつつ、『懸ける想いがあるから』というテーマでインカレに向けた意気込みを書いていきたいと思います。
1年間の関カレを通して、私が感じた筑波大学の凄さは、
“格上相手にも引けを取らないこと”
これは、筑波大学のみせる“粘り”でもあると思います。
一方で、アドバンテージを得た試合や必ず勝ちたい試合で勝ちきれず、結果を残せない。
これが、筑波大学の決定的な課題であると感じています。
正直、関カレで筑波大学が内容で勝てた試合は1試合もないと思っています。
(すみません、かなり辛口で言わせてもらっています。)
“奇跡だけでは全国で勝ち上がっていけない”
私はそんなふうに思います。
最終節の日本大学戦、1つのフリーキックから生まれた劇的ゴールでなんとかインカレ行きを決めたこと、これまでの関カレの試合の中で、何度も相手の決定的なゴールシーンをポストなどに救われたことや相手の様々な事情によりメンバーに変更があったことなどたくさんの奇跡や運に助けられてきました。
勝負事において、奇跡を呼び寄せる力・運を惹きつける力も大事ですが、
はっきり言ってそれだけでは、ハイレベルな全国大会では通用しないと思います。
筑波大学には、今シーズンの最大の課題「勝ちきれるサッカー」というものを体現できるかが勝利への鍵になってくると思います。
だからこそ、私は「もっとゲームを組み立てられる存在になりたい」「得点を導くようなプレーをしたい」と思っています。
実は、私自身この1年間、サッカー人生最高の得点数とアシスト数を記録しています。
試合に出られる機会が増えたのと、前期から後期にかけてセンターバックからボランチにポジションが変更し、得点に絡みやすくなったことはあると思うのですが、かなり得点とは無縁なところでプレーしてきたので、少しでも得点に絡めるようになったのは、私自身すごく嬉しいことですし、自信になります。
何より、やはり点を決めることはやりがいになりますね。(笑)
しかし、これまでボランチの経験があまりなく、経験値不足もあるかもしれませんが、圧倒的な実力不足も感じています。
“私1人ではゲームを作ることもできないし、得点に導くようなプレーもなかなか安定してはできない。”
そんな自分自身の不甲斐なさに落ち込むことも多いです。
このチームで活動してきて、自分の理想のプレーとチームが求めるプレーの違いに混乱して自分を見失ったこともあるし、「自分が何かしなければ」という思いがプレーを狂わせ、何も上手くいかなくなった時期や、イメージを統一したり、膨らませてほしいという気持ちから伝えていた言葉が「自分の理想を押し付け、仲間のプレーを制限してしまっているだけなのかな」と言葉で伝える難しさを感じ、黙り込んでサッカーする時期などもありました。
この1年足らずの期間でも、私自身の中でプレーや感情の波があり、多くの壁にぶつかりながら歩んできたと思います。
上手い人が溢れかえるようにいたチームの中で、これまでは脇役のようなプレーしかできなかったです。
その中でも、プレーや背中でチームを引っ張っていける人って凄くかっこいいですよね。
私もそんな人達に憧れて、「私がチームの中心核となり引っ張る存在になる」と誓って筑波大学に入学してきました。
だから、この決心に嘘がないようなプレーで勝利に導くことが、私のインカレに向けた『懸ける想い』です!!
このままでは、まだそんな存在になれないのが現実です。
山積みのようにある自身の課題を1つずつ自分のものにしながら、少しでもそんな存在に近づいた状態でインカレに臨みたいです。
まだまだ成長できる自分が嬉しいです!
そして、全国大会で両親に“得点のプレゼント”をしたいですね!
(けれど、あまり欲が前に出過ぎるのは良くないので、チャンスが来た時に確実に掴み取れるように、残り1週間ですがしっかり準備をして行きます!)
長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
インカレでも筑波大学への熱い応援をよろしくお願いします!!
共に戦い、勝利を掴みましょう〜!
中出朱音(#8 ベン)

<執筆者プロフィール>
中出 朱音(なかで あやね)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ベン
前所属チーム:藤枝順心高等学校
筑波大学女子サッカー部ログ2回目の執筆、1年中出朱音(#8 ベン)です。(ちなみに登場は3回目です!!)
11月3日最終節vs日本大学との一戦は、激闘でしたね!
この試合の前の1週間、どれだけ緊張したことか…今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。
そんな一戦が終わり、私の今の感情は、インカレ出場を決めることができた安堵感と、1年の早さに驚く焦燥感に駆られ、グチャグチャです。(笑)
そんな中、今回は、1年間を振り返りつつ、『懸ける想いがあるから』というテーマでインカレに向けた意気込みを書いていきたいと思います。
1年間の関カレを通して、私が感じた筑波大学の凄さは、
“格上相手にも引けを取らないこと”
これは、筑波大学のみせる“粘り”でもあると思います。
一方で、アドバンテージを得た試合や必ず勝ちたい試合で勝ちきれず、結果を残せない。
これが、筑波大学の決定的な課題であると感じています。
正直、関カレで筑波大学が内容で勝てた試合は1試合もないと思っています。
(すみません、かなり辛口で言わせてもらっています。)
“奇跡だけでは全国で勝ち上がっていけない”
私はそんなふうに思います。
最終節の日本大学戦、1つのフリーキックから生まれた劇的ゴールでなんとかインカレ行きを決めたこと、これまでの関カレの試合の中で、何度も相手の決定的なゴールシーンをポストなどに救われたことや相手の様々な事情によりメンバーに変更があったことなどたくさんの奇跡や運に助けられてきました。
勝負事において、奇跡を呼び寄せる力・運を惹きつける力も大事ですが、
はっきり言ってそれだけでは、ハイレベルな全国大会では通用しないと思います。
筑波大学には、今シーズンの最大の課題「勝ちきれるサッカー」というものを体現できるかが勝利への鍵になってくると思います。
だからこそ、私は「もっとゲームを組み立てられる存在になりたい」「得点を導くようなプレーをしたい」と思っています。
実は、私自身この1年間、サッカー人生最高の得点数とアシスト数を記録しています。
試合に出られる機会が増えたのと、前期から後期にかけてセンターバックからボランチにポジションが変更し、得点に絡みやすくなったことはあると思うのですが、かなり得点とは無縁なところでプレーしてきたので、少しでも得点に絡めるようになったのは、私自身すごく嬉しいことですし、自信になります。
何より、やはり点を決めることはやりがいになりますね。(笑)
しかし、これまでボランチの経験があまりなく、経験値不足もあるかもしれませんが、圧倒的な実力不足も感じています。
“私1人ではゲームを作ることもできないし、得点に導くようなプレーもなかなか安定してはできない。”
そんな自分自身の不甲斐なさに落ち込むことも多いです。
このチームで活動してきて、自分の理想のプレーとチームが求めるプレーの違いに混乱して自分を見失ったこともあるし、「自分が何かしなければ」という思いがプレーを狂わせ、何も上手くいかなくなった時期や、イメージを統一したり、膨らませてほしいという気持ちから伝えていた言葉が「自分の理想を押し付け、仲間のプレーを制限してしまっているだけなのかな」と言葉で伝える難しさを感じ、黙り込んでサッカーする時期などもありました。
この1年足らずの期間でも、私自身の中でプレーや感情の波があり、多くの壁にぶつかりながら歩んできたと思います。
上手い人が溢れかえるようにいたチームの中で、これまでは脇役のようなプレーしかできなかったです。
その中でも、プレーや背中でチームを引っ張っていける人って凄くかっこいいですよね。
私もそんな人達に憧れて、「私がチームの中心核となり引っ張る存在になる」と誓って筑波大学に入学してきました。
だから、この決心に嘘がないようなプレーで勝利に導くことが、私のインカレに向けた『懸ける想い』です!!
このままでは、まだそんな存在になれないのが現実です。
山積みのようにある自身の課題を1つずつ自分のものにしながら、少しでもそんな存在に近づいた状態でインカレに臨みたいです。
まだまだ成長できる自分が嬉しいです!
そして、全国大会で両親に“得点のプレゼント”をしたいですね!
(けれど、あまり欲が前に出過ぎるのは良くないので、チャンスが来た時に確実に掴み取れるように、残り1週間ですがしっかり準備をして行きます!)
長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
インカレでも筑波大学への熱い応援をよろしくお願いします!!
共に戦い、勝利を掴みましょう〜!
中出朱音(#8 ベン)

<執筆者プロフィール>
中出 朱音(なかで あやね)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ベン
前所属チーム:藤枝順心高等学校
2024年12月11日
2024.10.19 集中応援 「這い上がれ」

2024.10.19(土)
関東大学女子サッカーリーグ1部後期第9節
vs東京国際大学
この日は今シーズン2回目となる「集中応援」を行った。
集中応援とは、多くの方々に来場していただき、一緒に試合を盛り上げるために“集中”的に“応援”を行うホーム戦のことである。
集中応援では試合はもちろん、観客の方々に楽しんでもらえるような企画を行っている。
今回の集中応援では、「這い上がれ」をテーマに掲げた。
後期第8節終了時点での筑波の順位は8位。
インカレに出場するためにはさらに勝ち点を積み重ねていく必要があり、皆さんの応援の力を借りて勝利を掴み取るための重要な一戦となった。
試合戦況
曇り空の中、関カレ後期第9節が行われた。相手は直近3試合負けなしと好調の東京国際大学。自力でインカレ出場の切符を掴むために何としても勝ち点3が欲しい筑波は、相手の得点源である前線の3選手を抑えること、ロングボールを活用しながら相手陣地でプレーすることを確認し、会場に集まった150人の応援を背に試合に臨んだ。
立ち上がりは筑波が良い入りを見せたものの、一瞬の隙を突かれピンチを迎える。前半10分、自陣ペナルティーエリア付近でボールを奪われると、ドリブルで持ち込まれてシュートを打たれる。しかし、GK前田(#21)の見事なセービングで失点を防ぐ。ピンチを切り抜けた筑波は前半18分、自陣中央でFKを獲得すると、素早いリスタートから田村(#37)が相手陣左サイドで仕掛ける。田村(#37)が突破し切ることはできなかったものの、こぼれ球を朝倉(#5)が拾いクロスを上げる。ファーサイドに流れたボールに反応した中出(#8)が押し込むと相手にクリアされたもののゴールラインを割ったという判定となり得点。筑波が待望の先制点をあげ1-0となる。一進一退の攻防が続く中、前半40分、左サイドからゴール前にボールを放り込まれると、筑波守備陣がクリアし切れず、ゴール前でフリーになっていた相手にボールがこぼれる。このボールにダイレクトで合わせられるも再びGK前田(#21)が立ちはだかり、前半を1-0で折り返す。
後半は相手に押し込まれ耐える時間続くが、後半14分、CKのチャンスを迎える。キッカー中出(#8)のボールに朝倉(#5)が頭で合わせるも、ポストに阻まれ追加点とはならない。その後も互いの意地がぶつかり合い激しい攻防が続く。後半45分、自陣中央付近で相手にFKを与えてしまう。ゴール前にボールを放り込まれるも、バーを叩き難を逃れる。最後は相手陣で時間を使い試合は終了。苦しい時間帯も全員で守り抜き、インカレ出場に向けて大きな勝ち点3を手に入れた。

試合の様子

集中応援の見どころは試合だけではない。
当日はMDP(マッチデープログラム)の配布や掲示、グッズ販売、ハーフタイムの抽選会など様々な企画を部員が一から考案。
掲示物ではスポンサー紹介、順位表、個性溢れるMBTI紹介、そして部員一人ひとりの意気込み付きプレー写真などが貼られ、当日にはたくさんの方が足を止めて見ている様子がうかがえた。

また、集中応援当日に配るMDPでは、注目選手へのインタビューや部員紹介などが収載された。普段お見せできていない女サカの個性や魅力を知っていただく絶好の機会となったに違いない。



当日配布されたMDP
他にもハーフタイムでの抽選会や、集中応援限定ブロマイドをはじめとする女サカグッズの販売を行った。
最後には最高の勝利をお届けできたことで今回の集中応援は大盛況の中、幕を閉じた。

