2024年01月06日
届かなかった夢の終わりを観に行こうぜ #26 山田未優羽
こんにちは。
筑波大学女子サッカー部4年の山田未優羽(#26 リコ)です。
日頃より、筑波大学女子サッカー部への多大なるご声援、ご支援、誠にありがとうございます。今年はインカレ出場も叶いませんでしたが、かわいい後輩たちが気持ちを繋げていってくれると思いますので、これからも筑波大学女子サッカー部をよろしくお願いいたします。
女サカや蹴球部の引退ブログを読むのが好きでしたが、あっという間に私が書くことになっており、4年間の短さに驚きを隠せません。正直まだ、引退した実感はなく、1月になったらまたシーズンが始まるのではと錯覚してしまいます。
歴史があり、様々な方に読んでいただくこのような場で、自分の思いや考えを書くことには多少の抵抗がありますが、サッカーという私の人生の大半を占めていたことが終わり、新たな人生が始まる区切りとして、書いてみようと思います。
ただでさえ話を短くまとめることが苦手で、文章を書くことも得意でないため、とても拙く長い文章ですが、どうかご了承ください。
恥ずかしさもいっぱいなので、最後まで読んでいただかなくてもなんの問題もございません。
よろしくお願いいたします。
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軽く今までのサッカー人生を振り返ってみます。
3歳のとき、サッカーを始めた。
FC鷹という神奈川県川崎市川崎区にある少年団クラブ。
始まりは、「結婚するつもりの大好きな男の子がサッカーを始めるから、妻になる私もそのくらい経験しておくの!」といったなんともませた理由であった。(その旦那になるはずだったりょうくんはすぐサッカーを辞めてしまったが、そういえば元気かな?(笑))
何度も聞かれた「サッカーを始めたきっかけは?」という質問には、毎度恥ずかしい気持ちでいっぱいだったし、こんなふざけた理由で決めたこの決断がこんなにも人生を変えることになるとは。人生は本当に何が起こるかわからない。
少年団のクラブに女子1人で入部し、練習も素走りが多く本当にきつくて、つらい時期も多かった。
でも、そのとき出会えた仲間には感謝してもしきれないし、初めてやったサッカーがみんなとだったから今までサッカーを続けていると思う。
この場をお借りして、今も仲良くしてくれて、本当にありがとう。これからも末長くよろしく。
中学生になり、横浜FCシーガルズという横浜FCの下部組織のチームに入団した。
中学高校と6年間お世話になった。初めて女子チームに入り、不安も大きかった。
もちろん、良い記憶ばかりではなく、前十字靭帯断裂という大きな怪我もし、つらいこともたくさんあったが、ここでもとっても大切な仲間に出会えた。
個性が強く、似ているようで全く似ていないみんなと過ごすなんてことない時間は、宝物です。
また、この場をお借りして、今も仲良くしてくれて、本当にありがとう。これからも末長くよろしくね。
そして、ミラクルで溢れた大学受験を終え、見事筑波大学女子サッカー部に入部した。
「自分が日本一になることで、今までお世話になったコーチや監督を日本一の選手を育てたコーチ、監督にしたい!全国大会で自分が点を取るんだ!」
そんな夢と希望を持って入部した。
結果だけいえば、思い描いた4年間ではなかった気がします。
私はおそらく割と楽観的な性格で、気にする割には寝たら忘れちゃうようなタイプです。多分。
でも、この4年間の中では、サッカーをやっている理由がわからなくなり、初めて本当にもう辞めるしかないと思ったこともありました。
特に3年生までは自分の弱さゆえに思う通りにいかないことも多く、初めはスタメンを取れなくて泣きじゃくっていたはずなのに、最後にはベンチに入って喜んでいる自分もいました。
きっと諦めることも覚えたし、自分に期待をせずなんとなくこなすことも覚えました。
でも、やっぱりそんなものは覚える度に忘れていきたい。
今までもこれからもきっと、自分への期待は自分だけはやめちゃいけない。
