こんにちは。
4年の荒井由芽(#36 ちゃちゃ)です。

ブログ班として校閲などはたくさんやってきたのに、いざ自分が書くのは初めてで緊張しております。何かかっこいいテーマを設けて書こうかとも思いましたが思い付かず、引退ブログとは4年間を振り返って書くものだと開き直った結果、とりあえずそのテーマのもと4年間で特に激動だったサッカー面について主に書いてみようと思います。長くなりますので気楽にお付き合いいただけますと幸いです。

といいつつ本題の前に、私の経歴について少しお話ししておきましょう。


バックグラウンドが多様と言われる女サカにあって、私の経歴は特に異彩を放っているのではないかと思います(勝手に思っています)。
小2から地元の男子チームでサッカーを始め、中学進学の際に女子チームに入るもチームに合わず1年で退団。その後中学校の陸上部に入ると陸上の魅力にのめり込み、高校では7種競技を専門として記録と向き合う日々が続きました。
そして大学受験をなんとか乗り越えつくばにやってきて直面したのが、「陸上とサッカーどっちをやるか問題」。コロナ禍により集大成のインターハイは開催すらされることなく涙を飲んだことから、7種でどこまでいけるか試してみたい気持ちもありました。一方でサッカーからは逃げ出したという感覚があり、もう一度本気で取り組んでみたい気持ちもありました。
それで何故女サカに入ったかと問われれば、「なんか、流れ」としか言えません。新生活が落ち着くまでの時間で陸上競技部の入部締切はとうに過ぎ、まあ一旦女サカの雰囲気覗いてみるかと思ったのが入学式2週間後。しかし連絡する勇気はなく、1週間分の勇気を溜め込んでいざ連絡、4月下旬に体験へ。まあここでいっか、というなんとも私らしいテキトーな判断でGW明けにやっと入部しました。


こうして始まった、女サカが中心の生活。
振り返ると私の女サカ生活は、1-3年生と4年生で大きく異なるものとなりました。
1年生。関カレにはメンバー入りさえすることがほとんどなく、試合の日は早朝からメンバー外トレーニングで追い込むのが日常でした。
2年生。日常はそう簡単には変わりません。
3年生。関カレにメンバー入りはするものの出場機会は多くなく、ベンチでアップしながら試合を見守るのが当たり前でした。試合に出たいという思いはありつつも、自分が出てもチームに迷惑をかけるイメージしかできず、闘う心持ちはありません。ベンチにいるということは試合に出る可能性もあるはずなのに、線を1本挟んだ向こう側は別世界で、どこか他人事のように感じていました。

ここまでの3年間は、チーム内の争いになんとか喰らいつこうと必死で、そして負け続けていました。試合に出れない悔しさはありつつ、試合に出なければチームに迷惑をかけることもないとどこか安心してしまう自分の不甲斐なさを、ブランクがあるししょうがないか、という諦めの気持ちとブレンドしてなんとか消化していました。
そんな私の主戦場となっていたのは関東リーグでした。関東リーグは関カレに出れないメンバーで戦うリーグという位置付けであった上に相手のレベルは当然高く、ほとんどの試合が大量失点でのボロ負けでした。そしてこの3年間の関カレと関東リーグを通して、私がスタメンで出た試合で勝利したことはなんとたったの一度もありません。勝利に飢えていたはずが、いつしか勝利をイメージすることはできなくなっていました。


迎えた4年生。シーズンが始まる前に立てた個人目標は、「関カレで戦える選手になる」。終わってみれば関カレ全22試合中、コロナ罹患時以外の21試合に出場、うち20試合はスタメンという結果となり、「戦える選手」になれたかはわかりませんが、「戦った」という事実は作ることができました。
中1でサッカーが止まっている私には、戦術理解なんてものはありません。足元の技術もおぼつかない。それでも3年かけて自分の武器を磨き、苦手はギリギリ隠せるくらいのレベルまで持っていき、関東1部で戦う術を身につけた結果、年間を通してこの舞台で戦うことができました。


忘れられない試合が3つあります。
1つ目は、関カレ前期の帝京平成大学戦。前述の通り、私は勝ったことがありませんでした。2024シーズンに入り出場機会は増えたものの、チームは全く勝てませんでした。自分が出てるから勝てないんじゃないか、なんでこんな自分を出してくれるんだろう、と考えたことも一度や二度ではありません。そうして5月末に迎えた帝京平成大学戦。私の記憶では筑波が帝京平成大学に勝ったことは一度もなく、正直かなり厳しい試合になるだろうと思っており実際その通りでした。それでもロングスローの流れから1点をもぎ取り、相手の怒涛の攻撃を耐えに耐え、試合終了のホイッスルが鳴った時の感情は忘れられません。この瞬間のために私は必死に練習を積んできたのだ、そしてこれを味わうためならこれからも頑張れる、と心から思いました。それほどまでに、私にとって勝利の味は初対面でした。

2つ目は、皇后杯関東予選の浦和レッズユース戦。8月末に大きな試験があり練習をなかなか積めていない中で迎えた大事な試合。しかしマッチアップの相手に手も足も出ず、自分のところから崩されて失点。諦めの気持ちを抱えながらピッチに立ってしまう自分の弱さと、チームを代表して試合に出ることの意味を痛感する試合となりました。選ばれてピッチに立つ以上は自分の事情は全く関係なく、11人の中で自分の役割を果たす責任があるのだと身をもって実感した上、それを負けることでしか感じることのできない自分がチームを代表してピッチに立つことに対する申し訳なさに苛まれ、今後は絶対に何も言い訳にしないと決意しました。