抽選会の様子
最後に
今回の集中応援では、OG・OBの方々や蹴球部員、保護者の方々をはじめとする約150名の方々に会場に足を運んでいただきました。
改めまして、たくさんの応援ありがとうございました。
12/24(火)からいよいよインカレが始まります。
今年度は第1~3回戦は茨城県ひたちなか市、そして準決勝以降は大学女子サッカーの聖地「味の素フィールド西が丘」での開催となります。
今シーズンの集大成となるこの大会でみなさんと喜びを分かち合えるよう、
チーム全員で目の前の一戦一戦に全身全霊をかけて闘います。
お時間のある方はぜひ会場で、筑波大学女子サッカー部への熱い応援をよろしくお願いいたします!
2024年11月21日
体育専門学群 一般入試(副選択 バスケットボール) 米山優和
こんにちは。体育専門学群1年の米山優和(#31 ゆず)です。
今回は、体育専門学群の二次試験の試験内容と私が行った対策について書かせていただこうと思います。
今はまだ共通テストの勉強で頭がいっぱいだと思いますが、この時期から少しずつ二次試験のことを考えておくことで、共通テストが終わった後にすぐに二次試験へと切り替えることができると思うので、少しでも参考にしていただけたら幸いです!
私は主選択をサッカー、副選択をバスケで受験しました。
1日目
【保体論述試験】
保健分野2題(150字×1、250字×1)
体育分野2題(150字×1、250字×1)
試験時間60分
保健体育の論述は、小論文のように自分の考えを書くのではなく、ある程度決まった解答を書かなければいけないため、保健体育の教科書を読み込むことが必要になってきます。私は高3の夏ごろから予備校に通い保体論述の対策を週に一回程度やっていましたが、本格的に勉強を始めたのは共通テストが終わってからでした。具体的には、教科書をとにかく何周も読み込むことから始め、そこからある程度暗記できてきたら、過去問などを元に自分で作った問題を解くということをひたすらやっていました。最終的には単語を思い浮かべた時にその分野の教科書の文章をほとんど言えるくらいには覚えたうえで試験に臨みました。また、かなり範囲も広いため山を張って勉強したくなりますが、問題は4つしかなく、もしも勉強をしなかった分野が出てしまったときに何も書けないとかなり点数を落としてしまう可能性があるので、大変だとは思いますがまんべんなくすべての分野に目を通しておくことが大事だと思います!
【主選択:サッカー】
はじめに30分程度アップをする時間があります。
・対面パス
センターサークル幅の距離で2人組のパス交換を行う。
・ドリブルからのシュート
ジグザクに置かれたコーンの外側を通るようにドリブルを行い、最後にシュートを打つ。
・4対2のポゼッション(1分×3セット)
鬼は時間交代で、順番に全員行う。
・ミニゲーム(5分×3セット)
受験生が12人だったため、6対6のミニゲームを行った。
*キーパーは全ての試験が終わった後に別でシュートストップ(6本)、クロスキャッチ→パントキック(左右2本ずつ)、ゴールキック(3本)のテストがありました。
当日はプレーする時間よりも待ち時間の方が長く、短い時間でアピールしなければいけない難しい状況ですが、あまり緊張しすぎず、いつも通りのプレーを心掛けることが何よりも大事だと思います。また、今まで一緒にプレーしたことのない人ばかりだと思うので、積極的にコミュニケーションをとって少しでも自分がプレーしやすい状況を作ることも大事だと思います。
2日目
【副選択:バスケ】
バスケもサッカーと同様、試験前にアップをする時間がありますが、ボールを触ることはできませんでした。
・ボード当て(30秒)
ボールをボードに当て、ペイントエリアのサイドラインを越える。
・8の字ドリブル(30秒)
ボール1個(主選択の場合は2個)で8の字のドリブルを行う。
・ゴール下シュート(30秒)
リング下から左右交互にシュートを行う。
・オールコート
往路:ボードに当てたボールをリバウンドキャッチ→コートサイドにいる補助学生にパス→パスをもらう→ドリブル→レイアップ
復路:ジグザグドリブル(コーンの置いてある3か所で技)→2ポイントシュート→3ポイントシュート
実技試験でバスケが他の競技と違うのは、最後のオールコートの種目以外はすべて数値として結果が出て、それがそのまま点数に繋がるということです。主観的な評価ではないため、練習した分結果として繋がりやすいというメリットもありますが、ミスを重ねてしまった際には大きく点数が下がってしまうというデメリットもあります。
私は副選択をバスケと1500mで迷いましたが、共通テストが終わった後に走り込める自信がなかったのと、キーパーの動きとの親和性も高く、自分1人で練習しやすいという理由で副選択にバスケを選びました。高3の10月ごろから高校のバスケ部の顧問の先生に授業の空きコマなどの時間を使って教えてもらいながら練習をしていました。練習を始めた当初は、とにかくすべての種目のコツをつかむためにひたすら練習していましたが、徐々に本番の状況に近づけるために、ボールを使わずにアップをして一発勝負で計測をするなどの練習もしていました。
私は10月の末までクラブチームでサッカーをやっていたため、周りと比べて明らかに勉強量が足りていないことに常に焦りを感じていました。また、受験生にとって勝負の夏と言われる夏休みも、練習でヘトヘトになりほとんど勉強に手がつきませんでした。だからこそ引退してからの2ヶ月間の追い込みはかなりきついと感じることも多かったですが、そんな時に心の支えとなったのは、切磋琢磨しながら一緒に勉強をしていた学校の友人や全力で受験を応援してくれるチームメイトでした。
模試の判定や周りの声が気になり、焦りや不安を感じることもあると思います。そんな時こそ、少し細かく今の自分の状況を分析して、科目ごとに「あと〇点取れるようにしよう!」と前向きに目標を立ててみてください。
受験を決して孤独な闘いと思わず、頼るところは周りを頼って、息抜きも大切に、最後の最後まで頑張ってほしいです。
長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんと一緒にプレーできる日を楽しみにしています!
米山優和(ゆず)

〈執筆者プロフィール〉
米山優和(よねやまゆうわ)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ゆず
前所属チーム:湘南ベルマーレ U-18 ガールズ
今回は、体育専門学群の二次試験の試験内容と私が行った対策について書かせていただこうと思います。
今はまだ共通テストの勉強で頭がいっぱいだと思いますが、この時期から少しずつ二次試験のことを考えておくことで、共通テストが終わった後にすぐに二次試験へと切り替えることができると思うので、少しでも参考にしていただけたら幸いです!
私は主選択をサッカー、副選択をバスケで受験しました。
1日目
【保体論述試験】
保健分野2題(150字×1、250字×1)
体育分野2題(150字×1、250字×1)
試験時間60分
保健体育の論述は、小論文のように自分の考えを書くのではなく、ある程度決まった解答を書かなければいけないため、保健体育の教科書を読み込むことが必要になってきます。私は高3の夏ごろから予備校に通い保体論述の対策を週に一回程度やっていましたが、本格的に勉強を始めたのは共通テストが終わってからでした。具体的には、教科書をとにかく何周も読み込むことから始め、そこからある程度暗記できてきたら、過去問などを元に自分で作った問題を解くということをひたすらやっていました。最終的には単語を思い浮かべた時にその分野の教科書の文章をほとんど言えるくらいには覚えたうえで試験に臨みました。また、かなり範囲も広いため山を張って勉強したくなりますが、問題は4つしかなく、もしも勉強をしなかった分野が出てしまったときに何も書けないとかなり点数を落としてしまう可能性があるので、大変だとは思いますがまんべんなくすべての分野に目を通しておくことが大事だと思います!
【主選択:サッカー】
はじめに30分程度アップをする時間があります。
・対面パス
センターサークル幅の距離で2人組のパス交換を行う。
・ドリブルからのシュート
ジグザクに置かれたコーンの外側を通るようにドリブルを行い、最後にシュートを打つ。
・4対2のポゼッション(1分×3セット)
鬼は時間交代で、順番に全員行う。
・ミニゲーム(5分×3セット)
受験生が12人だったため、6対6のミニゲームを行った。
*キーパーは全ての試験が終わった後に別でシュートストップ(6本)、クロスキャッチ→パントキック(左右2本ずつ)、ゴールキック(3本)のテストがありました。
当日はプレーする時間よりも待ち時間の方が長く、短い時間でアピールしなければいけない難しい状況ですが、あまり緊張しすぎず、いつも通りのプレーを心掛けることが何よりも大事だと思います。また、今まで一緒にプレーしたことのない人ばかりだと思うので、積極的にコミュニケーションをとって少しでも自分がプレーしやすい状況を作ることも大事だと思います。
2日目
【副選択:バスケ】
バスケもサッカーと同様、試験前にアップをする時間がありますが、ボールを触ることはできませんでした。
・ボード当て(30秒)
ボールをボードに当て、ペイントエリアのサイドラインを越える。
・8の字ドリブル(30秒)
ボール1個(主選択の場合は2個)で8の字のドリブルを行う。
・ゴール下シュート(30秒)
リング下から左右交互にシュートを行う。
・オールコート
往路:ボードに当てたボールをリバウンドキャッチ→コートサイドにいる補助学生にパス→パスをもらう→ドリブル→レイアップ
復路:ジグザグドリブル(コーンの置いてある3か所で技)→2ポイントシュート→3ポイントシュート
実技試験でバスケが他の競技と違うのは、最後のオールコートの種目以外はすべて数値として結果が出て、それがそのまま点数に繋がるということです。主観的な評価ではないため、練習した分結果として繋がりやすいというメリットもありますが、ミスを重ねてしまった際には大きく点数が下がってしまうというデメリットもあります。
私は副選択をバスケと1500mで迷いましたが、共通テストが終わった後に走り込める自信がなかったのと、キーパーの動きとの親和性も高く、自分1人で練習しやすいという理由で副選択にバスケを選びました。高3の10月ごろから高校のバスケ部の顧問の先生に授業の空きコマなどの時間を使って教えてもらいながら練習をしていました。練習を始めた当初は、とにかくすべての種目のコツをつかむためにひたすら練習していましたが、徐々に本番の状況に近づけるために、ボールを使わずにアップをして一発勝負で計測をするなどの練習もしていました。
私は10月の末までクラブチームでサッカーをやっていたため、周りと比べて明らかに勉強量が足りていないことに常に焦りを感じていました。また、受験生にとって勝負の夏と言われる夏休みも、練習でヘトヘトになりほとんど勉強に手がつきませんでした。だからこそ引退してからの2ヶ月間の追い込みはかなりきついと感じることも多かったですが、そんな時に心の支えとなったのは、切磋琢磨しながら一緒に勉強をしていた学校の友人や全力で受験を応援してくれるチームメイトでした。
模試の判定や周りの声が気になり、焦りや不安を感じることもあると思います。そんな時こそ、少し細かく今の自分の状況を分析して、科目ごとに「あと〇点取れるようにしよう!」と前向きに目標を立ててみてください。
受験を決して孤独な闘いと思わず、頼るところは周りを頼って、息抜きも大切に、最後の最後まで頑張ってほしいです。
長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんと一緒にプレーできる日を楽しみにしています!
米山優和(ゆず)

