2024年01月08日
私にできること #33 森本栞梨
こんにちは。森本栞梨(#33 シー)です。
『引退』の実感が湧かず、書き始めるまでとても時間がかかってしまいました。
ブログとともに4年間を振り返ってみようと思います。
拙い文章ですが、ご一読いただけますと幸いです。
11/26のリーガファイナルをもって、私のサッカー人生は幕を閉じました。
小、中とサッカーをしていましたが、高校ではサッカーをする環境が整っておらず、サッカーから離れ陸上部に所属していた私は、大学で再びサッカーをすることに不安を抱えていました。
しかし、女サカはそんな私を温かく迎えてくれて、サッカーの楽しさを教えてくれました。
がむしゃらに頑張ってきた1.2年生。
先輩たちに必死についていき、西が丘の景色を見ることができました。
チームのことを考え始めるようになった3年生。
怪我が重なり思うようにプレーできない日々。大事な試合にあまり絡むことができないまま、チームに貢献できないままシーズンが終わってしまいました。
そして4年生。チームを創り上げていく立場になりました。
『翔仁』
これが2023シーズンのスローガンです。仲間を想い、チーム全員で高みを目指すという意味を込めました。
誰1人欠けることなく、全員で目標に向かっていきたい。インカレで優勝した時に、このチームで良かったと全員が心から思えるチームでありたい。
そのために私にできることはどんな立場であれ全てやる覚悟でシーズンがスタートしました。
シーズン開幕戦の関東リーグ東洋大学戦。
先制点を取ったものの失点し、1-3の状況から、ラストで3点を返し4-3で劇的逆転勝利。
このチームへの期待、自分自身への期待、ここから私たちの戦いが始まることへのワクワクが止まりませんでした。
しかし、その後は思うように結果が出ず、どうしたらこのチームで勝てるのか、チームの雰囲気を良くするためにどうしたらいいのか悩む日々が続きました。
試合に出させてもらっているのに何もチームに貢献できず、何ができるか考えている間にすぐにくる試合。下手くそは下手くそなりにがむしゃらにやるべきことを積み重ねなければならないのに、悩んでしまって思うように動かない身体。着々とレベルアップするライバルとの差。
「このチームで絶対に優勝したい、そのためにできることは全てやる」
この気持ちがブレる事は一度もありませんでしたが、結果として負けているのに私が試合に出る意味、サッカーを頑張る意味を見出せなくなりそうでした。
私の実力はこんなものか、高校の時サッカーやってないし仕方ないよな、と思ってしまう自分に対して、
ここまで頑張ってきたし、まだまだ闘える。下手くそな私が立ち止まってる暇なんてないし、私が精一杯努力する姿が、私が試合に出られる出られないに関わらずこのチームに良い影響を与えると自分を奮い立たせていました。
後期開幕から一勝もできない状況の中迎えた集中応援。
蹴球部による太鼓と応援歌、女サカを応援してくれている方々、友人、駆けつけてくれたお父さん。
主将のあやみのスーパーシュートが決まり1-0で勝利し、久しぶりに白星をあげることができました。
とても嬉しく、心の底から勝つって最高だな、もっと勝ってこの喜びをみんなと分かち合いたい、応援の力ってすごいなと思いました。
関カレ最終戦、神奈川大学戦。
15点差で勝てばインカレ出場が決まる、とても難しい試合。
私は試合に出ることはできず、試合に出た時にやるべきこと、今何ができるかを考えながらベンチにいました。
最後の関カレに出られない悔しさもありましたが、みんなならやれるという信頼、ピッチにいる選手のためにできることは全てするという気持ちが本当に大きかったです。
最後の最後まで声をかけ続け、最後まで仲間とともに戦いましたが、結果は1-1。
インカレに出場できないことが決まってしまいました。
あの試合でもっと身体を張っていたら、あの試合で点を取っていれば、と後悔は尽きません。
もっとみんなとサッカーがしたかった。もっとみんなと勝って笑いたかった。みんなのことが大好きすぎて、これで本当に終わってしまうのかと涙が止まりませんでした。
来年こそはインカレという場所に戻ってくれると信じていますし、心から応援しています。
みんななら大丈夫。自分を信じて、仲間を信じて、突き進んでいってほしいなと思います。
11/25.26
私のサッカー人生最後の試合。
楽しみと緊張が入り混じっていました。
