2015年12月13日

クリスマス

明日の大一番を前に夜も眠れません白見はる菜(#23/人文4年)です。

思えば大事な日の前の日はいつも眠れません。
小学5年生の秋、運動会前日夜にどうしようもなく覚醒してしまい、
翌日開会式でバタリ。人生で初めて「気を失う」を体験しました。

話は戻りますが、
もしかしたらくだらない内容のブログを書けるのは今日が最後かもしれないとも思い、筆を取ります。(フリック入力)

この1年、ブログ係の白井選手は非常によく頑張ってくれました。
どんなに苦しく辛く動けなくなるくらい悔しかった試合のあとも、歓喜に湧き誰もが地に足つかなかった試合のあとも
「女子サッカー部ログに新着記事(試合結果報告)が投稿されました」のメールがすぐに私の元へ届きました。

奴はよくできた子です。
広報部の中にあるので私と部署ミーティングをするのですが、
今月どうだった?と聞く前に
「先月あれこれでいまはこんなのやっててあれはいま申請してるのでいついつまでに確定します」
などなどとぜんぶ答えてくれました。
そしてそれがあまりに早口で長いので、私はそれを、ほぼ右耳からinし、左耳へout。
それを、右から左に受け流しておりました。(要所をつまみ食い)

右からやってきた〜〜
いきなりやってきた〜〜
ふいに、やってきた〜〜
ブログがやってきた〜〜
私はそれを左へ受け流す〜〜



さて、クリスマスですね。
彼氏がいようがいまいが毎年浮き足立ちます。
本年、例のごとく彼氏らしき生命体も確認できず、
そして今年は体専の卒論提出が24〜25日なので遊ぶ人は誰も捕まらずということで

んー

無です。

まじで特に書くことありません(なぜブログのテーマにした)



やり場のない想いが形として現れた結果としては、

先週末出した宗教社会学のミニレポートで

仏教徒であるにもかかわらずクリスマスを祝った1週間後には初詣へ向かうなどの日本人の宗教面での寛容さは、他国に比べ「死」が日常生活と隔離(ニュースで血ものを放映しないなど。)されているからで、「死の克服」のため宗教に依拠する麺があると考えれば、克服するべき死が現実味を帯びていないことで日本人は他宗教であるキリスト生誕というイベントを非常に楽観的に祝うことができる。

という
無意味にクリスマスを重くしたやつを書きました。

ここで問題なのは、
その宗教観も全て踏まえて「日本人の宗教」として海外の人間が捉えていること、

というのと、

依拠する面 を
依拠する麺

と誤字って送ってしまったことの2点です。

そんな自立できない麺はやだな〜。
やっぱ麺はコシだよな〜。


とりあえず言いたかったのは、
日本人がクリスマス祝う!ということは死への消極的無関心だということ。


ハイデッガーという思想家が言っていました。

「人は、いつか必ず死が訪れるということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。」

ということは日本人は宗教熱心な民族よりも、日々を無意味に生きている?(充実度の比較ができないのでなんとも言えませんが。)



身近で例えるなら

なんとなく一緒にいたけど、
別れたらその人の大切さに初めて気づいて復縁を持ちかけるパターンのやつですね。
私も経験あります。


ルミネの広告にこんなのがありました。
「終わりに近づくほどどれだけ愛せるかを知る」


似てないようでなんか似てますね。


今週の朝練、水曜に1Gが霜降りになったのですが、これもあと2回か…と思うと
芝の先端の氷が溶けながら私のつま先の熱をじわりじわりと吸い取っていく感覚すらひたすらに愛おしく感じました。



うーん

なんでこんな話になったんだっけ?



とりあえず今日言いたかったのは


クリスマス祝うリア充は爆発しろ!!!!







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Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 02:55│Comments(0)2015部員日記2015
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