〈執筆者プロフィール〉
米山優和(よねやまゆうわ)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ゆず
前所属チーム:湘南ベルマーレ U-18 ガールズ
2024年11月20日
体育専門学群 一般入試(副選択 陸上競技1500m) 半田佳苗
こんにちは。
体育専門学群1年の半田佳苗(#29 ロー)です。
受験生の皆さん共通テストまで残り2ヶ月となり、焦りを感じている時期だと思いますが、今まで取り組んで来たことに自信を持って最後まで諦めずに頑張ってください。疲れも溜まっていると思うので、勉強の合間に息抜きとして読んでいただけたら幸いです。
ここからは二次試験(実技試験と論述試験)の詳細と対策を紹介します。私は、主選択はサッカー、副選択は陸上競技の1500mで受験しました。試験当日のスケジュールに沿って説明していきますのでぜひ参考にしてください。
1日目
午前【論述試験】
<出題形式>保健分野2題(150字1題、250字1題)、体育分野2題(150字1題、250字1題)
<試験時間>60分
<対策>
私は論述試験の対策を本格的に始めたのは共通テストが終わってからでした。実技試験の対策と私立大学の入試対策と並行して勉強していました。主な勉強方法としては教科書の太文字の部分をノートにまとめて知識をインプットし、過去問などでアウトプットすることを意識していました。私は大修館書店の現代高等保健体育(学校で配布されたもの)と同じく大修館書店の最新高等保健体育(教科書販売店で購入したもの)という2冊の教科書を使って対策していました。基本的には学校で配布された教科書1冊で充分ですが、それぞれの教科書で使って良かったと思う点があったので個人的には2冊を使った価値があったと感じています。現代高等保健体育はフォーマルな文体で書かれていて、より細かい知識が書かれています。一方、最新高等保健体育はカジュアルな文体で書かれていて、イラストが多く使われていてわかりやすいです。また、各単元の最初にまとめとして使える練習問題のようなものが書かれていたので、それを活用して説明する練習をしていました。論述試験では知識が暗記できているかがとても重要なので、インプットだけでなくアウトプットも必ず行うことを意識すれば、試験当日も焦ることなく自信を持って臨めると思います。
午後【主選択:サッカー】
<試験内容>
・パス
渡されたビブスの番号の順で二人組になり、センターサークル幅の距離でパスを2回行いました。
・ドリブルシュート
ジグザグに置かれたコーンの外側を通るようにドリブルからのシュートを2回行いました。ドリブルは滑らかにシュートは力強く打つことがポイントです。
・4対2のボール回し(1分×3セット)
鬼は時間交代で順番に全員で行いました。守備の時はペアになった人と2人で奪いきれるようにコミュニケーションを取ることが重要だと思います。
・ゲーム(5分×3セット)
受験者が12人だったため、6対6のミニゲームを行いました。
サッカーは男子と同じ時間で行われるため、待ち時間が少し長いです。私たちの試験日は雨が降っていたため、とても寒かったです。雨の場合は待ち時間の時に着る防寒着などがあってもいいかもしれません。サッカーは、採点基準が他のスポーツに比べると明確ではないため、対策が難しいと思いますが、どれだけ自分のプレーに自信を持って積極的にプレーできるかが重要だと感じたので、自分が今まで努力してきたことに自信を持って悔いのないようにプレーしてほしいと思います。
2日目
午前【副選択:陸上競技1500m】
<試験内容>
順番は1500m→100m→400mの順で行われました。男子が10人ずつで3レース行われて、その後に女子は10人1レース行われました。アップ時間はちゃんとトラックを使用できたのは30分程度で、男子のレースが終わるまでトラックの端を使ってアップできました。400m、800m、1200mの通過タイムは試験官が読み上げてくれますが、最後のタイムは教えてもらえないので、練習からどのくらいで走ればどのくらいのタイムが出るのか意識して感覚をつかんでおくことは重要だと思います。
<対策>
私が本格的に1500mの練習を始めたのは共通テストの後からでした。共通テスト後に学校が実技試験の補講をしてくれたため、陸上部の顧問の先生にメニューを作成してもらい、そのメニュー通りに練習していました。
メニュー例
①インターバル
200m36秒で走る→200m2分目安でジョグを10セット
②インターバル
400m80秒で走る→200m2分目安でジョグを8セット
③インターバル
1000mを3分40秒で走る(400m88秒を守る)→400mをゆっくりジョグ又は歩くのを3セット
④レペティション
200mを34秒で走る→5分完全休息を8セット
⑤レペティション
400mを78秒で走る→5分完全休息を6セット
⑥実践タイムチェック
700mを1500mの目標タイムを基に決めたタイムで走る→10分レスト→400mを76秒以内で走る
⑦タイムトライアル
1500m走る
これらのメニューから日ごとに一つ選び、20分ジョグと組み合わせて練習していました。週に2回はサッカーのチームの練習に参加し、週1回はオフ日としていたので、週4回でこれらのメニューを行っていました。⑦タイムトライアルは2週間に1回程度で行い、10日前に確認として行うのを最後とするのが良いと思います。前々日などの最後の調整としては⑥実践タイムチェックの700mのみを行う程度で十分だと思います。
ここまで対策の話をしてきましたが、練習することと同じくらい大事なことがあります。それは「レースシューズ」です。走る前に全員シューズのチェックを受けます。そこで厚底シューズやその他陸上競技規則に反するものを履いていたら、得点調整の対象となってしまうので本当に気をつけてください。スポーツショップなどで1500m対応のシューズを探せばあると思うので、本格的に練習を始める前に探してみてください。
私の場合、共通テストのリサーチがE判定だったので、二次試験で相当挽回しなければいけない状況でした。模試もずっとE判定だったので二次試験で挽回する覚悟はできていましたが、不安になりながら実技試験の対策をしていました。今、あの時を振り返ると最後まで諦めなくて良かったと本当に思います。受験勉強は本当に大変なことばかりです。時にくじけそうになることもありました。それでも筑波大学に入って女子サッカー部でプレーするというなりたい自分をイメージし続けたことが一番大きなモチベーションになったと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。苦しい時がたくさんあると思いますが、努力してきた自分自身が必ず味方になってくれると思います。自分を信じて、最後まで諦めずに共通テスト、二次試験に向けて頑張ってください。皆さんとお会いできる日を楽しみにしています!
半田佳苗(#29 ロー)

〈執筆者プロフィール〉
半田佳苗(はんだかなえ)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ロー
前所属チーム:スフィーダ世田谷U-18
体育専門学群1年の半田佳苗(#29 ロー)です。
受験生の皆さん共通テストまで残り2ヶ月となり、焦りを感じている時期だと思いますが、今まで取り組んで来たことに自信を持って最後まで諦めずに頑張ってください。疲れも溜まっていると思うので、勉強の合間に息抜きとして読んでいただけたら幸いです。
ここからは二次試験(実技試験と論述試験)の詳細と対策を紹介します。私は、主選択はサッカー、副選択は陸上競技の1500mで受験しました。試験当日のスケジュールに沿って説明していきますのでぜひ参考にしてください。
1日目
午前【論述試験】
<出題形式>保健分野2題(150字1題、250字1題)、体育分野2題(150字1題、250字1題)
<試験時間>60分
<対策>
私は論述試験の対策を本格的に始めたのは共通テストが終わってからでした。実技試験の対策と私立大学の入試対策と並行して勉強していました。主な勉強方法としては教科書の太文字の部分をノートにまとめて知識をインプットし、過去問などでアウトプットすることを意識していました。私は大修館書店の現代高等保健体育(学校で配布されたもの)と同じく大修館書店の最新高等保健体育(教科書販売店で購入したもの)という2冊の教科書を使って対策していました。基本的には学校で配布された教科書1冊で充分ですが、それぞれの教科書で使って良かったと思う点があったので個人的には2冊を使った価値があったと感じています。現代高等保健体育はフォーマルな文体で書かれていて、より細かい知識が書かれています。一方、最新高等保健体育はカジュアルな文体で書かれていて、イラストが多く使われていてわかりやすいです。また、各単元の最初にまとめとして使える練習問題のようなものが書かれていたので、それを活用して説明する練習をしていました。論述試験では知識が暗記できているかがとても重要なので、インプットだけでなくアウトプットも必ず行うことを意識すれば、試験当日も焦ることなく自信を持って臨めると思います。
午後【主選択:サッカー】
<試験内容>
・パス
渡されたビブスの番号の順で二人組になり、センターサークル幅の距離でパスを2回行いました。
・ドリブルシュート
ジグザグに置かれたコーンの外側を通るようにドリブルからのシュートを2回行いました。ドリブルは滑らかにシュートは力強く打つことがポイントです。
・4対2のボール回し(1分×3セット)
鬼は時間交代で順番に全員で行いました。守備の時はペアになった人と2人で奪いきれるようにコミュニケーションを取ることが重要だと思います。
・ゲーム(5分×3セット)
受験者が12人だったため、6対6のミニゲームを行いました。
サッカーは男子と同じ時間で行われるため、待ち時間が少し長いです。私たちの試験日は雨が降っていたため、とても寒かったです。雨の場合は待ち時間の時に着る防寒着などがあってもいいかもしれません。サッカーは、採点基準が他のスポーツに比べると明確ではないため、対策が難しいと思いますが、どれだけ自分のプレーに自信を持って積極的にプレーできるかが重要だと感じたので、自分が今まで努力してきたことに自信を持って悔いのないようにプレーしてほしいと思います。
2日目
午前【副選択:陸上競技1500m】
<試験内容>
順番は1500m→100m→400mの順で行われました。男子が10人ずつで3レース行われて、その後に女子は10人1レース行われました。アップ時間はちゃんとトラックを使用できたのは30分程度で、男子のレースが終わるまでトラックの端を使ってアップできました。400m、800m、1200mの通過タイムは試験官が読み上げてくれますが、最後のタイムは教えてもらえないので、練習からどのくらいで走ればどのくらいのタイムが出るのか意識して感覚をつかんでおくことは重要だと思います。
<対策>
私が本格的に1500mの練習を始めたのは共通テストの後からでした。共通テスト後に学校が実技試験の補講をしてくれたため、陸上部の顧問の先生にメニューを作成してもらい、そのメニュー通りに練習していました。
メニュー例
①インターバル
200m36秒で走る→200m2分目安でジョグを10セット
②インターバル
400m80秒で走る→200m2分目安でジョグを8セット
③インターバル
1000mを3分40秒で走る(400m88秒を守る)→400mをゆっくりジョグ又は歩くのを3セット
④レペティション
200mを34秒で走る→5分完全休息を8セット
⑤レペティション
400mを78秒で走る→5分完全休息を6セット
⑥実践タイムチェック
700mを1500mの目標タイムを基に決めたタイムで走る→10分レスト→400mを76秒以内で走る
⑦タイムトライアル
1500m走る
これらのメニューから日ごとに一つ選び、20分ジョグと組み合わせて練習していました。週に2回はサッカーのチームの練習に参加し、週1回はオフ日としていたので、週4回でこれらのメニューを行っていました。⑦タイムトライアルは2週間に1回程度で行い、10日前に確認として行うのを最後とするのが良いと思います。前々日などの最後の調整としては⑥実践タイムチェックの700mのみを行う程度で十分だと思います。
ここまで対策の話をしてきましたが、練習することと同じくらい大事なことがあります。それは「レースシューズ」です。走る前に全員シューズのチェックを受けます。そこで厚底シューズやその他陸上競技規則に反するものを履いていたら、得点調整の対象となってしまうので本当に気をつけてください。スポーツショップなどで1500m対応のシューズを探せばあると思うので、本格的に練習を始める前に探してみてください。
私の場合、共通テストのリサーチがE判定だったので、二次試験で相当挽回しなければいけない状況でした。模試もずっとE判定だったので二次試験で挽回する覚悟はできていましたが、不安になりながら実技試験の対策をしていました。今、あの時を振り返ると最後まで諦めなくて良かったと本当に思います。受験勉強は本当に大変なことばかりです。時にくじけそうになることもありました。それでも筑波大学に入って女子サッカー部でプレーするというなりたい自分をイメージし続けたことが一番大きなモチベーションになったと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。苦しい時がたくさんあると思いますが、努力してきた自分自身が必ず味方になってくれると思います。自分を信じて、最後まで諦めずに共通テスト、二次試験に向けて頑張ってください。皆さんとお会いできる日を楽しみにしています!
半田佳苗(#29 ロー)