全ての行動が最後で、名残惜しくてたまりませんでした。ピッチに入る時のハイタッチ、グラウンドを走る時の風、しんどい時の一歩、仲間と声を掛け合う時、イメージ通りにボールを受けられた時、仲間に良いプレーを繋げた時。
全てが輝いていて、このまま終わってほしくない、ずっとみんなとサッカーをしていたいと思いました。
これで私のサッカー人生は終わりますが、最後にみんなと勝利できて、本当に良かったです。
結果としては満足のいくものではなかったけど、悔いはありません。
結果だけでは語れない、多くのものを得ることができました。
女子サッカー部に入ろうと思った大学1年生の私を褒めたいと思います。
こんなにも素敵な仲間に出会えて、一緒に全力でサッカーができて、いろいろな活動に取り組めて、幸せでした。
私はこれからの人生で、こんなにも全力になれるものに出会えるのだろうか。こんなに嬉しさや悔しさを爆発させることができるのだろうか。
私はプレイヤーからは離れますが、心が動くことを見つけて、私らしく、不器用でも全力で人生を送っていきたいと思います。
どんな時もともに4年間を過ごした同期、先輩、後輩、いつも女サカのことを考えて行動してくださったスタッフさん、いつも応援してくれる友達。全ての方々のおかげで今の私があります。
本当にありがとうございました。
また、大学でサッカーを始めることに賛成し、応援してくれたお父さん、お母さん、お姉ちゃん。
みんなが温かく見守ってくれるおかげで、思う存分サッカーを楽しむことができました。ありがとう。
最後に、筑波大学女子サッカー部を応援していただきありがとうございます。
後輩たちが素晴らしいチームを創り上げてくれると信じています。
今後ともご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
#33 森本栞梨



『引退』の実感が湧かず、書き始めるまでとても時間がかかってしまいました。
ブログとともに4年間を振り返ってみようと思います。
拙い文章ですが、ご一読いただけますと幸いです。
11/26のリーガファイナルをもって、私のサッカー人生は幕を閉じました。
小、中とサッカーをしていましたが、高校ではサッカーをする環境が整っておらず、サッカーから離れ陸上部に所属していた私は、大学で再びサッカーをすることに不安を抱えていました。
しかし、女サカはそんな私を温かく迎えてくれて、サッカーの楽しさを教えてくれました。
がむしゃらに頑張ってきた1.2年生。
先輩たちに必死についていき、西が丘の景色を見ることができました。
チームのことを考え始めるようになった3年生。
怪我が重なり思うようにプレーできない日々。大事な試合にあまり絡むことができないまま、チームに貢献できないままシーズンが終わってしまいました。
そして4年生。チームを創り上げていく立場になりました。
『翔仁』
これが2023シーズンのスローガンです。仲間を想い、チーム全員で高みを目指すという意味を込めました。
誰1人欠けることなく、全員で目標に向かっていきたい。インカレで優勝した時に、このチームで良かったと全員が心から思えるチームでありたい。
そのために私にできることはどんな立場であれ全てやる覚悟でシーズンがスタートしました。
シーズン開幕戦の関東リーグ東洋大学戦。
先制点を取ったものの失点し、1-3の状況から、ラストで3点を返し4-3で劇的逆転勝利。
このチームへの期待、自分自身への期待、ここから私たちの戦いが始まることへのワクワクが止まりませんでした。
しかし、その後は思うように結果が出ず、どうしたらこのチームで勝てるのか、チームの雰囲気を良くするためにどうしたらいいのか悩む日々が続きました。
試合に出させてもらっているのに何もチームに貢献できず、何ができるか考えている間にすぐにくる試合。下手くそは下手くそなりにがむしゃらにやるべきことを積み重ねなければならないのに、悩んでしまって思うように動かない身体。着々とレベルアップするライバルとの差。
「このチームで絶対に優勝したい、そのためにできることは全てやる」
この気持ちがブレる事は一度もありませんでしたが、結果として負けているのに私が試合に出る意味、サッカーを頑張る意味を見出せなくなりそうでした。
私の実力はこんなものか、高校の時サッカーやってないし仕方ないよな、と思ってしまう自分に対して、
ここまで頑張ってきたし、まだまだ闘える。下手くそな私が立ち止まってる暇なんてないし、私が精一杯努力する姿が、私が試合に出られる出られないに関わらずこのチームに良い影響を与えると自分を奮い立たせていました。
