2023シーズン主務を務めさせていただきました4年の河部真依(#23 こと)です。

三役ブログを書いたのがもう1年前という時の早さを感じると同時に、実は1年以上あったのではないかと錯覚するほど濃密なシーズンになったなと実感しています。
この4年間を思い返すと少し長くなってしまいますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


2023年11月26日引退
桐の葉を背負い、フューチャーブルーのユニフォームを着て戦った最後の試合は、同期みんなでピッチに立った練習試合の30分でした。もちろん思い描いていた引退の仕方ではありません。しかし最後までお互いに求め合い、走り続けたこの試合は、私にとってとても大きな財産となりました。4年間の集大成として、共に頑張ってきた仲間とサッカーをできたこと、喜びを分かち合えたこと、本当に幸せでした。


卒論も無事に提出でき、卒業に近づいている実感がありつつある今日この頃。
よく「大学生活どうだった?」「1番の思い出は?」と聞かれますが、私の大学4年間は『女サカ』でしかありません。


中学生で筑波の女サカに憧れ目指し続け、1年多くかかったもののやっとその一員となれた2020年4月。
しかし合流2日目に活動自粛に。結果約3か月間の自粛を余儀なくされました。日常が奪われた絶望はもちろん、「やっとたどり着いたのになんで」という思いしかありませんでした。
制限はあったものの夏には部活動が再開でき、試合も始まり、サッカーができる喜びや楽しさを日々感じていました。
関カレ開幕戦にスタメン出場しアシストも記録しましたが、第2節で膝を負傷し長期離脱。その後は膝の状態に左右されながらのシーズンでしたが、人生初の全国大会であったインカレの舞台にも立つことができました。


膝の影響で長期離脱から始まった2シーズン目。仕事を持つようになり大変さを実感するとともに、自分のミスで迷惑をかけたこともありました。
夏には約1年ぶりに関カレでスタメンとなり、その試合で初めてハットトリックを達成。試合に出られる機会も増え、インカレ準決勝では、90分間西が丘でプレーすることができました。

先輩方や仲間に助けられ、多くの舞台に連れて行ってもらったという感覚の方が強い2年間でした。



自分がチームを勝たせる立場となった3年生。怪我による離脱もほとんどなく、コンスタントに試合に出続けることができましたが、力不足を痛感するとともに、個人としてもチームとしても結果が出ず、苦しい時期が続きました。
思い通りにいかないことの方が多かったからこそ、チーム力の重要さを痛感し、勝つ喜びを改めて感じることができました。



これまでの思いを晴らすためにもと意気込んだ4年生。
スローガンに「翔仁」を掲げ、「インカレ優勝」を最大の目標として活動したラストシーズンも、怒涛の1年間となりました。一部員であるだけでなく、4年生として、そして主務として学生代表である責任とそれに伴う業務。
事あるたびにこれまでの先輩方の偉大さを痛感することになりました。
最後まで自分たちらしく戦い続けましたが、結果として皇后杯は関東予選で敗退、最大の目標であったインカレには出場することすらできず、4年間で1番短いシーズンとなってしまいました。


どんな時も、自分やチームの成長のために、結果のために全てを捧げてきました。
しかしこの4年間で1度、本気でサッカーに対して悩み苦しんだ時期があります。

夏の関カレ中断時点の成績に焦りが積もっていた今年の8月。試合に出ていながら結果を残せていないことへの責任も感じていました。何とかしないと、何かを変えなければと模索していた時、追い打ちをかけるように体調不良に悩まされることとなりました。


あるリカバリーの日、部活前の全体の締めが終わった瞬間、急に胸に激痛が走りました。10秒程で収まったのでそのままみんなでジョギングをしていたものの、再び胸を殴られたような、立っているのがしんどいほどの痛みに襲われました。
大事だったらさすがに困ると思い数日後に病院で一通りの検査をしたものの、問題は見つからず原因不明なまま。もっと大きい病院で検査してみたらわかるもの、もしくはストレスが原因によるものというのが診断でした。
その頃には日常的な違和感にも、定期的に痛みが増すことにも、慣れ始めた自分がいました。
しかし、痛みは時間も場所も選んでくれません。練習中に抜けざるを得ないこともあれば、MTを欠席することも。一方で何もなくとても元気な日もある。


チームを引っ張る立場であるべきという責任感
コンディションがうまく調整できないもどかしさ
チームに迷惑をかけている自分の不甲斐なさ
うまく気持ちが乗り切っていない中サッカーをしている申し訳なさ
早く何とかしないとという焦り


単にメンタルが原因なのか、体調が原因なのか、それはわかりません。
ただ、サッカーそのものが嫌いになりそうで、全てを投げ出し現実逃避の旅にでも行こうかと考えたこともありました。心身ともに万全ではなく、本当に苦しかったです。
でも、部活を辞めたいとは考えもしませんでした。良くも悪くも、部活に依存していたんだと思います。
達成したい目標がある。
それをともに目指し頑張りたい仲間がいる。
だから部活に行って練習する。女サカは私の日常生活の一つでした。


もしコンディションを維持し続けられていれば、あの試合に出られたかも。あの時シュートを打てていたかも。点を決められていたかも。そして、迷惑をかけることなく誰かの力になれていたかも。そう考えることが今でもあります。


ただ、この時期が私に必要な試練であり、成長のきっかけや、自身の更なる責任と覚悟につながったかもしれないとも思います。


話を聞いてくれる仲間。前向きな声をかけ続けてくれる仲間。どんな状況でも求め続けてくれる仲間。自分に期待してくれる仲間。常に笑わせてくれる仲間。
そんな素晴らしい組織にいられたからこそ、最後までやり遂げることができ、何にも代え難い4年間となりました。
その仲間に、チームに、感謝してもしきれません。



私は筑波に来るまで全国大会に出場したことがなければ、個人として選抜等に選ばれたことも目立った活躍をしてきたこともなく、エリートとは程遠い選手です。
そんな私でも試合に出る機会があり、大きな舞台でプレーできるチャンスがあるのが筑波です。
それだけではなく、相手チームの分析を行ったり、ホーム戦の企画や集客を行ったり、少年団活動で小学生にサッカーを教えたり、学連活動やつくばフェスティバルを通して一つの大会の企画・運営に携わったりと、ピッチ内外のさまざまな角度からサッカーに関わることができました。
筑波に来たからこそ、サッカーの魅力を再認識することができました。


この4年間、もちろん楽しいことや嬉しいことばかりではありませんでした。
しかし、憧れであった筑波大学女子サッカー部の一員として素晴らしい活動ができ、かけがえのない仲間に出会うことができ、大変な経験もすべて含めて充実した日々となりました。



弟の影響でなんとなく始めたサッカー。中高6年間はサッカーのために寮生活をさせてもらい、大学選択の大きな要因となりました。こんなに本気でやり続けるなんて、当時は全く想像していませんでした。
14年間の競技生活も一区切りとなりますが、これからもサッカーが大好きです。
この4年間で得た学びや経験を生かし、日々成長し続け、新たなステージで活躍していきたいと思います。


2年間届かなかったインカレの舞台は、後輩たちが達成してくれると信じています。
これからも、そしてこれまで以上に、筑波大学女子サッカー部を応援していただけますと嬉しいです。

今まで応援し支えてくださった方々、本当にありがとうございました。


#23 河部真依

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Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 22:19│Comments(0)2023引退ブログ2023
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