〈執筆者プロフィール〉
半田佳苗(はんだかなえ)
学年:1年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ロー
前所属チーム:スフィーダ世田谷U-18
2024年11月18日
総合学域群 一般入試 木下すみれ
こんにちは。
総合学域群1年の木下すみれ(#26 なの)です。
受験生の皆さん、受験勉強お疲れ様です!
受験が2、3ヶ月後に迫った今、思うように受験勉強が進まずに苦しい思いをしている方も多くいるかと思います。私も昨年のこの時期は受験が現実味を帯びてくると同時に、自分の実力に不安を感じて、精神的に追い込まれていたように思います。何が正解かも分からずにがむしゃらに勉強してきたので、自分の勉強方法が絶対に正しいとは言えませんが、自分のブログが少しでも受験勉強に不安を感じている受験生の参考になれば嬉しいです。
まず自分がどういう流れで受験勉強を進めていったかについて書いていきたいと思います。
私は6月にサッカーを引退して、7月から本格的に受験勉強をスタートしました。7月から11月終わりまではとにかく基礎固めに集中して、共通テストや二次試験の実践的な演習はしていませんでした。(筑波の入試のレベルとその時の自分の実力との差を実感するために夏休みに一回だけ筑波大学の過去問を解きました。この時は全く歯が立ちませんでした。)11月終わりから共通テスト(以下共テ)まではひたすら共テの勉強、共テが終わってからはひたすら筑波の過去問を解くという感じで受験勉強を進めていきました。共テ前も定期的に二次の対策をしておくべきだという考えもありますが、私にはそんな余裕がなかったのでとにかく目の前の共テのことだけ考えて勉強し、共テが終わった後にその分を取り返そうという思いで筑波の過去問を16年分解きました。
次に教科ごとに自分がやっていた勉強方法について書いていこうと思います。私は共テでは国語、数学IA・IIB、英語、世界史、地理、地学基礎・生物基礎の5教科7科目を受け、二次試験では国語、数学、英語の3教科を受けました。二次試験は全て記述式です。総合学域群(文系)の二次試験では国語、英語は必須で、もう1教科は数学か社会系の教科か選択できます。社会系の教科は問題数が少なく、難易度が高いのに比べて数学は基本的な問題が多く出る傾向にあるので個人的には数学を選択するのをおすすめします。
【国語】
共テの国語は慣れが重要だと思っていたので、センター試験の時代にまで遡ってたくさん過去問を解きました。国語は問題文の中に必ず答えがあるので、それっぽい選択肢に惑わされず問題文に書かれていることを正しく説明している選択肢を選ぶように意識していました。
二次の国語の対策としては、筑波の過去問や他の大学の過去問などをしていました。それに加えて、現代文は「国公立標準問題集CanPass現代文」という参考書を使って記述力を鍛えました。古文は学校でもらった古文単語帳を繰り返し読んで単語を覚え、「体系古典文法」という参考書で文法の確認をしていました。助動詞と敬語をしっかり覚えることが鍵になってくると思います。漢文は「漢文早覚え速読法」という参考書を使っていました。漢文の文法は覚えるのが難しかったので、例文を唱えて例文ごと覚えていました。
【数学IA・IIB】
私は本当に数学が苦手だったので7月から11月終わりまでは基礎のキから叩き直しました。数学が得意な友達に相談に行った時に「こんなのもわからないの?」みたいな顔をされたこともあります。(笑)それでも、ひたむきに基礎を固めたことで最初は伸びなかった成績が秋頃にどんどん伸びてくるようになりました。今となってはあの時に発展問題に急ぐのではなく、自分の実力を受け止めて基礎を固めたのは正解だったなと思います。
私が使っていた参考書は「文系の数学」です。基礎の赤と発展の青がありますが、私はまず赤をどの問題が出ても完璧に解けると言えるくらいまで繰り返して(4、5回やった)、それから青を何回かやりました。正直、青は奇問が結構あるので文系であれば完璧にする必要はないと思います。「基礎問題精講」なども基礎を固めるのに良いと思いますが、「文系の数学」よりは問題数が多いので少し大変かもしれません。どの参考書を使っても良いですが、大切なことは自分が信じた参考書を何回も何回もやって完璧にすることだと思います。友達がやっている参考書やSNSでおすすめされている参考書が良さそうに見えてしまうこともあるかもしれませんが、複数の参考書に手を出して中途半端になるよりは一つの参考書を完璧にした方が力がつくと思います。
11月終わりからは共テの実践的な演習をしました。私は二次に比べて共テの数学が苦手だったのでなかなか良い点数が取れませんでしたが、時間配分を考えて1点でも多く取ろうという意識を大切にしていました。
共テが終わってからは筑波の過去問を何回も繰り返して解きました。過去問を解いていく中で一度出会った問題を確実に解けるようにしていくことが大切だと思います。また、筑波は奇問が少なく、典型的な問題が多いので、夏から秋にかけて基礎固めした成果をここで実感することができました。
【英語】
英語は毎日一つは必ず長文を読むようにしていました。私は英文を読むのがとても遅かったので長文を読む時は時間を設定していました。また、自分は電車とバスを使って通学していたので通学中はずっと英単語帳を見ていました。余裕がある時は家で音読やシャドーイングもしていました。
共テ直前の冬休みは毎日1年分共テの過去問か対策問題を解きました。共テは文章量がとても多いので大問ごとにかける時間を決めてやるようにしていました。
二次の対策としては筑波の過去問だけでなく他の大学の過去問もやるようにして、とにかくたくさん英文を読みました。英作文は学校の先生に添削をしてもらったり、それが難しい時はChatGPTを使って添削したりしました。自分では上手く書けているつもりでも、添削してもらうと改善点が山ほど出てくるので英作文は誰かに添削してもらうことを強くおすすめします。
【世界史】
世界史はコツコツやることが本当に大切です。覚えることが本当に多くて受験直前になってから本気を出すのでは結構厳しいと思うので、定期テストごとにきちんと復習しておくと良いと思います。
私は学校でもらった資料集と「時代と流れで覚える!世界史B用語集」を使っていました。お風呂上がりの髪の毛を乾かしている時間や移動時間、寝る前のちょっとした時間などの隙間時間にも意識して資料集や用語集を読むようにしていました。
【地理】
地理はよく問題で出される統計資料を覚えておくと良いと思います。私は地理の先生が作ってくれた語呂で覚えていました。また、共テでは資料がたくさん出てくるので複数の資料の読み取りに慣れておくことが大切です。
【地学基礎】
地学基礎は教科書や学校でもらったプリントを繰り返し読んで覚えました。教科書の内容がしっかり抑えられていれば共テは対応できると思います。
【生物基礎】
生物基礎は教科書と学校でもらった参考書を使って勉強していました。また、授業でたくさん演習をする機会があったので、その演習で間違えたところを周辺知識も合わせて復習するようにしていました。
自分の勉強方法をここまで書いてきましたが、これが正解というわけではないので、自分に合った勉強方法を見つけて合格を掴み取ってほしいです。
昨年の自分を思い出すと、自分が筑波大学に合格できるのかという不安を抱えながら常に神経をすり減らして過ごしていたように思います。友達と自分を比べて落ち込んだり、勉強しても成績が伸びず苦しんだり、計画通りに勉強が進まなくて焦ったりと、つらいことはたくさんあると思います。また、受験生特有の人間関係の難しさもあるかもしれません。いろんなことに追い込まれてつらくなった時でも目標だけは絶対に見失わないでほしいです。一年後、こうなっていたいと思う自分の姿を想像してそのために今できることを全てやる。「筑波大学を受験する誰よりも勉強した」と言えるくらいまでやり尽くす。もちろん口で言うほど簡単なことではありませんが、目標に向かって馬鹿みたいに努力したという経験は自分に自信を与えてくれるし、これからの人生でも大きな武器になると思います。これを読んでくださっている受験生の皆さんが後悔なく残りの2、3ヶ月を走り抜き、それぞれが自分の目標を達成できるよう願っています!そして、毎日頑張っている皆さんを心から応援しています!がんばれ!!!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
木下すみれ(#26 なの)

〈執筆者プロフィール〉
木下すみれ(きのしたすみれ)
学年:1年
学群・学類:総合学域群
コートネーム:なの
前所属チーム:北陸大学フィオリーレ
総合学域群1年の木下すみれ(#26 なの)です。
受験生の皆さん、受験勉強お疲れ様です!
受験が2、3ヶ月後に迫った今、思うように受験勉強が進まずに苦しい思いをしている方も多くいるかと思います。私も昨年のこの時期は受験が現実味を帯びてくると同時に、自分の実力に不安を感じて、精神的に追い込まれていたように思います。何が正解かも分からずにがむしゃらに勉強してきたので、自分の勉強方法が絶対に正しいとは言えませんが、自分のブログが少しでも受験勉強に不安を感じている受験生の参考になれば嬉しいです。
まず自分がどういう流れで受験勉強を進めていったかについて書いていきたいと思います。
私は6月にサッカーを引退して、7月から本格的に受験勉強をスタートしました。7月から11月終わりまではとにかく基礎固めに集中して、共通テストや二次試験の実践的な演習はしていませんでした。(筑波の入試のレベルとその時の自分の実力との差を実感するために夏休みに一回だけ筑波大学の過去問を解きました。この時は全く歯が立ちませんでした。)11月終わりから共通テスト(以下共テ)まではひたすら共テの勉強、共テが終わってからはひたすら筑波の過去問を解くという感じで受験勉強を進めていきました。共テ前も定期的に二次の対策をしておくべきだという考えもありますが、私にはそんな余裕がなかったのでとにかく目の前の共テのことだけ考えて勉強し、共テが終わった後にその分を取り返そうという思いで筑波の過去問を16年分解きました。
次に教科ごとに自分がやっていた勉強方法について書いていこうと思います。私は共テでは国語、数学IA・IIB、英語、世界史、地理、地学基礎・生物基礎の5教科7科目を受け、二次試験では国語、数学、英語の3教科を受けました。二次試験は全て記述式です。総合学域群(文系)の二次試験では国語、英語は必須で、もう1教科は数学か社会系の教科か選択できます。社会系の教科は問題数が少なく、難易度が高いのに比べて数学は基本的な問題が多く出る傾向にあるので個人的には数学を選択するのをおすすめします。
【国語】
共テの国語は慣れが重要だと思っていたので、センター試験の時代にまで遡ってたくさん過去問を解きました。国語は問題文の中に必ず答えがあるので、それっぽい選択肢に惑わされず問題文に書かれていることを正しく説明している選択肢を選ぶように意識していました。
二次の国語の対策としては、筑波の過去問や他の大学の過去問などをしていました。それに加えて、現代文は「国公立標準問題集CanPass現代文」という参考書を使って記述力を鍛えました。古文は学校でもらった古文単語帳を繰り返し読んで単語を覚え、「体系古典文法」という参考書で文法の確認をしていました。助動詞と敬語をしっかり覚えることが鍵になってくると思います。漢文は「漢文早覚え速読法」という参考書を使っていました。漢文の文法は覚えるのが難しかったので、例文を唱えて例文ごと覚えていました。
【数学IA・IIB】
私は本当に数学が苦手だったので7月から11月終わりまでは基礎のキから叩き直しました。数学が得意な友達に相談に行った時に「こんなのもわからないの?」みたいな顔をされたこともあります。(笑)それでも、ひたむきに基礎を固めたことで最初は伸びなかった成績が秋頃にどんどん伸びてくるようになりました。今となってはあの時に発展問題に急ぐのではなく、自分の実力を受け止めて基礎を固めたのは正解だったなと思います。
私が使っていた参考書は「文系の数学」です。基礎の赤と発展の青がありますが、私はまず赤をどの問題が出ても完璧に解けると言えるくらいまで繰り返して(4、5回やった)、それから青を何回かやりました。正直、青は奇問が結構あるので文系であれば完璧にする必要はないと思います。「基礎問題精講」なども基礎を固めるのに良いと思いますが、「文系の数学」よりは問題数が多いので少し大変かもしれません。どの参考書を使っても良いですが、大切なことは自分が信じた参考書を何回も何回もやって完璧にすることだと思います。友達がやっている参考書やSNSでおすすめされている参考書が良さそうに見えてしまうこともあるかもしれませんが、複数の参考書に手を出して中途半端になるよりは一つの参考書を完璧にした方が力がつくと思います。
11月終わりからは共テの実践的な演習をしました。私は二次に比べて共テの数学が苦手だったのでなかなか良い点数が取れませんでしたが、時間配分を考えて1点でも多く取ろうという意識を大切にしていました。
共テが終わってからは筑波の過去問を何回も繰り返して解きました。過去問を解いていく中で一度出会った問題を確実に解けるようにしていくことが大切だと思います。また、筑波は奇問が少なく、典型的な問題が多いので、夏から秋にかけて基礎固めした成果をここで実感することができました。
【英語】
英語は毎日一つは必ず長文を読むようにしていました。私は英文を読むのがとても遅かったので長文を読む時は時間を設定していました。また、自分は電車とバスを使って通学していたので通学中はずっと英単語帳を見ていました。余裕がある時は家で音読やシャドーイングもしていました。
共テ直前の冬休みは毎日1年分共テの過去問か対策問題を解きました。共テは文章量がとても多いので大問ごとにかける時間を決めてやるようにしていました。
二次の対策としては筑波の過去問だけでなく他の大学の過去問もやるようにして、とにかくたくさん英文を読みました。英作文は学校の先生に添削をしてもらったり、それが難しい時はChatGPTを使って添削したりしました。自分では上手く書けているつもりでも、添削してもらうと改善点が山ほど出てくるので英作文は誰かに添削してもらうことを強くおすすめします。
【世界史】
世界史はコツコツやることが本当に大切です。覚えることが本当に多くて受験直前になってから本気を出すのでは結構厳しいと思うので、定期テストごとにきちんと復習しておくと良いと思います。
私は学校でもらった資料集と「時代と流れで覚える!世界史B用語集」を使っていました。お風呂上がりの髪の毛を乾かしている時間や移動時間、寝る前のちょっとした時間などの隙間時間にも意識して資料集や用語集を読むようにしていました。
【地理】
地理はよく問題で出される統計資料を覚えておくと良いと思います。私は地理の先生が作ってくれた語呂で覚えていました。また、共テでは資料がたくさん出てくるので複数の資料の読み取りに慣れておくことが大切です。
【地学基礎】
地学基礎は教科書や学校でもらったプリントを繰り返し読んで覚えました。教科書の内容がしっかり抑えられていれば共テは対応できると思います。
【生物基礎】
生物基礎は教科書と学校でもらった参考書を使って勉強していました。また、授業でたくさん演習をする機会があったので、その演習で間違えたところを周辺知識も合わせて復習するようにしていました。
自分の勉強方法をここまで書いてきましたが、これが正解というわけではないので、自分に合った勉強方法を見つけて合格を掴み取ってほしいです。
昨年の自分を思い出すと、自分が筑波大学に合格できるのかという不安を抱えながら常に神経をすり減らして過ごしていたように思います。友達と自分を比べて落ち込んだり、勉強しても成績が伸びず苦しんだり、計画通りに勉強が進まなくて焦ったりと、つらいことはたくさんあると思います。また、受験生特有の人間関係の難しさもあるかもしれません。いろんなことに追い込まれてつらくなった時でも目標だけは絶対に見失わないでほしいです。一年後、こうなっていたいと思う自分の姿を想像してそのために今できることを全てやる。「筑波大学を受験する誰よりも勉強した」と言えるくらいまでやり尽くす。もちろん口で言うほど簡単なことではありませんが、目標に向かって馬鹿みたいに努力したという経験は自分に自信を与えてくれるし、これからの人生でも大きな武器になると思います。これを読んでくださっている受験生の皆さんが後悔なく残りの2、3ヶ月を走り抜き、それぞれが自分の目標を達成できるよう願っています!そして、毎日頑張っている皆さんを心から応援しています!がんばれ!!!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
木下すみれ(#26 なの)

