こんにちは。
4年の吉岡日和(#2 ペペ)と申します。
最近、YouTubeで密着動画が出た「パフォーマンスコーチ」の人です。

何を書こうか、悩みに悩んで。結局、自分だから伝えられることを自分の言葉で伝えようということに落ち着いたので、文章や言い回しがおかしいところも多々あるとは思いますが、そこは愛嬌ということで。最後までお付き合いいただけると幸いです。

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1年かけて入学した筑波大学。
もともと怪我が多かったので、自分がなぜ怪我しやすいのか。逆にどうしたら怪我しないのか、自分の身体で学びたいと思い、志しました。

女子サッカー部の練習に参加し、いきなり衝撃を受けました。

女子サッカー部では、練習の冒頭にYTRという吉田拓矢TRコーチが担当する動きづくりのトレーニングがあります。それが衝撃でしたね。一番初めに「骨盤歩き」というトレーニングをやったはずなんですけど、まあできない。でもそれもまた楽しい。「この動きができるようになれば怪我しないかも。もっと理想の動きができるかも!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。怪我をしないために学ぶつもりが、怪我に苦しめられる4年間が始まりました。


1年生の7月。
練習試合でボールを持つ相手に後ろからプレスをかけようとして左脚を着地した瞬間。聞き覚えのある嫌な音が鳴りました。高校生の時も一度、右膝前十字靭帯(ACL)を損傷したことがあったのですが、その時と同じ音でした。

「あー、終わったー。」

痛みよりもこれからまた始まるリハビリの日々に絶望して泣きました。もともと冗談交じりで、また膝を切ったらサッカー辞めると周りに言っていたので、「本当にもう辞めようかな。」そう思っていました。
当時、平砂宿舎という6畳あるかないかの部屋に住んでいたのですが、怪我をして心身ともにやられていたので練習も休み、そこで1日中ずーっと過ごしていたんですね。そしたら22時過ぎ、部屋のインターホンが鳴ります。ドアを開けると練習を終えた同期たちが。来る日も来る日も。6畳も絶対にないのに、4、5人くらいで部屋に入ってきました。あーでもないこーでもないって散々話しつくして、またねって帰っていきました。1日の終わり、この数時間に私はどんなに心が救われたか。サッカーを辞めるんだし、部活も辞めよう。でも、部活を辞めたらこの同期たちと関われなくなる。それは嫌だ。よし、もう一度頑張ろう。サッカーがしたいというより、皆と居たいから部活を続けました。

そこから厳しいリハビリの日々が始まりました。もちろん、苦しいことは多くありましたが、自分自身にベクトルを向けてトレーニングをすることが好きでしたし、リハビリを通して身体が変わっていく感覚が分かるのはとても興味深かったです。そして毎日メニューを考えてくれるトレーナー、一緒に復帰を目指し頑張るリハ組の皆が居たから、頑張り続けることができました。

松葉杖が外れて、走れるようになり、練習に部分合流し始めた2年生の5月。
「やっとサッカーできる!」そう期待に胸を膨らませたのも束の間。
神様はそう簡単にはピッチの中には戻らせてくれませんでした。3回目の地獄の音が鳴り、担架に運ばれてピッチの外に出されました。

なんでだろうなぁ。このタッチラインの中には見えない壁があるのか。皆その中に簡単に入っていくのに。


夜中に1Gに散歩しに来ました。ピッチの中から見える景色はどんなだっけ。いつもは超えられないタッチラインをしれっと越えて見てみました。

うーわ、広い。ここでサッカーしていたんだよな。いや、過去形じゃなくて。もう一度実際に復帰してこのピッチに立ちたい。この試練を乗り越えて、ピッチに立つことで同じように怪我で苦しむ人に希望を与えたい。そして今まで支えてくれた人に恩返しするために。よし、もう一度頑張ろう。

