2025年01月15日
私の大学4年間と感謝 #35 大牧芽依
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年の大牧芽依(#35 のの)です。
今回、同期がきっとかっこいいことを書いてくれるはずなので、私自身はあまりかっこよくないかもしれない4年間について、等身大の言葉で振り返ります。
正直、自分の考えをそのまま書き出すことには少し抵抗がありましたが、引退ブログとして素直な気持ちを語らずに終えるわけにはいかないと思い、この場をお借りします。
少し長いですが、それではお付き合いください。
------------------------------------------------------------------------------------------------
はじめにサッカー、そして筑波大学との出会いについて、お話します。
私は中学1年生からサッカーを始めました。
中高一貫の女子校で、「テニスをしてる人って人生充実してそう!」という安直な理由でテニス部に入部届を出しました。しかしその後、友人に半強制的に連れていかれたサッカー部。先輩方がキラキラしていて、監督が面白そうで、そしてなによりチームが温かそうで、その場で入部することを決意しました。
ひょんなことから始めたサッカーですが、ボールを追うことの面白さにがっつりのめり込み、中高6年間はサッカー中心の生活を送りました。(私のことをご存知の方は容易に想像できるかもしれませんが、真っ黒で、サーターアンダギーというあだ名で呼ばれていたこともあります。)
ただ、私の通っていた中高は部活<<<勉強だったため、部活環境が整っているとは言えず、基本的には楽しくサッカーできたらいいよね!という組織でした。(勉強に力をいれている学校だったために、高1でusuallyを「ウサウサリー」、高2でコロナ禍を「ころなうず」と読んでしまう学力だったにも関わらず、なんとか筑波大に合格させていただきました。その点、大変感謝しております!!)
話が少し逸れましたが、そのため、人生で1度は本気で"勝利"を目指す組織に所属してみたいと思うようになりました。
そのような中で、国立大学で唯一関東1部に所属している女子サッカー部がある、経営工学を学ぶことができる学部がある、総合大学であるため様々な考え方や価値観に出会えそう、という点で筑波大学を志望するようになりました。
忘れもしない、2021年4月6日
とにかく女サカに憧れていて、緊張しながらも胸を躍らせながら初めてグラウンドに行った日。ですが練習が終わる頃には号泣してしまいました。今でも鮮明に覚えています。笑(初日からすみませんでした。)
受験で運動をしていなかったいう理由もありますが、そんなことより、あまりにレベルが違いすぎて、こんなすごいところでサッカーするのは厳しいんじゃない...?と正直思いました。
プレースピード、体の強さ、パスの質、戦術...。全く異なるスポーツをしているという感覚でした。
しかしここですごいのが女サカです。
体験後、迷っている私に何度も連絡をくれ、「見学だけでも!外でボール蹴るだけでも!グラウンドにおいで~!」と声をかけていただきました。
そこで何度かグラウンドに行かせていただき、4月の3週目くらいに一緒にボールを蹴ったのが同期のゆめ(#36 荒井由芽)です。体育専門学群ではなく、医学部!しかも高校は陸上をやっていたそうで、ゆめもこれから入部するって言ってるし大丈夫かな、、?と思ったことにも背中を押され、女サカに入ることを決めました。(そんなゆめですが、4年生のシーズン、ほぼ全試合関カレスタメンです。ゆめっちかっこい~!!本当に他学の星です。)
ここから怒涛の女サカ生活が始まりました。
平日4日の練習、土日の試合、様々なミーティング。女サカは、全員が必要だと思うことにまっすぐに動く組織。オンもオフも、自分の時間や労力をかけることを惜しまない組織。本当に"人"が魅力的な組織です。
1年生の頃は毎日、練習についていくことに必死でした。今までとは目指すものも環境も全く異なり、面白いこともしんどいことも盛りだくさん、心身共にフルフル回転でした。気持ちに体が追い付かず、小さな怪我もたくさんしました。ですが、とにかくどうやったら上手くなれるのだろう、と常に考え、最大限吸収できるようにとにかく練習に励んでいました。
