2022年02月03日
「これは恋です」(蓮輪真琴/4年)
1月4日。私の大学サッカーは終わりました。
筑波の色に染まった、4年間でした。
1.2年生の頃は、自分が思い描いていた大学サッカーとはかけ離れているように感じ、大好きなサッカーが楽しくなかった。何度も怪我をし、サッカーをする時間は短く、何のためにここにいるのかわからなかった。
「筑波を強くする」「インカレで優勝する」
と推薦入試の面接で意気込み、入学してから、このチームで何ができているのか、チームの力になれているのか、全くわからなかった。むしろ、必要性を感じなかった。
怪我で試合に出れない期間は、リハビリをして早く復帰するしか方法がないのに、なかなか上手くいかない。どんどん自分に余裕が無くなっていくのがわかった。
試合に負けてるのに何でヘラヘラしてんの?って。
チームのために必死になって戦っている仲間がいるから、復帰して戻れる場所があるのに、それを全くわかっていなかった。自分で自分を追い込んで苦しめていた。
復帰してからも、コンディションが戻らず、何のためにサッカーをしているかを見失い、ふてくされて練習する日々を送った。練習を1ミリも楽しめないし、自ら人と距離を置いて、黙々とこなしていた。
自分でもわかってる。チームに迷惑をかけているし、このままではだめだって。でも、何かが引っかかって自分を変えることはできなかった。
3年生になって、自分の中で大切にしているものは何かということが明確になった。
『このチームで勝ちたい』
それは、当時の4年生が気づかせてくれた。理由とか根拠とかはわからないが、大好きだった。
自分の力でこのチームを勝たせたい。
一緒に目標を達成したいという想いが強かった。
これまで未熟だった自分が情けなかった。
子供だった自分にとって、大きく成長できた期間だったと思う。
試合に出て結果を残すことだけがチームの力になっているのではなくて、それぞれがそれぞれの立場で、最大限の力を発揮することがチームの力になるとわかった。
4年生になってからも、膝を怪我し、思うようにサッカーができなかった。
でも、みんなに自信を持って楽しくプレーをしてもらうために、「どんな時も笑顔で引っ張っていかないと。」って必死だった。だから、チームのことより自分の感情が前に来ることはなかった。
2021シーズンはなかなか勝てず、思うような結果を残すことができない、チームとしても苦しいシーズンだった。
主将として、オンザピッチを引っ張らないといけない立場の自分が、練習や試合でプレーでみせることができない。
本当に申し訳ない。
めっちゃ悔しくて、しんどくて、でも元気なふりをしてないといけないんだって、空元気の日もあった。試合に負けて悔しがっている選手、落ち込んでいる選手の話を聞いて、支えることしかできなかった。その度に、「何もできなくてごめん」って、直接伝えることはできず、心の中で謝ってばっかりだった。
離脱中ずっとプレーでチームを引っ張ってくれた玲海菜には助けられたことが多かった。
たくさん色んなものを背負わせて、任せっきりでごめん。
2人で交わした目標に向かって、一緒に頑張ってくれてありがとう。西が丘で流した涙は、次のステージで。
『チームのために』
って突っ走ってきたこの一年。
こんなにチームのこと考えられるのは何でだろう。
多様性とか筑波の良いところっていろいろ挙げられるけど、言葉では表せない良さがあると4年間過ごして感じた。
こんなにチームのことを考えたのは初めてなくらい、チームが1番で、みんなのこと考え過ぎてた。たぶん、みんなに恋してました。オフの時も考えてしまうくらい好きなんです。きっと。
最後に、このチームで主将としてやり遂げることができたのは、間違いなく同期が居てくれたから。
後ろには信頼できるみんながいるってわかってたから、どんな時も自信を持って行動できた。
本当にありがとう。
平嶋さんをはじめ、スタッフさん、日頃からご支援・ご声援くださっているOG・OBさんが居なければ、インカレベスト4という結果を残すことはできませんでした。
本当にありがとうございました。
来シーズンも頼もしい後輩たちがさらなる飛躍を目指して頑張りますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いします!