〈執筆者プロフィール〉
木下すみれ(きのしたすみれ)
学年:1年
学群・学類:総合学域群
コートネーム:なの
前所属チーム:北陸大学フィオリーレ
2024年11月17日
社会・国際学群社会学類 推薦入試 熊野亜琴
社会・国際学群社会学類1年の熊野亜琴(#23 あず)です。
今回は社会・国際学群社会学類の推薦入試についてのブログを書かせていただきます。
少しでも受験生のみなさんの力になれたら幸いです。
まず試験内容についてです。
【日程】
1日目 小論文90分間 面接20分間程度
2日目 なし
【小論文】
資料を読み、それを読んで考えたことまた、その文書の発展的な質問に対して考えたことを社会学的視点から、600字×2程度で述べる。
小論文の問題形式は年によって違いはありますが、資料と社会問題を関連づけて、その上で自分の考えを論じることが重要な要素になると思います。また、一昨年までは資料の量がそこまで多くありませんでしたが、昨年はA4用紙4枚分の資料が配られ、その資料を時間内に問題文の趣旨を読み取り自身の意見をまとめる必要があると思います。社会学的視点から見る力が問われる試験のため、ニュースや新聞に毎日触れ、毎回さまざまな角度から社会学的視点で見る力を身につけておくと良いと思います。
【面接】
志望理由に関する質問
専攻に関する質問
一般的な質問
面接で、小論文の内容を聞かれる年もあるそうですが、昨年度は主に3-4年次に進みたい専攻について、3人の面接官から2つずつ聞かれました。選択しようと考えている専攻の視点から、社会問題をどう解決するかという質問を深掘って聞かれました。
一般的な質問では、高校生活で頑張ったことを聞かれました。
面接練習をする時は、一般的な質問に答えることはもちろんのこと、選択するつもりでいる専攻の視点からさまざまな社会問題について、自分の考えを瞬時に言葉にできるようにすることが重要だと思います。
月曜日の部活がオフの日に、信頼できる先生に小論文と面接の両方を見てもらいました。焦って、あまりうまくいかない時も、その信頼できる先生に相談していました。
一番大切なことは、信頼できる人を探し、頼りまくることだと思います。
長くなりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。
熊野亜琴(#23 あず)

〈執筆者プロフィール〉
熊野亜琴(くまのあこ)
学年:1年
学群・学類:社会・国際学群社会学類
コートネーム:あず
前所属チーム:桐蔭学園高等学校
今回は社会・国際学群社会学類の推薦入試についてのブログを書かせていただきます。
少しでも受験生のみなさんの力になれたら幸いです。
まず試験内容についてです。
【日程】
1日目 小論文90分間 面接20分間程度
2日目 なし
【小論文】
資料を読み、それを読んで考えたことまた、その文書の発展的な質問に対して考えたことを社会学的視点から、600字×2程度で述べる。
小論文の問題形式は年によって違いはありますが、資料と社会問題を関連づけて、その上で自分の考えを論じることが重要な要素になると思います。また、一昨年までは資料の量がそこまで多くありませんでしたが、昨年はA4用紙4枚分の資料が配られ、その資料を時間内に問題文の趣旨を読み取り自身の意見をまとめる必要があると思います。社会学的視点から見る力が問われる試験のため、ニュースや新聞に毎日触れ、毎回さまざまな角度から社会学的視点で見る力を身につけておくと良いと思います。
【面接】
志望理由に関する質問
専攻に関する質問
一般的な質問
面接で、小論文の内容を聞かれる年もあるそうですが、昨年度は主に3-4年次に進みたい専攻について、3人の面接官から2つずつ聞かれました。選択しようと考えている専攻の視点から、社会問題をどう解決するかという質問を深掘って聞かれました。
一般的な質問では、高校生活で頑張ったことを聞かれました。
面接練習をする時は、一般的な質問に答えることはもちろんのこと、選択するつもりでいる専攻の視点からさまざまな社会問題について、自分の考えを瞬時に言葉にできるようにすることが重要だと思います。
月曜日の部活がオフの日に、信頼できる先生に小論文と面接の両方を見てもらいました。焦って、あまりうまくいかない時も、その信頼できる先生に相談していました。
一番大切なことは、信頼できる人を探し、頼りまくることだと思います。
長くなりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。
熊野亜琴(#23 あず)

〈執筆者プロフィール〉
熊野亜琴(くまのあこ)
学年:1年
学群・学類:社会・国際学群社会学類
コートネーム:あず
前所属チーム:桐蔭学園高等学校
2024年10月19日
女サカのPick Up!! ver.2 #35 大牧芽依

2021年に行ったブログ企画「女サカのPick Up!!」第2弾!!
今回はスポンサー班 大牧芽依にインタビューしました!
ーーまず、スポンサー班発足の経緯について教えてください!
2021年夏にスポンサー班が発足しました。きっかけは、2021年度卒の千葉玲海菜選手の個人スポンサーであったXF様に、チーム全体を応援していただけることになったことです。
ここから班を発足し、スポンサー活動を行っている蹴球部やラグビー部に話を聞きながら、基盤を整えました。
2022シーズンからはXF様と、2023シーズンからはtei GLOBAL様、アジア住販様、つくば市農業協同組合様、レバレジーズ様と、2024シーズンからはAGRI CARE様と、共に活動させていただいております。
ーースポンサー班の活動目的について教えてください!
「活動資金を得る」ことです。選手がよりサッカーに集中できる環境を作ることが目的です。
背景としては、
・国立大学の部活動であるため、大学から支給される活動資金が少ない。
・学生主体のチームであり、学業や部活動に費やす時間が多いため、アルバイトをする時間が十分に確保できない。
・試合の交通費等、個人への金銭的な負担が大きい。
ことが挙げられます。
ーー活動内容と現状について教えてください!
現在は6社の企業様と共に活動させていただいております。日頃から応援してくださる企業様は私たちにとって大きな存在で、日々感謝をしております。
今年度は初の試みとして、XF様にご協力いただき「Tsukuba girls Festival 2024」を開催しました。XF様に素敵なオリジナルTシャツを作成していただき、参加してくれた約70名の少女にプレゼントして、部員と一緒に様々なアクティビティを行いました。
これはあくまで一例で、これからまた様々な女子サッカーを盛り上げる企画等を企業様と行えたらと考えております。

↑Tsukuba girls Festival 2024の写真↓

ーーやりがいは何ですか?
学生という立場で、社会人の方と対等にお話をさせていただけることです。企業様とお話しさせていただく中で私たちの想いが伝わった時に、特に大きなやりがいを感じます。また部員から、「資金的な面で負担が減っている!!ありがとう!」と言ってもらえた時は、頑張ってよかった、、(泣)と思いました。
ーー集中応援についてコメントをお願いします!
10/19(土)の東京国際大学戦で、集中応援を開催します!集中応援とは、その名の通り、"集中"的に"応援"していただくためのイベントです。ご来場してくださる方に楽しんでいただけるよう、掲示やグッズ販売、抽選会などを行います。またスポンサー企業様紹介の掲示も行っているため、ぜひご覧ください。お時間ある方はぜひ!いや絶対!勝利を見届けるために、筑波大学第一サッカー場までお越しください。お待ちしています!!

↑前回の集中応援の様子↓

ーー最後に関カレへの意気込みをお願いします!
関東大学女子サッカーリーグ(通称:関カレ)も残すところ3試合となりました。これまで積み上げてきたものを最大限発揮し、目標であるインカレに出場できるよう、チーム全員で精進してまいります。
今後とも、熱いご声援をよろしくお願いいたします。
〈執筆者プロフィール〉
大牧芽依(おおまきめい)
学年:4年
学群・学類:理工学群社会工学類
コートネーム:のの
前所属チーム:淑徳与野高等学校
2024年10月16日
受験生応援企画2024 体育専門学群一般入試編②
受験生のみなさん、こんにちは。
夏休みも終わり、共通テストや推薦入試に向けて受験勉強も本格化している頃なのではないかと思います。
筑波大学に入りたいけど、何をしたらいいかわからない…
二次試験の勉強もそろそろ始めないとかな…
推薦入試ってどんな対策をしたらいいんだろう…
そんな受験生必見!!
今回は受験を突破した現役部員が、自分たちの受験期について対談形式で振り返ります。
対談編の3組目はこの3人!