後期開幕から一勝もできない状況の中迎えた集中応援。
蹴球部による太鼓と応援歌、女サカを応援してくれている方々、友人、駆けつけてくれたお父さん。
主将のあやみのスーパーシュートが決まり1-0で勝利し、久しぶりに白星をあげることができました。
とても嬉しく、心の底から勝つって最高だな、もっと勝ってこの喜びをみんなと分かち合いたい、応援の力ってすごいなと思いました。
関カレ最終戦、神奈川大学戦。
15点差で勝てばインカレ出場が決まる、とても難しい試合。
私は試合に出ることはできず、試合に出た時にやるべきこと、今何ができるかを考えながらベンチにいました。
最後の関カレに出られない悔しさもありましたが、みんなならやれるという信頼、ピッチにいる選手のためにできることは全てするという気持ちが本当に大きかったです。
最後の最後まで声をかけ続け、最後まで仲間とともに戦いましたが、結果は1-1。
インカレに出場できないことが決まってしまいました。
あの試合でもっと身体を張っていたら、あの試合で点を取っていれば、と後悔は尽きません。
もっとみんなとサッカーがしたかった。もっとみんなと勝って笑いたかった。みんなのことが大好きすぎて、これで本当に終わってしまうのかと涙が止まりませんでした。
来年こそはインカレという場所に戻ってくれると信じていますし、心から応援しています。
みんななら大丈夫。自分を信じて、仲間を信じて、突き進んでいってほしいなと思います。
11/25.26
私のサッカー人生最後の試合。
楽しみと緊張が入り混じっていました。
全ての行動が最後で、名残惜しくてたまりませんでした。ピッチに入る時のハイタッチ、グラウンドを走る時の風、しんどい時の一歩、仲間と声を掛け合う時、イメージ通りにボールを受けられた時、仲間に良いプレーを繋げた時。
全てが輝いていて、このまま終わってほしくない、ずっとみんなとサッカーをしていたいと思いました。
これで私のサッカー人生は終わりますが、最後にみんなと勝利できて、本当に良かったです。
結果としては満足のいくものではなかったけど、悔いはありません。
結果だけでは語れない、多くのものを得ることができました。
女子サッカー部に入ろうと思った大学1年生の私を褒めたいと思います。
こんなにも素敵な仲間に出会えて、一緒に全力でサッカーができて、いろいろな活動に取り組めて、幸せでした。
私はこれからの人生で、こんなにも全力になれるものに出会えるのだろうか。こんなに嬉しさや悔しさを爆発させることができるのだろうか。
私はプレイヤーからは離れますが、心が動くことを見つけて、私らしく、不器用でも全力で人生を送っていきたいと思います。
どんな時もともに4年間を過ごした同期、先輩、後輩、いつも女サカのことを考えて行動してくださったスタッフさん、いつも応援してくれる友達。全ての方々のおかげで今の私があります。
本当にありがとうございました。
また、大学でサッカーを始めることに賛成し、応援してくれたお父さん、お母さん、お姉ちゃん。
みんなが温かく見守ってくれるおかげで、思う存分サッカーを楽しむことができました。ありがとう。
最後に、筑波大学女子サッカー部を応援していただきありがとうございます。
後輩たちが素晴らしいチームを創り上げてくれると信じています。
今後ともご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
#33 森本栞梨



2024年01月08日
筑波に来てよかった #32 三好真由
こんにちは。看護学類4年の三好真由(#32 ナギ)です。
ついにこのブログを書く側になってしまいました。最近まで広報部長として女サカのSNSの発信をしていましたが、なかなか自分について発信することはないので、少し緊張しています。
拙い文章ですが、最後まで読んでくださると嬉しいです。
引退ブログということですが、少しだけ自分が女サカに入ったきっかけを話したいと思います。
私はつくば生まれ、つくば育ちで、小さい頃から筑波大学は車で15分のご近所にありました。そのため、小学生の時に一度だけつくばフェスティバルの少女サッカー教室に参加したことがあります。地元ならではですね。
筑波大学に進学することを決めたのはおそらく高校1年生の時だったと思います。今まで私はなんとなくボールを蹴って、なんとなく走って、おそらく何も考えずに普通のサッカーを楽しんでいました。でも高校に入って、女サカOGの顧問の先生に出会っていろいろなことを学びました。