お父さん、お母さん、今まで大好きなサッカーを不自由なくさせてくれて本当にありがとう。
尊敬できて、自慢できる、大好きな家族です。
優勝した姿を見せることができなくてごめん。
少しずつ恩返しができるように頑張ります。
私は、筑波大学女子サッカー部で4年間過ごせてよかったです。
#7 蓮輪真琴



筑波の色に染まった、4年間でした。
1.2年生の頃は、自分が思い描いていた大学サッカーとはかけ離れているように感じ、大好きなサッカーが楽しくなかった。何度も怪我をし、サッカーをする時間は短く、何のためにここにいるのかわからなかった。
「筑波を強くする」「インカレで優勝する」
と推薦入試の面接で意気込み、入学してから、このチームで何ができているのか、チームの力になれているのか、全くわからなかった。むしろ、必要性を感じなかった。
怪我で試合に出れない期間は、リハビリをして早く復帰するしか方法がないのに、なかなか上手くいかない。どんどん自分に余裕が無くなっていくのがわかった。
試合に負けてるのに何でヘラヘラしてんの?って。
チームのために必死になって戦っている仲間がいるから、復帰して戻れる場所があるのに、それを全くわかっていなかった。自分で自分を追い込んで苦しめていた。
復帰してからも、コンディションが戻らず、何のためにサッカーをしているかを見失い、ふてくされて練習する日々を送った。練習を1ミリも楽しめないし、自ら人と距離を置いて、黙々とこなしていた。
自分でもわかってる。チームに迷惑をかけているし、このままではだめだって。でも、何かが引っかかって自分を変えることはできなかった。
3年生になって、自分の中で大切にしているものは何かということが明確になった。
『このチームで勝ちたい』
それは、当時の4年生が気づかせてくれた。理由とか根拠とかはわからないが、大好きだった。
自分の力でこのチームを勝たせたい。
一緒に目標を達成したいという想いが強かった。
これまで未熟だった自分が情けなかった。
子供だった自分にとって、大きく成長できた期間だったと思う。
試合に出て結果を残すことだけがチームの力になっているのではなくて、それぞれがそれぞれの立場で、最大限の力を発揮することがチームの力になるとわかった。
4年生になってからも、膝を怪我し、思うようにサッカーができなかった。
でも、みんなに自信を持って楽しくプレーをしてもらうために、「どんな時も笑顔で引っ張っていかないと。」って必死だった。だから、チームのことより自分の感情が前に来ることはなかった。
2021シーズンはなかなか勝てず、思うような結果を残すことができない、チームとしても苦しいシーズンだった。
主将として、オンザピッチを引っ張らないといけない立場の自分が、練習や試合でプレーでみせることができない。
本当に申し訳ない。
めっちゃ悔しくて、しんどくて、でも元気なふりをしてないといけないんだって、空元気の日もあった。試合に負けて悔しがっている選手、落ち込んでいる選手の話を聞いて、支えることしかできなかった。その度に、「何もできなくてごめん」って、直接伝えることはできず、心の中で謝ってばっかりだった。
離脱中ずっとプレーでチームを引っ張ってくれた玲海菜には助けられたことが多かった。
たくさん色んなものを背負わせて、任せっきりでごめん。
2人で交わした目標に向かって、一緒に頑張ってくれてありがとう。西が丘で流した涙は、次のステージで。
『チームのために』
って突っ走ってきたこの一年。
こんなにチームのこと考えられるのは何でだろう。
多様性とか筑波の良いところっていろいろ挙げられるけど、言葉では表せない良さがあると4年間過ごして感じた。
こんなにチームのことを考えたのは初めてなくらい、チームが1番で、みんなのこと考え過ぎてた。たぶん、みんなに恋してました。オフの時も考えてしまうくらい好きなんです。きっと。
最後に、このチームで主将としてやり遂げることができたのは、間違いなく同期が居てくれたから。
後ろには信頼できるみんながいるってわかってたから、どんな時も自信を持って行動できた。
本当にありがとう。
平嶋さんをはじめ、スタッフさん、日頃からご支援・ご声援くださっているOG・OBさんが居なければ、インカレベスト4という結果を残すことはできませんでした。
本当にありがとうございました。
来シーズンも頼もしい後輩たちがさらなる飛躍を目指して頑張りますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いします!
お父さん、お母さん、今まで大好きなサッカーを不自由なくさせてくれて本当にありがとう。
尊敬できて、自慢できる、大好きな家族です。
優勝した姿を見せることができなくてごめん。
少しずつ恩返しができるように頑張ります。
私は、筑波大学女子サッカー部で4年間過ごせてよかったです。
#7 蓮輪真琴