三上心優(常盤木学園高等学校)×島田菩愛(スペランツァ大阪U18)×戸塚環(東京ヴェルディプライアナBS)
1年間の浪人期間を経て一般入試を突破した3人はどのような受験期を過ごしてきたのでしょうか。
対談内容は、受験期のありのままの様子を知ってもらうため、あえて修正をほとんど加えておりません。
ぜひ最後までご覧ください!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
インタビュアー:菅野希咲(#27 体育専門学群4年)、飯島彩絵(#24 体育専門学群2年)
対談者:島田菩愛(#22 体育専門学群)、戸塚環(#28 体育専門学群)、三上心優(#3 体育専門学群)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
菅野)
これから対談を始めます!
一同)
よろしくお願いします!
菅野)
じゃあまず、それぞれ筑波を目指した理由を教えてください!
三上)
高1の時に大学を何となく決めようって考えてた時に、筑波しかないって思いました。
菅野・飯島)
おぉ~!!!
飯島)
それは何で?
三上)
めっちゃ明確な理由があったわけじゃないけど…
菅野)
ここだ!!って??
三上)
ここだ!!って思いました。(笑)
飯島)
ほなるは?
島田)
自分は、高2になる前くらい。
飯島)
高1の冬とか?
島田)
4月前くらい。サッカーとかいろいろやってて、大学の話をした時に、筑波がいいなって。
飯島)
(大阪から)遠いのに??
島田)
まず、関西より関東のレベルでサッカーがやりたかったから、関東の大学を探していて、サッカーというよりは勉強メインで考えていた時に、勉強第一で考えたらやっぱり筑波かなって思って、サッカーもあるし、筑波がいいなって思いました。
戸塚)
私は、高3の3月くらい。
一同)
高3の3月!?受験終わってない?(笑)
戸塚)
あ、違う違う、高3になる前の3月。(笑)
飯島)
高2の3月ね。(笑)
戸塚)
コロナが流行って、部活がなかなか自由にできなくて、高校でサッカーをやめようと思ってたけど、満足できずに終わったから、まあやるかってなって、一人暮らしできて…
三上)
そこ?(笑)
飯島)
寮はやだってことね。(笑)
戸塚)
勉強もできてサッカーもできるから、筑波が一番かなって。
菅野)
え、高2の3月にコロナだったの?
戸塚)
違います、高2の3月に志望校を決めました。
飯島)
だってもう入学の時にコロナだよね?
島田)
そうですそうです。中3の卒業式の時期です。高1入学式やらずに、7.8月くらいから学校行きました。
菅野)
中3!?そっか、そんな離れてるのか(笑)
三上)
ジェネレーションギャップですね(笑)
飯島)
いや3人はうちら(2年生)と同じでしょ。(笑)
菅野)
ってことは、他(現役組)は中学2年生の時ってこと?
飯島)
そうです。(笑)
菅野)
そっか。びっくりしすぎて全然メモ取れなかった。(笑)
すみません、次いきます。(笑)
3人は浪人したと思うんだけど、現役も筑波受けた?ほなるは受けてないんだっけ?
島田)
推薦しか受けてないです。
菅野)
推薦受けて、一般は違うところ?
島田)
いや、受けてないです。
菅野)
ん?
飯島)
推薦受けて、共通テスト受けて、浪人しようってなったんだよね?
島田)
そうです。
菅野)
そうなの!?
島田)
一応他の大学は出したけど、それを受ける前に浪人した方がいいなって思って。だから、ほぼ何も受験勉強してないです。(笑)
菅野)
共通テストで終わったってこと?
島田)
終わりました。そこから4月まで遊んでました。(笑)
菅野)
ん?浪人しようって決めて?(笑)
島田)
浪人しようって決めて、でも勉強は嫌だからとりあえず4月まで遊んで、4月から頑張ろうって。
ここらへん書かないでくださいね。(笑)
菅野)
おけ、書いとくね。(笑)
そして、2人は?現役も受けた?
三上・戸塚)
受けました。
菅野)
後期とか他の私立は?
戸塚)
1つ受けました。
飯島)
じゃあそこに行ってもサッカーやろうって思ってたの?
戸塚)
はい。
菅野)
じゃあ国公立の後期は受けなかったの?
戸塚)
どこも出してないです。
飯島)
みゆは?
三上)
自分は筑波だけです。
飯島)
そうなんだ。他の私立も考えず、筑波もう1回受けようって?
戸塚)
ほぼ浪人するって決めてました。
飯島)
なんか普通揺らぐよね?私立行くか浪人するか。
戸塚)
揺らがなかったです。
菅野)
ダメだったらもう1回受けるって決めてたの?
戸塚)
夏からほぼ浪人かなって。
菅野)
あれ、怪我してたんだっけ?
戸塚)
9月に前十字(靭帯)切って、現役の入試(術後)5ヶ月いかないくらいで受けて。
飯島)
試験の時テーピング巻いてる人だったもんね。
戸塚)
そう。1500mもやばかった。まじで思い出したくない。(笑)
菅野)
じゃあ、それでもうほぼ浪人も覚悟だったのか。
浪人時代はどんな対策をしてた?1日の流れとか聞きたい!
三上)
5:30起床
2時間電車移動で予備校へ
7:30~16:00予備校
18:00帰宅
20:00~22:00勉強
って感じです。
飯島)
サッカーはほぼしてなかったの?
三上)
(予備校の)授業の時だけで、あとは走りたいときに走るくらいでした。
戸塚)
5:00 起床
6:30~8:00 ビーチサッカーの練習
9:00帰宅
~18:00 オンラインの自習室に繋げて、勉強
その後は走ったり遊んだり、自由時間って感じです。
島田)
6:00 起床
8:00~21:00 予備校
22:00夕飯、就寝
って感じです。
この生活のポイントは、運動をあんまりしてなかったから、予備校から駅までの1kmを重い荷物を持ってジョグで帰るっていうのが日課でした。
早く帰りたいから、環状線っていい間隔で電車がくるから、ちょっと速く走れば、10分くらい早く帰れるんですよ。
飯島)
それは田舎民にはわからないですね。(群馬県出身)
菅野)
ね。(笑)(栃木県出身)
飯島)
1本逃したら次1時間後だもん。都会だからできることだね。(笑)
菅野)
浪人時代のこと深堀りしてもいいですか?
浪人の時、一番つらかったこととか、筑波諦めようかなっていうのはなかったの?
戸塚)
ありました。
共通テスト後に1500m走ったらあと何秒縮めなきゃなのに、あと1ヶ月しかないってなって…
あ、無理だ。って(笑)
いろいろ、私立も探し始めて…
飯島)
ええ結構ガチじゃん。
戸塚)
そうです。前期も筑波でいいのかなって。
菅野)
出願を迷ってたんだ。
島田)
自分はわりとハッピー浪人期間でした。(笑)
一同)
(笑)
飯島)
何ハッピー浪人期間って。(笑)
別にやめようと思ってたことはないってこと?
島田)
全然成績は伸びなかったけど、(共通テストで)65%とってればいけるかなって思ってたから、実技との兼ね合いで。
最低限取ったし、OKくらいのマインドで共テは終えたし。
1年間通しては、バイトも遊びもみたいな。
菅野・飯島)
ええ!
島田)
バイトして、遊んで、でもやる時はさっきの1日みたいにやって。
だから、わりと苦労したというよりは楽しみながらって感じでした。
飯島)
すごいな。これは例外かもね。(笑)
菅野)
そこまで込みで書かなきゃだね。これは例外ですって。(笑)
島田)
だからギリギリだったんですよね。(笑)
三上)
ギリでも受かってるからね。
島田)
そう、受かってればいいから。(笑)
菅野)
みんな二次の副選択は1500mだっけ?
ほなるは100m?
島田)
100mです。
菅野)
二次でいけるなって?
島田)
何かいけるなって。(笑)
ある程度は取れるって思ってたから、正直。
共テは最低限とってれば大丈夫かなって。(共テ後は)ちょっと落ち込んだけど。(笑)
菅野)
現役の時と比べてどうだったの?
島田)
100点くらいあがりました。
飯島)
すご。
菅野)
じゃあサッカーはみゆとほなるはやってない?
三上)
いや、(予備校の授業で)1週間に1回くらいやってました。
島田)
自分は、(予備校で)月2サッカー月2陸上みたいな感じでした。
で、たまに土日にサッカーしに行ったりはしてました。
そして、バイトが動く仕事だったので、運動の一環だって思いながらお金稼いでました。
何かポジティブに。全部これは筑波のためだって思ってやってました。
だから、電車の時も走れました。
三上)
わかる。階段は絶対に上るって決めてた。
島田)
そうそう。階段は絶対段飛ばしでのぼってた。
菅野)
それは、あるあるなの?(笑)
島田)
これは(筑波に)つながる!って思いながら。(笑)
戸塚)
私はビーチから駅まで走ってました。
菅野)
女サカのブログとかは読んでた?
三上)
めっちゃ読んでました。あれ結構参考にしてました。
飯島)
よかったそれは。
菅野)
えもいよねって話してたんだよね。それ読んでた子たちが実際に受かってブログ書くのって。
一同)
あぁ~。
戸塚)
何かさ、さえ(#24 リグ)とゆみ(#13 みつ)がさ(昨年のブログで)、A判定って。
三上)
ああ、見た!
7割以上取れてたって見て、やばって思ってた。
島田)
あれまじ参考にならないよね。(笑)
三上)
ならない、ならない。(笑)
飯島)
じゃあ今年は参考になるかな?(笑)
菅野)
なるかな?遊んでバイトしてる人いるけど。(笑)
飯島)
いろんな人がいるってことですね。(笑)
菅野)
じゃあ最後に、筑波を目指している子がきっとこのブログを読んでくれていると思うので、今勉強を頑張っている受験生へのメッセージをお願いします!
三上)
今うまくいかないことがあったとしても、最後に自分の力を出せればいいから、それまで少しずつでも努力を重ねることが大事だと思うので、じっくり頑張ってください!
一同)
(拍手)
戸塚)
最後まで諦めずにやることが大切です!!
三上・島田)
よっ!!
島田)
似たようなことになってしまうんですけど、諦めないことが大切で、やった量は自分の自信にしていいと思うし、質は成績に繋げていく。だから量とか質とかじゃなくて、量は自信にして、質は成績に繋げていければ、最後には良い結果がついてくるので、自分を信じてやり続けることが大切だと思います!待ってます!!
一同)
(拍手)
菅野)
もう言い残したことはないかな?語りきった?
島田)
何か質問があればインスタまで。(笑)
菅野)
女サカのDMにお待ちしてます。(笑)
そしたら、これで対談を終わりにします!
ありがとうございました!

夏休みも終わり、共通テストや推薦入試に向けて受験勉強も本格化している頃なのではないかと思います。
筑波大学に入りたいけど、何をしたらいいかわからない…
二次試験の勉強もそろそろ始めないとかな…
推薦入試ってどんな対策をしたらいいんだろう…
そんな受験生必見!!
今回は受験を突破した現役部員が、自分たちの受験期について対談形式で振り返ります。
対談編の3組目はこの3人!

三上心優(常盤木学園高等学校)×島田菩愛(スペランツァ大阪U18)×戸塚環(東京ヴェルディプライアナBS)
1年間の浪人期間を経て一般入試を突破した3人はどのような受験期を過ごしてきたのでしょうか。
対談内容は、受験期のありのままの様子を知ってもらうため、あえて修正をほとんど加えておりません。
ぜひ最後までご覧ください!
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インタビュアー:菅野希咲(#27 体育専門学群4年)、飯島彩絵(#24 体育専門学群2年)
対談者:島田菩愛(#22 体育専門学群)、戸塚環(#28 体育専門学群)、三上心優(#3 体育専門学群)
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菅野)
これから対談を始めます!
一同)
よろしくお願いします!
菅野)
じゃあまず、それぞれ筑波を目指した理由を教えてください!
三上)
高1の時に大学を何となく決めようって考えてた時に、筑波しかないって思いました。
菅野・飯島)
おぉ~!!!
飯島)
それは何で?
三上)
めっちゃ明確な理由があったわけじゃないけど…
菅野)
ここだ!!って??
三上)
ここだ!!って思いました。(笑)
飯島)
ほなるは?
島田)
自分は、高2になる前くらい。
飯島)
高1の冬とか?
島田)
4月前くらい。サッカーとかいろいろやってて、大学の話をした時に、筑波がいいなって。
飯島)
(大阪から)遠いのに??
島田)
まず、関西より関東のレベルでサッカーがやりたかったから、関東の大学を探していて、サッカーというよりは勉強メインで考えていた時に、勉強第一で考えたらやっぱり筑波かなって思って、サッカーもあるし、筑波がいいなって思いました。
戸塚)
私は、高3の3月くらい。
一同)
高3の3月!?受験終わってない?(笑)
戸塚)
あ、違う違う、高3になる前の3月。(笑)
飯島)
高2の3月ね。(笑)
戸塚)
コロナが流行って、部活がなかなか自由にできなくて、高校でサッカーをやめようと思ってたけど、満足できずに終わったから、まあやるかってなって、一人暮らしできて…
三上)
そこ?(笑)
飯島)
寮はやだってことね。(笑)
戸塚)
勉強もできてサッカーもできるから、筑波が一番かなって。
菅野)
え、高2の3月にコロナだったの?
戸塚)
違います、高2の3月に志望校を決めました。
飯島)
だってもう入学の時にコロナだよね?
島田)
そうですそうです。中3の卒業式の時期です。高1入学式やらずに、7.8月くらいから学校行きました。
菅野)
中3!?そっか、そんな離れてるのか(笑)
三上)
ジェネレーションギャップですね(笑)
飯島)
いや3人はうちら(2年生)と同じでしょ。(笑)
菅野)
ってことは、他(現役組)は中学2年生の時ってこと?
飯島)
そうです。(笑)
菅野)
そっか。びっくりしすぎて全然メモ取れなかった。(笑)
すみません、次いきます。(笑)
3人は浪人したと思うんだけど、現役も筑波受けた?ほなるは受けてないんだっけ?
島田)
推薦しか受けてないです。
菅野)
推薦受けて、一般は違うところ?
島田)
いや、受けてないです。
菅野)
ん?
飯島)
推薦受けて、共通テスト受けて、浪人しようってなったんだよね?
島田)
そうです。
菅野)
そうなの!?
島田)
一応他の大学は出したけど、それを受ける前に浪人した方がいいなって思って。だから、ほぼ何も受験勉強してないです。(笑)
菅野)
共通テストで終わったってこと?
島田)
終わりました。そこから4月まで遊んでました。(笑)
菅野)
ん?浪人しようって決めて?(笑)
島田)
浪人しようって決めて、でも勉強は嫌だからとりあえず4月まで遊んで、4月から頑張ろうって。
ここらへん書かないでくださいね。(笑)
菅野)
おけ、書いとくね。(笑)
そして、2人は?現役も受けた?
三上・戸塚)
受けました。
菅野)
後期とか他の私立は?
戸塚)
1つ受けました。
飯島)
じゃあそこに行ってもサッカーやろうって思ってたの?
戸塚)
はい。
菅野)
じゃあ国公立の後期は受けなかったの?
戸塚)
どこも出してないです。
飯島)
みゆは?
三上)
自分は筑波だけです。
飯島)
そうなんだ。他の私立も考えず、筑波もう1回受けようって?
戸塚)
ほぼ浪人するって決めてました。
飯島)
なんか普通揺らぐよね?私立行くか浪人するか。
戸塚)
揺らがなかったです。
菅野)
ダメだったらもう1回受けるって決めてたの?
戸塚)
夏からほぼ浪人かなって。
菅野)
あれ、怪我してたんだっけ?
戸塚)
9月に前十字(靭帯)切って、現役の入試(術後)5ヶ月いかないくらいで受けて。
飯島)
試験の時テーピング巻いてる人だったもんね。
戸塚)
そう。1500mもやばかった。まじで思い出したくない。(笑)
菅野)
じゃあ、それでもうほぼ浪人も覚悟だったのか。
浪人時代はどんな対策をしてた?1日の流れとか聞きたい!
三上)
5:30起床
2時間電車移動で予備校へ
7:30~16:00予備校
18:00帰宅
20:00~22:00勉強
って感じです。
飯島)
サッカーはほぼしてなかったの?
三上)
(予備校の)授業の時だけで、あとは走りたいときに走るくらいでした。
戸塚)
5:00 起床
6:30~8:00 ビーチサッカーの練習
9:00帰宅
~18:00 オンラインの自習室に繋げて、勉強
その後は走ったり遊んだり、自由時間って感じです。
島田)
6:00 起床
8:00~21:00 予備校
22:00夕飯、就寝
って感じです。
この生活のポイントは、運動をあんまりしてなかったから、予備校から駅までの1kmを重い荷物を持ってジョグで帰るっていうのが日課でした。
早く帰りたいから、環状線っていい間隔で電車がくるから、ちょっと速く走れば、10分くらい早く帰れるんですよ。
飯島)
それは田舎民にはわからないですね。(群馬県出身)
菅野)
ね。(笑)(栃木県出身)
飯島)
1本逃したら次1時間後だもん。都会だからできることだね。(笑)
菅野)
浪人時代のこと深堀りしてもいいですか?
浪人の時、一番つらかったこととか、筑波諦めようかなっていうのはなかったの?
戸塚)
ありました。
共通テスト後に1500m走ったらあと何秒縮めなきゃなのに、あと1ヶ月しかないってなって…
あ、無理だ。って(笑)
いろいろ、私立も探し始めて…
飯島)
ええ結構ガチじゃん。
戸塚)
そうです。前期も筑波でいいのかなって。
菅野)
出願を迷ってたんだ。
島田)
自分はわりとハッピー浪人期間でした。(笑)
一同)
(笑)
飯島)
何ハッピー浪人期間って。(笑)
別にやめようと思ってたことはないってこと?
島田)
全然成績は伸びなかったけど、(共通テストで)65%とってればいけるかなって思ってたから、実技との兼ね合いで。
最低限取ったし、OKくらいのマインドで共テは終えたし。
1年間通しては、バイトも遊びもみたいな。
菅野・飯島)
ええ!
島田)
バイトして、遊んで、でもやる時はさっきの1日みたいにやって。
だから、わりと苦労したというよりは楽しみながらって感じでした。
飯島)
すごいな。これは例外かもね。(笑)
菅野)
そこまで込みで書かなきゃだね。これは例外ですって。(笑)
島田)
だからギリギリだったんですよね。(笑)
三上)
ギリでも受かってるからね。
島田)
そう、受かってればいいから。(笑)
菅野)
みんな二次の副選択は1500mだっけ?
ほなるは100m?
島田)
100mです。
菅野)
二次でいけるなって?
島田)
何かいけるなって。(笑)
ある程度は取れるって思ってたから、正直。
共テは最低限とってれば大丈夫かなって。(共テ後は)ちょっと落ち込んだけど。(笑)
菅野)
現役の時と比べてどうだったの?
島田)
100点くらいあがりました。
飯島)
すご。
菅野)
じゃあサッカーはみゆとほなるはやってない?
三上)
いや、(予備校の授業で)1週間に1回くらいやってました。
島田)
自分は、(予備校で)月2サッカー月2陸上みたいな感じでした。
で、たまに土日にサッカーしに行ったりはしてました。
そして、バイトが動く仕事だったので、運動の一環だって思いながらお金稼いでました。
何かポジティブに。全部これは筑波のためだって思ってやってました。
だから、電車の時も走れました。
三上)
わかる。階段は絶対に上るって決めてた。
島田)
そうそう。階段は絶対段飛ばしでのぼってた。
菅野)
それは、あるあるなの?(笑)
島田)
これは(筑波に)つながる!って思いながら。(笑)
戸塚)
私はビーチから駅まで走ってました。
菅野)
女サカのブログとかは読んでた?
三上)
めっちゃ読んでました。あれ結構参考にしてました。
飯島)
よかったそれは。
菅野)
えもいよねって話してたんだよね。それ読んでた子たちが実際に受かってブログ書くのって。
一同)
あぁ~。
戸塚)
何かさ、さえ(#24 リグ)とゆみ(#13 みつ)がさ(昨年のブログで)、A判定って。
三上)
ああ、見た!
7割以上取れてたって見て、やばって思ってた。
島田)
あれまじ参考にならないよね。(笑)
三上)
ならない、ならない。(笑)
飯島)
じゃあ今年は参考になるかな?(笑)
菅野)
なるかな?遊んでバイトしてる人いるけど。(笑)
飯島)
いろんな人がいるってことですね。(笑)
菅野)
じゃあ最後に、筑波を目指している子がきっとこのブログを読んでくれていると思うので、今勉強を頑張っている受験生へのメッセージをお願いします!
三上)
今うまくいかないことがあったとしても、最後に自分の力を出せればいいから、それまで少しずつでも努力を重ねることが大事だと思うので、じっくり頑張ってください!
一同)
(拍手)
戸塚)
最後まで諦めずにやることが大切です!!
三上・島田)
よっ!!
島田)
似たようなことになってしまうんですけど、諦めないことが大切で、やった量は自分の自信にしていいと思うし、質は成績に繋げていく。だから量とか質とかじゃなくて、量は自信にして、質は成績に繋げていければ、最後には良い結果がついてくるので、自分を信じてやり続けることが大切だと思います!待ってます!!
一同)
(拍手)
菅野)
もう言い残したことはないかな?語りきった?
島田)
何か質問があればインスタまで。(笑)
菅野)
女サカのDMにお待ちしてます。(笑)
そしたら、これで対談を終わりにします!
ありがとうございました!