「やるときはやる。メリハリをつけること、サッカーと勉強との両立の大切さ。サッカーは、選手だけでは成り立たないこと、仲間や指導者や、審判、対戦相手などいろいろな立場の人がいるからサッカーを楽しめるということ。」
当たり前のことですが、今までこういうことを伝えてくれる人はいなかったので、先生のことを人としてすごく尊敬していました。
そんな先生の教えもあって、私も自然と先生が過ごした環境でサッカーを続けたいと思うようになったのだと思います。
以上が女サカに来たきっかけです。
実際に入ってみると、先生が言っていた通り、女サカにはいろいろな人がいました。サッカーの推薦で入ったレベルの高い選手や高校まで他の競技をしていて大学でまたサッカーを始めるような選手など、多様なバックグラウンドを持つ人が所属していました。また、チームの雰囲気も良く、馴染みやすかったのを覚えています。
いざ練習に入ると高校とは違って、パススピードもプレスも速く、体も強いし、頭も使う、練習メニューもやったことのないものばかりでとにかく混乱していました。
こんなところでやっていけるのかなという不安はありましたが、それ以上にワクワクしました。
けれど、練習できたのも束の間。
1年生の頃は怪我してばかりで試合に一回も出られずに終わりました。
みんながボールを蹴っているピッチの脇でひたすらリハビリに励み、みんなの試合のサポートをしていました。
サポートばかりでつらくない?って聞かれたこともありますが、私は全くつらくありませんでした。むしろそれが自分の存在意義だとも思っていましたし、自分に与えられた仕事を全うしたい。みんなのためにできることをしたい。と思っていました。それほど魅力的で良いチームだったからです。
2年生。相変わらずの怪我と学類の活動自粛でこの年も思うように練習に参加できなかったと思います。でもみんなの活躍を見ているだけで、チームの一員としてすごく嬉しかったです。特に冬のインカレでもらった感動は今でも忘れません。私が直接貢献できることはほとんどありませんでしたが、インカレでみんなが掴み取った一つひとつの勝利には本当に感動しました。
3年生。3年になって少しずつ自分にベクトルを向けることができるようになりました。今まではみんなが良ければそれでいい、自分を後回しにしていましたが、やはり試合にも出られないのは悔しくて、何もできない自分に腹が立ったことや、無意識に涙が出てくることだってありました。
4年生。あっという間に最上級生になりました。たくさんの話し合いの末、同期のみんなで意気込んで始まった最後のシーズンでしたが、チームとしてはインカレ出場を逃し、自分たちの代で結果を残すことはできませんでした。
けれど、個人的には最後の1年は今までで一番怪我がなく健康で、たくさんの試合に出ることができました。自分のできることは全て出し切ったし、悔いはありません。
喜怒哀楽。いろいろな想いをしたし、自分の無力さや情けなさを感じるときもあったけど、自分にはもったいないくらい素敵な仲間と環境に恵まれ、楽しい4年間を過ごすことができました。
引退してはや1ヶ月。
毎週やってくる朝4時半起きの朝練、オフ明けの早朝の振り返りミーティング、FCT前の緊迫した雰囲気、定期開催の学年会、今となっては全てが懐かしく感じます。
もうこんな日々を経験することはないだろうと思うと急に寂しくなります。
最後に、
雨の日も、猛暑日も、どんなに忙しくても、グラウンドに来て指導してくださったスタッフさん、
こんな自分を受け入れて、どんなときも支えてくれた同期、
優しくて、いつでも応援してくれる先輩方、
私の頑張る源でもあり、頼れる後輩たち、
いつも応援に駆けつけてくださる方々、
そして一番近くで応援してくれた家族には本当に感謝しています。
素晴らしい仲間に出会えて、宝物のようなかけがえのない思い出ができました。
本当にありがとうございました。
最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援のほどよろしくお願いいたします。
#32 三好真由



ついにこのブログを書く側になってしまいました。最近まで広報部長として女サカのSNSの発信をしていましたが、なかなか自分について発信することはないので、少し緊張しています。
拙い文章ですが、最後まで読んでくださると嬉しいです。
引退ブログということですが、少しだけ自分が女サカに入ったきっかけを話したいと思います。