2021シーズンは、チームの目標であったインカレ優勝には届かなかったものの、インカレ3位という結果を残しました。全国で結果を出すチームは、チームとしてここまで一体感があるのか、ここまでこだわるのか、、、身をもって体感させていただき、本当に幸せでした。
そして待ちに待ったオフ。
授業もなく、入学後初めてまとまった時間がつくれました。
大学生になったらまずやりたいと思っていた1人旅に、必死に節約して貯めた10万円を握りしめ、リュックサックを背負って出発しました。
まず、実家のある埼玉県から山口県に夜行バスで12時間かけていき、なほ(#19 樋口那帆)のご実家にお邪魔させていただきました。(山口の魅力を最大限感じられる素敵な時間でした!その節は大変お世話になりました。)そこから広島の宮島や尾道、瀬戸内海の小さな島を自転車で1周して、京都や大阪にも行きました。
この旅はとても新鮮で、新しい価値観や経験に出会うことができ、限りある自由な大学生活でどのようなことやってみたいか、改めて考えるきっかけとなりました。
私の考えとして、サッカー頑張りたい。でもそれと同じように、旅に出てみたい、海外に行ってみたい、留学してみたい、ボランティアをしてみたい...。
様々なやってみたいことがあったのです。
そうして、
「2年生のシーズン、悔いなくやりきったと言えるように本気でサッカーしよう。
そして、2年生のシーズン終了と共に女サカを辞めよう。」
と考えるようになりました。
しかし、ここですごいのが女サカです。(2回目)
私の悩みや葛藤を真剣に、怖いほど自分事として考え、意見してくれるのです。(もう正直怖かったです。笑)
インカレ優勝を目指しているチームであるにも関わらず、サッカーだけを本気でやりたいわけではない、という理解に苦しむだろう想いに真剣に耳を傾けてくれました。
多くの方とお話させていただき、自分自身でも時間をかけて様々なことを考えに考えに考えました。時間を作りたい、でも女サカでできることはやりたい。そうして、ほぼ1年かけて悩んだ末、3年生から"スタッフ"として、女サカに関わらせていただくことになりました。
新しい立場で始まった3年生のシーズン、私にとって最も難しいシーズンでした。
選手→学群生のスタッフという立場移行は女サカで初めてだったため、前例がありませんでした。チームに何ができるのか、何からすればいいのか、とにかく手探りでした。
また、時間を他のことにも使ってみたい、だからスタッフをやりたい。これは本気で女サカを勝たせたい、という想いでスタッフをしてくださっていた方に失礼だったと思います。そして、到底理解できないことだと思います。仮に理解していただけたとしても納得できないのも頷けます。
さらに、自分の感情が迷子になることもありました。最初の数か月は、グラウンドでビデオ撮影をしながら目が潤んでしまうこともありました。(ちなみにチャームポイントは、奥二重なので目が腫れないところです。決して一重ではありません。)
あれ、なんでビデオ撮影してるんだっけ?なんで女サカに残ったんだっけ?サッカーしたいかも、、と。サッカー以外のやりたいことに挑戦できていて、自分で悩みに悩んだ末に決断したにも関わらず、色々考えてしまうことも少なくありませんでした。自分の感情を理解してあげることも、そしてコントロールすることも難しかったです。
ですが、グラウンドを見れば頑張っているみんながいて、なんとか気を持ち直すことができていました。いつもありがとう!と言っていただく機会がありますが、それはこっちのセリフだ!!と思っていました。また、「選んだ道を正解にする」という意地もあったと思います。
4年生、最後のシーズン。
話しても話してもなぜか話題が尽きない学年ミーティングから始まり(今では少し学年ミーティングが恋しいです。怖いです。)、シーズンが始まってからはさらに目まぐるしい日々。チーム状況が良くない時期もあり、難しいことも少なくありませんでしたが、間違いなく充実したシーズンでした。
昨年1年の経験から自分にできることが見えてきて、やるべきこと・やった方がいいことが少しずつ自分のものになっていく感覚も掴めました。そして2024シーズンからスタッフに同期のひより(#2 吉岡日和)が加わってくれて、お互いに手探りながらもなんとか協力しながら頑張ったと思います。大変支えられました、本当にありがとう!