2024年10月06日
受験生応援企画2024 体育専門学群一般入試編①
受験生のみなさん、こんにちは。
夏休みも終わり、共通テストや推薦入試に向けて受験勉強も本格化している頃なのではないかと思います。
筑波大学に入りたいけど、何をしたらいいかわからない…
二次試験の勉強もそろそろ始めないとかな…
推薦入試ってどんな対策をしたらいいんだろう…
そんな受験生必見!!
今回は受験を突破した現役部員が、自分たちの受験期について対談形式で振り返ります。
対談編の2組目はこの3人!

合田ゆい(Buddy Futsal Club Fiore)×半田佳苗(スフィーダ世田谷FCユース)×米山優和(湘南ベルマーレ U-18 GIRLS)
クラブチームでサッカーを続けながら一般入試を突破した3人はどのような受験期を過ごしてきたのでしょうか。
対談内容は、受験期のありのままの様子を知ってもらうため、あえて修正をほとんど加えておりません。
ぜひ最後までご覧ください!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
インタビュアー:菅野希咲(#27 体育専門学群4年)、飯島彩絵(#24 体育専門学群2年)
対談者:合田ゆい(#55 体育専門学群)、半田佳苗(#29 体育専門学群)、米山優和(#31 体育専門学群)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
菅野)
まず、筑波を目指した理由を教えてください!
合田)
体育やスポーツに興味があったのと、国公立の大学で、一人暮らしがしたいっていうのもあって、そしたら筑波だなと思って選びました。
半田)
将来は中学校の体育教師になりたいというのがあって、筑波大学が教師育成のカリキュラムが充実していて、そこに興味が湧いたというのと、女子サッカー部があるということで筑波を志望しました。
米山)
スポーツ系の学部があるという条件で探していて、2つくらいに絞っていたのですが、高2の時に練習に参加してそこから筑波が良いなと思って目指しました。
菅野)
決めた時期は高2?
米山)
そうです。高2の夏です。
飯島)
ゆい、かなえは?
合田)
高1の最初からです。
菅野)
高校に入ったと同時に筑波だ!みたいな?
合田)
いや、そういうわけではないですけど。(笑)
時期で言ったらそのくらいですね。模試でもずっと第一志望で筑波を書いていて、私立も受けてないのでもう浪人覚悟でした。(笑)
菅野)
そうなんだ!
半田)
自分は高2くらいからです。
飯島)
なるほどね!
他の2人は私立受けた?
米山)
推薦で11月に筑波を受けて、その後に私立に1校受かったので共通テスト(以下共テ)後は筑波しか受けてないです。
半田)
自分は私立は一般で受けました。
菅野)
じゃあ共テの後に私立の勉強と筑波の勉強って感じ?
半田)
そうです。でも共テ利用で出したところもあります。
飯島)
サッカーはいつまでやっていたの?
菅野)
このメンバーみんなクラブチーム(出身)だ!
半田)
そうなんです、現役で高校サッカー出身の一般入試組いないです。(笑)
飯島)
ほんとだ!
菅野)
で、みんないつまでサッカーやってたの?
半田)
自分は共テの1か月くらい前に公式戦があったのでそれまでは全部行って、そこからは週2回くらい参加させてもらってました。
合田)
自分はサッカーやってなかったから、フットサルをずっと週2でやってました。11月の半ばくらいまでやってました。
米山)
自分は10月末の関東大会までやってて、かなえのチームに負けて引退しました。(笑)
飯島)
えぇー!そうなの?!戦ったんだね!
米山)
はい。でも受験もあったので関東大会までで終わりにしようと考えてはいました。
菅野)
共テはみんな余裕だった感じ?
(半田、米山は首を横に振る。)
合田)
自分は二次にほんまに自信がなかったから、二次と比べたらまあまあってことですよ?(笑)
飯島)
リサーチとか聞いても大丈夫だったら教えてほしい!
合田)
リサーチはAでした。
米山)
ぎりぎりDでした。EよりのDです。(笑)
半田)
自分はEでした。二次に賭けていたので。
米山)
自分も夏の模試とかはずっとEだったけど、最終的には入れればいいかなって。普通にやばかったけど、サッカーの辞め時が分からなかったっていうのもありましたね。
菅野)
二次の対策はいつから始めた?
米山)
保健は夏くらいから予備校に入って週1くらいでやっていました。
半田)
自分はちゃんとやったのは共通テスト後からですね。その前は筑波の推薦も受けていたので、、、
この3人推薦落ち、一般受かりなんですよ。(笑)
菅野・飯島)
えぇー!初めて知ったんだけど!
合田)
推薦はダメもとですよ?下見というか、一般の練習みたいな形で、受かればラッキーみたいな感じです。
半田)
だから推薦の勉強も兼ねて教科書とかはちょっと読んだりはしてましたけど、本格的には共テ後からって感じですね。
菅野)
サッカーもやりながら一般と推薦の対策もしてたってこと!?
半田)
そうです。
飯島)
恐ろしいわ。(笑)
菅野)
なんかもうちょっと普通の人がほしかったね。(笑)
飯島)
ですね、特殊すぎますもんね。(笑)
菅野)
共テに向けてはどんな感じで勉強してた?
半田)
引退前はコツコツやっていて、引退してからがっつりやりました。
飯島)
それだと1ヶ月、2ヶ月でしょ!?
半田)
1ヶ月です。でも逆にこの1ヶ月しか頑張れないって思いました。
米山)
そうだよね!これ以上長かったら無理だなって思った。
菅野)
ゆいは?コツコツ派?
合田)
コツコツ派かな?高3からがっつりやりました。まあ学校の雰囲気も勉強!って感じだったので、その雰囲気にひっついてやってました。
菅野)
じゃあ、受験期のスケジュール聞こうかな!
合田)
フットサルがある日は大阪に住んでいたけど奈良まで通ってフットサルしていたので、学校から帰ってきて準備してフットサルして帰ってきて寝るみたいな生活でした。
一同)
勉強は?(笑)
合田)
週2やから!(笑)
さすがにフットサルない日はちゃんと勉強してましたよ!
米山)
朝早く家に出て始発で学校行って、授業前に1時間くらい勉強して、授業受けて、サッカーまでの30分とか、移動時間とかの隙間時間にやっていました。で、家帰ったらすぐに寝るみたいな。次の日も早く起きなきゃなので。
半田)
自分もほとんど一緒ですね。高校までは自転車で10分くらいだったので、朝早く行って、1時間くらい自習して授業受けて、練習の用意とかを持って学校に行っていたので30分から1時間くらい自習して、学校を出て、電車移動の1時間くらいも単語帳とか勉強してって感じですかね。自分も帰ったらお風呂入ってご飯食べて寝るだけで、家では勉強はしてなかったですね。
菅野)
えぇー!すごいね、そんな生活を12月まで、、、
半田)
だから1日の勉強時間は2時間とか3時間とかで、3時間できたらいい方でしたね。
米山)
そうだよね!
半田)
逆に1日ずっとやってる方が尊敬する。サッカーがあったからその分頑張れたっていうのもありましたね。
米山)
クラブはテスト期間も休みがないからそれもきつかったですね。
飯島)
週何回練習あるの?
米山・半田)
週5です。
合田)
見んといてこっち。(笑)
菅野)
逆にゆいはフットサルだったわけじゃん?サッカーの対策とかはしたの?
合田)
共テ終わってから中学でやっていた場所でちょくちょく練習してました。
飯島)
二次の話も聞きたいですね。副選択は?
合田・半田)
1500mです。
合田)
共テ終わってから本格的に河川敷走ったりしてました。
半田)
共テ終わってから、無料で使えるトラックが家の近くにあったので、ほとんど毎日走ってたのと、高校で補講をやってくれて、それも3対1で。メニューとかも1ヶ月分くれて、それ通りにやってた感じです。
飯島)
めっちゃいい高校じゃん!ゆうわは?
米山)
バスケで受けました。バスケは10月ぐらいからバスケ部の顧問の先生が筑波の卒業生で、その先生に空コマで見てもらって週1くらいでやってて、
菅野)
ちょっと待って、授業の空コマなんてあるの!?
米山)
結構ありますよ!
半田)
自分も午後とかに結構あった!
飯島)
高校で空コマがあるなんて、、、
米山)
それで、空コマに週1くらいで見てもらってて、共通テスト終わってからはずっとバスケをやってました。サッカーはほとんどやってなかったですね。ちょっとキーパースクールとか行って、たまに予備校に行って2週間に1回とか。そこでサッカーを少しやっていたくらいです。
飯島)
へぇー。じゃあバスケを重点的にやっていた感じなんだね。
菅野)
保健論述の勉強はいつ頃からどんな勉強をやってた?
半田)
教科書を全部ルーズリーフにまとめて、教科書の太字は赤シートで隠したりしていました。それで自分は教科書を2冊使っていたんですけど、緑の教科書にできるようになろう!みたいなところがあって、それを演習問題として使っていました。
合田)
自分は書いたりはせずにひたすら音読したり、メルカリで個人が作った問題集みたいなやつを買って、回答を作って、ずっと音読していました。
米山)
予備校に行ってたので、夏くらいから週1で授業を受けて、そこで取ったノートを共テ後に見返したり、自分で問題作ったりして、答えを覚えてそれをひたすら声に出して問いてました。
飯島)
最後に受験生へ一言お願いします!
半田)
リサーチがEで本当に下の方で、それでも自分は二次で挽回するつもりだったので焦ってもいなかったし、最後まで諦めないってことは大事だなと思うのと、まあ勉強はコツコツやっていた方がいいとは思うけど、忙しい方ができると思うから、あえて自分を忙しくするというのも手かなと思います。あとは実技は特にサッカーは何で評価されるかは分からないので、自信を持って臨めば上手く見えたりもするので、サッカーは本当に自信を持って頑張ってください!
米山)
受験の時に一番意識していたのは、判定とかは出ると思うんですけど、最終的に共テで何割取ればよいというのがあると思うから、周りの目や判定を気にするのではなく、自分が立てた目標だけを意識して頑張ってほしいです。二次試験は、自分はこれで受験が終わるって思って無気力な感じで挑んじゃったんですけど、そのくらい気負いすぎず、リラックスするのがいいかと思います。
合田)
特にこれからの時期はしんどくなる時もあると思うけど、その時は休むことも大事かなと思います。そんなに気負いすぎず、プレッシャーを感じすぎず、いつも通りにやってれば本番は何とかなります!筑波は共テと実技の割合が1:1っていうのもあって、共テが良くても二次で失敗することもあるし、逆に共テが悪くても二次で挽回できる可能性も十分にあるから、最後まで気を抜かずに頑張ってください!応援してます!
飯島)
これで対談を終わりにします!
ありがとうございました!