私はつくば生まれ、つくば育ちで、小さい頃から筑波大学は車で15分のご近所にありました。そのため、小学生の時に一度だけつくばフェスティバルの少女サッカー教室に参加したことがあります。地元ならではですね。
筑波大学に進学することを決めたのはおそらく高校1年生の時だったと思います。今まで私はなんとなくボールを蹴って、なんとなく走って、おそらく何も考えずに普通のサッカーを楽しんでいました。でも高校に入って、女サカOGの顧問の先生に出会っていろいろなことを学びました。
「やるときはやる。メリハリをつけること、サッカーと勉強との両立の大切さ。サッカーは、選手だけでは成り立たないこと、仲間や指導者や、審判、対戦相手などいろいろな立場の人がいるからサッカーを楽しめるということ。」
当たり前のことですが、今までこういうことを伝えてくれる人はいなかったので、先生のことを人としてすごく尊敬していました。
そんな先生の教えもあって、私も自然と先生が過ごした環境でサッカーを続けたいと思うようになったのだと思います。
以上が女サカに来たきっかけです。
実際に入ってみると、先生が言っていた通り、女サカにはいろいろな人がいました。サッカーの推薦で入ったレベルの高い選手や高校まで他の競技をしていて大学でまたサッカーを始めるような選手など、多様なバックグラウンドを持つ人が所属していました。また、チームの雰囲気も良く、馴染みやすかったのを覚えています。
いざ練習に入ると高校とは違って、パススピードもプレスも速く、体も強いし、頭も使う、練習メニューもやったことのないものばかりでとにかく混乱していました。
こんなところでやっていけるのかなという不安はありましたが、それ以上にワクワクしました。
けれど、練習できたのも束の間。
1年生の頃は怪我してばかりで試合に一回も出られずに終わりました。
みんながボールを蹴っているピッチの脇でひたすらリハビリに励み、みんなの試合のサポートをしていました。
サポートばかりでつらくない?って聞かれたこともありますが、私は全くつらくありませんでした。むしろそれが自分の存在意義だとも思っていましたし、自分に与えられた仕事を全うしたい。みんなのためにできることをしたい。と思っていました。それほど魅力的で良いチームだったからです。
2年生。相変わらずの怪我と学類の活動自粛でこの年も思うように練習に参加できなかったと思います。でもみんなの活躍を見ているだけで、チームの一員としてすごく嬉しかったです。特に冬のインカレでもらった感動は今でも忘れません。私が直接貢献できることはほとんどありませんでしたが、インカレでみんなが掴み取った一つひとつの勝利には本当に感動しました。
3年生。3年になって少しずつ自分にベクトルを向けることができるようになりました。今まではみんなが良ければそれでいい、自分を後回しにしていましたが、やはり試合にも出られないのは悔しくて、何もできない自分に腹が立ったことや、無意識に涙が出てくることだってありました。
4年生。あっという間に最上級生になりました。たくさんの話し合いの末、同期のみんなで意気込んで始まった最後のシーズンでしたが、チームとしてはインカレ出場を逃し、自分たちの代で結果を残すことはできませんでした。
けれど、個人的には最後の1年は今までで一番怪我がなく健康で、たくさんの試合に出ることができました。自分のできることは全て出し切ったし、悔いはありません。
喜怒哀楽。いろいろな想いをしたし、自分の無力さや情けなさを感じるときもあったけど、自分にはもったいないくらい素敵な仲間と環境に恵まれ、楽しい4年間を過ごすことができました。
引退してはや1ヶ月。
毎週やってくる朝4時半起きの朝練、オフ明けの早朝の振り返りミーティング、FCT前の緊迫した雰囲気、定期開催の学年会、今となっては全てが懐かしく感じます。
もうこんな日々を経験することはないだろうと思うと急に寂しくなります。
最後に、
雨の日も、猛暑日も、どんなに忙しくても、グラウンドに来て指導してくださったスタッフさん、
こんな自分を受け入れて、どんなときも支えてくれた同期、
優しくて、いつでも応援してくれる先輩方、
私の頑張る源でもあり、頼れる後輩たち、
いつも応援に駆けつけてくださる方々、
そして一番近くで応援してくれた家族には本当に感謝しています。
素晴らしい仲間に出会えて、宝物のようなかけがえのない思い出ができました。
本当にありがとうございました。
最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部の応援のほどよろしくお願いいたします。
#32 三好真由