3つ目はなんといっても、関カレ最終節の日本大学戦。勝てばインカレ出場が決定し、引き分け以下だと他の結果次第では2部との入れ替え戦に回るという大一番。あまり緊張しない私が珍しく1週間前からソワソワしていました。そんなとき、家族や女サカの先輩、学類の同期、他大学や高校時代の友達など、多くの人から応援の言葉をもらいました。その言葉を背に、空回りしかねない圧倒的な気合を胸に押し込んでなんとか冷静を装い、試合に臨みました。試合内容は決して良いものではありませんでしたが、それでも終盤にセットプレーから先制したときのベンチやスタンドを含めた会場の雰囲気と、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間の景色は一生忘れません。「応援が力になった」というよく聞くありきたりな言葉を初めて実感するとともに、日頃から無条件に応援してくれる人たちへ改めて感謝する機会となりました。
こうして掴んだ、私の競技人生最後の大会となるインカレの舞台。私が1年生の頃に立てた4年間の目標は、「インカレのピッチに立つ」でした。1年生のインカレではチームは西が丘まで進みましたが、私は一度もベンチ入りすることはありませんでした。2.3年生はチームとしてインカレに出場することさえできず。4年生となり遂に叶えた、私にとって最初で最後のインカレのピッチは、とてつもなく悔しいものとなりました。この敗戦は正直まだ引きずっています。それでも、この仲間とインカレに来れて、90分ピッチの上で戦えて、遠くからわざわざ応援しに来てくれた人がいて、久しぶりに見に来てくれたOGさんにゆめ上手くなったねって言ってもらえて、この舞台に立てて幸せでした。


今回のブログはサッカー面だけに絞りましたが、学連としての関カレおよびインカレの運営や、チームを作るための度重なるミーティング、そして学業との両立。オンザピッチだけではなくオフザピッチの面でもたくさんの経験をし、様々な人と出会い価値観を知り、成長することができました。
この4年間、つらい、きつい、と思ったことは数えきれないほどありました。それでも、辞めたいと思ったことは一度もありません。自分で選んだ道だからこそ、絶対にやりきると決めていたからです。やりきることが正義だとは言いません、考えに考えた結果その道からはずれる決断をした人も、また立派です。でも私は絶対に4年間やりきると入部するときに決意した、そのときの自分を裏切りたくはなかったのです。

そしてもうひとつ、4年間大切にしていたことがあります。それは、自分のひとつひとつの成長を噛み締めること。自分より上手い人しかいないこのチームにいると、どうしても劣等感に襲われます。丁寧に蹴ったつもりのパスがズレて怒られたり、自分のところを突破されて失点したことなど数知れず。そんなことは日常茶飯事で心が折れそうな時も、みんなより下手くそな分伸びしろもいっぱいあるんだと無理やり自分に言い聞かせ、重い足を引きずって毎日練習へ向かいました。ひとつのパスを通せた、トラップが浮かなかった、ロングボールが相手DFの頭を越えた、1対1で抜かれなかった、そういった些細な自分の成長を噛み締め、ひとつひとつゆっくり着実に積み重ねてきた結果が、4年目に結びついたのだと思います。
中1のあの時、サッカーを辞めていなければどんな人生だったんだろう、と考えることはあります。もっとサッカー上手くなれていたかなとか、もっと試合に出れていたかなとか思ったりします。でも、あの時つらいものとなっていたサッカーから逃げ出して陸上部に行ったことに対する後悔は、微塵もありません。陸上競技を通じて知った世界があり、生まれた感情があり、身につけた知識と技術がある。それもまごうことない自分の一部であり、自分の武器。そしてその武器があったからこそ、闘い抜くことができた。そう思っています。


最後に。
この4年間、本当に多くの人に支えてもらいました。このチームで苦楽を共にした先輩後輩、スタッフさん、そして同期。遠くまで試合を見に来てくれたり、アメリカからでもライブ配信を見て応援してくれる家族。学業面で切磋琢磨しつつ試合も見に来てくれる学類の同期。インカレ運営で出会った他大学の友達。何かと連絡をくれる高校の同級生。他にも多くの人に支えてもらい応援の言葉をもらい、なんとかやりきることができました。
出会った仲間をこれからも大切にしながら、もらった恩を少しずつ返せるように頑張っていきたいと思います。
4年間本当にありがとうございました。
そしてこのブログが、今試合に出れずに悩んでいる後輩たちや、女サカに入りたいけどついていけるかわからないと不安に思う高校生へ、少しでも勇気を与えられたら幸いです。
これからも筑波大学女子サッカー部への応援をよろしくお願いいたします。

荒井由芽(#36 ちゃちゃ)









<執筆者プロフィール>
荒井 由芽(あらい ゆめ)
学年:4年
学群・学類:医学群医学類
コートネーム:ちゃちゃ
前所属チーム:OSA レイア FC
  
Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 20:33Comments(0)2024 2024引退ブログ