また、サッカーがしたいから。頑張ることにしました。

神様は乗り越えられない試練を与えない。それは、嘘だと思う時があります。綺麗ごとです。そんなことわかっています。ただ、その試練に対して自分はどう在りたいか。与えられた題材に対してどのように向き合っていくかだと思っています。
リハビリはもちろんしんどいです。一人黙々とやっていればもっと辛いです。でも、同じことをするのならば、あえて明るく、一緒に頑張る仲間と共にリハビリしていれば案外頑張ることができることに気づきました。たとえ同じことをしていても、どんな意味付けをしていくか。神様は乗り越えられない試練を与えているわけではない、無駄な経験をさせていないと思います。私はこの怪我は無駄ではなかったし、必要な経験だったと今になって思います。例えば、同じように怪我に苦しむ人に寄り添うことができます。すべては分かり切れないにしても、似たような気持ちがわかる分かるからこそ、どんな言葉をかけてもらったら嬉しいか。自分がたくさんの人に支えてもらったように。苦しいとき、ただ話を聞いてもらったように。自分のために、あえて厳しいことを言ってくれた人のように。多くの人に助けられた。だから、今度は自分が皆を支えたいと思い、3度目のリハビリを乗り越えて、タッチラインを越えてピッチに立つことができたけど、今度は自らピッチの外に出ることに決めました。

4年生になり、選手ではなくパフォーマンスコーチとして活動して正直苦しいことは多かったです。何しに来ているのか、わからなくなることもありました。もっと知識があれば、応えられたかもしれないと思うこともありました。それでも作ったメニューに対して弱音を吐かず、真剣に取り組んでくれたリハ組の皆には感謝を伝えたいです。支えたいと思っていたけど、私が皆からたくさん支えてもらいました。本当にありがとう。


長くなってきたので、まとめに入ります。
この怪我を通して、学んだことの一つに失って気付くことのできる幸せがあります。ボールを蹴りたいと願えば蹴れること。何不自由なく日常生活を過ごせること。そのどれもが決して当たり前ではなく、いかに尊いものか。だからこそ、その一瞬一瞬を大切にしながら過ごしていきたいと思います。そしてこれを読んでいる人にもそう過ごしてほしいと願っています。

サッカーの試合ができるのも、当たり前ではありません。
試合に出ている選手がいるから。それももちろんあります。ただ、それに加えてサポートをしてくれる選手や試合を進める審判がいるから。毎日練習のメニューを考え、寝る間も惜しんで試合の分析をしてくれるスタッフがいるから。心身ともに寄り添ってくれるトレーナーがいるから。もっと範囲を広げると今まで育ててくれた家族がいるから、試合が出来ます。


サッカーは11人対11人。そしてピッチのサイズは105m×68mで行われます。でも、本当はもっと多くの人が関わっていて、ピッチの中に入れなくとも皆の想いは一緒に戦っています。素敵なスポーツです、サッカーは。サッカーに関わることができて、良かったと心の底から思います。そしてサッカーを通して出会えた筑波大学女子サッカー部の仲間と思い出は宝物です。特に同期の皆さん。ダジャレを言っても、もはやフル無視。面白いときは素直に笑った方が良いと思いますよ~。冗談はさておき、皆には何度も何度も救われました。感謝してもしきれません。心残りは、練習でさえ全員でサッカーしたことが4年間もあったのに一度も出来なかったことです(もししてたらすみません)。またいつか皆でサッカーしたいね。
そして最後にどんな時でも一番の味方で居てくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいです。
いつも本当にありがとう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。今後とも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。

吉岡日和(#2 ぺぺ)

サッカーは、105m×68mのピッチで行われる11人対11人のスポーツか #2 吉岡日和


サッカーは、105m×68mのピッチで行われる11人対11人のスポーツか #2 吉岡日和


サッカーは、105m×68mのピッチで行われる11人対11人のスポーツか #2 吉岡日和






<執筆者プロフィール>
吉岡 日和(よしおか ひより)
学年:4年
学群・学類:体育専門学群
コートネーム:ぺぺ
前所属チーム:仙台育英学園高等学校

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Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 21:40│Comments(0)2024 2024引退ブログ
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