どのような経験をするかは選べないけど、その経験をどう捉えるかは自分次第であり、なりたい自分やありたい姿を考え、価値のあるものにすることはできる。
そんなことを学びました。
たくさんの人に支えてもらい、サッカーを続ける理由をもらいました。
3歳から始め、結局最後まで本当にサッカーが大好きな19年間でした。
特に終わりが見えてきたここ2年間くらいは、こんなに心が躍るものにはもう人生で出会わないかもしれないと思い、寂しくてどうにもならない気持ちになることがありました。
恋愛ソングがサッカーの歌に聞こえた時はもう末期だと思ったし、サッカーは私をいとも簡単にワクワクさせ、時には奈落の底へ落とし、本当に駆け引きが上手な相手に恋をしてしまったようです。(笑)
近い記憶だと、3年生の皇后杯のFKでのゴール、そして4年生関カレの最終節から2節前の試合、東京国際大学戦のゴール。
会場にいるみんなはもちろん、SNSだったりでも、みんながすごく喜んでくれて。
私が楽しいだけで続けてきたサッカーなのに、ただ、ボールがあのゴールの線を越えただけで、大の大人が、周りの人が、こんなに喜んでくれる。
日常にはないこの感覚がとても不思議で、大好きでした。
ゴールを決めた瞬間、スルーパスが決まった瞬間、トラップが綺麗に止まった時、味方とのコンビネーションが決まった時、やっぱりこんなに心が躍るものはもうないかもしれないです。
特にゴールが決まった瞬間が好きで、最後の1年間は自分のモチベーション維持のためにも、練習やフットサルでのコソ練、そして試合で、ボールがゴールネットを揺らした数、心がワクワクっとした数をカウントしていました。(笑)
合計は326回。
つらいことや嫌なこともたくさんありましたが、間違いなく326回はワクワクっとしたということです。
もう十分すぎるサッカー人生でした。間違いなく続けてきて良かったと言えます。
最後に、大好きなドラマのセリフがあります。
「道を切り拓くのは自信と勇気だ! by川藤幸一」
ご存知の方も多いかと思いますが、ROOKIESというドラマで、コロナの時期にはもう一周見て、毎話号泣しました。(笑)
つらい時、この言葉を思い出しました。
こんなに大好きなサッカー人生は一度区切りをつけますが、これからの人生も夢や希望を持ち続けて生きていきたいです。
期待を持つ分、どうしたら良いのかわからないようなどん底に落ちることもあると思います。でも、その真っ暗な期待のない道でも自分がやりたい、やったほうが良いと思うなら、進む選択をしてほしい。
そのために必要なことは、自分の自信が持てるまで努力し続けること。そして、最後はその自信をいっぱいに持って勇気を振り絞ることだと思います。
サッカーを通して、経験できたことや感じたこと、学んだことなど、ここには書ききれないたくさんのことがありました。
こんなに良い経験ができ、楽しい日々を続けてこられたのは、間違いなく周りの人のおかげです。本当にずっと周りの人に恵まれていました。
指導者の皆様、一緒に戦った仲間、その親御さん、怪我をしたときにお世話になりすぎたトレーナーさんや理学療法士の方々、病院の先生、この場をお借りし、私に関わってくださった全ての皆様に感謝の気持ちを伝えたいです。心から本当にありがとうございました。
そして、家族(ぱぱ、まま、じいじ、ばあば、なつ、そして愛犬たち)。何度送り迎えをしてもらい、何度応援に来てもらい、何度泣きじゃくって話を聞いてもらったか、かけた迷惑は計り知れません。これからも末長くお世話になるとは思いますが、この区切りで感謝を伝えたいです。本当に、本当にありがとう。
できるなら、日本一になってみんなに恩返しをしたかったですが、この夢の続きはこれからの未来で、違う形で叶えられたらと思います。たくさんの歌にも助けられ、タイトルもある歌の歌詞です!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、どこかでサッカーをしている未来も見えます。
ただ、ここで一区切り。19年間、最高に心の躍る楽しい楽しいサッカー人生でした!!
本当にありがとうございました!!!