また、特に力を入れていたスポンサー活動では、紆余曲折はあったものの、今までで一番大きな契約を結ぶことができました。この0→1の経験はとても面白く、本当に自分の中で大きなものになりました。
そして2024シーズン、なんといっても自慢の同期が一番輝いていました。4年生として何ができるか、常に考え、悩みもがきながらも、行動に移すみんなは本当に私の憧れで誇りです。みんながグラウンドで躍動する姿を見ると心底嬉しかったです。インカレが決まった瞬間の感動はいつまでも忘れないと思います。いろいろな景色を見せてくれて本当にありがとう。
------------------------------------------------------------------------------------------------
引退ブログを書いていて改めて気が付いたのですが、本当に様々な方に、色々な面からお世話になりました。たくさん迷惑もかけました。
特に同期には本当に感謝しています。それぞれがそれぞれの強みを持っていて、とても面白い学年だったのではないでしょうか。中でも、安部美楽乃(#9)を知るには時間がかかりました。(まだわかってない点もたくさんあると思いますが。軽自動車に軽油を間違えて入れちゃうおちゃめな一面があることだけ、ここでお伝えさせていただきます。)
そして、女サカのこともそれ以外も応援してくれる大事な人、単位を何度も救ってくれた学類の同期、とりあえずどんなことも笑いに変えてくれる友人。本当に感謝してもしきれないです。ありがとう!!(泣)
両親にも大変感謝しているのですが、普段は絶対直接言えないのでこの場をお借りします。
好奇心は父から、とりあえずやってみよう精神は母から受け継がれたものだと思います。いつもどんな時も、多少の笑える小言と共に背中を押し続けてくれて本当にありがとう。振り返ってみると、ヨーロッパに1か月、英語留学に3週間、海外インターン、先輩が立ち上げたお店のお手伝い、就活支援やボランティア。様々なことに挑戦する機会をいただけました。これを糧にまた頑張ります。
私は、大学のトップレベルの部活動に所属している人間として、かなり珍しいと思います。というより、このような考えや行動を受け入れてくれるトップレベルの組織が珍しいと思います。
女サカに入れて、女サカでサッカーできて、女サカで学生スタッフができて、本当に幸せでした。女サカで出会えた先輩・同期・後輩・スタッフさん、その他お世話になった方々、本当にありがとうございました。
最後になりますが、これからも筑波大学女子サッカー部の活躍を大変楽しみにしております。
OG通信係だったので、これからOG通信を楽しみに生きていきます。(隅から隅まで、染みついてしまった確認グセを発揮させながら読みますね。)
大牧芽依 (#35 のの)



<執筆者プロフィール>
大牧 芽依(おおまき めい)
学年:4年
学群・学類:理工学群社会工学類
コートネーム:のの
前所属チーム:淑徳与野高校
筑波大学女子サッカー部4年の大牧芽依(#35 のの)です。
今回、同期がきっとかっこいいことを書いてくれるはずなので、私自身はあまりかっこよくないかもしれない4年間について、等身大の言葉で振り返ります。
正直、自分の考えをそのまま書き出すことには少し抵抗がありましたが、引退ブログとして素直な気持ちを語らずに終えるわけにはいかないと思い、この場をお借りします。
少し長いですが、それではお付き合いください。
------------------------------------------------------------------------------------------------
はじめにサッカー、そして筑波大学との出会いについて、お話します。
私は中学1年生からサッカーを始めました。
中高一貫の女子校で、「テニスをしてる人って人生充実してそう!」という安直な理由でテニス部に入部届を出しました。しかしその後、友人に半強制的に連れていかれたサッカー部。先輩方がキラキラしていて、監督が面白そうで、そしてなによりチームが温かそうで、その場で入部することを決意しました。
ひょんなことから始めたサッカーですが、ボールを追うことの面白さにがっつりのめり込み、中高6年間はサッカー中心の生活を送りました。(私のことをご存知の方は容易に想像できるかもしれませんが、真っ黒で、サーターアンダギーというあだ名で呼ばれていたこともあります。)
ただ、私の通っていた中高は部活<<<勉強だったため、部活環境が整っているとは言えず、基本的には楽しくサッカーできたらいいよね!という組織でした。(勉強に力をいれている学校だったために、高1でusuallyを「ウサウサリー」、高2でコロナ禍を「ころなうず」と読んでしまう学力だったにも関わらず、なんとか筑波大に合格させていただきました。その点、大変感謝しております!!)
