2015年03月07日

合格の思い出

こんにちは。
2年のみち(#2)です。

今回は「合格の思い出」というテーマでブログを書かせていただきます。

2年前のちょうどこの時期に、私は筑波大学社会国際学群社会学類に合格しました。

合格までの道のりは決して楽なものではありませんでした。
1月のセンター試験、目標点には全く届かず、模試でとれていた点数をはるかに下回る過去最低点数を叩き出しました。

100点をとるつもりで挑んだ得意科目の日本史B。これまでの形式と異なる出題と2問ぐらいどうしても判別がつけられない問題があったことが悔しすぎて、その腹いせに2時間目には受けるはずだった世界史Bではなく世界史Aを受験してやりました。
(社学の受験科目は社会は一科目でよかったのですが、試験後に学校で世界史の先生に呼び出されたのは言うまでもありません。)

国語。これまでの形式と全く異なる漢文、全く意味のわからなかった論説、スピンスピンの小説、もう駄目だと思いました。

そして涙の数学。難しすぎだろ!ⅠA、あんなに勉強したのに…。数学は苦手科目だったので覚悟はしていたものの、メンタルが崩壊しました。ⅡBもほぼ同じ展開をたどりました。試験後にトイレに駆け込んで静かに涙を流したのも今ではよい思い出です。(今思えばかなり迷惑な受験生ですね。)

そんなこんなで終えたセンター試験、 判定はD!
センター試験で過去最低の判定とお会いすることになりました。
もちろんへこみました。それはもうベコンと音がするぐらいに。


しかし、そこで終わる私ではありませんでした。

筑波に合格して、女サカに入ってもう一度本気でサッカーがやりたい。
その一心で、二次試験での大逆転を目指してそれまで以上に勉強しました。


迎えた二次試験当日。
日本史で奇跡が起きます。400字論述が4題出題されるのですが、そのうち3題は試験前に自分で予想した問題とほぼ同じ!スラスラと書き進め、ようやく清々しい気持ちで試験を終えることができました。

合格発表まで、社学は後期試験がないため、筑波の人文の後期試験の勉強をしようとしました。
しかし、読み始めたリード文の意味が全く理解できず、合格発表までは後期試験の勉強はあきらめることにしました。

そして合格発表。
県内に住んでいたため、合格発表が始まってから少し時間がたった頃に一人で大学の掲示板を見にきました。
あー、こういうやつテレビで見たことあるなーとか意外に人いないじゃんとかのんきなことを思いながら、バス停でバスを降りて掲示板の前まで歩きました。

ちょっとずつ近づいていくものの、発表の紙がテレビで見てたようなあれよりもずーっと小さい紙だったのでなかなか見えませんでした。

あのD判定が頭にあったため、たぶん落ちてるよーとは思いながらも二次日本史での奇跡を信じて紙を見つめました。

そして番号発見!
でも、一人で見に行ったため、はしゃぐこともできず、押し殺すように一人で喜びを噛み締めました。

ラグビー部かなんかが胴上げをやってましたが、見つからないように急いで逃げ帰ってきました。


これが私の合格の思い出です。
とくに派手に喜んだ話も感動的な話もありませんが、一つ言えるとすれば最後まであきらめなければいいことあるかもよということですね。


最後に、今日は筑波大学の前期試験の合格発表の日でした。

見事に合格を掴んだみなさん、本当におめでとうございます!
みなさんにグラウンドでお会いできるのを、部員一同心からお待ちしています!


羽成春香(#2 みち)

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Posted by 筑波大学女子サッカー部 at 22:43│Comments(0)2015部員日記2015
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