#26 山田未優羽



2024年01月06日
立ち上がリーヨ #18 森下遥菜
「もっと自信を持ってプレーしなよ。」
4年間で何回聞いた言葉でしょうか。
こんにちは。森下遥菜(#18 カイ)です。
日頃より筑波大学女子サッカー部を応援していただき、ありがとうございます。
インカレでは優勝が決まろうとしている中、女サカはあっという間に今シーズンが終わり、引退ブログを書く時期になりました。
拙い文章ですが、これまでの想いを綴りましたので一読していただけますと幸いです。
まず私の大学入学までの経歴を簡単に言うとこのような感じです。
小学校:イナズマイレブンに憧れてサッカーを始める
中学校:サッカーを続ける環境がなく、バスケ部に入部
高校 :県立高校の女子サッカー部に入部
これを見て分かる通り、私はサッカー一筋!の人生を歩んできたわけではありません。大学でもサッカーを続ける気は全くありませんでした。
それでも高校2年生の頃、県トレセンに選抜していただきました。普段は味わうことのできないレベルの中でサッカーをすることで、どれだけ成長できるだろう、と期待を膨らませて参加したトレセンでしたが、そこでは自分のレベルの低さを痛感しただけでした。
そこからは部活に戻っても一つパスがずれただけで、一つトラップをミスしただけで「これじゃダメだ。他では通用しない。」そんな気持ちに陥ってしまい、いつしかサッカーをすることが怖くなっていました。
私はその状況に耐えることができず、監督にお願いしてトレセン活動を途中で辞退させていただきました。
そこから、今まで通りのサッカーをすることはできましたが、心のどこかにずっと後悔が残っていました。
「あの時、嫌でも続けていたらもっと上手くなれたのだろうか。」
この後悔の答えを見つけるために、国立で唯一関東大学女子サッカーリーグ1部に所属しているという、あえてレベルの高い筑波大学への進学を決めました。
普段からふざけていてヘラヘラしている私ですが、ピッチに立つと一転して…
萎縮します。
スタッフ・先輩・同期のみんなからも「もっと自信を持ってプレーしなよ。」と何度も言われました。ピッチ外ではうるさいからこそ余計に。
「上手だったらもっと堂々とプレーしてるよ!」
心の中で毎回言い返していました。
でも図星です。
1年生の時から自分がしたいサッカーというのはなく、とにかく周りに合わせてプレーをしていました。
試合に出たいという思いも、正直強くはありませんでした。試合に出れたとしても弱腰で、とにかくミスはしないようにと怯えながらサッカーをしていました。
それでも周りに助けられて2年生の頃まではなんとか上手くできていました。
試合に出てゴールも決めたし、チームとしてもインカレ3位という結果を残したし。
しかし3年生という上級生の立場になったら、そうもいきません。引っ張ってもらう立場から引っ張る立場になっていきました。
それでも私はまだ不安げにプレーしていました。
そして昨シーズンは、入部から3年目にして初めてインカレ出場を逃しました。また皇后杯の本戦では、怪我により、4年生の引退をスマホの画面で見届けました。
本当に悔しかった。
自分たちの代では絶対にインカレに出て優勝する、そう心に決めました。
ただ私は、自分が試合に出て優勝する、と意気込んでいたというよりは、上手い人ばかりだしみんなならいける、と考えており、そのみんなに私を含んではいませんでした。
そんな気持ちが見透かされていたのだと思います。
今シーズン、チームとしてなかなか勝つことができていなかった状況で、4年生がそんな態度でいいの?と怒られました。
「だって上手じゃないもん。」また一瞬自分の中で言い返そうとしましたが、やめました。
そうじゃない。
「こんな自分でもやれることは山ほどある。」
同期ともたくさん話して、その時から意識が変わったと思います。
味方と合わせながらも意思をきちんと伝えたり、少しずつしたいプレーも増やしたりして、自分らしくサッカーをするようになったと思います。
自分が試合に出て勝ちたい、出られなかったら悔しい、そういった気持ちも芽生えるようになりました。試合に出るときは常に緊張していましたが(笑)。
それからは「自信」という言葉もあまり聞かなくなりました。
それでも今シーズンの結果は、昨年と同様にインカレ出場を逃した上、皇后杯本戦出場もなし。
4年間で一番ひどい結果でした。
チームとしてもっと上を目指せたとは思います。
悔しい気持ちももちろんあります。
でも、後悔はありません。
それはきっと、自分がやるんだという想いで、勝利を目指し続けることができるようになったからだと思います。
逃げ出したいと思う時期もありましたが、周りに支えられ、高校の時の後悔を晴らすこともできました。
『大学でサッカーが上手くなった』と『自信』を持ってそう言えます。
私の想いはこれくらいにしておいて、最後に自分が何か行動をするとき、常に心に持っている言葉だけ伝えて終わります。
『the gift is what you get by givin' more than you receive.』
Blueの「The Gift」という曲の歌詞の一部で、友人から教えてもらった曲です。
『本当のギフトとは、受け取ることよりも与えることで得られるものだ。』
サッカー自体とは少しずれてしまいますが、全てにおいて選手主体の部活動だったからこそ、大事にしていた言葉です。
何かすることで笑顔になる、助けられる人がいる、そう思って何事にも取り組んでいました。
そして女サカはみんな、特に同期はこういう人ばかりでした。
だからこそ4年間やり遂げられたのだと思います。
スタッフさん、先輩、後輩、同期、
そしてこの選択を尊重し、いつでも一番近くで応援してくれていた家族。
全ての周りの環境に恵まれました。
本当にありがとうございました。
後輩はまたすぐ目の前に次のシーズンが控えています。
みんなからはインカレ出場、そしてそれ以上の活躍の報告を今度は普通の『ギフト』としてもらえたらなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今後とも筑波大学女子サッカー部への変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。
#18 森下遥菜