話が少し逸れましたが、そのため、人生で1度は本気で"勝利"を目指す組織に所属してみたいと思うようになりました。
そのような中で、国立大学で唯一関東1部に所属している女子サッカー部がある、経営工学を学ぶことができる学部がある、総合大学であるため様々な考え方や価値観に出会えそう、という点で筑波大学を志望するようになりました。
忘れもしない、2021年4月6日
とにかく女サカに憧れていて、緊張しながらも胸を躍らせながら初めてグラウンドに行った日。ですが練習が終わる頃には号泣してしまいました。今でも鮮明に覚えています。笑(初日からすみませんでした。)
受験で運動をしていなかったいう理由もありますが、そんなことより、あまりにレベルが違いすぎて、こんなすごいところでサッカーするのは厳しいんじゃない...?と正直思いました。
プレースピード、体の強さ、パスの質、戦術...。全く異なるスポーツをしているという感覚でした。
しかしここですごいのが女サカです。
体験後、迷っている私に何度も連絡をくれ、「見学だけでも!外でボール蹴るだけでも!グラウンドにおいで~!」と声をかけていただきました。
そこで何度かグラウンドに行かせていただき、4月の3週目くらいに一緒にボールを蹴ったのが同期のゆめ(#36 荒井由芽)です。体育専門学群ではなく、医学部!しかも高校は陸上をやっていたそうで、ゆめもこれから入部するって言ってるし大丈夫かな、、?と思ったことにも背中を押され、女サカに入ることを決めました。(そんなゆめですが、4年生のシーズン、ほぼ全試合関カレスタメンです。ゆめっちかっこい~!!本当に他学の星です。)
ここから怒涛の女サカ生活が始まりました。
平日4日の練習、土日の試合、様々なミーティング。女サカは、全員が必要だと思うことにまっすぐに動く組織。オンもオフも、自分の時間や労力をかけることを惜しまない組織。本当に"人"が魅力的な組織です。
1年生の頃は毎日、練習についていくことに必死でした。今までとは目指すものも環境も全く異なり、面白いこともしんどいことも盛りだくさん、心身共にフルフル回転でした。気持ちに体が追い付かず、小さな怪我もたくさんしました。ですが、とにかくどうやったら上手くなれるのだろう、と常に考え、最大限吸収できるようにとにかく練習に励んでいました。
2021シーズンは、チームの目標であったインカレ優勝には届かなかったものの、インカレ3位という結果を残しました。全国で結果を出すチームは、チームとしてここまで一体感があるのか、ここまでこだわるのか、、、身をもって体感させていただき、本当に幸せでした。
そして待ちに待ったオフ。
授業もなく、入学後初めてまとまった時間がつくれました。
大学生になったらまずやりたいと思っていた1人旅に、必死に節約して貯めた10万円を握りしめ、リュックサックを背負って出発しました。
まず、実家のある埼玉県から山口県に夜行バスで12時間かけていき、なほ(#19 樋口那帆)のご実家にお邪魔させていただきました。(山口の魅力を最大限感じられる素敵な時間でした!その節は大変お世話になりました。)そこから広島の宮島や尾道、瀬戸内海の小さな島を自転車で1周して、京都や大阪にも行きました。
この旅はとても新鮮で、新しい価値観や経験に出会うことができ、限りある自由な大学生活でどのようなことやってみたいか、改めて考えるきっかけとなりました。
私の考えとして、サッカー頑張りたい。でもそれと同じように、旅に出てみたい、海外に行ってみたい、留学してみたい、ボランティアをしてみたい...。
様々なやってみたいことがあったのです。
そうして、
「2年生のシーズン、悔いなくやりきったと言えるように本気でサッカーしよう。
そして、2年生のシーズン終了と共に女サカを辞めよう。」
と考えるようになりました。
しかし、ここですごいのが女サカです。(2回目)
私の悩みや葛藤を真剣に、怖いほど自分事として考え、意見してくれるのです。(もう正直怖かったです。笑)
インカレ優勝を目指しているチームであるにも関わらず、サッカーだけを本気でやりたいわけではない、という理解に苦しむだろう想いに真剣に耳を傾けてくれました。
多くの方とお話させていただき、自分自身でも時間をかけて様々なことを考えに考えに考えました。時間を作りたい、でも女サカでできることはやりたい。そうして、ほぼ1年かけて悩んだ末、3年生から"スタッフ"として、女サカに関わらせていただくことになりました。
新しい立場で始まった3年生のシーズン、私にとって最も難しいシーズンでした。
選手→学群生のスタッフという立場移行は女サカで初めてだったため、前例がありませんでした。チームに何ができるのか、何からすればいいのか、とにかく手探りでした。