夏休みも終わり、共通テストや推薦入試に向けて受験勉強も本格化している頃なのではないかと思います。
筑波大学に入りたいけど、何をしたらいいかわからない…
二次試験の勉強もそろそろ始めないとかな…
推薦入試ってどんな対策をしたらいいんだろう…
そんな受験生必見!!
今回は受験を突破した現役部員が、自分たちの受験期について対談形式で振り返ります。
対談編の2組目はこの3人!

合田ゆい(Buddy Futsal Club Fiore)×半田佳苗(スフィーダ世田谷FCユース)×米山優和(湘南ベルマーレ U-18 GIRLS)
クラブチームでサッカーを続けながら一般入試を突破した3人はどのような受験期を過ごしてきたのでしょうか。
対談内容は、受験期のありのままの様子を知ってもらうため、あえて修正をほとんど加えておりません。
ぜひ最後までご覧ください!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
インタビュアー:菅野希咲(#27 体育専門学群4年)、飯島彩絵(#24 体育専門学群2年)
対談者:合田ゆい(#55 体育専門学群)、半田佳苗(#29 体育専門学群)、米山優和(#31 体育専門学群)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
菅野)
まず、筑波を目指した理由を教えてください!
合田)
体育やスポーツに興味があったのと、国公立の大学で、一人暮らしがしたいっていうのもあって、そしたら筑波だなと思って選びました。
半田)
将来は中学校の体育教師になりたいというのがあって、筑波大学が教師育成のカリキュラムが充実していて、そこに興味が湧いたというのと、女子サッカー部があるということで筑波を志望しました。
米山)
スポーツ系の学部があるという条件で探していて、2つくらいに絞っていたのですが、高2の時に練習に参加してそこから筑波が良いなと思って目指しました。
菅野)
決めた時期は高2?
米山)
そうです。高2の夏です。
飯島)
ゆい、かなえは?
合田)
高1の最初からです。
菅野)
高校に入ったと同時に筑波だ!みたいな?
合田)
いや、そういうわけではないですけど。(笑)
時期で言ったらそのくらいですね。模試でもずっと第一志望で筑波を書いていて、私立も受けてないのでもう浪人覚悟でした。(笑)
菅野)
そうなんだ!
半田)
自分は高2くらいからです。
飯島)
なるほどね!
他の2人は私立受けた?
米山)
推薦で11月に筑波を受けて、その後に私立に1校受かったので共通テスト(以下共テ)後は筑波しか受けてないです。
半田)
自分は私立は一般で受けました。
菅野)
じゃあ共テの後に私立の勉強と筑波の勉強って感じ?
半田)
そうです。でも共テ利用で出したところもあります。
飯島)
サッカーはいつまでやっていたの?
菅野)
このメンバーみんなクラブチーム(出身)だ!
半田)
そうなんです、現役で高校サッカー出身の一般入試組いないです。(笑)
飯島)
ほんとだ!
菅野)
で、みんないつまでサッカーやってたの?
半田)
自分は共テの1か月くらい前に公式戦があったのでそれまでは全部行って、そこからは週2回くらい参加させてもらってました。
合田)
自分はサッカーやってなかったから、フットサルをずっと週2でやってました。11月の半ばくらいまでやってました。
米山)
自分は10月末の関東大会までやってて、かなえのチームに負けて引退しました。(笑)
飯島)
えぇー!そうなの?!戦ったんだね!
米山)
はい。でも受験もあったので関東大会までで終わりにしようと考えてはいました。
菅野)
共テはみんな余裕だった感じ?
(半田、米山は首を横に振る。)
合田)
自分は二次にほんまに自信がなかったから、二次と比べたらまあまあってことですよ?(笑)
飯島)
リサーチとか聞いても大丈夫だったら教えてほしい!
合田)
リサーチはAでした。
米山)
ぎりぎりDでした。EよりのDです。(笑)
半田)
自分はEでした。二次に賭けていたので。
米山)
自分も夏の模試とかはずっとEだったけど、最終的には入れればいいかなって。普通にやばかったけど、サッカーの辞め時が分からなかったっていうのもありましたね。
菅野)
二次の対策はいつから始めた?
米山)
保健は夏くらいから予備校に入って週1くらいでやっていました。
半田)
自分はちゃんとやったのは共通テスト後からですね。その前は筑波の推薦も受けていたので、、、
この3人推薦落ち、一般受かりなんですよ。(笑)
菅野・飯島)
えぇー!初めて知ったんだけど!
合田)
推薦はダメもとですよ?下見というか、一般の練習みたいな形で、受かればラッキーみたいな感じです。
半田)
だから推薦の勉強も兼ねて教科書とかはちょっと読んだりはしてましたけど、本格的には共テ後からって感じですね。
菅野)
サッカーもやりながら一般と推薦の対策もしてたってこと!?
半田)
そうです。
飯島)
恐ろしいわ。(笑)
菅野)
なんかもうちょっと普通の人がほしかったね。(笑)
飯島)
ですね、特殊すぎますもんね。(笑)
菅野)
共テに向けてはどんな感じで勉強してた?
半田)
引退前はコツコツやっていて、引退してからがっつりやりました。
飯島)
それだと1ヶ月、2ヶ月でしょ!?
半田)
1ヶ月です。でも逆にこの1ヶ月しか頑張れないって思いました。
米山)
そうだよね!これ以上長かったら無理だなって思った。
菅野)
ゆいは?コツコツ派?
合田)
コツコツ派かな?高3からがっつりやりました。まあ学校の雰囲気も勉強!って感じだったので、その雰囲気にひっついてやってました。
菅野)
じゃあ、受験期のスケジュール聞こうかな!
合田)
フットサルがある日は大阪に住んでいたけど奈良まで通ってフットサルしていたので、学校から帰ってきて準備してフットサルして帰ってきて寝るみたいな生活でした。
一同)
勉強は?(笑)
合田)
週2やから!(笑)
さすがにフットサルない日はちゃんと勉強してましたよ!
米山)
朝早く家に出て始発で学校行って、授業前に1時間くらい勉強して、授業受けて、サッカーまでの30分とか、移動時間とかの隙間時間にやっていました。で、家帰ったらすぐに寝るみたいな。次の日も早く起きなきゃなので。
半田)
自分もほとんど一緒ですね。高校までは自転車で10分くらいだったので、朝早く行って、1時間くらい自習して授業受けて、練習の用意とかを持って学校に行っていたので30分から1時間くらい自習して、学校を出て、電車移動の1時間くらいも単語帳とか勉強してって感じですかね。自分も帰ったらお風呂入ってご飯食べて寝るだけで、家では勉強はしてなかったですね。
菅野)
えぇー!すごいね、そんな生活を12月まで、、、
半田)
だから1日の勉強時間は2時間とか3時間とかで、3時間できたらいい方でしたね。
米山)
そうだよね!
半田)
逆に1日ずっとやってる方が尊敬する。サッカーがあったからその分頑張れたっていうのもありましたね。
米山)
クラブはテスト期間も休みがないからそれもきつかったですね。
飯島)
週何回練習あるの?
米山・半田)
週5です。
合田)
見んといてこっち。(笑)
菅野)
逆にゆいはフットサルだったわけじゃん?サッカーの対策とかはしたの?
合田)
共テ終わってから中学でやっていた場所でちょくちょく練習してました。
飯島)
二次の話も聞きたいですね。副選択は?
合田・半田)
1500mです。
合田)
共テ終わってから本格的に河川敷走ったりしてました。
半田)
共テ終わってから、無料で使えるトラックが家の近くにあったので、ほとんど毎日走ってたのと、高校で補講をやってくれて、それも3対1で。メニューとかも1ヶ月分くれて、それ通りにやってた感じです。
飯島)
めっちゃいい高校じゃん!ゆうわは?
米山)
バスケで受けました。バスケは10月ぐらいからバスケ部の顧問の先生が筑波の卒業生で、その先生に空コマで見てもらって週1くらいでやってて、
菅野)
ちょっと待って、授業の空コマなんてあるの!?
米山)
結構ありますよ!
半田)
自分も午後とかに結構あった!
飯島)
高校で空コマがあるなんて、、、
米山)
それで、空コマに週1くらいで見てもらってて、共通テスト終わってからはずっとバスケをやってました。サッカーはほとんどやってなかったですね。ちょっとキーパースクールとか行って、たまに予備校に行って2週間に1回とか。そこでサッカーを少しやっていたくらいです。
飯島)
へぇー。じゃあバスケを重点的にやっていた感じなんだね。
菅野)
保健論述の勉強はいつ頃からどんな勉強をやってた?
半田)
教科書を全部ルーズリーフにまとめて、教科書の太字は赤シートで隠したりしていました。それで自分は教科書を2冊使っていたんですけど、緑の教科書にできるようになろう!みたいなところがあって、それを演習問題として使っていました。
合田)
自分は書いたりはせずにひたすら音読したり、メルカリで個人が作った問題集みたいなやつを買って、回答を作って、ずっと音読していました。
米山)
予備校に行ってたので、夏くらいから週1で授業を受けて、そこで取ったノートを共テ後に見返したり、自分で問題作ったりして、答えを覚えてそれをひたすら声に出して問いてました。
飯島)
最後に受験生へ一言お願いします!
半田)
リサーチがEで本当に下の方で、それでも自分は二次で挽回するつもりだったので焦ってもいなかったし、最後まで諦めないってことは大事だなと思うのと、まあ勉強はコツコツやっていた方がいいとは思うけど、忙しい方ができると思うから、あえて自分を忙しくするというのも手かなと思います。あとは実技は特にサッカーは何で評価されるかは分からないので、自信を持って臨めば上手く見えたりもするので、サッカーは本当に自信を持って頑張ってください!
米山)
受験の時に一番意識していたのは、判定とかは出ると思うんですけど、最終的に共テで何割取ればよいというのがあると思うから、周りの目や判定を気にするのではなく、自分が立てた目標だけを意識して頑張ってほしいです。二次試験は、自分はこれで受験が終わるって思って無気力な感じで挑んじゃったんですけど、そのくらい気負いすぎず、リラックスするのがいいかと思います。
合田)
特にこれからの時期はしんどくなる時もあると思うけど、その時は休むことも大事かなと思います。そんなに気負いすぎず、プレッシャーを感じすぎず、いつも通りにやってれば本番は何とかなります!筑波は共テと実技の割合が1:1っていうのもあって、共テが良くても二次で失敗することもあるし、逆に共テが悪くても二次で挽回できる可能性も十分にあるから、最後まで気を抜かずに頑張ってください!応援してます!
飯島)
これで対談を終わりにします!
ありがとうございました!