また、時間を他のことにも使ってみたい、だからスタッフをやりたい。これは本気で女サカを勝たせたい、という想いでスタッフをしてくださっていた方に失礼だったと思います。そして、到底理解できないことだと思います。仮に理解していただけたとしても納得できないのも頷けます。
さらに、自分の感情が迷子になることもありました。最初の数か月は、グラウンドでビデオ撮影をしながら目が潤んでしまうこともありました。(ちなみにチャームポイントは、奥二重なので目が腫れないところです。決して一重ではありません。)
あれ、なんでビデオ撮影してるんだっけ?なんで女サカに残ったんだっけ?サッカーしたいかも、、と。サッカー以外のやりたいことに挑戦できていて、自分で悩みに悩んだ末に決断したにも関わらず、色々考えてしまうことも少なくありませんでした。自分の感情を理解してあげることも、そしてコントロールすることも難しかったです。
ですが、グラウンドを見れば頑張っているみんながいて、なんとか気を持ち直すことができていました。いつもありがとう!と言っていただく機会がありますが、それはこっちのセリフだ!!と思っていました。また、「選んだ道を正解にする」という意地もあったと思います。
4年生、最後のシーズン。
話しても話してもなぜか話題が尽きない学年ミーティングから始まり(今では少し学年ミーティングが恋しいです。怖いです。)、シーズンが始まってからはさらに目まぐるしい日々。チーム状況が良くない時期もあり、難しいことも少なくありませんでしたが、間違いなく充実したシーズンでした。
昨年1年の経験から自分にできることが見えてきて、やるべきこと・やった方がいいことが少しずつ自分のものになっていく感覚も掴めました。そして2024シーズンからスタッフに同期のひより(#2 吉岡日和)が加わってくれて、お互いに手探りながらもなんとか協力しながら頑張ったと思います。大変支えられました、本当にありがとう!
また、特に力を入れていたスポンサー活動では、紆余曲折はあったものの、今までで一番大きな契約を結ぶことができました。この0→1の経験はとても面白く、本当に自分の中で大きなものになりました。
そして2024シーズン、なんといっても自慢の同期が一番輝いていました。4年生として何ができるか、常に考え、悩みもがきながらも、行動に移すみんなは本当に私の憧れで誇りです。みんながグラウンドで躍動する姿を見ると心底嬉しかったです。インカレが決まった瞬間の感動はいつまでも忘れないと思います。いろいろな景色を見せてくれて本当にありがとう。
------------------------------------------------------------------------------------------------
引退ブログを書いていて改めて気が付いたのですが、本当に様々な方に、色々な面からお世話になりました。たくさん迷惑もかけました。
特に同期には本当に感謝しています。それぞれがそれぞれの強みを持っていて、とても面白い学年だったのではないでしょうか。中でも、安部美楽乃(#9)を知るには時間がかかりました。(まだわかってない点もたくさんあると思いますが。軽自動車に軽油を間違えて入れちゃうおちゃめな一面があることだけ、ここでお伝えさせていただきます。)
そして、女サカのこともそれ以外も応援してくれる大事な人、単位を何度も救ってくれた学類の同期、とりあえずどんなことも笑いに変えてくれる友人。本当に感謝してもしきれないです。ありがとう!!(泣)
両親にも大変感謝しているのですが、普段は絶対直接言えないのでこの場をお借りします。
好奇心は父から、とりあえずやってみよう精神は母から受け継がれたものだと思います。いつもどんな時も、多少の笑える小言と共に背中を押し続けてくれて本当にありがとう。振り返ってみると、ヨーロッパに1か月、英語留学に3週間、海外インターン、先輩が立ち上げたお店のお手伝い、就活支援やボランティア。様々なことに挑戦する機会をいただけました。これを糧にまた頑張ります。
私は、大学のトップレベルの部活動に所属している人間として、かなり珍しいと思います。というより、このような考えや行動を受け入れてくれるトップレベルの組織が珍しいと思います。
女サカに入れて、女サカでサッカーできて、女サカで学生スタッフができて、本当に幸せでした。女サカで出会えた先輩・同期・後輩・スタッフさん、その他お世話になった方々、本当にありがとうございました。
最後になりますが、これからも筑波大学女子サッカー部の活躍を大変楽しみにしております。
OG通信係だったので、これからOG通信を楽しみに生きていきます。(隅から隅まで、染みついてしまった確認グセを発揮させながら読みますね。)
大牧芽依 (#35 のの)



<執筆者プロフィール>
大牧 芽依(おおまき めい)
学年:4年
学群・学類:理工学群社会工学類
コートネーム:のの
前所属チーム:淑徳与野高校